新学期
翌朝。
ヘレンと登校したくなくて二口だけ朝食を食べて出てきた。
食事の途中で席を立つのは何事かとお父様は激怒していたけど、私がいてもいなくても、どっちでもいいくせに。
人の心が読むことが出来たらさぞ生きやすいでしょうね。相手が望むことが全てわかってしまうのだから。
今となってはお父様の場合、読まなくてもよくわかる。
私の顔を見る時間が減って清々する。
形だけでも当主らしく振舞っておいたほうが後々、言い訳に役立つ。
自分は侯爵家当主として、私をしっかりと教育した。だが、次期王妃という立場に目が眩み、暗殺を計画していたことなど知る由もなかった。
そんなお父様の証言が信ぴょう性に欠けるとしても暗殺計画書や毒が発見されてしまえば裏付けは完璧。
玄関で待機していたニコラからカバンを受け取り、急いで、でも優雅にアカデミーへと向かう。
まだ休みと勘違いしていたのかヘレンは制服に着替えてもいなかった。私を見てヘレンの専属侍女が慌てて部屋に戻っていた。あの様子じゃ何も用意していなかったわね。
普通忘れる?アカデミー登校初日を。しかも家族全員揃って。
この時間なら遅刻はしないだろうし、仮に遅刻しても私には関係ない。
こうして一人で外を歩くのはいつぶりかしら。
ずっと地下牢に閉じ込められていたから見上げる太陽が眩しすぎる。
私が処刑される日は太陽は雲に隠れ、まるで、私の荒んだ心を具現化していた。
予定よりも早く着いてしまい、まずは図書室に本の返却に行かないと。
新しい物を買ったとはいえアカデミーの本を汚してしまった事実を隠すつもりはなく素直に謝った。
教室にはエドガーがいて、息を切らせたヘレンもようやく来た。
ゆっくり来ればいいのに。遅刻しなければいいんだから。
途中で私に追いついて話がしたかったみたい。どうしても私の決断にケチをつけたいのね。私の人生にヘレンが口出す権利がないことに、どうして気が付かないの。
前回はアカデミーに着いた時点で大勢の生徒に囲まれたのに、まだそれがない。それどころか挨拶しかされない。
私としてはそのほうが助かる。
視線は強く感じてるけど。
エドガーに挨拶をして席についた。
完璧なエドガーの外面が少しだけ壊れている。笑顔が引きつってるわよ。
まさか弁明の手紙でも貰えると思っていたの?そんなものあるわけないのに。
私の選択が何かの間違いであると信じたいエドガーからしてみれば、私を説得することは何よりも急を要する。
人目のある教室でディーとの婚約を取り消し自分を選び直せと言うわけにもいかず、二人で話したいからと教室から連れ出そうとしてくる。
行きたくないな。どうせお父様達と同じことしか言わないんでしょ。
ヘレンも一緒になって連れ出そうとしてくる辺り、言われることがそうであると確信する。
こんなことなら図書室で過ごしていれば良かった。
丁寧に断りを入れると、新学期初日ということもあり先生が早めに教室に来た。
先生がいると生徒は反射的に席につく。
助かった。隣で騒がれてうるさかったのよね。
久しぶりに顔が見れたこと、誰も怪我をしてないことに喜ぶ先生からの簡単な言葉で朝礼は終わった。
「今日は特別授業の日だったな。一緒に行こう」
そうか。だから早めに来たんだ。
新学期になっても浮かれている生徒は多く、少しでも余裕を持って移動出来るように。
アカデミーでは週に二回。学年関係なく授業を受ける日がある。
それは成績順でクラスが決まるためヘレンだけが別の教室。
目的地は同じなわけだし断る理由はないか。むしろ断るほうがおかしい。
周りから妙な詮索をされて、デマが飛び交うのも避けたい。
誘いを受けようとすると、入り口から声がした。
「その必要はない」
「兄上。どうされたんですか。ここは二年のエリアですよ」
「迎えに来たんだ。僕はアリーの婚約者だから」
牽制でもするかのように肩を抱き寄せるなんて、らしくない行動に出た。
周りの女子生徒は頬を染めながらヒソヒソと「お似合い」と言っていた。
お似合い?私とディーが?
そんなことエドガーのときには言われたことがない。
「それと。今後は僕がいなくてもアリーをエスコートしなくていい。僕の代わりに彼が役目を果たす」
彼は確かディーの専属護衛騎士。カルロ・ダニエル。
カルロは私の無実を信じて何度も調査をやり直してくれた。巧妙に隠され、作り上げられた証拠を覆すにはあまりにも時間が足りなさすぎて、虚しく最期を迎えた。
今にして思えばディーの命令で動いていたのかもしれない。
それでも私には嬉しかった。私を悪だと決めつける世界で光をもたらしてくれた。
何かしらお礼がしたいな。好きな食べ物でもわかればいいのだけど。ディーなら知ってるかしら。
「カルロ様は剣術が長けているとお聞きします」
「私なんて“とあるお方”と比べたらまだまだです。それよりアリアナ様。私のことはカルとお呼び下さい」
「わかりました。これからよろしくお願いします」
「騎士の名に恥じぬよう命を懸けて殿下とアリアナ様をお護り致します」
カルは男爵家の長兄ではあるけど姉が一人いた。その方が家を継ぐと宣言したため、カルは自由にやりたいことをやって育った。
本来であれば同い歳のエドガーの騎士となるはずだったのに王妃が身分の低い家督も継げない出来損ないに息子を任せられないと非難したため候補から外された。
そのためエドガーにはローズ家が束ねる騎士団から団長が護衛につくこととなった。ちなみにカスト。
正義も法も無視するような男が騎士団をまとめる団長なんて笑える。
証拠をでっち上げ冤罪を作り出したのなら多少の矛盾はあったはず。騎士団はそのことをどう思っていたのかしら。
誇り高きローズ家の騎士団が犯罪を黙認していたなんて信じたくはないけれど……。
真面目で誠実な彼らを疑いたくはない。