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午後に出掛ける

作者: ライス中村


朝は出来れば晴れていてほしい、というのは、僕の勝手な願望であって、今日布団から出てすぐに窓から見た空は、やはり、変わり映えのない、雲の重たい白で埋め尽くされていた。


朝の支度をした。パンと牛乳でご飯を済ませた。


最近目が乾いて仕方がない。なにかに感動することも、少ない。

半分原因に気付きかけていて、それは実際、自分ではどうしようもないことだ、と分かりかけてもいるので、目薬で、残る不快を紛らわせて何とかして、もうそれ以上、嫌なことを考えなくていいようにする。


玄関で、ノロノロと靴紐を結ぶ。ギリギリまで動かないでいて、はたから見れば素晴らしいとされるような日常と、少しも向き合わないでいい時間をとった。

でも、ずっとこうしてはいられない。仕方なく外に出る。


通学路。秋めいて、カエデの甘い匂いがほんのりと漂っている。景色が枯れていて、溜息が出そうだ。


学校に着いた。空いている席を探す。自由席だ。


なるべく人と遠い場所がいい。両隣も、前も後ろも、周囲が全部空席になっているような席に、静かに座れれば一番いい。

大抵は見つからないのだけれど、今日は教室の後方に、そんな場所が残っていた。

ぼんやり腰掛ける。すると、しばらくしてチャイムが鳴る。

だらだらな時間が60分、つまらないまま過ぎる。

最後にもう一度チャイムが鳴る。今日の授業はこれで終わりだった。



時間がある。このままどこかに向かおう。なにか得られるものがあるかもしれない。


こんな思考を持てているうちは、自分はまだ自分を嫌いにならないで済む。捨てたもんじゃないな、とも思う。


この街から少し離れた場所に、少し名の知れた温泉地がある。目的地はそこに決めた。





家に一番近い駅、鹿火縄駅という名前だ、そこまでは歩いて向かう。すぐに切符を買い、そのまま電車に乗り込む。

10駅先。その割には運賃が安い。


線路の凹凸が、振動として身体に伝わる。

やはり枯れたような木々の茶色い景色が、窓の外を連続的に流れていく。


猫が本当に一番好きな食べ物はなんだろう、とか、地獄に住む鬼の体温を測ったらいったい何度くらいになるんだろう、とか、そんなどうでもいいことを考えながら、着いたあとの予定も少しは頭の中で組み立てながら、無抵抗に揺られていた。




込坂温泉駅に着く。駅の周りは流石温泉地といった感じで、和風建築の旅館が、並んでいくつも見える。


知らない世界だ。


一番賑わっていそうな、目の前の真っ直ぐとした街路を、気が済むまで先に進んでみる。


温泉卵の店や、饅頭屋、土産屋、たまに床屋も。

店同士の隙間はごく少なく、右側左側に詰まって建っている。だが、不思議と息苦しくはない。


すれ違う人。多くは何人かでかたまっていて、僕をチラリと見ては目を逸らす。


なにか、おかしいんだろうか。

人の思考が覗けたらいいのに。空気はまるで知らない外国語のようでとても読めない。きっと自分以外の人間の頭蓋骨の中には、空気がいっぱいに封入されているに違いない。


歩いているとだんだん、観光地らしさが減っていった。


店が少なくなり、アパートや一軒家が現れるようになり、建物同士の隙間は増え、潰れてしまった古い旅館やホテルの残骸が、廃墟が、かろうじて残る「らしさ」を保とうと、必死に抵抗していた。


どこか裏側に来たような感覚。


もうここまで来ると、自分以外の通行人はいない。

つまりは独り占め。気分がとても良くなった。


立ち止まり、目をつぶった。そして2回深呼吸をした。





…これからしばらくは、なにか嫌なことがあっても、囚われずに楽しく過ごせそうだ。


別のことも何かしらやったような気もするが、どうにも思い出すことができないので、諦めて忘れることにする。



僕はそして街を去る。

発つ前にこんなことを想像した。


街のいたるところで湧いている、透明で熱い湯。


もしも僕がこの湯の頭脳を担っていたとしたら、この壊れかけたスポイトみたいな街からは、すぐにでも逃げ出そうと考えるに違いない。行き先も決めぬままに。




─────────────────────


帰り道は夕暮れであってほしいというのは、僕の勝手な願望であって、鹿火縄駅から出てすぐに見上げた空は、やはり、潔いほどの雲の白に埋め尽くされていた。



今日得たものがあったとすれば、その空の色が、朝のそれとは微妙に違っているのだ、ということに、ちゃんと気づけるようになったこと、だろうか。


今まで、白は白一種類だと思い込んでいた。でも、本当はそうじゃないと理解した。



自分が変化しなければ空は変化しない。でも、自分が変化すれば、ちゃんと空も変化する。

誰に言われたわけでもないが、僕はそう感じた。



どうやら、とてもとても愉快な気分だ。



満面の笑みを浮かべながら、僕は足取りを軽くして、鹿火縄駅と家とをつなぐ、残り少ない帰途を辿っていった。

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