24話『星舞台、レッドローズ、グレーの羽根、窓辺のノクチルカ』
☆六月一日午後七時十六分
――《不死鳥騎士団》南区第一支部前、仮設舞台の右袖。
さてと。舞台装置も揃ったことだし、鏡の前に立って最終チェック開始しちゃうよん。
これから客席に送る魔法、それに一足先に自分がかかっちゃお~ぅ。
「ふんふんふ~ん♪」
たたんと踵を鳴らして身軽にステップ開始。……あ、やば。瞬で分かっちゃった。ちょっと動いただけで、今着てるおっもい衣装から星が溢れ出ちゃってるって。笑顔がこぼれる。自然に、心の底から、恋をするみたいに。目に映るモノ全部が愛おしくて胸が弾む。
なにこれ、あはは……無敵じゃん。
「――ふ、はっ――――と♪」
いける。ここでくるっとターン。髪の毛先、フリルの端の端まで神経を通して、全身を掌握。一番輝く速度と角度でピタッと着地。上半身だけ流れを止めないで、すぐに両頬に人差し指を添えて――決めウィンク☆
「どう? わたしの鏡さん? なーんて、聞かなくても分かるけどね♪」
わたしを覗く、いつか赤かった悪魔の瞳を覗き返せば、それが答え。
星飾りの衣装、よし。編み込みヘアメ、よし。わたしのお顔、バチバチによし!
これなら絶対できる。わたしがもう、一人じゃ夢を見れないように。来てくれた人もそうなる。わたしが居れば、何度だって夢を見せてあげられる。
「ここまで仕上げてくれてありがと、アネモネ。あとはわたしがやるから休んでて。アネモネの星を背負えてるか、見てて」
勝気な笑みを浮かべて、ぶいサイン。すると手足を放り出すようにパイプ椅子に座っていた悪魔ちゃんは、いかにも満身創痍って感じの弱々しい、だけど堪らず抱き締めたくなる微笑みを返してくれた。
「見てるよ。ミア、行ってらっしゃい」
「――うん、行ってきま~す♪」
まあ……本当はさ、やっぱり自分の舞台なんだから、自分の足で立ちたかったんだろうけどさ。
でもわたしが檻の中に居る間、アネモネは災禍の器となる疑似魂を七つとこのステージを急造して、妖刀という絶望の象徴を見世物にするための覚悟を胸に、この半月を走り続けてきたんだ。
ただでさえ崩れかけた信頼を繋ぎ止めるため、赦してくれた期待に応えるために頑張ってたってのに……それじゃあ息切れしちゃうのは当たり前だよね。
だからその落としかけたバトン、わたしが次に届けるよ。
アネモネがわたしと同じくらい大事にしてるもの、ちょっと嫉妬もしちゃうけど、わたしも大事にしたいから。
――さあ。今夜リタウテットの皆さんに捧げますは、人形劇とアイドルのライブが融合した挑戦的ミニステージ。
今度はわたしが朝刊の見出し、飾っちゃうかな。
――『不謹慎⁉ 妖刀と踊ったアイドル‼』とかね。
きっとすごく賛否両論になって、面と向かって怒ってくる人も出てくるかも。
でも、それでもどうか、この行いが悲劇を軽んじるモノではなく。
いつか、絶望に立ち向かう勇気のような意思に繋がったら、いいなって。
だから私は――――。
☆六月一日午後七時十六分
――《不死鳥騎士団》東区第一支部前、大通り。
予定通り飛来した妖刀をその身で受け止めたマネキン。
市民の避難を騎士に任せてその相手をしていた私は、視界の端に白い柱を捉え、思わず感嘆の声を漏らした。
「おほー、派手にやってんねぇ」
結界付きとはいえ、珍しくリミッター外して全開ってわけだ、あいつ。
よし――《傘》の再展開、確認。時間にして一分ちょいってところか。
一般市民への影響は皆無ってわけにはいかないだろうが、それでも最低限には留められただろ。時間が進行しているってことは、これでいけると遠見が判断したってことだしな。
「んじゃ、こっちもそろそろいいか。来な、ヴィクトリア・エー――じゃなくて……《ヴィクトリア・ローズ》」
所有権はそのままに、『眷属の使用権』を行使していた聖剣を呼び戻す。
顕現する純白の刀身。柄を握り締めた瞬間、あしらわれた赤い布が右手の五指、手首、腕に装飾品のように結ばれて、全体を美麗に飾り立てる。
さぁて、これで決め手ができた――とか言っちゃうと情けないが、
「………は」
まあ事実だ、と。都市の中央部に渦巻く雪の嵐を再び一瞥して声を漏らす。
今度はちょっと憂鬱な、溜め息っぽいやつ。
「あんなの見せられると嫌になっちゃうね。全力出せない姉の威厳、低下中だから。ま、せめてそっちは全力で来いよ。……とか言っちゃって」
☆六月一日午後七時十六分
――《不死鳥騎士団》西区第一支部前、広場。
「きゃああああああああ……‼」
絶叫が木霊する。
「ちッくしょう! ありゃあ東区の、妖刀とかいうヤツじゃねえのか⁉」
「全員逃げろ! 今すぐこっから逃げろォ‼」
怒号が飛び交う。
「ざけんなって……! 俺、そんな悪いこと……してないのに……なんで居合わせちまうんだよ!」
人々が逃げ惑い、遠くで巻き上がる雪の嵐。
「やだやだやだ! まだ死にたくないッ……二回目なんか全然受け入れられな――――ぁ」
張り詰めた空気に足を絡めとられ、漆黒の災禍から逃げ損ねた少女。
絶望の黒。希望の白。そのどちらもが道行きを止めてしまうのなら。
優しく抱擁するように、今。
「――大丈夫。目を開けて、お嬢さん」
夢幻と見紛う天使の灰羽を、大きく広げる。
地平線だ。この羽は迫り来る影を調和する一線を引き、そしてワタシは妖刀と少女の境界に、この身を捧げる。
「月が怖いかい? 銀の花が眩しいかい? なら今だけ特別に、灰色のベールで君を包んであげよう」
すかさず一度だけ、羽を震わせた。
風を自ら生み出すように羽撃いたそれは、ひらひらと、薄墨の破片を背後に撒き散らす。
それは目が眩むほどの生とも、鮮烈な死とも違う色。
結晶よりも柔らかく。触れれば温もりを覚え。風を受ければ力強く乗りこなす。
往くべきところへと雄大に翔け抜けた自由の名残り――いつか見上げた夢の跡。
「……きれいな」
その迷光が、よほど胸を打ったのだろう。
恐怖を忘れ。しかし感嘆まで追い付かず。
少女は、茫然とこちらを見上げ。
「灰色の、羽根――――」
そう呟いて、つい、自分のもとに降ってきた一枚に手を伸ばした。
あと少し。腕を伸ばせば。落ちてくるのを待てば。指先が、届く。
途端。魅入られたように、吸い込まれたように光を失っていく少女の瞳。
いけない……白昼夢というには底が深すぎたな。
ワタシは少女の耳元で小さく指を鳴らしてその意識を引き戻し。
落ちてきた羽根をさっと掬い上げては、背後の妖刀へと放った。
「いけない子だ。触れたくなるのは分かるが、よしておきなさい。雪より重いこれは、ゆえに君の心を捻じ曲げてしまう」
ほんの少しだけ、叱るみたいに声を低くして言う。
「――――ぁ」
すると少女は視界が明滅したように何度か瞬きをして、こちらを見上げ直した。
少女の中で止まっていた時間が動き出す。
今その瞳が映しているのは灰色の羽根ではなく、灰桜色の髪、あるいは枯野色の双眸。
うん、それでいい。
「さあ、立って。見惚れる時間はお終いだ。ちょっと転んじゃったけど、立ち上がれないほどじゃあない。だろう?」
羽根を掴み損ねた少女の手。
その小さな指を、グラスを扱うように優しく引き上げる。
割れないように丁重に。曇らないように磨いて。光も闇も透き通るように。
続けて軽く腕を引き、少女の身体をワルツのようにターンさせてあげる。
そうしてワタシと妖刀に背を向けた少女。最後にその耳元に顔を近づけ、
「帰り道は分かるね、迷子になってはいけないよ」
そう囁いて、背中を押した。
「……ッ、助けてくれて、ありがとう……ございます……!」
「またね~」
勢いよく駆け出した背中に軽く手を振ってから、ぐるりと周囲を見回す。
「逃げ遅れた人は……いないな」
騎士団は市民の避難だけに人員を割いている。ウチの眷属が通告してくれたおかげだ。
数分前まであった雑踏は綺麗に消え去っており、よってこの場に残ったのは、降ってきた灰色の羽根を払いのけられず石畳に這いつくばっている人形と、人助けをした上で単身災禍と相対するバーテンダー兼天使のみ。
「――――ああ、いい。とてもいいね」
こういうの久々だな。
羽は混濁し、瞳は枯れてしまったけれど、ワタシは今、絶対的な黒に対する白になったわけだ。
何かを守るために己が身一つで敵を討ち倒すという、とてもシンプルな構図。
迷いも憂いもなく羽を伸ばせる心地良さ。
戦いの場でやるべきことではないと分かっていながらワタシは、煙を燻らせるようにゆっくりと息を吐き出し、両腕を広げて天を仰いだ。
すると、リラックスしすぎたからだろう。
吐いた息に揺れるようにして、石畳の上に降り積もっていた羽根が僅かに動いてしまい、その下敷きになっていた人形が身体を起こそうとし始めた。
加減なんて知らず。必死に羽根の重さに抗って。口があったら叫び散らかしていただろうことが想像に易い、醜い獣の姿がそこにある。
「ふん」
指を曲げる。
「……そうはしゃぐなよ。正義の味方って快感だからさ。余韻に浸ってるんだ、少し懐かしくて」
見えない糸に引かれたように、薄墨が再び漆黒の災禍を覆う。
それでもう、終わりだ。
人形は二度とワタシの手の上から――いや。
この重く、軽い羽根の下から逃れることは、できない。
「さっきの子、ワタシを見て心の底から安心した顔をしていたなぁ……はは」
聞き心地の良いブーツの足音を響かせながら、人形へと歩み寄る。
そして顔の無い頭の前で足を止めてから、ワタシは一歩分だけ踏み出した。
「……あー、善いことをするのって――――麻薬だ」
言い終えるのと同時に、果実を踏み潰した感触。砕け散る音。塵と還る金属。
残された羽根と頭を失くした人形のお片付けが、勝者に与えられたものだった。
☆六月一日午後七時十七分
――《不死鳥騎士団》北区第一支部前。
……から、《アリステラ魔法魔術学院》高等部の校舎三階、角部屋へ。
ふと顔を上げると、控えめに開いた窓のフレームに、客人が座っていた。
髪が揺れている。
夜の中でも青い、流れるような黒髪が、淡光を纏って揺れている。
その様はまるで、個人という世界に閉じ込められた細氷――あるいは夜光虫を孕んだ海のよう。
「――気持ちのいい夜風が吹いたかと思えば。こんばんは、ユキネ」
静かな波に攫われそうな横髪を耳にかけ直して、私は客人に頭を下げた。
「やあ、カグヤ。これを」
差し出されたのは造花。
私が触れても枯れない、命の無い花。無機質にこの部屋を彩ってくれる一輪。
「いつもありがとうございます」
お気に入りの安楽椅子から立ち上がった私は窓辺に寄り、着物の袖を抑えながら、造花の茎へと指先を伸ばした。
落としてしまわないよう気を付けて。そこ以外には触れないよう気を付けて。
造花を、受け取る。瞬間。
ちくりと、まるで薔薇の棘が刺さったような、鋭くて冷たい感触が走った。
「あら、これは」
「……む。魔力の名残りだな、すまない」
「いえ、心地の良い冷たさです、ふふ。……でも」
私は両手に手袋をしている。それも、窓の外に遠くそびえた雪の嵐――彼女の妹が身に着けているマフラーと、同じ類いのモノを。
だというのに、その上からここまで強い冷気を感じるだなんて。
「――ユキネも、戦ったのですね」
「アレを戦いとは言わんさ。マネキンを一振りで粉々にしただけ。せいぜい、清掃活動といったところだよ」
「どちらにしてもご苦労様です。……妹さんのほうへは、行かなくてもよろしいのですか?」
「残念ながら、私の存在はあの子の障害にしかならないんだ」
冷たく笑うユキネ。
彼女はすぐに表情を皮肉げなものに塗り替えて、言葉を続ける。
「なに、役目は果たした。あとはあのたわけの設計にどんな粗があるか点検するくらいさ、私に許されているのは」
「またそんな言い方を……よくないですよ。自身の悪感情を煽ることは、巡り巡って自身を傷付けるだけです」
「可愛い正論だ。しかしどうも、ヤツとは反りが合わなくて仕方がない。調停者であるヤツが駆け抜けた先にあるのは、単純な勝ち負けではないんだ。みんなで笑顔になるか、みんなで痛みを分け合うか……それを勝手に決められるのは、どうにも」
水の中に沈み込むように、ユキネは座った窓枠の上で両膝を抱え込んだ。
縮こまった身体。膝の上に乗せられた頭。波に揺れる自分を見下ろすような気怠い視線は、雪の嵐のほうへと向けられて。
「……あの右腕、私ならもっと上手く使えるのに」
降って湧いたのだろう本音が、夜の海から流れ着いた。




