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鏡面のクロノスタシス  作者: 悠葵のんの
三章【月下狂乱の物語】
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25話『吹き荒れる白雪、舞い落ちる紅葉』

☆六月一日午後七時十六分


 時間だ。《ヴィクトリア・ローズ》を使い、俺は元の地点に繋がる(みち)を拓いた。

 そこは騎士団本部二階、団長室に併設された秘密の仮眠室……だった場所。

 今では建物の面影すらなく、ただ瓦礫だけが地面に積み上げられた場所だ。


「ッ――――と、さすがに寒いな……」


 不安定な足場に、しかし確かに着地する。

 吐き出した息が白い。肺が凍えるほどの冷気。天空から降り注ぎ、地上から舞い上がる白い花びら。

 ここは既に彼女の独擅場――。


 嵐のように渦巻く雪の結界は、一片一片が朝霧雪乃(あさぎりゆきの)の魔力が変化したもので。

 手袋や服で右腕を覆っていなければ、あっという間にエトランゼ粒子が規定値に達して過去に戻されていたな、この状況。

 力比べだけなら、アヤメを相手にしても五分に持ち込むほどの圧倒的な総量だ。


 叶うのなら、そんな彼女には更なる援護を頼みたいところだが……いや、こうして場を作ってくれただけで充分すぎるんだ。

 これ以上甘えるな。あとはひたすらに、感謝を送ろう。


「雪乃、ありがとな」


 ほんの少しの時間だけれど。

 今はただ、雪と融け合いそうなその解放感を、満喫していてくれ。

 ……さて。これで騎士たちの保護と《(かさ)》の再展開は済んだ。

 次にやるべきは――。


「そっちも任せたぜ、()()


 左手に構えていた《ヴィクトリア・ローズ》を軽く宙に放る。

 瞬間、聖剣が消失した。本来の所持者の下に召喚されたのだ。

 その光景を見届け、俺は凍える手足にぐっと力を込めて駆け出す。


 目指すは騎士団本部一階――掲示板が設置された通路にあたる場所。

 先ほど雪乃がこちらに戻ってくるのと同じタイミングで路を拓いたそこには、この舞台に必要な役者が一人、控えている。

 目的地に到着し、足を止めた。眼下に収めるは漆黒の外套。赤毛の混じった黒髪。未熟さゆえの優しさを拭いきれない瞳。


「――吹雪……? 妖刀の出現……爆破が起きて……ッ、ソフィアたちは……?」


 不死鳥の眷属にして。

 かの地で戦う吸血鬼の少年に、炎を貸し与えている騎士――。


「ツバサ」


 その名を、呼ぶ。

 すると彼はすぐさま瓦礫の上に立つ俺を見上げ、眉を潜めた。


「……トオミトウカ? 君がなぜここに……」


「まずは剣を構えろ。敵が来る」


 方向を示すように視線を向けてやると、ツバサも少し遅れて、ソレを認識する。

 白い吹雪の中を悠然と闊歩する、三体の影。

 災禍(さいか)幽鬼(ゆうき)であるソレらの胸には漆黒の日本刀が突き刺さっており、こちらを見据え、今にも殺戮の火蓋を切ろうとしている。


妖刀(ようとう)――⁉ 同時に三体……元になったのは誰だ……いや、なんだ⁉」


「安心してくれ。あれの素体はアネモネに用意してもらった、疑似魂を埋め込んだマネキンだ。本部内に居た騎士たちも一般市民も、誰も犠牲になってない」


「事前に用意していたのか?」


「まあな」


 五月八日。メイドのいないメイド喫茶を訪れた日のことを思い出しながら、俺は答えた。

 それに対してツバサは一瞬だけ思案するように目を伏せたが、状況が状況だ。


「戦いが始まるより前から、駆け引きは水面下で行われていた、ということか」


 彼は思考で足を止める愚かさを学んでいる。

 役目を果たす歯車の価値を覚えている。

 ゆえに、


「……仲間は無事。妖刀の素体がマネキンである以上、斃すことで犠牲となる人はいない……ならば――!」


 騎士は事実だけを受け止めて剣を執った。

 それは荘厳なる白銀ではないが、しかし吹雪の中で強く佇む、誇りを宿した鈍色の刃。

 その切っ先が真っすぐに、災禍へと向けられる。


「察しが良くて助かる」


 拳を握り直し、僅かに腰を落として、俺も臨戦態勢に移行する。

 呼吸間隔を変えて心拍数(ギア)を上げ、脱力するのと同時に神経を研ぎ澄まし、あらゆる初動に対応できる状態を構築。


 二対三。数だけを見れば不利ではあるが、今回の妖刀の完成度は以前の二振りよりずっと低い。

 実体化した魔力――あの黒いオーラを、シンジョウを素体としていたモノと見比べれば一目瞭然だ。

 ゆえに勝利など前提条件。俺が求めるのは露払いを済ませた、その先の展開。

 

「ツバサ、悪いがアレの始末をしながら手短に話すんだが――アンタに頼みたいことがある」


 風向きが変わり、災禍との激突が開始される数秒前。

 不死鳥の炎を(おの)が身に顕現させたツバサを、その未来を射抜いて。

 ――俺は(こいねが)った。


☆六月一日午後七時三十分


 炎の無効化。吹雪による行動の阻害。不可視の剣に絶対守護の鎧――よくもまあこれだけの障害を前に、と呆れ混じりの目で眼前の死体を見つめる。


「無銘の刃でここまで死に損なうとはな、オオトリ・アヤメ」


 人の身でありながら不死鳥になった女。

 とはいえ不死鳥が魔の存在として優れている性質は、死しても生き返るという一点のみだ。


 閉ざされた輪廻の中で総量を拡張し続けた魔力も、《傘》と炎の出力以外に使われることはなく。

 つまりここまで戦い抜いた剣技は、殺し合いの作法は、あくまでも人として積み重ねてきた地力ということ。


「ふん――」


 恐ろしい場所(セカイ)だよ、ここは。

 こんな阿修羅みたいな女が、治安維持を担っているのだから。

 しかし私が歩むこの道の先を思えば、阿修羅でさえ道端の小石。

 躓くことは許されず、むしろ蹴り飛ばして排除するべき存在。


 それゆえに、全力を以て殺害したぞ――不死鳥。


 オオトリ・アヤメの肩を足蹴にし、剣を引き抜く。

 心臓を一突きにした、硝子の剣を。

 限りなく透明に近い刃の縁を赤が流れて、宙に落ちた途端、舞い散る白雪が覆い凍てつく。

 だが、これで終わりではない。

 不死鳥が不死である所以(ゆえん)は、死した後に蘇るため。時が経てばアヤメの死体は灰と化し、薪をくべたように炎が灯っては、再誕(さいたん)――鳳翼(ほうよく)を見せつける。


 当然、その外法(げほう)を終わらせるための手段は用意した。

 しかしそのための月明かりは、現在吹雪によって遮られている。

 思うに私の計画は、既にあの右腕の妨害を受けているのだろう。

 いつからか、どこからか。ヤツは私の目を欺いて行動を起こしていた。

 ならば一刻も早く《傘》を破壊し、再びレールを切り替えなければ。


 私の周囲に浮遊する六本の剣に、《傘》を攻撃する指示を出す。

 否――出そうとした、その一秒前。


「――、なんだ?」


 眼下。糸の切れた操り人形のようにだらしなく横たわった、アヤメの死体の上。

 そこにいつの間にか、青白い光を放つ七芒星(しちぼうせい)が浮かんでいた。

 即座に一歩下がって剣を構える。あれは陰陽術だ。東洋における魔術の一種。


 反応が遅れた。既に発動を無効化できる時間を過ぎてしまっている。おそらくはそれを狙って起動するようプログラムされていた。……失態だ。白雪に覆われようとしていたアヤメの死体が、突如として私の意図しない干渉を受けた――ッ。


「再誕の補助か? いや、そうじゃない……むしろこれは真逆の……だが」


 空を見上げる。

 未だ吹き荒れる白雪の向こう側で、(あか)い月明りは確かに遮られている。


「《傘》は間違いなく展開されている。ならばこの魂の凍結は、吹雪を媒介とした――――あぁ」


 理解した。

 右腕の介入があったにも関わらず、騎士団本部に仕掛けた爆弾が見逃された理由。《傘》の構築が不死鳥の炎ではなく、あの雪女によって行われた意図。

 これらはすべて、私に向けたメッセージだ。


「売り文句ということか、これが。この時間の――」


 だがそれでは天秤はこちらに傾いたまま。

 となるとヤツは、まだ何かを残しているはずだ。あの右腕を、調停のために使うヤツならば確実に、差し引きがゼロとなるような一手を……!


「――――ッ」


 気配を感じて即座に振り返る。視線は瓦礫の山の頂上へと。

 吹雪の切れ間。夜を照らす光の柱を背に、ゆらゆらと揺れる炎を携えた人影。

 それをこの眼で捉えた瞬間。

 白雪が風を切る、その音すら斬り裂くように――声は響き渡った。


「マリア……――‼」


 手にした西洋剣に灯った炎。赤く染まった髪。白雪に煽られ翻る黒の外套。騎士であり、不死鳥の眷属である男が、オオトリ・アヤメの一翼が、珍しく迷いのない眼差しで私を見つめている。


「ツバサ。妖刀の格を多少下げたとはいえ、意地を見せたか」


 だが些事だ。あの男のことなど眼中に入れる必要はない。私の意識はさらにその奥。不安定な足場を一歩ずつ踏みしめてツバサの横に並び立つ、白黒髪の調停者に注がれる。


「やはり来ていたな――」


 まったく、本当に、どこまでも。

 ただ翻弄されるだけの運命を歩んでいたはずなのに、特別な才能なんてない平凡の象徴のような存在だったはずなのに……。

 あの右腕と巡り合い、身の程を弁えることを忘れた愚か者が。摘んでも摘んでも生えてくる、雑草のような邪魔者が……!


「――遠見(とおみ)桐花(とうか)ぁぁァ‼」


 怒気を孕んだ声をかき消すように、風が吹いた。

 既に舞い荒れている雪さえ煽る一陣の風。私にとっての向かい風。

 それを追い風とした騎士は、ツバサは、炎を纏った剣を逆手に構え、


「あとは任せた」


 ごめんね、ソフィア――最後のその言葉は声にすることなく、手にした刃の切っ先で己が心臓を貫いた。

 即座に流出する生命。潰えゆく炎。しかして残火は最後の最後まで降り積もらんとする雪を溶かし、白い蒸気を燻らせる。それは月まで届かない不死の煙。


「自刃――ッ、希望に唆されたな、莫迦な男……!」


 敵前逃亡とも取れる行動。しかし時の編纂者が側に居る以上、そこにはヤツの意図が仕掛けられている。絶対にだ。

 ……ああ、ツバサ。最初に出会ったときから、お前のことは気に食わなかった。予感がしたんだ。その顔や言動にどこか重なる面影から、誰を()()()にしているか理解できたから。だからいつか、何か私の神経を逆撫でするようなことをしでかすと、その起因になると考えていた。お前の隣に立っているヤツと同じようにな。

 そして今、業腹なことにその予感は的中した――。


 まんまと駒の一つとして使われた炎が、終を迎える。

 自刃したツバサの身体にも七芒星が展開されたのを見て、私は剣を握った手に力を込め直した。

 再誕は不死鳥にとって魔的法則ではない。よって硝子の剣による無効化は不可能。だがそのふざけた陰陽術は違うぞ。私はトップスピードで剣に魔力を流し込んだ。が――それを見越して、同時に遠見桐花も動く。

 ヤツは背負っていた荷物を、その紫色の封を右手で掴み。

 そして待ち侘びたように勢いよく――稲妻を解き放った。


 ――――『《ナイト・メア・アタラクト》』。


 気色の悪いことに私とヤツの声が重なる。その不協和音が奏でたのは、悪魔に割り振られ、そして昨夜の聖戦を経て吸血鬼へと渡ったはずの、聖剣の名。

 遠見桐花は舞台上に晒したその剣を、全身全霊を以て上空へと投擲した。


「チィッ――!」


 舌打ちし逡巡する。見極めろ。無効化するべきは七芒星か、それとも聖剣のほうか。どちらがヤツの設計したこの時間をより破綻させることができる? ――いや、考えるまでもない。状況は瞬間ごとに進行し、残された選択肢はもはやただ一つ。ツバサの輪廻を終わらせることよりも、いつ発動するか分からない聖剣を無効化できるか賭けに出るよりも、()()()に備える――。


 聖剣(アレ)が能力を発動するまでの一瞬。私が一手だけ行動を捻じ込むことができる最後の間隙に、浮遊する剣の一本――《グリュック・エィーレ》を使用する。これにより私の全身には治癒が施された。アヤメとの戦闘で傷を負った覚えはないが、万が一にもなどといった可能性は徹底的に潰し、慎重を期して臨まなければ。


 何せこれより先、弎本(さんもと)真理亜(まりあ)はこの戦場で、一滴たりとも血を流せない――。


 空を射抜く矢弓のように翔け上げる聖剣を強く睨みつける。

 さあ、来るがいい。

 纏った不死鳥の炎が突如として消えたことを訝しみ、あの桜の姫にでも言われただろう含みのある言葉を思い出し、《ナイト・メア・アタラクト》の能力を発動してみろ――()()()()()()()()()()()()()()、その力を‼

 

 刹那。声なき我が宣戦布告に応じたかのように、《ナイト・メア・アタラクト》の刀身に紫色の粒子が迸った。

 それはまさしく紫電。間髪を入れず響き渡った雷鳴。


「――――」

「――――」


 視線が交錯する。


 かつて失った光を宿した瞳。相も変わらず似合わない金色の髪。戦いの痕が残る傷だらけの服。白い息を吐いた口から覗く鋭利な牙。

 魔力の熱で溶けた雪に濡れ、紅月(あかつき)に切れ込みを入れたようなその鮮やかな翼は、さながら水面に落ちた紅葉の如く。


 リタウテット中央都市。《不死鳥(ナイツ・オブ)騎士団(・フェネクス)》本部跡地。白雪舞う、その上空で。




 ――――月夜見紅羽(ツキヨミクレハ)が、私に見蕩れていた。




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