訪ねてきた意外な人物
クラウス様の魔法で送ってもらうとはいえ、こんな貴重な本を王宮の外に出すの勇気はない。
手紙のやり取りをしている魔道具に本を入れて送ってもらえるようディーにお願いした。
一度に全部ではなく、読み終わったら次の本、という具合に一冊ずつ。
いくら断ってもディーは私に貸そうとするため、それならお言葉に甘えて借りようと思った。
残りの本は部屋に置いておくと。
王宮でこの手の本を読む人はいないらしく、長期間借りていても文句は言われないらしい。
これほどの本を読まずに置いておくだけなんてもったいなさすぎる。
私なら全部を読み終えるまでアカデミーを休むわ。本だって棚に飾られるだけじゃなく、読んで欲しいはず。
帰り支度をしていると廊下が騒がしくなってきた。
まさか王妃が来たのかしら。
部屋の外にセシオン団長は待機していない。部屋の前までって約束で護衛を許可したわけだし。
カルが帰ってきてたら部屋の外から声をかけてくれるはずだから、まだ帰っていない。
カルにはカルの付き合いがあるし、たまには仕事のことを忘れて息抜きをするのも大事。
とりあえず本は隠した。頭に血が上った王妃に見られたら、大袈裟に騒ぎ立ててディーを盗っ人扱いするかもしれないし。
ディーから王位継承権を奪う最も効率的なやり方は、ディーに問題があると示せばいい。
図書室の記録が紛失することは、よくあること。
証言した人がいたとしても、ディーが手続きをしている場面を見ていなければ証言の偽証にしかならない。
護身用の木刀をドア付近に立てかけて、取りやすいようにしていた。
相手が王妃かもしれないのに木刀を用意するなんて。
向こうから仕掛けてこない限り、こちらから手を出してはいけないことはわかってるはず。
──というか絶対に!こちらから先に手を出さないで。
口実を与えたらダメなの。
扉を少しだけ開けて廊下を確認したディーを纏う空気が変わった。
部屋の中を見られないようしっかりと扉を閉めて、ディーは廊下にいる人物と話す。
小声ではないから会話は聞こえてくる。
この声は……陛下。
これまで散々無視していたディーの部屋を尋ねたら、騒がしくもなるのも当然。
会話の内容からディーではなく私に会いに来たのがわかる。
用意されていた魔法陣は往復一回しか使えない、使い捨て。
私がディーの部屋に戻った時点で消滅した。
「アリアナ嬢と話がしたい」
「アリーは貴方との話は終えたと言っています」
どちらも譲らない。
陛下が人払いをしてくれたとはいえ、ここに来たことは王妃の耳にも入る。
またディーに危害が加えられるかもしれない。
きっと陛下はそんなことさえ、わかっていないのだろう。そうでなきゃ、ここまで足を運ぶわけがないわね。
門番に私がまだ帰っていないことを確認して、ディーの部屋にいるとアタリをつけたみたい。
口論に近い話し合いは終わりそうになく、私が出るしかなさそうだった。
「ディー。陛下が尋ねてくれたのよ。貴方が王子であっても無礼を働くのは失礼だわ」
言わんとしてることがわかったのか、ぶっきらぼうに入るよう促した。
父親ではなく陛下としてもてなせばいいだけ。
それはいつもディーがやっていることで、難しくはないはず。
「手短にお願いします。陽が暮れかけているので早く帰らないとアリーに迷惑がかかります」
ディーの目は冷たいなんて、そんな優しいものじゃない。
あの男を見るときには不快や嫌悪感さえ示すのに、陛下を前にしたディーにはそれさえない。
銀色の瞳は感情を映していない。虚ろ。
私を見る陛下が困っているとひと目でわかる。
ディーがいると話せない、もしくは話したく内容となれば、さっきの続き。
私としては疑問が解消され、尚且つ言いたいことも言えたからもう何も話さなくていいけど陛下は違う。
どうにかディーを部屋から出して欲しいと目が語るも、私は聞かれて困ることはない。
ディーも早く要件を言って、早く出て行けと圧をかける。
このまま沈黙状態が続くのはディーの負担になりかねない。
そっと肩に触れて、少しだけ陛下と二人にして欲しいとお願いすると、虚ろな目に光が宿り、感情が色付く。
赤面はしなかったものの、体は熱を帯びている。
自分の部屋なのに追い出されるのが納得いかずに陛下を睨むも、私のお願いということもあり素直に出てくれた。
カルはまだいないから廊下に一人で長居させたくはない。手短に済ませよう。
「あの男というのはエドガーのことか?」
聞いてはくるものの確信している。ならば肯定はしない。
「息子が君に何かしたのか?」
私に呪いをかけさせた。
私を殺そうした。
本当のことを言ったとして陛下は何をしてくれるだろうか。
ディーとあの男のことを同じぐらい愛している陛下に、貴方の息子に復讐するために力を貸してほしいと頼んで素直に協力してくれるとも思えない。
「私ではなくディーに何かあったのではありませんか?」
陛下の顔色が変わった。
公務と偽り療養をしていたあの事件は箝口令が敷かれ、事件そのものが表に出ていない。
知っているのは王宮でも一部の人間と、陛下直々に命令を受けたボニート家と、ボニート家に従える暗部。
私とシャロンが親友だったことを思い出すと、咎めるつもりもなく目を伏せた。
「陛下。私はこの先、何があろうとも第二王子を選ぶことはありません。絶対に」
「友人ではなかったのか?エドガーとは」
「はい。ただの、友人です。恋愛感情が芽生えたことは一度もありません」
「そうか」
声が弱々しい。
陛下は何としてでもあの男を王座に就かせたかった。
それが一番、ディーとソフィア様を守る方法だったから。
指名しなかったことは、せめてもの優しさのつもりだったとしたら陛下には人の心がないということ。
あの男に全てを譲るつもりなら一縷の望みもないと、現実を突きつけるほうがまだ優しい。中途半端に情けをかけたら、もっと悲惨な未来を辿るかもしれなかった。
出会ったこともないディーを、なぜ私が選ばないと確信していたのか。
一目惚れするかもしれない。哀れな第一王子を玉座に就かせたいと思ったかもしれない。
可能性だけならいくらでもありえる。
それら全てを無視して、選ぶ側の私に丸投げしていた。
あの男が王になれるかどうかは私の選択にかかっていたというのに。
「アリアナ嬢から見てディルクのほうが王の座に相応しいと思うか?」
「はい。ディーは身分で人を差別しません。どちらか一方を悪だとは決め付けません。他人を陥れてでも人の上に立とうとはしません。絶対。それに努力を怠ることもないですから陛下も安心して公務を任せられるのでしょう」
「私よりもディルクのことをよく知っているのだな」
「婚約者ですから」
陛下は力ない笑顔を浮かべて部屋を後にした。
ディーはそんな陛下に目もくれず私の元に駆け寄ってきた。
変わると決めたのなら、これまでの行いを振り返って何が悪かったのか考えて欲しいと思う。
有限ではあるけど、時間だけは沢山あるのだから。
「アリー?何か言われたの?」
ここで嘘をつくのは簡単だ。ディーは私を尊重してくれるから深くは聞いてこない。
私を脅してでも聞き出したいだろうに、何をおいても優先するのは私だけ。
「私も陛下もあの男も加害者だと伝えただけよ」
私が回帰者であることは言っても信じてもらえないだろう。
ある程度の反応も予測出来るから、言う必要もない。
信じて欲しい人達にだけ信じてもらえたら、それでいい。私の世界はこんなにも単純。
「そしたら言葉の意味を聞かれちゃった。大丈夫よ。回帰してるなんて言ってないから」
嘘をついたら罪悪感に心が押し潰されそうになる。
誠実なディーにだけは、私も誠実で在りたい。
罪の意識を感じるのは私の中に良心の欠片が残っているからだ。
小指ほどの小さな物かもしれないけど、それを失ってしまったら私はあの男達と同じに成り下がる。
心底ホッとするディーは私の秘密を知る人が増えるのが嫌だと呟いたのを、敢えて聞こえないふりをした。
──うーん、どうしよう。テオにも話す予定だから、確実に一人は増えるんだけどな。