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鏡面のクロノスタシス  作者: 悠葵のんの
一章【出会いの物語】
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7話『絶対絶対、お父さん頑張るからね』

 昼間なのに薄暗いジメジメとした路地裏に、思わず耳を塞ぎたくなるほどの大きな物音が響いた。

 それは男が、道端に置かれていた瓶ケースやバケツなんかを蹴散らした音だ。いや、蹴散らしたってよりは、倒れる時に一緒に押し倒したってほうが合ってるか。

 カビの生えた地面に倒れ込んだ男の元へ、黒い制服を着た騎士が慌てて駆けつける。


「シンジョウさん、大丈夫ですか……! 騎士団のツバサです。どうかしっかり!」


「……うっ、うう……ミライ……ッ、ミライぃ…………」


 シンジョウって呼ばれたおっさんは、悪夢にうなされてるようにその単語を呟き続けている。

 ミライ。未来とは多分違う。さっきの話からしてそれは、亡くなった娘の名前だ。

 そっか……今のこいつは自分が見えてねえんだ。顔色は死人のそれだし、着てる服だって元はそれなりだったろうに、今は破れて汚れて臭いもキツい。


 アヤメさんが言ってたっけ。この世界は生きる意志を持つ者すべてを歓迎する――って。そこからこぼれちまったのが、このおっさんってわけだ。

 だとすりゃあ、オレも……。


「……うぅ、わ、私も……連れて……いって、くれ……ミライ……」


「何を言っているんです! 貴方の娘さんはそんなこと望んでいませんよ! 奥様だって家で帰りを待っているはずだ……どうかお気を確かに……」


 あてどなく伸ばされた男の手をツバサは強く握った。冷たい手を温めるように。あの世に届きそうな手を引き留めるように。しかしシンジョウはそれを強引に振りほどいて、ツバサを鋭く睨みつける。

 涙の痕を強く残した、光のない目で。


「黙れぇ! そんなことで……そんなことであの子は帰ってきやしない……! 邪魔ッ、しないでくれよぉ……うぅっ……あんな……あんなのは人の死に方じゃない…………」


「……娘さんは僕たちに教えてくれたんです。この穏やかな日常の中に、どれほどの危険が隠れ潜んでいるのか。残された僕らはそれを教訓に、同じ過ちを繰り返さないよう生きるしかないんです……!」


「貴様に何が……ッ、ぁ……あぁ――――」


 シンジョウは怒りに身を任せてツバサを殴ろうとした。しかし強く握った拳も、奮い立たせた体も、一瞬にして崩れ落ちる。

 元々気力も体力も衰弱しきってた。それが今ので限界を迎えたんだろう。危うく倒れるシンジョウをツバサが支えて、再び壁際に落ち着かせた。


「シンジョウさん……」


「お医者さんに連れていったほうが良いのでは?」


 ツバサの横からマリアが提案する。オレも同感だ。こういうのは下手に部外者が立ち入るよりも、家族や医者に任せるのが一番だぜ。


「そうだね。でも病院はここからだとちょっと遠いんだ。行くにしても呼ぶにしても、脱水を起こしているから何か飲ませて休ませたい。……少し診ていてもらえるかな。近くで飲み物を買ってくるよ」


 そう言いながらツバサは、返事を待たずに表の通りへ走っていった。忙しないヤツ。でも、そうか。ツバサって男はこういう時、誰かのために駆け出せるんだな。

 それはこの世界の警察……つまりは騎士としての仕事でもあるんだろうけど。でもオレはそこにツバサの人間性みたいなものを見た気がした。


「あら……クレハ、すぐに追いかけてあげて」


「あ?」


「これ、多分彼の財布よ」


「はぁ~?」


 手渡された布製のブツは、確かにオレの手の上で、ちゃりんと小銭の音を鳴らした。

 さすがにこれは呆れるしかない。気持ちは立派かもしれないけど、意外とあいつもあいつで周りが見えてないんだから……普通落とすかよ、一番大事なモンを!


「……ったく、しゃべりすぎには用心だぜ!」


 ため息ひとつ。すぐにオレは駆け出した。


「ホント。理想なんて、余裕のある暇な人しか語らないものなのに……それが分からないんだから」


 急いで財布を届けたオレは、ツバサと一緒に適当な飲み物を調達して路地裏に戻った。

 それから一時間は経ったかな。水分を補給して一息ついたシンジョウは、少しは気が落ち着いたのか、もしくは昂っていたモンが逆転して沈んじまったのか、とにかく一見は冷静さを取り戻し始めていた。

 ツバサの上着を地面に敷き、そこに横になったシンジョウは重い口を開く。

 

「……申し訳ない……見苦しいところを、見せてしまった……」


「いえ、まずは病院へ行きましょう。奥様のほうには僕から連絡しますので」


 どこかアヤメさんと重なる穏やかな顔と声で告げて、ツバサは汚れた制服を気にする素振りもなく立ち上がった。


「クレハ、マリア、悪いけど今日の案内はここまでだ。騎士団に戻るようなら付いてくるという選択肢もあるけど……」


「私は家を探そうかと。いつまでもお世話になるわけにはいきませんもの」


「なら行き先は役所だね。この世界に来たばかりだと話せば融通も利くはずだ。もし困ったことがあったら、いつでも騎士団を頼ってくれ。クレハはどうする?」


「ん~、別に行くところもねぇしな」


 アヤメさんは次の行き先が決まるまではあの部屋を好きに使っていいって言ってくれた。騎士団にいればとりあえずは食い物にも困らなそうだし、ここはひとつあの人の好意に甘えるとするか。


「オレはアンタと――」


 一緒に行くよ、と返事をしようとしたその時。


「行き先ならあるでしょ? あなたにはご主人様がいるんだから」


 突然、マリアが声を被せてきた。


「どこにいんのか知らねぇ」


「そういうことならあの大通りをずっと進んで、一度中央都市を出てみるといい。町の外にティアーズ卿の館があるんだ。湖の中心に建っているから分かりやすいと思う」


「ふ~ん?」


 なるほどな。レイラはここじゃあそれなりに有名っぽいし、家もいろんなヤツに知られてんのか。

 レイラがこれを見越してオレに何も言わなかったのか、それともただ時間が無くて焦ってたのかは分からねえが、ひとまず次の行き先は決まったみたいだ。


「じゃ、そっちに行ってみますか」


「ここでお別れだね。……またね、クレハ」


 胸の前で小さく手を振るマリア。またねってことは、また会うつもりはあるのか。

 オレは半分吸血鬼になっちまったけど、そんで聖戦っていうよく分からないモンに出るらしいけど――この世界でもこいつとは、切れそうで切れない縁が続きそうだ。

 

「ああ、またな~」


 その時、冷たい風が路地裏を通り抜けた。

 身震いするほどの、これから雨が降ることを予感させるような、そんな――。


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