故意に陥れる発言
一週間が経つのは割と早かった。
代わり映えのない静かな日々。
あの子は相変わらずメイドの恰好で出掛けてたけど。
たった一週間も待てないなんて人としてどうなの。
この上なく軽蔑するわ。
部屋で食べられる簡単なものを食べて、ニコラに「行ってきます」と言えば「行ってらっしゃい」と返ってくる。
当たり前の挨拶を、ずっと憧れていた。
あの子が隣にいるときだけは「行ってらっしゃい」も「おかえり」も聞ける。
私に対して言っていたわけではないけど、それでも聞きたかった。
家族からの当たり前の挨拶。
あんなに深く望んでいたのに諦めてしまえば、なぜあんなにも執着していたのかわからないほど、彼らのことがどうでも良くなった。
私は本気で彼らのことを家族として愛していたからこそ、失望してしまえば呆気ない。
珍しいことにあの子は私よりも先に登校した。
屋敷を出るまでに芝居がかったようにメイド長が大きな独り言を呟いていた。
私にいじめられたあの子は、傷ついた心を隠すために馬車も使わず一人で行ってしまわれたと。
他の使用人も嘆き悲しむ。
──私はほとんど毎日、徒歩なんだけど?
どこかの使えない御者が道に迷ったり、なぜか急にスピードを落としたりするから、仕方なく歩くしかなかった。
屋敷からアカデミーまで何時間もかかる険しい道のりではないし、歩いて行ける距離だ。
──か弱いお嬢様には難しいかもしれないけど。
メイド長の発言にラジットは怒りを通り越して殺意が湧いている。
目に影が落ち、無言で剣を掴む。
朝から流血騒ぎを見たくなくて、何もしないようにお願いした。
独り言なんだし聞き流すのが正解。
相手をされなかったことに驚いて、声を失ったまま私を凝視している。
独り言に反応するほど私は暇じゃないのよ。しかも朝から。寸劇を披露したいなら広場にでも行けばいい。あそこなら多くの人が見てくれる。面白ければ。
門を出て何気なしに振り向いた。私を閉じ込めていた屋敷が小さな箱に見えた。
こんなもの、だったんだ。求めて、愛して、愛されたかったローズ家は。
「アリアナ様。おはようございます」
「おはよう。早いのね」
「そ、そそそ、そんなこと……!!」
私の影響なのか、徒歩通学者が増えた。
貴族が自分の足で長い距離を歩くなんて常識ではありえないけど、私が歩いているのだからおかしなことではないと、気付けば多くの女子生徒の間に広まっていく。
女子生徒が歩いているのに男子生徒が馬車を使うのがいたたまれないのか、ほとんどの生徒が馬車を使うことをやめた。
そこにあの男までもが歩いて来るものだから余計に、アカデミー生徒は歩くのが常識、と間違った常識が植え付けられたようだ。
登校途中で会った数人の生徒と一緒に行くことにしたけど、会話がない。
もしかして私が侯爵令嬢だから声をかけてくれただけかな。
それはそうよね。目の前に高位貴族がいて無視出来るわけがない。
しかも。あまり話したことがなければ尚更。
彼女達は同じ男爵位の令嬢で、いつも三人でいる。三人共、花が好きで自作の花図鑑を作ったらしい。
前世の卒業式で、思い出に貰って欲しいと手渡された。表紙は彼女達の手描きの花で、それぞれが好きな花を描いていたんだっけ。
完成度は高く感動したのを覚えている。
それっきりだ。一度読んで、後はしまっておいた。
彼女達には本当に悪いことをした。一生懸命作ってくれたのに、無下に扱ってしまったこと。
もし来年の卒業式でも図鑑を貰えるのなら、お気に入りの本を置く本棚に並べよう。
特に会話がないまま、アカデミーに到着した。
他の生徒とも挨拶を交わし教室に行くと、またも何かしらの劇が始まっているみたいだった。
関わりたくもないのに教室で開演するものだから、嫌でも内容を聞かないといけなくなる。
いや、本当に興味ないの。
叶うなら誰か止めていて欲しかった。
「おはよう。どうしたの」
「おは、よう……ござ、います」
気のせいだろうか。女子生徒の私を見る目が戸惑っている。
あの子が劇にして、私が困るようなエピソードなんてあったかしら?
ないわね。
私はあの子と違って弱味を握られるヘマはしない。
「アリアナ様!!一刻も早く親友の座をヘレンにお返し下さい!!」
「そうです!!こんなにも優しいヘレンを傷つけて心は痛まないんですか!?」
ほんとに……意味がわからない。
あの子が何を言ったのか周りに聞いても教えてくれないのが気になる。
触れてはいけない。そんな雰囲気。
内容がわからないまま反論したくない。
困っていると、そういうの全っっっく気にしないであろうシャロンは、あの子達が作り出した空気を一瞬で破壊した。
「ねぇアリー。男と抱き合ったって本当?」
聞き方が直球すぎない?
もっとそれとなくとか、言い回しあっただろうに。オブラートにさえ包まないのね。
そのほうが伝わりやくていいけど。
男性と抱き合った覚えはない。あの子は一体誰の話を持ち出したのか。
まさか自分?遠回しにあの男と関係があると匂わせているのかしら。
「シャロンは信じたの?」
「まさか。だってそのお相手、ソール団長よ?」
あの子がいつのことを言っているのか、ようやくわかった。
ラジットがウォン卿とラード卿の引き継ぎで訪れた初日。
ディーと婚約している私が白昼堂々と不貞を働いたと、涙ながらに語ったのね。
目撃者であるメイドと一緒にラジットに黙認するようにと脅され、今まで誰にも相談出来ずに苦しんでいたらしい。
日が経つにつれ、このままではディーが可哀想だと思い告白を決意した。
ひっどいでっち上げ。誰かが私に確認したらバレる嘘だと思わないの?
私のプライベートに口を出せる人は早々いないから、言ったのかもしれない。
そっちがその気なら私も容赦しないわ。
「抱き合っていたという言い方に語弊はあるけど、そういう状況になったのは事実よ」
「まぁ……!アリアナ様がそんな……」
「階段を踏み外して落ちそうになったのを助けてくれた。そんな状況だけど」
「助け……え?」
「意図したわけではなく偶然ってことよね?」
すかさずシャロンが援護してくれる。なんて心強い。
「ええ。やましいことは何もないから疑問があるなら答えるわ。そのほうが誤解も早く解けそうだし」
「誤解だなんて……。私達、アリアナ様を疑っていたわけではなくて」
「不快な思いをさせて申し訳ございません」
「こちらこそヘレンの言葉足らずの下手な説明のせいで混乱させてごめんなさい」
全ての非はあの子にある。彼女達に罪はない。
劇に付き合った男子生徒は罪はあるけど。
「ヘレン。貴女は私の親友になりたいのよね」
「うん…!!私ほどアリアナの親友に相応しい令嬢はいないでしょ!?」
自意識過剰もここまでくると尊敬するものがある。
さっきまで責められる視線に怯えていたのに、希望を見つけたかのように明るい笑顔。
「そう。それなのに貴女は私を陥れることばかり言うのね」
「え……?」
期待していた言葉と違っていたらしく笑顔が引きつった。
私の親友を望むのに、私の味方をするどころか、名誉を傷つけることばかり言う。
「っ……そんなの……。そんなにアリアナは私が嫌いなの!!?」
──それを貴女が言う……?
全員の心が一つになった。
先に質問したのは私だし、あの子のほうが私を嫌っているのは明白。
あの子が涙を浮かべる度に男子生徒は騎士気取り。
私もあの子の劇に巻き込まれてしまった。こうなったらもう付き合うしかない。
「どうしてそう思うの」
「だってボニート令嬢のことばかりで私のことなんて気にかけてくれないじゃない」
「エドガー殿下がいるじゃない。愛称で呼ぶほど仲良しなんでしょ?」
「誕生日だってパーティーを……」
「やって欲しいなんて言わなかったじゃない」
「そ、それに……勉強を教えてくれないじゃない。おかけで私、ビリになっちゃったんだよ!?」
「教えていたわ。ちゃんと。なのに貴女はいつも、わからないと言って逃げたじゃない。その後だって、貴女が理解出来るよう工夫を凝らしてみたけど、私の説明を真面目に聞くつもりもなく、わからないの一点張り。最終的には勉強そのものをやめてしまった貴女に、どうやって教えれば良かった?もしかしてテストのときに、私の用紙に貴女の名前を書けなんて、言うつもりだった?」
アカデミーの生徒は私がどれたけあの子に尽くしてきたか、入学当時からずっと見ている。
他人ばかりが通うアカデミーだけでなら許せていた自分勝手な愚行も、プライベート空間である屋敷の中でも行っているとなれば避難の嵐。
頼りになる大好きなあの男はまだいない。
魅了香に完全に染まっていない男子生徒達では、あの子を庇いきってはくれない。
「おはようアリー。どうしたの?」
「ディー。おはよう。ううん…」
何でもないと、言いかけると、あの子が大粒の涙を流しながら私の不貞を訴えた。
時と場合によって涙の量を調節するなんて、役者並の演技。
「あ、うん。知ってるよ。アリーを助けたんでしょ?」
予想外の答えに、あの子だけではなく私も驚いた。
「嘘!!屋敷の中のことをどうして貴方が知ってるのよ!!」
「ソール団長から聞いたんだよ。彼は誠実だからね。非常時だったとはいえ、婚約者であるアリーの体に触れてしまったことを謝罪されたんだ」
「はは……ほら嘘ついた!あの平民とどこで会ったっていうのよ!?」
「騎士団が持つ連絡用の魔道具で連絡を受けただけだけど」
あの子の無礼な態度には目を瞑ってくれている。不敬罪で捕えられてもおかしくない。
ディーの出生を見下していなければ取れない態度。
何をしても許されると思うその傲慢さは父親譲り。
付け加えるけどラジットは一度、王宮に戻っている。取り調べのために。
ディーは王宮で暮らしているし、そこで会えると思わないのが不思議。
貴女の愛しの彼も聴取されてたけど、覚えているかしら。
濃厚な一週間を過ごしたせいで、頭の中はそればかりかもしれないわね。
「それよりディーはどうしたの」
用もなく二年の教室にディーが来ることはない。
「今日から始まるダンスの授業。二〜三年が合同だから、その……パートナーに選んでもいいかな」
ダンス授業は本来ならもっと早く行われるはずだった。
どこかの第二王子が余計なことをしたせいで授業が遅れたのだ。
アカデミーでの立場は教師が上だとしても、王族が生徒のために提案してくれたことを否定するわけにもいかず、実際の授業の準備に時間が取れなかった。
前回、私のダンス授業でのパートナーはシャロン。
二〜三年合わせて女子生徒のほうが一人多いため、必然的にそうなる。
一年生ではダンスの誘い方。受け方。ステップなどの基礎を習う。
実技は二〜三年になってから。基礎をしっかり学んでいても、いざ実技となると中々上手くいかないものである。
下級貴族は金銭的余裕から家庭教師を雇えない家も少なくはない。
最悪、座学は自分一人で学べるとしても、経験は違う。
知識だけあっても、体が思うように動くわけでもない。
慣れないことには難しいのだ。
異性と触れ合うのも緊張する一つ。
だから貴族はアカデミーで学ぶ。貴族らしさと、貴族たる所以を。
本来ならば婚約者であるあの男が私のパートナーにならなければならないのに、あの子はダンスに不慣れで心許せる自分と踊ったほうがいいからと私の了承も得ずに勝手に決めた。
そんなことを言われてしまったら、私も許すしかない。
そんな私を見兼ねてか、シャロンがパートナーを買って出てくれたのだ。
シャロンはあまりパーティーには出席しないし、ダンスに誘われることもないからステップを覚える必要がないと笑っていた。
──あのときはシャロンに救われたな。
体を動かすことが得意なシャロンは完璧に私をリードしてくれて、一番目立ち、注目の的だったわね。
先生からもまるでお手本のようだと、最高の褒め言葉を頂いてしまった。
絶賛されていたのはシャロンのほうだったけど。
今回も当然、シャロンと踊るとばかり思っていた。
答えられないでいると、ディーの顔がみるみるしょんほりしていく。
「もしかしてもうパートナー決まった?」
「そうじゃないんだけど……。シャロンと踊るつもりだったから」
これまた予想外の答えにディーは目をパチパチさせる。
教室内に何とも言えない空気が流れた。
シャロンは思考が停止したように考えるのをやめている。
──失敗した。
ディーとあの男は違う。私を蔑ろにするわけないのに、私の選択肢はシャロン一択だった。
あまりにもシャロンとの相性が良すぎたせいね。