かけるべき言葉
嫌なこと、面倒なことはすぐに終わらせておきたくて、徹夜で使用人全員の紹介状を書いた。
一日ぐらい夜更かしをしたって、どうってことはない。朝に待ち受けるニコラの説教は笑って聞き流すつもり。
部屋の外が騒がしいのは無視した。
残る問題は、誰に招待状を送るか。仲の良い令嬢達では気が引ける。
ローズ家に媚びを売ってくる最低な家門にでも押し付ければいいか。
問題しかない使用人なら格安で雇えるなら文句はないはず。
最低限の仕事しかしなくても。
書くことに集中してると、窓から差し込む光が月明かりから朝日に変わっていた。
我ながら上手く書けたと思う。
紹介状なんて普通は雇い主が書くものだけれど、王族の婚約者となった私の言葉や主張は他貴族が無視出来ないほどの力はあるはず。
──これは盗まれたりしないように保管しておきたいけど……。
同じことを繰り返すようなら問答無用で追い出す。
そのとき、紹介状を盗まれ、また書くとなったら手間。
魔道具に目がいく。
一筆添えてディーに送った。
盗まれて困るなら部屋に置いておかなければいい。
ディーに保管しておいてもらおう。
仮に誰かが盗みに入ろうとしても、ラジットが部屋の前で待機しているし、窓から侵入しようとしても音で気付く。
私の不安は、周りの人の協力で取り除かれる。
ヨゼフは朝早くにブランシュ辺境伯の元に行くと言っていたから、もう屋敷にはいない。
屋敷全体の音を集中して聴くラジットに声をかけると数秒、目が合い大袈裟に朝の挨拶をされた。
朝から元気なこと。
※ ※ ※
アカデミーに登校すると幽霊でも見たかのように行き交う生徒は立ち止まり、振り返りじっと私を見る。
クマはニコラが隠してくれた。制服の着方が間違っているわけでもない。
だとすれば、体調不良でいつ治るかわからないと、触れ回ったあの子のせいね。
精神的病だったのは間違いないから否定はしない。
クラスメイト……友人が駆け寄って来て体調を聞いてきた。
お見舞いに来たかったけど床に伏せってる私の負担になりたくないと、代表者であるシャロンとカルとテオが来てくれていた。
──……………あの男は?
いいわ。聞くまでもない。
非常識で自分勝手だと理解していたのに、度を超えているんじゃないの。
私がいない数日でシャロンはすっかり悪女となってしまっていた。
あの子を階段から突き落としたり、度重なる暴言。
噂の出処に信憑性がないため信じてる人は多くはなく、むしろその噂が嘘である証拠集めに協力してくれる味方が増えた。
直接手を出している現場を見た者はおらず、暴言という表現も大袈裟。貴族令嬢として、他人との距離感や言動を注意したところ、悪意ある捉え方をされた。
あの子の教科書が破られた教室に一人いたということだけは、多くの生徒に目撃されてしまっている。
シャロンがそんな幼稚なことをするはずもない。反論するわけでもなく、前回のように黙秘を続けている。
「アリ…アナ……?どうして……」
「私がここにいると殿下に不都合でも?」
「そうではなくて。その、しばらく休学すると思っていたから」
「なぜです?体調を崩しただけで休学だなんて」
私は呪いに苦しんでいなくてはならない。
きっとそう言いたいのよね。
苦しんで苦しんで、最後に頼るべき存在に手を伸ばす。それが貴方の思い描いたシナリオ。
自分こそが上にいるべき人間なのだと、見下し蔑む。
絶対に貴方の思い通りにはさせない。
動揺はすぐに収まり友達として私を労る姿に、優しい殿下と、数人の女子生徒は騙されている。
本当に優しかったら体調不良の女性の部屋の扉をあんなに叩きはしない。
教室ではシャロンが数人の男子生徒から嫌がらせのようなものを受けていた。
「あーあ。誰かさんのせいで常に持ち歩かなきゃならなかて大変だよなぁ」
「こんな奴、さっさと退学して欲しいよな」
シャロン!どうして黙ってるのよ。貴女らしくない。
いつもなら言い返して彼らに反論の余地を与えないじゃない。
『アリーが信じてくれるなら』
まさかシャロンが反論しない理由って……。
「シャロン」
名前を呼ぶと振り向いた。その顔はとても驚いきに満ちている。
生徒である私が登校するのがそんなにおかしいこと?それとも来て欲しくなかった?
後者だとしたら傷つく。
私にだって人としての心は持ち合わせているわ。
「アリー」
絞り出した声は震えている。
伸びてきた手は優しく頬に触れた。
「どうしたのこれ」
お優しい第二王子殿下も無視した私の傷を心配してくれる。
さっきの驚きはこの傷を見てのことだったのね。
傷痕に触れていると、痛みを我慢しているんじゃないかと大袈裟に離れた。
大丈夫よシャロン。痛くないから。
そう言うように微笑むと、意味は通じてシャロンも微笑んだ。
シャロンだけだわ。こんなにも心が通じ合うのは。
「聞いたわ。貴女のこと」
目を閉じて私がするべきこと…いいえ。言うべきことを頭の中で整理した。
まだシャロンを蔑む言葉はやまない。
この私の親友をここまでコケにしたこと、必ず後悔させてあげる。
ゆっくりと目を開ければ私の雰囲気が変わったことに気が付き、教室はシンとなった。
「私は貴女を信じているわ、シャロン」
私にはわからない。シャロンがなぜここまで私を信用し、尽くしてくれるのか。
もしもその理由を聞いたら貴女は私を許してくれる?
家族やあの男達に裏切られたときとは違う。シャロンに失望され遠くに行ってしまわれるのは胸にぽっかりと穴が開くほど辛い。
シャロンが死んだと聞かされたあの日、深く終わりのない絶望に飲み込まれた。
王太子妃として無様にならないよう私は私の務めを果たし、シャロンの言葉に耳を傾けることもなく目の前の男を愛そうと必死だった。
動揺し、付け入る隙を与えないように泣きたい気持ちを覆い隠した。
涙を見せない姿も私を悪女と決定付けた要因の一つ。
私がもっと気にかけていればシャロンは死なずに済んだ。
そんな思いが駆け巡り現実から目を逸らすように、これまでと何も変わらないように振る舞った。そうでもしないと私の精神が壊れてしまいそうだったから。
シャロンはニッコリと笑って彼らと向き合った。さっきまで右から左に聞き流していたのに、毅然とした態度で言った。
「私がいなくても教科書は破かれているかもしれないから気を付けたほうがいいわよ」
「まるで自分は犯人じゃないみたいな言い方だな!」
「お前みたいな悪女の悪行を許してくれるヘレンに感謝するどころか、一度の謝罪もないなんて。伯爵令嬢としてあるまじき行為だ!」
シャロンには庇う発言を控えるよう頼まれたけど、今ここで無視することは私には出来ない。
「貴方達。素朴な疑問なんだけど。シャロンが教科書を破る姿を見たの?」
「見ては……ないですけど。でも!!犯人はその女以外にありえない!!」
「どうして?」
「ヘレンの可愛さに嫉妬してるし、アリアナ様の親友であるヘレンが目障りだったんですよ!」
呆れた。
証拠なんてないじゃない。自分達の心証だけで犯人扱いするなんて。
「言ったはずよ。私とあの子は親友ではないと。もしかして覚えていないの?それなら何度でも言ってあげるわ。私の親友はここにいるシャロン・ボニートただ一人。あの子はローズ侯爵が不憫に思い連れて来た我が家の居候。そして……もう友達でもない」
「そ、そんな。だってヘレンはあんなにも愛らしいじゃないですか」
「私にはシャロンのほうが、可愛くて美人で素晴らしい貴族令嬢に見えるわ」
「アリー。もうやめて」
口元を隠しながら私の肩に手を置いたシャロンは、喋るのをやめてと訴えてきた。
シャロンの魅力をまだ伝えきれてないんだけどな。
まさか言葉が簡潔すぎて伝わっていないとか。それは一大事ね。
シャロンとあの子。比べるまでもなくシャロンの圧勝であっても、大切な親友を侮辱された私には、彼らにとって大切なあの子を侮辱する権利はある。
私の意見に賛同してくれる声は多く、私の親友に相応しいシャロンの良いところを述べ始めた。
さっきまでのシャロンを追求する空気はどこにもない。
お世辞や、私にゴマをするわけでもなく、彼女達の本心。
シャロンが褒められると私も嬉しい。
「ヘレン!?どうしたんだ!その顔の傷は」
今日、私が登校した一番の理由がやってきた。
私の傷には気付かなかったのにあの子の傷には気付くんだ。流石はお優しい殿下。きっとあの子も大喜びね。
あの子は私には気付く様子もなく、頬を抑えたまま「アリアナに…」と言った。
あの子の行動パターンは読みやすく、小さなキッカケから自分が悲劇のヒロインぶるのが大好きみたい。
「誤解されるような発言はやめて」
「アリアナ!?どうして……!!?」
私は部屋にこもったままだと思っていた。ここ数日、そうだったのだから思い込むのも無理はない。
ラジットは私の留守中、勝手に部屋に侵入されないように待機しているだけ。ウォン卿だってそうだった。
アカデミーでは私の心配をしていると言っておきながら、実のところは声をかけることもなく楽しく暮らしているだけ。
大嫌いな私の顔を見なくて清々してるらしい。
「貴女が私の物を盗んだから、が抜けてるわよ」
「え?ぬ、盗んだ?」
「どういうことだヘレン」
「酷いわアリアナ。どうして……」
約束したのに、とまでは言わなかった。
「私が貴女をぶったのは、ディーからのプレゼントを盗んだ挙句に言い訳ばかりしたからよ」
「じゃあアリーのその傷はまさか……」
鋭い視線があの子に集中した。
犯罪行為をしただけでなく被害者である私を逆恨みして暴力を振るった。そんな意味合いが込められている。
頼みの綱でもあるあの男は状況の悪さから庇うことはしない。
その逆で非があるなら謝罪すべきだと諭す。
どういう心境の変化なの。あんなにもあの子の味方をしていたのに。
シャロンも訳がわからないと言うように首を振る。
屈辱にまみれながらも大勢の前で謝罪させられるあの子の手は震えていた。