呟かれた声を拾った
ディーが心配しすぎて夜中も眠れずにいると、今日のことに関する手紙が届いた。
最初の文面は私を心配することばかり。
私に毒が盛られなくて良かったとか、体調が悪くなったらすぐ連絡が欲しいとか。
殺されかけたのはディーなのに、どうしてこんなにも私のことばかり気にかけてくれるの。
後半部分は王宮でのことだった。
何もなかったとはいえ私も一応は巻き込まれた被害者になるわけだから、詳細を教えても問題はない……と信じよう。
前代未聞の王宮大捜索は、結論から言うとなんの成果も挙げられなかった。
ディーに毒を盛った犯人の手がかりなし。
何の証拠もなかったことにディーは安心していた。これでまだ復讐が続けられると。
十中八九あの男が犯人なんだろうけど、毒の入れ物さえ見つからなかったのが不可解。
部屋の捜索だけでなく身体検査も行った。隠しきれるわけがない。
だとすると毒は既に外部に持ち出されたことになる。
──どうやって?
ディーが私の様子を見に来ていたときに、出入り口は全て騎士団が封鎖した。
ちょっと待って。あるじゃない。一つだけ、王族と三人の騎士団長しか知らない隠し通路。
本来、王宮騎士団は第一、第二、第三しかなく、今ある第四騎士団はラジットのために設立された団。
ラジットは騎士団長であるものの、ここでの出身は平民。陛下はともかく王妃とあの男が教えることに忌避感を覚え、隠し通路の存在を教えることを断固として拒否したに違いない。
私もあの通路を使ったことはないからどこに通じるのかはわからない。ただ、一つ言える確かなことは、あの男が招いた占い師はそこから王宮を出た。証拠となる毒を持って。
隠し通路は王座の間にあったはず。
地下牢に投獄された私を嘲笑うために一度だけ、足を運んだあの子が自慢げに語っていた。
王宮には王族のみが知る隠し通路があり、自分はあの男から教えてもらったと。
婚約者だったにも関わらず、大事なことを何も教えてもらえなかったなんて、可哀想を通り越して哀れだと。
酷いことを言われたのは私なのに、薄暗い地下で私の話し相手になるあの子は偉いだの、私如きのせいではるばる地下まで降りて来なければならないなんて可哀想だの、頭のおかしなことを長兄が言っていたのを覚えている。
天使のように優しいあの子がわざわざ会いに来たことに感謝するのと同時に、こんな所に来させてしまったことを深く詫びろと殴られたんだっけ。
時が経ち、冷静になればなるほど、あの二人の愚行に腹が立つ。
──長兄だけは牢屋の中で引っぱたいてあげなくちゃ。
玉座の間は普段から人が入ることを禁じているから騎士団長も見張れなかった。
王宮の外に出てしまえば占い師を見つけるのは難しい。仮面を取り素顔を晒しているだろうし。
前向きに捉えるなら、あの男に助言をする占い師がいなくなったことは私達からしてもラッキーだったと思うことにする。
クラウス様に真実を映す魔法を使って欲しいと陛下がお願いしたところ、魔力切れと、またも嘘をついて断った。
数秒とはいえディーの心臓は確かに止まってしまい、治すためにかなりの魔力を消費し、更には瞬間移動を二回と、私と、もう一度ディーに治癒魔法をかけたことのより陛下の願いか叶えられない。
心苦しそうな表情は逆に陛下に気を遣わせてしまったとか。
クラウス様はそれほどまでにディーを大事に想ってくれている。
そんなクラウス様が魔力切れだと言えば信じてしまう。嘘をつく理由がないからだ。
クラウス様にとってディーは心許せる友人。親友、なのかもしれない。そんなディーが王宮内で殺されかけたとなれば協力を惜しまないのが普通。
私が毒を摂取していないのだからシャロンにも危険はないと思うけど、念の為に検査はしておいて欲しい。
もし万が一にも飲んでいたら、時間が過ぎることに命の危険性は出てくる。
──どうにか伝えたいけど……。
方法を考えているとラジットが訪ねてきた。
「どうしたの。何かあった?」
「何かあったのはアリアナ様ではありませんか?」
ニッコリと笑ったラジットは私に呼ばれたから来たのだと言った。
どうやら無意識にラジットの名前を呼んでいたらしい。
常日頃から私の声を聞き逃さないように神経を尖らせてくれていた。
この家にいる魔法使いはラジットだけ。どうにかしてくれそうな気がする。
可能性は低いけど、シャロンが毒を飲まされたかもしれないと伝えると一瞬だけ眉がピクリと動いた。
そうよね。ラジットにとって仕えるべき主は王族でも私でもない。シャロン・ボニートただ一人。
取り乱さないよう大きく深呼吸をして、自分が何をすべきかを聞いた。
「毒の検査をして欲しいと伝えられる?」
「出来なくはないですが……」
複雑な手順でもあるのだろうか。ラジットはそっと目を逸らした。
「シャロン様ではなくクロニア様にならお伝え出来ます」
声が弱々しく小さい。
「クロニア様は我々をまとめるリーダーであり、その…シャロン様を女神の如く崇拝しておりますので……」
何が言いたいかわかった。
例え毒が検出されなくても、あの男ならやりかねないと知ったとき暴走して殺してしまうかもしれない。
確かにそれは困る。
それ以上にシャロンの身に何かあるほうがもっと困ると言えば、さっきまでの躊躇いが嘘のようにボニート家に向かって緑色の風が流れていく。
風魔法にはこのように伝言を伝えることも出来るらしい。従来の使い方と異なる上に魔力の消費も激しく、並みの魔法使いでは相手に届けることは難しい。
ラジットは険しい表情をしながら額から汗が流れていた。
もしかして魔力を使いすぎたら体に負荷がかかるんじゃ。
それでも私と目が合えば平気なふりをしてニコリと笑う。
「シャロン様は大丈夫でした。シャロン様の口に入る物は全てクロニア様が毒の検査をしているようです」
こちらの声を届ければ向こうからの返事はラジットの耳が拾える。遠すぎる場所故に、聴力をボニート家のみに集中させなければならない。
瞬きをするような一瞬だけ。
シャロンの無事が確認出来るとラジットも安堵の息をついた。
「大丈夫?座って休んだほうがいいんじゃ」
休憩するよう勧めてみても、ゆっくりと首を横に振った。
「いえ。本来なら婚約者のいる女性のお部屋に男である私が一人で出入りすることは許されません。長居してしまうとアリアナ様が不利益を被ってしまいます」
昼間なら許されることでも夜中は外聞が悪い。
ラジットが私の部屋に入るとこをあの子達が見たなら、いかがわしいことをするために呼び付けたのだと噂を広めるだろう。
あの子の噂をかき消すために、私の悪い噂を広める。残された唯一の手はあまりにも愚策。
そうならないために理由は用意しておく。
侯爵が雇う使用人達に不審な動きがあったとか適当な嘘を並べれば、ラジットには報告の義務が生じる。
例え使用人が「違う」と否定しても、疑われることばかりしている侯爵側の人間の言うことをウォン卿達は信じない。
日頃の行いが悪いから、いざというときには味方をしてくれる者がいないのよ。
体調が悪そうなのを我慢して護衛に戻るラジットに感謝を述べた。
恭しく一礼して退室する。
今はルア卿が仮眠中だからラジットは休めないのか。
屋敷全体に耳をすませているから私の声も簡単に拾えてしまう。
持ち場を離れるのも警戒すべき対象が眠っているのを確認してから。
次からは間違えてうっかり名前を呼ばないようにしないと。
私が負担になるわけにはいかないのに。
すっかり目が冴えてしまい、このまま朝まで起きていることに決めた。
明日もアカデミーは休みなわけだし、一日ぐらい徹夜してといいはず。ニコラにはちょっと怒られるかもだけど。
新しく買った本を読もうと開くと、私と同じく眠れないディーから手紙が届いた。
本を読むのはいつでもいいけど、ディーと手紙のやり取りはいつでも出来るわけじゃない。
調査が行われている間、ディーは休むために部屋に向かった。
毒を飲んで回復したばかりだから、調査に同行する必要はない。
あまり接点のないセシオン卿に厚い信頼を寄せている理由も書かれている。
──カラスが私の前世を視せてくれた?
文字から信じてもらえないかもと不安が読み取れた。ディーが嘘をつくわけがないし、私はドラゴンと出会い、時を戻してもらっている。
私の回帰を信じてくれたディーを、私が信じないでどうするのよ。
そういう不思議な力を持つ生き物が他にいてもおかしくはない。
ディーも感じているように、そのカラスが何者なのか非常に気になる。
ドラゴンの仲間だったとして、なぜ私ではなくディーの元に現れたのか。
ディーのおかけで人生をやり直せているわけだし、姿を現すのは当然なんだろうけど……腑に落ちない。
初代陛下の残した手記にはカラスに関する記述は一文もなかったのだ。
占い師と違ってカラスは敵ではなさそうだし、私はあまり気にしないでとお願いされた。
カラスのことはディーが独自で調べてくれる。
私を頼らない理由もちゃんと教えてくれた。
もし調べていることがカラスに知られ気分を悪くされたら攻撃を仕掛けてくるかもしれない。
そのとき、私が関わっていれば私も攻撃対象になってしまう。
私が始めた復讐なのにディーは私のことばかり気遣ってくれる。
無条件で注いでくれる優しさに胸の奥がじんわりと温かくなり自然と涙が溢れる。
手紙を濡らしたくないから少し離れたとこに置いた。
泣いていたらまたラジットが様子を見に来てしまう。早く泣き止まなくては。
ディーがくれる優しさも私を人間として扱い尊重してくれることも、前世で私が欲しかったものばかり。
足掻いて足掻いて手を伸ばして、期待して裏切られようとも、僅かな希望に縋る救いようのない愚か者。
こんなにいっぱい貰っても返せないわ。
ディーもシャロンも自分の命を捨ててまでも私を優先しようとするとこは同じ。
沢山の物を貰いながらも、これ以上は何も欲しくないと願うのは傲慢だろうか。