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鏡面のクロノスタシス  作者: 悠葵のんの
三章【月下狂乱の物語】
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22話『紅蓮の裏側で開拓されゆく道筋』

☆五月六日午後三時二十分


 ――そこは、造花を取り扱っている店だった。

 

 リタウテット中央都市、北区。

 南区より精巧で、東区より落ち着いていて、西区より小洒落ており、英国を思わせる街並みが特徴的な地区。

 その一角。《アリステラ魔法魔術学院》へと繋がる大通りから少し横道に逸れた路地に、その店はひっそりと佇んでいる。


 シックな店内。色鮮やかなのに香りのしない花たち。

 自然を模倣した芸術の園で、俺はその名を呼ぶ。


「ユキ――」


 はずだったが。彼女は隣に立った俺に手だけを伸ばし、音を発するこの唇に人差し指で封をした。

 滑らかな爪と冷たい指。

 思わぬ感触に驚いて目を見張ったが、彼女は――ユキネは変わらず造花の品定めを続ける。

 そして、そのまま十秒ほど経った頃。

 ユキネの端正な横顔に笑みが浮かび、俺の唇から指先が離れた。


「決まりだ。店主、今日はこの花を頂くよ。前払いの分はまだ残っていたな?」


 丸眼鏡を掛けて読書に耽っていた店主を振り返り、そう尋ねるユキネ。

 ちなみにその手元では、先ほど俺の唇に触れていた指が、ハンカチによって拭かれていた。

 ……拭くんだ。まあ、確かにそっちのほうが衛生的だが。


「ええ、はい。どうぞ、そのままお持ち帰りください」


「ではありがたく。……さて」


 造花――黒薔薇を優しく摘んだ彼女の視線が、ようやく俺と重なった。

 吸い込まれそうな黒い瞳。そこに込められた感情はきっと厭悪(えんお)、あるいは無。


「話があるなら道すがらに聞こう。なに、お前の話は雑踏の中で少し聞き逃すくらいがちょうどいいのでな。言いたいことは分かるだろう?」


 ……分かってはいたが、ただ話をするだけでも一筋縄ではいかなそうだ。

 しかしユキネと接触するのは今、舞台のスポットライトが吸血鬼とその幼馴染、そして通りすがりの氷の剣士に当てられているこの瞬間が好機――。


 二人きりだと胃が痛くなることの多い相手だが、気合い入れないとな。


☆五月八日午後九時十八分


 ――《made(メイド) maketh(メイクス) maid(メイド)》。

 そう書かれた扉を開けると、からん、と来店を告げるベルが鳴り響いた。


 店内は暗い。表にはクローズと札が下げられていたから、当然か。

 しかしここはリタウテット中央都市の夜も眠らない町――南区。

 窓ガラスを通して外から入ってくるけばけばしい光だけで目的の人、いや、()()が居るかどうかははっきりと窺えた。


「邪魔するぜ、アネモネ」


 店内を一望できる少し奥まった席にその姿を見つけ、そちらに足を運ぶ。

 足音に反応して、暗闇の中でも鮮やかな漆黒の瞳がこちらを覗いた。


「……珍しいお客様だね。しかも断れないって顔をしてる。いいよ、店は閉まっているけど、こっちに来て」


 そう言ってアネモネは手元にあったグラスの中身を煽り。

 それから憂いの中にいた自分を起こすように、無造作に枝垂れたパープルグレーの髪を両手で掻き上げた。


「トオミトウカ――聖剣が割り振られたあのとき、クレハ抜きの顔合わせをして以来だね」


「そうだな……正直、アンタのことは避けてた。悪かった」


 軽く頭を下げてから向かいの席に座る。

 アネモネは気にしてないと言うように、両手を軽く挙げた。


「謝る必要はないさ。ボクの目が、君の持っている何かにとって不都合だったんだろう?」


「…………」


 俺の右腕――《壊れた右腕(ブロークン・ライト)》は、触れた魔的法則を分解する力を持っている。

 そして分解された魔的要素はエトランゼ粒子へと変換され、それが一定量俺の体内に吸収されると、《扉》が開かれてタイムリープが可能となるのだが……しかしそこには問題が一つ。

 俺は《扉》の開閉を、魔的要素の吸収量を調整することでしかコントロールできない。


 つまり、一度ゲージが貯まってしまえば、この《壊れた右腕(ブロークン・ライト)》っていう必殺技は強制的に発動してしまうのだ。


 そして過去に戻った先でピンを打つこと――逆行限界のことを考えれば、俺は無限に過去に戻れるというわけではない。

 ゆえに俺は右手に手袋を着けることで、分解する魔的要素を選ぶことで切り札を温存しているのだが。

 しかし以前までのアネモネは、常に悪魔の目を使うことで、他者の心を覗き視ていた。


 そう。アネモネの視界に入ってしまうだけで俺は、その魔的干渉を右腕の外側ではなく内側を使って分解し、エトランゼ粒子を発生させてしまうという立場にあったのだ。


「だから、()()が無くなったから姿を見せたのかな。慰めに来てくれた?」


 俺は小さく、首を横に振った。


「そう言えたらいいんだが。せいぜいがミアなら檻の中でも大丈夫、くらいだ」


「それは残念、ボクが恋しいんだ。……まあ君は優しい嘘を吐く子じゃないか。むしろ、どれだけ傷を負ったとしても、ありのままの真実を受け止めることに価値を見出すタイプだ」


 否定できないな。

 今回俺は、悪魔の目に頼ることを止めたアネモネに会いに来たわけではなく。

 最愛の人であるミアが檻の中に入り、もどかしい思いをしているアネモネを励ましに来たわけでもなく。

 ただ俺の都合で、アネモネの力を利用しに来ただけなのだ。

 だったら世辞を抜きにして、責められる姿勢でいるべきだと思ってここにいる。


 ……まさか少し前に一度話しただけで、こうも見透かされているとは。

 それだけ俺が分かりやすいのか。

 それとも、悪魔の目を抜きにしても、アネモネの観察眼が優れているのか。


「さ、用件を言って。今は何でもいい。誰かのために、自分のできることをしたい気分だから。……それにほら」


 夜の淵。愛する人が側にいない悲哀を纏いつつも。

 しかし寂寞を乗り越えた瞳を浮かべ、アネモネは微笑む。

 覚めない夢を魅せるような顔で、声で、言葉は紡がれるのだ。


「ボクたち付き合いは浅いけれど、一応、お互いの願いを祝福し合った仲間だろう?」


 小さく首を傾げて上目遣いにこちらを見つめるアネモネ。

 俺はそれに惑わされるように、()()()()()のアネモネに言った。


「魂を偽装したマネキンを七体用意してほしい。そして六月一日の夜――ステージの予約を」


☆六月一日午前一時十分


 思えば、畳を踏むのは久しぶりのことかもしれなかった。


 生家は今どきの一軒家で、一部屋だけあった小さな和室なんかほとんど使うことなく、俺が六歳の頃には火事で家ごと灰になってしまったし。

 その後すぐに引き取られた家は洋館で、まあ広いところだったから、もしかしたら茶室の一つぐらいはあったかもだが……俺は風情ある文化人ってタイプでもないので、わざわざそれを探そうとも思わなかった。


 リタウテットでもそうだ。ここの文明は歪な成長を遂げていて、なまじ近代の知識があるだけに、ノスタルジックの面以外で歴史的な建築物を再現しようということは少ない。


 だからこそ、この八重城の築城などは、そのまま権威の表れにもなるのだが。


 ワビスケと名付けられた護衛に入念な身体検査をされ、俺は襖を開ける。

 厳かな空間。薄暗い照明。たおやかなシルエットが映し出された御簾。

 その向こうから、


「――トオミトウカ」


 春風のように澄んだ声が、俺の名を呼んだ。

 俺はその場に跪いて、深く頭を下げる。


「今はよい。普段通りのお前で接しなさい」


 そう言った彼女は――サキは、御簾の奥で静かに立ち上がり、上段の間から下りてくる。

 さらりと絹糸のように揺れる薄桃色の髪。可憐な彩りを添える紅色の着物。

 それらよりもっと鮮やかで、どこか妖しげな深紅の瞳。


「――――――」


 俺を射抜いたその目に、見惚れる。思わずして時を忘れる。

 それは俺が男で彼女が絶世の美女だから、とは少し違う。

 無論、八重城の城主でありこのリタウテットにおいて人間側の顔役である彼女が、問答無用で美人であることは否定しないが……。

 彼女の美しさは性愛から来るそれとはまた違った、突き詰めた芸術のような、触れてはならない奇跡のような、そういう類いのモノ。


 ゆえにこそ、生物としてではない、人間としての根源を釘付けにする何かがあるのだ。


 ほんと、何度見ても慣れないな……。

 悪魔が使う魅了(チャーム)とだって違う。魔力を使った法則ではない、けれど何かしらの力を疑いたくなるような、網膜や脳に刻み込まれる鮮烈さ。

 まるで世界そのものが彼女の宝物のように扱っているような――その一部である俺たちもまた彼女のことを無条件に愛したくなるような――ああでも、確かに。


 この世界の経緯を考えたら充分にあり得る話だ、それは。


「トウカ」


「――――ぁ」


 名前を呼ばれて我に返る。

 いけない。ついぼんやりとしてしまった。

 サキも俺の表情からそれを察して、声をかけたのだろう。

 それで話はええと、そう。普段通りの俺でいろだったか。


「ああ……堅苦しいのは苦手だから助かるよ。けどいいのか? ここは休日に訪れたバーじゃない。八重城の本丸だろう」


「つい先ほど、個人としてのわたくしを晒したばかりですからね。少しくらい余韻があっても許されましょう」


「そっか、さっきまでクレハが居たんだもんな。……話せてよかったじゃないか」


 俺が胡坐をかきながら言うと、サキは目蓋を閉じて、噛み締めるように深く頷く。


「ええ。それはもう、間違いなくこれまでの生涯で一番の、幸せなひと時でした」


 その表情はとても穏やかなものだ。

 彼女が本当の意味で笑顔を見せるのはクレハだけだろうが、それでも今のお姫様には普段とは違う、桜並木を見上げて歩いているような麗らかさが見える。


「……ですが」


 束の間を見送って。お姫様は自ら曇り空を呼び込むように、目を伏せて言葉を続けた。


「わたくしの我が儘であの子に悪影響を与えてしまわないか……多少の懸念が残ります」


「らしくないこと言うなよ。悪影響なんかあるはずないだろ」


 間髪を入れず否定すると、お姫様は僅かに眉を上げた。


「いいか、アンタのそれは絶対に我が儘じゃない。誰だって持ってるごく自然な感情(モノ)だ。それが悪いほうに転ぶというなら、そいつはきっと世界のほうが間違ってるんだよ」


「世界に生かされている存在(もの)の言葉とは思えませんね。ただそこに在るものに責任を押し付けるものではありませんよ。人の責任は、人が負わなければ」


「なら正々堂々、会えてよかったと胸を張ればいい。怖がらずに幸せを目一杯抱き締めろよ。それで周りが文句を言うなら、お姫様らしく上から従わせちまえばいいんだ」


 そもそも今回の一件でクレハが都市外への視察に駆り出されたのは、政府がレイラ・ティアーズとの繋がりを保ちたかったのと同時に、真理亜(まりあ)の息が掛かった役人がその状況を利用したからだろう。


 仕方がないとはいえ、体調を崩してしまうという不手際があったからな。

 お姫様はこの件に関しての発言権が弱く、抗えない流れが構築されていた。


 つまりクレハが都市を離れるのは真理亜の筋書きで、布石なんだ。

 その中でお姫様にできたことは、自分の言葉でクレハに役目を与えることだけで。

 ならばと、せめてもの思いで、己が責務を果たそうとして。

 それがたまたま、自らの悲願と一致してしまった。


 だったらそれは――運命だ。


 神様が敷いたレールはもう無いけれど、人と人の繋がり、縁が生み出すそれは存在していると俺は思う。

 だからきっと、そうなんだよ。


「大体、クレハとアンタが巡り逢うまでにどれだけの奇跡を必要とした? どれだけの切望が捧げられた? 叶わないはずの願いが叶ったんだ。だったら次に繋げるべきは、それを失うことへの恐れじゃない――希望だ」


 痛みに怯え、すべての感情に諦めを不随させるなんて、あまりにも虚しすぎる。

 だから心を持つ者は、明るくて温かくて、自然と笑顔になれるモノを信じ、より良い未来が訪れることを願う――つまりは希望を抱くことをしなければならない。


 でないと心の空洞が埋まることは永遠にないから。

 どんなに幸福を詰め込んだとしても、それは底に空いた孔から少しずつ零れていってしまうから。


「あんまりナイーブになってると、クレハもアンタに要らない気を遣い始めるぞ」


 自分で自分の内側に孔を空ける必要なんかあるもんか。

 要するに、素直に喜べばいいって話だ。

 そう言ってやると、お姫様は口元を袖で隠してそっと囁いた。


「お前は相変わらず、身の丈に合わないことを言う……」


 皮肉めいた言葉。しかし裏腹にその声色は、どこか親しみを抱いているような柔らかさがあった。

 身の丈か。確かに何かを語るには、俺はまだ未熟すぎる。

 だが。


「時と誕生――種類は違えど互いに奇跡を授かった者同士。無責任という責任を負うのも、使命か」


 トオミトウカの背伸びした言葉に、()()()()サキは頷いた。

 なぜなら、彼女も知っているからだろう。

 この世界には悲しいこと、どうしようもなく仕方のないことが多いけれど。

 それでもたまに、あらゆる悲劇をひっくり返せるような、それでもと立ち上がれるほど素敵な……希望(ひかり)が灯ることを。


 なら、その身を以て識ったのならば。

 世界中の誰もがソレを信じられないと叫んでも、確かに存在すると胸を張って言ってみせるのが。

 サキの言う通り、使命なのだ。


「確かに、らしくないことを言いました。ええ、今のことは忘れるように」


「ふっ、努力はするが生憎、世界の誰もが忘れても俺だけは覚えてなくちゃいけない……そういうことが多いんでね」


「……お前……」


 苦笑を浮かべてやるとサキは面倒そうに目を細めたが、すぐに諦めたようにため息を吐いた。


「はぁ……もう結構。本題を済ませましょう。早くお前を追い返し、わたくしはあの子を見送りたい」


 言うが早いかサキは素早く正座を解いて、そそくさと上段の間に戻った。

 俺としてはもう少し雑談に花を咲かせてもよかったのだが、そう言われてしまっては断れない。

 少しだけ名残惜しさを覚えて、腰を下ろしていた畳を軽く叩いてから、静かに立ち上がる。


「――トオミトウカ。これこそが、お前の目的の品でしょう」


 戻ってきたサキ。その手には、紫色の布に包まれた細長い物品が、丁寧に手折られた花のように握られている。


「……ああ、そうだ」


 それは鍵だ。使えばすぐに状況をひっくり返せるというわけではないが、しかし大きな意味をもたらす鍵。

 俺が、世界が、あの狂った夜を超えるために必要不可欠なモノだ。

 前回の六月一日には無かったそれを、俺は確かに受け取った。


「感謝する。アンタには何も伝えられなかったんだが、まさしく慧眼ってやつだ」


「アヤメがこのようにしてあの子を保険とすることは極めて不自然です。己に降りかかった災いは己が刃を以て斬り捨てる。それが彼女の意地であり誇りなのだから。しかしそれを曲げ、この剣を中央都市に残すようわたくしに提案したということは……これがどうしても、必要になるのですね?」


「…………」


 俺は沈黙をもって、それを是とした。

 同時に左手で掴んだものを、強く握り締める。

 ……重い。当然だ。これはアヤメの矜持そのものなんだ。

 前回の彼女は後手に回ったが、今回は先手に回る機会を敢えて逃し、後手に回り翻弄されることを選んだ。

 己が誓い、刃に込めた誇りを、こうして預けてくれた。


 俺も応えよう。行動で、未来へと繋がる道を開拓することで。


「ならばこれ以上の長居は無用です。トウカ、行くべきところに行きなさい。わたくしもまた、わたくしにできることをしなければなりません」


「おう」


 己を鼓舞するように声を出し、踵を返す。

 分岐点は今夜。もう目の前だ――。


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