人気の侯爵夫人
勉強会のためだけに造られた建物にしては広すぎる。
三階建てで、各階には部屋もある。何も植えられてないけど庭も。
まるで誰かが住むための屋敷。
あの男が勉強会のことを提案してから一ヵ月も経っていないのに、こんな立派な建物が出来るはずがないんだ。
この土地は王族のものだから、いつから建っていたかなんて誰も知らない。
だとすればここは……あの二人の密会場所の一つ。
探せば色々と、二人の痕跡は見つかるかもしれないけど、やめておこう。
そんな気持ち悪いものを直接見たくない。
あの男が愛しい愛しいあの子と愛し合った形跡を綺麗に消すわけもなく、だから当然あの男は、私が建物内を出歩くのを必死に止める。
今のように。
「ですから。アリアナはここに勉強をしに来ているわけでして」
「たったの数十分だけと言ってるでしょ」
このやり取りも何度目か。
あの男の外面もヒビが入ってきた。笑顔は引きつっているものの、何とか外面を保っているけど限界が近い。
いつもなら出しゃばってくるあの子も、今だけは大人しい。
──本当にここが密会場所なのね。
どんな神経をしていたら、生徒をここに呼べるのか。
人がいる空間で愛し合うスリルでも味わいわけ?
「それに!侯爵夫人の話ならここでしたらどうですか。私も夫人とはお会いしたことがあるので話し相手になれると思います」
「パトリシア様の何を語っていただけるのですか。エドガー殿下?」
「そ、そうだな。夫人は……美しい」
「ハッ。そんな誰でも言えるようなこと、私は求めてないのよ」
「美しさの中に無邪気さが隠れていて、子供っぽい一面を見せたかと思えば大人として叱ってくれるときもあって。パトリシア様の素晴らしさを語るには一日あっても足りません」
お母様を尊敬するシャロンがいても立ってもいられなくて会話に飛び入り参加した。
階級が上の人間の会話に勝手に交ざるのはマナー違反ではあるものの、主導権はマリアンヌ様が握っていて、特に気にしている様子はない。
「貴女。名前は」
「申し遅れました。私、シャロン・ボニートと申します」
「よろしくねシャロン。貴女とは良い友達になれそうだわ」
マリアンヌ様の中でシャロンは味方に位置付けされた。
お母様に憧れているというのは嘘ではない。こんなにも目が輝いているのは、シャロンがお母様のことを熱く語るときと同じ。
同士を見つけたことにより二人の熱は上昇する。
ヒートアップする前に止めなければ。
「マリアンヌ様。少しだけでしたら私もお話したいです」
「ま、待てアリアナ!せっかくの勉強会をサボるなんて他の生徒に示しがつかないだろ」
「エドガー殿下!言葉には充分お気を付け下さい。サボりではなく休憩です」
先に限界がきたのはマリアンヌ様だった。
バチバチと音をさせながら雷のナイフがあの男に向けられる。
国際問題とか、相手が王族だとか、一切興味を示してない。
マリアンヌ様が魔法を使うのは誰かを守るため。その誰かは、マリアンヌ様にとって味方を指す。
王族の所有地で、王族主催の勉強会。ならば護衛騎士も何人か待機している。
副団長であるウォン卿は休暇中で、ここにいるのは平団員。
あの男はそれを不満に思っている。なぜ団長を付けないのかと。
子供でもわかりやすく言えば、陛下の護衛があるから。
未来を担う次期国王候補だとしても、団長が優先するのは今現在の国のトップ、陛下のみ。
生徒を萎縮させないように隠れていた騎士が駆け付けた。
いかに彼らが強くても魔法使いとの差は歴然で、武力ではなくまずは話し合いを試みる。
「約立たずが」と言いたそうな顔。
騎士の判断こそが最善。なぜそれがわからないのかしら。
シャロンは「とめないの?」と目で聞いてきた。
いくらあの男の言い方が悪かったにせよ、怪我を負わせてしまえば全面的にマリアンヌ様に非があることになる。
それだけは何としてでも阻止したい。
「マリアンヌ様。どうか誤解しないで下さい。殿下は悪気があったわけではなく、私を心配してくれたのです」
「そう。貴女がそう言うなら、そういうことにしておくわ」
魔法が消えると緊迫した空気が和らぐ。
あの男は何を勘違いしているのか、満足気な笑みを浮かべている。
もしかしなくても、私があの男に好意を抱いてるとか、そんなバカなことを思ってるわけじゃないわよね。
頭の中どうなってるの。脳みそ入ってないの?
もし仮に好きだったとしたら婚約者に選んでるわよ。
頭痛の種が一つ増えた気分。
こんなにも考えなしを過去に選んでいたなんて。恥ずかしすぎる。
「エドガー殿下。無礼な態度を取ってしまい申し訳ございませんでした」
「いや……。私も誤解を招く発言だった」
それならたったごめんを口にしたらどうかしら。
正面から謝られると、あの男は許すしかない。
自分は王族だとえばらないとこが貴族から好感を持たれていたのであって、間違ってもここで許さないと言えば、器の小さい男として幻滅される。
ストレスを溜めながら地道に築き上げた立場を易々と手放すバカではななかったということ。