迫り来る死【ディルク】
コーヒーを飲んだ瞬間、体の中が急激に熱くなった。
それがコーヒーの熱じゃないことはわかる。
ドロドロしは熱は、体の隅々まで血液と共に行き渡ろうとしていた。
体から力が抜けていく。先にカップが手から滑り落ち、次に体が倒れる。
床につくまでがスローモーションのようにゆっくりで、朦朧とする意識の中、醜く笑うエドガーを見た。全ての視線が僕に集まっているからなのか、誰もエドガーの笑みには気付かない。
表情一つで自白するような愚か者に、負けるわけにはいかないのに……。
バタンという音がやけに遠くに聞こえる。僕が倒れた音なんだろうけど、体に衝撃はなかった。
手足の感覚もなくなり息を吸うのも苦しい。
このまま死ぬんだと冷静な自分がいた。
あんなにも熱かった体は急速に冷めていく。
死にたくないと思いつつも抗うことはやめた。
助けを求める猶予さえ、今の僕には残されていない。
アリーに責任を負わせてしまう。それだけが心残りだ。
クラウスとカルが上手くフォローしてくれると信じよう。
ごめんねアリー。僕が弱いばかりに、君を悲しませてしまった。
こんなことなら、もっとちゃんとアリーに「好きだ」と言っておくべきだった。
全てを諦めると動いていた心臓は徐々に弱くなり、目を閉じるのと同時に動きは止まる。
………………次の瞬間、温かい光に体が包まれた。
これは……クラウスの治癒魔法だ。一度深い傷を治してもらったからわかる。
生きることを諦めさせないように心臓はドクン!と脈打つ。
絶命さえしていなければ不治の病も治すと言っていたが、毒の解毒まで出来るなんて聞いていない。
一瞬の死は、死んだ内に入らないのか。
──ほんと僕の友人は規格外だなぁ。
体内にあった不快感は消え、感覚も完全ではないが戻りつつある。
体は万全でなくとも脳は正常だ。
僕を心配し伸ばされた陛下の手には目もくれず、勢い余ってクラウスの胸ぐらを掴んではアリーの元に飛んで欲しいと強くお願いした。
この毒殺が僕を狙ったものであるのは、ここにいる全員がわかっていること。無差別な犯行だとしたら僕が飲むコーヒーだけに毒が入れられるのもおかしい。
だとすると、僕を疎ましく思うエドガーが犯人。それか王妃。
それだけなら僕もこんなに焦ったりはしない。
自暴自棄になったエドガーがアリーと僕を両方亡き者にしないとも限らない。
何より、王になるため、ジーナ令嬢との結婚のために手段を選ばないエドガーならやりかねないのだ。
この目でアリーの無事を確認しなければ。
強い思いを聞き入れてくれたクラウスはアリーの部屋に飛んでくれた。
突然、現れた僕達の姿に悲鳴を上げることはなくても、驚きのあまり大きな物音を立てるかもしれない。クラウスは即座に音消しの結界を張った。
静かに読書を楽しんでいたアリーは状況判断に務めているのか口を開かない。
動揺を隠しきれてなく瞬きが多い。可愛い。
じゃない!!
本来の目的を忘れ、煩悩に支配される頭を振った。
何があったのか包み隠さず話すと、真っ青になりながら僕の心配をしてくれる。
額に触れて熱を測ったり具合が悪くないかの聞きてくれたり。
そんなことされると勘違いをしてしまう。
アリーも僕のことを……。
そんなわけないのに。僕を選んだのは復讐のため。
優しいから、純粋に心配してくれているだけ。
何の取り柄もない僕をアリーのような完璧な淑女が好きになってくれるはずがない。
大丈夫。アリーのためになるのなら、それでいいと決めたじゃないか。
自惚れるな。期待をしてはいけない。
「ディー?」
その瞳もその声も、全部が僕を心配してくれている。
協力者がいなくなることを恐れてではなく、一人の人間として。
「僕はクラウスのおかけで大丈夫。それよりアリーが持ってるコーヒーを調べさせてくれないかな。万が一にも毒が混入しているかもしれない」
「私は大丈夫よ。元々、量があまりなくて、これが最後の一杯よ。シャロンにはお土産で渡したけど毒が入ってる様子はなかったわ」
即効性のない遅延タイプの毒かもしれない。
少量でも毎日摂取し続ければ、いずれは死に至る。
念の為にアリーにも治癒魔法をかけてもらった。これで一安心。
ボニート令嬢にも魔法をかけてもらいたいけど、今から行くと迷惑になるからと止められた。
あまりにも焦ったように引き止めるからボニート令嬢の治療は後日に見送りになった。
アリーとボニート令嬢には秘密がある。僕にさえ打ち明けられない秘密。
多分それはボニート令嬢を「風の噂」と呼ぶことに関係している。
もし僕がその秘密に立ち入ってしまえばアリーを困らせてしまうかもしれない。
それだけは嫌で、出かかった言葉を飲み込む。
困らせたくないは建前で本音は嫌われたくない、だ。
望んで協力者になったのに、下心を抱いて、理解者のふりをしてあわよくばアリーの心を自分に向けさせようとする。
僕もエドガーに負けないぐらい汚い。
アリーの状態から察するにボニート令嬢も毒の被害は受けていないだろう。
僕だけが標的だったとわかると一気に安心が押し寄せてきた。
役目を果たしたのだから早く帰らなくてはいけないのに腰が抜けて立てない。
クラウスが治癒魔法を使ってくれればいいのに、魔力がもう残ってないと白々しい嘘をついて治してくれない。
カッコ悪く座り込む僕の隣にアリーは座った。
──……ち、近い!!
めちゃくちゃ良い匂いがする。お風呂上がりなのかな。
心臓の音がうるさくて静かな部屋に響いてしまいそう。
二人きりじゃないのに妙に意識する。
沈黙に耐えられなくなったのは僕のほうだった。
「本を送るよ。一週間、暇でしょ」
持ち出し禁止の本は無理でも、それ以外なら何冊でも魔道具で送れる。
アリーが退屈しないようにいっぱい送ろう。
結局、僕はアリーが喜ぶことは何でもしたい。
笑顔になってくれるならいくらでも僕の時間は差し出せる。時間だけじゃない。命も、未来も全部。
「そんなこと言われると、全部送ってってワガママ言いたくなるわね」
「言ってくれていいよ!叶えるから!アリーの望みは全部」
一瞬、驚きはしたもののすぐに控えめに微笑んだ。
あまりにも綺麗すぎる笑顔に思わず顔を背けてしまった。
僕達の邪魔をしないように部屋の隅に移動したクラウスは生暖かい視線を送ってくる。
急激に恥ずかしくなり「早く治せ」と手を伸ばすも「魔力が……」と、白々しい嘘は続く。
僕としてはアリーの長くいられるのは嬉しいけど長居すると解毒に時間がかかってると思われ、明日の朝一番に騎士団を調査を向かわせそうで嫌だ。
この一週間ぐらいは何も考えずに休んで欲しい。
好きなことに没頭して、所謂、休息だ。
余計な手間をかけさせてアリーの貴重な時間を潰したくない。
「クラウス!」
死にかけの僕を救ってくれただけでなく、瞬間移動で飛んだくれたことには感謝してもしきれない。
でも!!
それだけで魔力が底を尽きるなら次期国王に選ばれるわけがない。
仮になくなったとしてもだ。用意周到のクラウスが魔力回復薬を常備してないはずもない。
「友人の恋を応援してるだけなんだが」
「今だけは余計なお世話だ」
掴んでくれた手から温かいものが流れ込んでくる。そのまま引っ張り上げられ立ち上がった。
「じゃあねアリー。また」
「ありがとうディー。心配して来てくれて」
「アリーに何かあるのが嫌なだけだよ」
一週間も会えないのは寂しいけど、本だけじゃなく手紙も送ろう。
寂しいのも、手紙を送るのも僕のワガママだけどアリーはきっと嫌な顔一つせず、綺麗な字で返事をくれる。
想像すると胸の奥が温かかくなり、アリーのことをもっと好きになる自分がいた。