不吉の象徴【ディルク】
もしも僕がアリーと同じように未来から戻ってきたのなら、相手が何を企んでいるのか見抜けるのに。
僕達はアリーが生きていた世界と大いに異なる未来に進み始めている。アリー自身にも事の行く末がわからない。
部屋に戻るとカラスがベッドの上にいて、部屋を間違えたかもと一度扉を閉めた。
──あのカラスは何だ?どこから入ってきた?
戸締りはちゃんとしている。仮にしてなかったとしても、窓を開けて室内に入ってくるカラスは普通じゃない。
王妃の刺客?それにしては色々とふざけ過ぎてないか?
思考が止まらない。どんなに考えてもまともな答えは出なかった。
ということはつまり……目の錯覚。そうだ。そうに違いない。
心を落ち着かせて扉を開けたら、やっぱりカラスはそこにいる。
イタズラだとしても意図が読めない。
──というか、なぜカラスなんだ?
死骸でもなく、ただ置いているだけ。
カラスは不吉とされているけど、置き物に恐怖心は抱かない。
どんな反応をすれば正解なのか。情けなく悲鳴でも上げれば、誰がやったかは知らないが満足してくれるかな。
まぁ、上げないけど。
こんなことのために職人の手を煩わせたのなら、職人が可哀想すぎる。
王族からの命令なんて断れるはずもなく、他の仕事を後回しにするしかない。
【警戒スルナ。殺スツモリナラ、トック二殺シテイル】
「喋った!?」
【喋ル生キ物ハ、初メテカ】
「だって普通は喋らないからね」
敵意がないとわかれば警戒心は薄れた。
窓を開けて外に出られるようにしたのに、カラスは羽ばたこうとはしない。
【何ヲシテイル?】
抱き上げて、一番最初に羽を見た。
動物用の傷薬は持っていないけど、喋るカラスだし人間用でも効くだろう。
傷は見当たらない。他のとこにも。怪我をしているわけじゃなさそうだ。
こうして触れるとちょっとだけ愛着が湧く。カラスの顔をこんな近くで見ることはなく、可愛いかも。
つぶら、ではないが、丸く綺麗な瞳がキラッと光る。
賢いカラスは僕の行動の意味を理解して、僕に話があって来たのだと言った。
その内容はとても無視出来るものではなかった。
誰も知り得ることのない、アリアナ・ローズ亡き世界の結末。
「君はドラゴンの仲間なのか」
【答エル義務ハナイ】
黒い翼が視界を一瞬遮ると、僕の瞳に映る世界は一変した。
僕は……君の無念を晴らせただろうか。
アリーから話を聞いたときも胸が痛かったけど、こうして実際に見るとアリーの辛さや苦しみをわかった気でいた自分が恥ずかしくなった。
大切な友が殺され、慕ってくれていた侍女も殺され、信じ愛していた家族と親友に裏切られたんだ。
平常心でいるほうが難しいのに、アリーは憎しみも復讐心も暴走しないよう冷静さを保っている。
あんな家で暮らさなくてはならない苦痛と恐怖。
アリーの強さは、こんなにも美しい。
【ナゼ泣ク?】
「だって僕は何もしなかった。何も出来なかった。アリーの首が斬られる瞬間を見てることしか出来なかったんだ」
群衆の中で呆然と立ち尽くす。
無実だと叫べば、手を伸ばせば、もしかしたら……。
跳ねられた悪女の首に、国中が熱に包まれる。
死しても尚、罵詈雑言を浴びせられる彼女を見ていられなくて、逃げるようにその場から立ち去った。
どこか遠くへ。
無我夢中で走って、アリーが死んだ現実と、何もしなかった傍観者という立場に、壊れたように笑うしかなかった。その瞳には涙を浮かべながら。
未来の僕はこんなにも弱かったのか。
【ソウナラナイヨウニ、お前達ハ戦ウコトヲ選ンダノダロウ?】
伝え終えたカラスは飛び立とうとする。
「待って……!!最後にこれだけ教えて。僕は全てを捨てて死んだの?」
【ナゼソウ思ウ?】
「アリーのいない世界で生きていけるほど僕は強くない」
カラスのガラス玉のような小さな目が見開いた。
驚いたかと思えば、笑い出した。
【オ前ノ希望ハ、アノ女カ】
僕の質問に答えることなく闇夜の空へと飛び立っていく。
ドラゴンに使いがいるなんて記されてなかった。
もう一度、全部を読み直そう。見落としがあったのかも。
あのカラスが敵でないとしても味方である保障もない。
不安要素は潰しておかないと。
今度こそ僕はアリーのために……。
『戦ウコトヲ選ンダ』
カラスの言葉は自然と僕の胸の不安を刈り取った。
エドガー主催の勉強会にアリーを行かせて、万が一が起きるのが嫌だった。
僕やクラウスの目がなければエドガーはきっとアリーに近付く。アイツはそういう男だ。
さっきまではそう思っていた。
心配しすぎるのはクラウスの言葉を、カルの忠誠心を、疑うことと同義。
僕は二人を信じている。アリーを信じている。
エドガーの策略にハマるわけがない。
それに何より、ボニート令嬢がいる。彼女のアリーに対する想いは本物。
あのカラスの役目が僕に真実を伝えることだけだとしても、意図せずカラスは僕に希望をくれた。
次に会うことがあれば、もてなしてあげたいな。
空を見上げると、星が点々と輝くだけ。全身真っ黒のカラスが、どこを飛んでいるかはもう見えない。
危険は承知の上で今日は窓を開けておくことにした。
もう戻ってくることはないだろうけど、何となく開けておきたい気分。