大掃除大作戦
翌朝の目覚めはスッキリしなかった。
きっと悪夢のせいだ。
公開処刑をされ、首だけとなった彼らは虚ろな目で優しく私に語りかける。
私のせいじゃない。落ち込まないで。こうなることは必然だった。悪いのは……巻き込まれに行った自分。
嫌な夢のせいで体を起こすのにも時間がかかる。
悪夢を視ると不安からか、異様に喉が渇く。用意していた水をコップに注ぎ一気に飲み干す。
喉が潤されると意識がハッキリしてきた。
震える手を見つめていると、ディー達の顔が浮かんだ。
首だけではなくて、五体満足。変わらない優しい笑顔で名前を呼んでくれる。
──そうよね。彼らは誰一人として死んでいない。
意外にも自分が単細胞だったのがおかしくて夢での出来事は簡単に切り離せた。
悪夢を現実にはさせない。
朝の支度をして、部屋にはしっかりと鍵をかけた。
扉を壊して中に入るなんてバカな真似はしないだろうけど、常識が通用しない人ばかりだから油断ならない。
「あのー。お嬢様。本当にやるんですか?」
さっきからニコラが同じことを聞いてくる。料理長達にも座って待ったほうがいいと言われる。
失礼ね。掃除ぐらい私にだって出来るわ。
私の料理を作ってくれる厨房を、私が綺麗にすることがそんなにおかしい?
アカデミーは休み。いつもの私なら本を読むところだけど、あまりに汚れきった厨房の掃除には人手がいる。だからこそ率先して私が動く。
「アリアナ様。意気込んでいるとこ申し訳ないのですが、お客様がお見えです」
コソッと耳元で伝えた。
こんな朝早くから私に?
来客の予定はなかったはず。先触れもない。
誰が来たのかは教えてくれずに、その客人とやらを迎えに行った。
ここに連れて来るんだ。それなら警戒することはないのかも。
ラジットはすぐに三人の客人と戻ってきた。
「ディー。どうしたの」
「今日掃除をするって手紙に書いてたでしょ?だから手伝いに来たよ」
「うん?うん……?手伝いを頼んだ覚えはないはずだけど」
「そうだったかな。僕はてっきり手伝って欲しいって頼まれてるのかと」
置き物にしておくのももったいなくて、魔道具を活用しようとディーと手紙のやり取りをしていた。
言葉にするのと、文字に書くのとでは全然違くて、伝えたいことが上手くまとまらないから簡単に、今日は何をした、明日は何をする、というように取るに足らないよくある世間話。
それだけでも充分に楽しかった。返事は数分の間に届くから手紙が溜まるのが早い。
貰った手紙は捨てずに大事に保管しているために、置き場がなくなってきたのが困る。
「まさかウォン卿とラード卿もですか?」
「アリアナ様がお困りだと殿下からお聞きして」
爽やかな笑顔でウォン卿が言った。二人に声をかけて連れて来たのはディーに違いない。
「王宮の、しかも第一騎士団が何を言ってるんですか!?」
「大丈夫です。今は休暇中なので、そういう肩書きもありません」
「そうではなくて。はぁ……」
気のせいだろうか。私の護衛をしているときより活き活きしている。本物の主に仕えている喜び?
「カルは一緒じゃないのね」
護衛騎士だし、許される限り傍にいるものだと思っていた。そうよね。カルにだって一人で過ごすプライベートな時間は必要。
休暇中を強調する騎士が二人もいればカルがいなくても安心。
分身とも呼べる剣を肌身離さず持っているからディーに危険は及ばない。
「いるよ。人を呼びに行ってる。そろそろ来るんじゃないかな」
そう言った直後、更に四人、増えた。
「頭が追いつかないわ。説明してくれる?」
「だって昨日、言ってたじゃない。今日はずっと掃除するって」
シャロンは私に確認するような目を向けた。
「ええ。言ったわ」
「手伝ってって頼まれているのかと」
それと同じことをついさっき聞いた。
遠回しに手伝ってくれなんて言ったつもりはない。
ただの雑談。言葉に意味なんてなかった。
アルファン公爵の「こきを使ってくれ」というのは、多分このことを指している。
そんなつもりはなかった。会話の一部として聞き流してくれれば良かったのに。
「コゼット卿はなぜここに?」
まさか我が家の副団長まで。
「カルロに無理やり」
困ったように笑うも、本気で嫌がる素振りはない。
「人数は多いほうがいいかなと」
善意しかないカルにお礼を言った。
大物勢揃いして料理長達が引いている。
私が呼んだんじゃないと言い訳したいけど、時間も惜しいし早く始めよう。
「待って待って。アリーもやるの?」
「そうだけど」
料理だけでなく、ゆくゆくは家事全般を完璧にこなしたいと思っている。
貴族という理由で何もしないのは考えが古い。
心から仕えてくれる人達とは仲良くしたいと思う。
そのためにはまず、一度もやったことのない掃除を学ぶつもりだった。
私だけが出来ないと思われるのは心外。だってみんなだって……。
ディー➡︎生き残るため何でもやってた。
シャロン➡︎普通に出来る。
カル➡︎見習いの頃は雑用係。
騎士三人➡︎上に同じ。
ニコラ➡︎出来て当然。
あれ。まさか私だけ出来ないなんて……まだテオがいるわ!
期待もこめて振り向くと
「僕は例え家族でも、自分のテリトリーに人が入るのは嫌なので、部屋の掃除だけは自分でしてるよ」
私だけが足でまとい。
それは必死になって止めようとするわけね。こうなったら私は大人しく座ってたほうがいいのでは。
慣れないことをやって邪魔になるぐらいならいっそ、何もしないほうがいい。
「はい、アリー。マスクと手袋は必需品だよ」
「私もいいの……?」
「うん?だってアリーはやると言ったらやる、有言実行タイプでしょ。僕はね、そんなアリーの力になりたいから来たんだよ」
ディーの優しさには救われる。
みんなが意地悪で私に掃除するのか聞いたんじゃないことぐらい、ちゃんとわかってたのに。
その逆でやったことがないから心配してくれていただけ。
人の優しさに疎く鈍い自分とは決別したはずなのに、どこかまだ素直に受け入れられないとこがある。
過去の自分も私の一部なのだと自覚しているからだ。
私のことをフォローしつつも、それぞれが持ち場を決めて手際よく進めるものだから丸一日を予定していた大掃除は二時間程で終わってしまった。
ニコラは掃除のプロでもあり、ニコラの言うことを聞いていれば間違いない。
感謝の言葉が足りないな。服も顔もあんなに汚れてしまって。
そこにまたあの子が来たものだから場の空気はシラケた。
あの子にしては珍しく地味な恰好。乱れた息を整える間もなく目に涙を溜めながら謝ってきた。
「もう終わっちゃったんですね…!私には声がかからなかったから来るのが遅れちゃって」
──この子が私のために掃除を手伝いに来た?
嘘ね。
絶対に見抜かれないだろう感が漂う。
私に冷遇されているかのような口ぶり。
嫌がらせをされても汚れ仕事を手伝う私を褒めてと言わんばかりの態度に、怒りを隠そうとせず全員が拳を強く握り締める。ディーだけは抑えてくれて……ない。
いつもの笑顔から怒りが見えた。
こんなにも隠れていない感情に気付きもしないで、目を潤ませる。
どうしてこの子も油に火を注ぐようなことばかりするの。
声をかけなかったのは事実だけども。どうせ何かと理由をつけて来ないとわかっているのに、そんな無駄なことはしたくない。
時間は有限。無駄なことに費やすなんてもったいない。
これからアップルパイでも焼いてもらおうと思っていたけどタイミングが悪すぎる。この子には食べさせたくない。
どうやって追い返そうか考えていると四人の騎士が一歩前に出た。
「貴女は我々騎士を甘く見ているようですね」
団長であるラジットが代表して言った。あの子はラジットにトラウマがあるらしく冷や汗をかきながら一歩下がった。
「ずっとそこの角からこちらを伺っていましたよね?それなのによく平気で嘘をつきましたね」
特殊魔法を使わなくても鍛えられた騎士なら、ただ隠れているだけのあの子の気配を察知出来る。
だからみんな、やたら同じ箇所をチラチラ見てたんだ。
何かあれば教えてくれるだろうし、黙っていたということは私には関係ないのだと、聞こうともしなかった。
「何の証拠があってそんなデタラメ言うんですか!?殿下の前でポイント稼ぎたいからって私を利用しないで下さい!!」
ラジットを尊敬するウォン卿達からすれば聞き捨てならない台詞。
さっきまで怯えていたのに牙を剥くのが早い。
どうせあの男からはラジットのことを出世に目が眩んだ平民。王族である自分が立場をわからせてやった。
なんて、大嘘をついたに決まってる。好きな子に見栄を張るのはいいけど、いずれバレる嘘をつくのは見栄ではなくバカ。
王宮で自分勝手する騎士がいたら解雇、或いはずっと雑用。団長になれるはずがないじゃない。
王宮騎士団は、試験だけでなく陛下と王妃、各団長達の厳しい選考から選ばれた者しか入れない。
あの男の性格からするに、ラジットが団長職に就けているのは自分のおかげと寛容な心をアピールした。
片目を失い、騎士としても行き場を失くすのは可哀想だから第四騎士団を設立し団長に任命した、かな。
確認しなくても概ねそんな感じのはず。
「聞いているんですか!?それに貴方は貴族である私への礼儀も尽くせないし、これだから平民は」
鼻で笑うあの子に貴族らしさはなかった。
昨夜、アルファン公爵から聖水を貰えなかった怒りを私以外にぶつけるのはお門違い。
その顔をもう一度ぶってもいいんだけど、それではまたディーの心を痛めてしまう。
暴力では解決するわけもなく、やはりここは正攻法で追い出すしかない。
その前にやっておくことがある。
「ソール団長。申し訳ありません」
「アリアナ!?貴族が……侯爵令嬢が平民に頭を下げるなんてどうかしてるわ!しかも人前で!!」
「貴女は自分が偉くなったと勘違いしてるの?」
「どういう意味?貴族は貴族に生まれた時点で偉いわ」
「その偉い貴女は何をしたの?人に認められることをした?褒められることはした?功績を収めたことは?いいことヘレン。貴族はただ生きてるだけでは偉くも何ともないわ。事業を成功させる、領地を治める。それぞれの役割を責任を持って果たすから偉いのよ。今の貴女は不幸だという理由から貴族の義務を放棄し、身分だけで人を判断し、礼儀を弁えず数々の無礼を働き、婚約者のいる殿方に不必要なボディタッチで彼女達を不快にさせてきた。極めつけがソール団長に対する偏見と無礼。貴女が同じ貴族だなんて恥ずかしい限りよ」
思い当たる節がいくつもあり、反発したくても口を開けない。
成人していない学生はアカデミーでの生活が基準となる。
成績優秀。品位公正。
貴族たるもの、最低限、この二つは必要不可欠。
その両方が最低ランクであるあの子は果たして貴族と呼べるのか。
ここで謝罪でもあればまだ可愛げがある。
「ローズ家の監督不行届でヘレン・ジーナ子爵令嬢が名誉を傷付けたこと、深くお詫びします」
「いえいえそんな。子爵令嬢が勝手に暴走したことなのでアリアナ様が気に病むことはありません」
私の警告には気付いてくれたかしら?
ヘレンだけでいいのを、敢えてヘレン・ジーナ子爵令嬢と強調した。ローズの名を持たない貴女が侯爵令嬢として振る舞い、その権力を乱用するのは許さない。
わかりやすく私とあの子の差に線を引いた。
これでもまだ懲りずに立場を弁えないのであれば命の前にあの子が大切にしている身分から奪ってあげる。