誰のために【ディルク】
「今、何と仰いましたか?」
夜だけでなく、朝も昼も時間が合うなり、食事に招待してくる陛下にうんざりしていたところに、聞き逃せないことを言い出した。
「貴方には関係の無いことよ。口を挟まないで」
口元をナプキンで隠しながら、僕を会話に入れようとしない王妃を陛下が睨む。
──僕を蚊帳の外にしたいのであれば、呼ばなければいいんだ。
王妃に選ばれるくらいなのだから、賢いのだろう?
卑しい平民混じり一人、食堂に呼ばせはい策を講じて欲しいものだ。
僕だってある意味、被害者なのだから。
「いつも創立記念日にやるパーティーを、今年は早めることになった」
だから。それの意味がわからない。
わざわざ早めてどうするんだ。
何十年と続く伝統行事なら、日程こそ守るべきじゃないのか。
休校の一週間で既に各家に招待状は送られている。
「兄上。予定が早まると不都合でもあるんですか?」
人徳者とは思えない笑み。
「はぁ……。体調が優れないので、これで失礼します」
「待ちなさい!せっかく陛下が招待して下さったのに、料理を一口も食べないとは何事ですか!!?」
一度でも毒を盛られたんだ。食べない理由としとは充分。
今では毒味係を陛下が付けてくれたけど、僕はその毒味係でさえ信用していない。
カルが役目を買って出てくれたけど、そんな危険な真似をさせたくないから断った。
──自分で作ったほうが安心で安全なのに。
アリーの元にいる料理人はすぐに来られないため、今はまだ陛下が雇った料理人が調理をする。
彼らが来てくれたら毒味役は必要ない。
早く彼らが来てくれたらと思う。人を待つのは嫌いではないし、今はただ……待っているだけの時間が楽しくて仕方ない。
「王妃!体調が悪い者に無理に食べさせてどうする。ディルク、部屋でゆっくり休むといい」
本当に悪いわけじゃない。陛下もわかった上で庇ってくれた。
…………なぜ?
父親らしく在ろうとされても、僕は歩み寄るつもりはない。
先に親の責任を放棄したのは向こう。
僕は望み通りに息子をやめた。
今更……。
本来なら喜ばしいことだとしても、僕からしたら苦痛。
だって陛下は父親ではない。王国に君臨する王が、国民にとっての父だと言うのなら話は別。
リンデロンの名を持ってはいるが、僕の親は母上だけ。父親を欲したことは一度としてない。
カルと共に食堂を後にした。陛下の目がひどく悲しげだったけど、僕には関係のないこと。
「ふぅ……」
「大丈夫ですか?」
「全然」
「パーティーを早めるとは大胆ですね。エドガー殿下の指示でしょうか」
「恐らくそうだろうね」
アカデミー創立記念日は僕の誕生日でもある。
その日にアリーが正式に婚約者となり、僕が王太子に選ばれるのだ。
エドガーと王妃はどんな手を使っても僕の邪魔をしてくる。そう、どんな手を使っても。
招待した令嬢に例の、魅了香とやらを使うつもりなのだろう。
強制的に相手を従わさせる禁じられた香。
製造が中止になっただけで、裏で生きる魔法使いは作り、売って、金儲けをしている。
「早いお帰りだな」
クラウスの部屋を訪ねると、多くの書類に囲まれて嫌気がさしていた。
「気分が悪くなっただけだよ。あ、カル。すまないがクラウスと二人にしてくれる?」
「かしこまりました」
食事を摂っていないため、手短に終わらせなければ。
この状況を見るにクラウスもだろう。
「クラウスは人を探知する魔法使えたっけ?」
「いいや。どうした」
「じゃあさ。もしもこの王宮に、誰かが匿われていたとしたら、やっぱり気付かないもの?」
「相手によるな。魔法使いなら魔力で気付ける。例外はあるがな」
クラウス曰く、魔力が平均に満たない魔法使いは接近しても、一般人と見分けがつかないらしい。
巨大な魔力を持つ王族や上級貴族は特に。
「で?それがどうしたんだ」
「実はね。エドガーがさ。未来の視える占い師を王宮に連れ込んでみたいなんだ」
「ディルク……。なぜそれを、もっと早くに言わない!!?敵の情報は私にも共有しろ!!」
予想通り、普通に怒られた。
「ごめんって。未来が視えると言ってもエドガーの作戦は全部、失敗してるし、いいかなぁって」
「良くないだろ」
グッと近づけてくる顔は完全に怒っていて、思わず目を逸らす。
「はぁ……。たく。まぁ、未来なんてものは未来にいた人間にしか、わかりえないことだからな。その占い師は観察眼に優れていただけだろう」
相手の言動を注意深く観察し、会話の流れから真実を見抜くのに長けている。
占い師なんて大体はそんなもの。
「やっぱりそうだよね」
僕の考えはクラウスと一致した。アリーもそう考えているだろうから、後で報告しておこう。
未来なんて誰にも視えるはずがない。そんな能力があるなら、僕が欲しいくらいだ。
それさえあれば、アリーの力になれる。もっと……役に立てるはずなんだ。
あれ?待って。だとしたらボニート令嬢はどうやって、王宮に占い師がいることを知った?
彼女の情報収集能力は、情報屋よりも遥かに優れている。
ジーナ令嬢の名を語り、僕に香水を送ったときも。あんなの人間業ではない。
「彼女も回帰者……?」
「も、とはどう言う意味だ?その彼女は、誰を指している」
「あ、いや。実はね」
カラスのことを話した。
誰も知り得ることのない、アリー亡き後の世界。
何者なのか。敵か味方か、定かではない。
クラウスは額に手を当て盛大なため息をついた。
「それこそ私に言うべきことだろう」
「でもね。可愛いんだ、愛嬌があって」
「ならお前は。動物の姿をしていれば敵だろうと懐に入れるのか?」
「それはない。ただ……」
あのカラスからは嫌な感じがしなかった。
口はちょっと悪かったかもしれないけど、何だろう。
ガラス玉のような瞳に色や熱はなく、感情が欠落しているようにも見えた。
羽ばたいていくその羽を掴んで、君は誰だと問いたい気持ちがあったのも事実。
それをしなかったのは……その質問にカラスは答えてくれるような気がして。
聞くのが怖かった。ただ純粋に。
もう一人の僕の魂が強く拒絶する。
「他に隠していることはないだろうな」
「強いて言えば、毎年恒例のパーティーが早まったくらいだよ」
「困るのか?」
「うん。まぁ……」
陛下は毎年、決まった家門だけに招待状を出すからいいけど、問題は王妃。
王妃は家門にではなく個別に出す。
そのお茶会で令嬢達に魅了香を使われたら終わり。
ボニート令嬢の言いなりになって、僕の汚点を作るために襲ってくる可能性しかない。
今回は派閥ではない、アリーと親しい令嬢を狙っているはず。
アリーならともかく、他の令嬢が王妃からのお茶会は断れない。
「そのことなんだが。マリアンヌから連絡があった」
その内容は驚くべきもの。
王妃のお茶会当日、マリアンヌ様もお茶会を開く。招待状は既に出していて、全員から出席の返事が届いているため王妃の誘いは断れる。
新たな犠牲者が増えないことに安堵した。
魅了香は一度でも付けてしまったら、助ける術はない。無関係な彼女達が操り人形になることだけは避けなくては。
「提案したのはアリアナ嬢らしい」
「そっか。アリーが」
「嬉しそうだな。顔が綻んでいるぞ」
「う、うるさい!」
指摘されたことにより、急激な熱を帯び始める。
面白がるようにニヤニヤするクラウスの肩を叩く。
大袈裟に痛がってみせるクラウスに「治癒魔法で治せ」と言葉を投げた。
「ディルク。些細なことでも情報は共有しろ。知らなければ手の打ちようがもない」
開いた自分の手を見つめるクラウスは言った。
「私に二度も、お前の愛した女性を殺させないでくれ」
切実な願いだった。
アリーに聞いたそうだ。殺されるとき、クラウスは助けてくれなかったのかと。
その答えはとっくに出ている。
処刑を止めるだけの証拠がなくとも、クラウスの力があれば逃がすことなど造作もない。
「違うよ。見殺しにさせたのは僕だ」
僕が頼むはずがない。エドガーを心底嫌っていたクラウスに、アリーを助けてくれなんて。
そこまで図々しく無神経な性格だったら、もっと好き勝手に生きていただろう。
「今度はちゃんと助けを求めるから。助けて欲しい」
「あぁ。当然だ」
「ありがとう。カルを呼んでくるよ。夕食まだなんだ」
「催促されたか?さりげなく」
「そんなわけないだろ」
魔法で料理を出せるのはすごいけど、複雑な料理は無理だと本人も言っていた。
軽食が凝ったもの、のジャンルになるらしい。
「僕が適当に作ってくるから待ってて」
「悪いな」
「これくらいしか恩返し出来ないから」
「恩を感じる必要はない。我が国で作られた魅了香が悪用された時点で、私も関係者だ」
この若さで王の座を継ぐなんて前代未聞。
若き王を騙して国を乗っ取ろうとする輩は少なくない。
年が明けたらすぐに継承するため、今からやることが山積み。帰国することなく留まってくれている。
人の優しさに感動している場合ではない。
エドガーが何をしてもいいように、僕自身がもっと強くならなくては。
食事を終えて、ほとんどの人が部屋に篭る頃。僕は騎士団の訓練場にいた。
剣術を習うために。
ウォン副団長とラード団員がアリーの護衛に戻った今、教えてくれるのはセシオン団長。
静かな訓練場に木刀がぶつかり合う音が響く。
騎士団長に就く人から簡単に一本を取れるはずもなく、攻撃は防がれてばかり。
「殿下。もっと深く踏み込んで下さい。私を殺すつもりで」
これは指導。練習で出来ないことは本番でも上手くいくはずがない。
頭では理解しているつもりだったのに、一歩を踏み込むことを拒んでいた。
連続で打ちながらも、乱れた呼吸は次第に整っていく。
とっくに疲れている体は素早く動いてくれる。
頭で思い描いた通りに。
セシオン団長の木刀を弾き飛ばし、喉元に突き刺す……寸前でピタリと止まる。
──殺すつもりで、やらなきゃダメなんだ。
「ありがとうございます、セシオン団長。今日はもう上がります。明日からアカデミーも再開しますので」
「ディルク殿下。貴方は今、私と誰を重ねたのですか?」
確信を持った質問。僕は答えることなく微笑むだけ。
薄らと勘づいているのに、わざわざ答え合わせをしたくなかった。
「では、これだけはお答え下さい。貴方は誰のために強くなろうとしているのですか?」
「決まっているだろう?アリーのためだよ」
「ぁ……っ」
「アリーのためなら何でもするし、誰だろうと殺す。アリーが望めば、僕は喜んでこの命を捧げるよ。幸せに、笑顔でいてくれることが僕にとっての幸せなんだ」
そして、願わくば……。愛されたいなんて、叶わない願いを捨てられずにいる。
君のいない世界で僕は生きていけない。
太陽なんだよ。アリアナ・ローズは。
出会ったあの日から。僕の人生を照らしてくれる。
名前を呼ばれることも、笑いかけてくれることも全部。嬉しくて、愛しさに変わっていく。
あまり夜更かしをするわけにもいかず、一礼して背を向けた。
今日のこの感覚を忘れずに、次は連続して一本取ろう。




