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鏡面のクロノスタシス  作者: 悠葵のんの
三章【月下狂乱の物語】
66/81

20話『狂乱の紅月下にて、不死鳥――墜つ』

☆六月一日午後七時三十分


 平気な顔をして、生きてきた。


「ッ……ぅ、……ぁ……ぐ……!」


 妖刀災害が発生したあの日から――いや、きっとそれよりもずっと前から。

 もっと力があればとか、もっと適切な判断を下せていたらとか。

 僕の人生はそんな後悔ばっかりだ。


 件の四月十五日にのみ焦点を当ててみても、僕は眠るとき必ず、あの少年が命を背負うことのなかった道を、市民が災禍に巻き込まれることのなかった道を、暗闇の中に思い描いてしまう。


 ああ、分かっているさ。

 たらればの妄想なんてのは結局、過酷な現実をそれでもと生きようとする人たちへの冒涜でしかない。

 

 守り切れなかったことに対する非難、身を挺して戦ったことへの感謝、同情、侮蔑、賞賛、嫌悪――降り注ぐそれらは決して、僕の自責や後悔で損なわれてはいけないモノで、何よりも尊重されるべきモノで。


 ならばせめて僕にできるのは。

 僕自身に向けられるありとあらゆる感情を、きちんと受け止められる人間で在り続けることだった。


 言い訳せず、きちんと向き合って、痛みを覚えて。

 間違っても悲劇のヒーローぶるとか、自己陶酔などはしないよう、どこか頭の奥で冷静さを保って。

 ……平気な顔をして、生きてきた。


「……は、……ぁ、ッ…………!」


 それが不器用な在り方なのは理解している。

 加えて僕は特別じゃない。本当にちっぽけな人間だ。

 だから、抱くべき感情と受け取るべき感情の取捨選択を自動的に行い、どこかで仕方ないと一線を引くことが、上手くできなくて。


 そんな機械にもなりきれないこの心が、いつの日かパンクすることは目に見えていた。


「はぁ……はぁ……ふッ、う……ぅ……」


 ――ちッくしょう……慟哭が、鳴り止んでくれない……。


 心臓の少し横。胸に突き刺さった漆黒の日本刀から、今は亡き仲間たちの無念が、見知らぬ子供の悲痛な絶叫が、際限なく頭の中に流れ込んでくる。

 心は一度粉々に砕け散った。

 身体は立っているのがやっと。

 今こうして、瓦礫の海をえっちらおっちら歩けているだけでも奇跡って状態。


「……はぁ、はぁ……ッ、は…………ぁ」


 つい、考えてしまう。

 いっそこのまま恥も外聞も捨てて、理想に殉ずることができたならって。


 人はみな誰しも、己に相応しき死に場所を求めている――ってのは一体、どこで聞いた言葉だったかな。

 まったく……その通りだと痛感する。


 多くの仲間を、失った。

 それでも妖刀は何とかした。

 ならもう充分じゃないだろうか。

 あとは全部アヤメさんに任せてさ。

 それで今回の一件が終わったら、お前は立派な奴だったって、誰かが僕の墓にお酒でもぶっかけてくれたら……もうそれでいいんじゃないかって……どうにも足を止めたくなってしまう。


 過酷に目指した理想とは程遠い、綺麗で弁えた現実的選択ってやつに、僕は今流されようとしている。


「……ぅぐ、ッ……! は……ァ、……‼」


 ああ、クソ……そうだ。そうだよ。

 僕の心はさっき、完璧に折れたんだ。


 死んだ仲間をもう一度殺すことしかできなかった自分。

 本来守られるべき幼い命に助けられた自分。

 大事なときに自分の役割を果たせない無力な自分。

 

 これまで少しずつ積み上げてきた自分への落胆が、どうしたって切り捨てられなかった負の感情が……こんなときに完全に許容量を超えてしまったんだ。


 なんだかもう、どこまでも間が悪い。

 異常事態の中でも前例のない非常事態下に自棄を起こす自分そのものが、嫌で嫌で仕方がない。

 だから僕なんかは、さっさと舞台から退場するべきなんだ。

 特別で眩しい周囲の足を引っ張らないように。

 せめて汚点にならないよう少しでも格好が付く形で、消えてしまえばいいんだ。


 そして今の僕には――それが許されているような気がするんだよ。


 なぜなら多分そのうち、おそらく五分もしないうちに僕は、死ぬ。

 死に至り、深淵の中で灯るはずの炎を失くし、不死鳥の再誕など忘れたかのように、本来行くべき輪廻へと向かう。


 つまりはもう二度とこの世に戻ってこれない。

 そんな予感がしているんだ。


 いや、根拠はない。これはただの直感だ。

 だけど何となく、あの人と契約してから忘れていた、そういった死の手触りみたいなものが、さっきから僕の内側に渦巻いていて。


 ということは、だ。

 僕の目の前には今、『理想に届かなかった絶望の果てに醜く終わる』ことと、『届かない理想を追い続けている途中で綺麗に終わる』ことが、これ見よがしにぶら下げられているんだよ。


 だったら正直なところ、僕は後者を選びたい。

 望まないモノを掴んで後悔しながら終わるよりも、手を伸ばし続けながら、夢を見続けながら終わるほうが、ずっと良いに決まってるから。

 だからもう、この足を止めれば、それで満足できるんだ。


 ……そのはず、なんだけどな。

 なあツバサ……だってのにどうしてお前は、歩みを止めない?



「――――――アヤメさんの……とこ、ろへ……」



 武器が要る。


 戦いの最中、鏡が割れたような音が聞こえた。

 あれはきっと、アヤメさんが刀を砕いた音だ。


 あの人は聖剣を得るまで、そして失ってからは、ここぞというとき無銘の日本刀を使う。

 普段携えている剣のほうがずっと頑丈なのに、特別製を振るったほうがずっと強いのに、それでもこれが一番手に馴染むからと。

 そう自嘲気味に言っていたのを、今でも覚えている。


 だがもしも、それが失われてしまったのだとするなら、武器が要る。

 たとえあの人の信念に背くモノだとしても、勝つために必要な新しい刃が。


 だから、行かなければならない――託されたバトンを落とさないために。


 そうだ。あのときソフィアは、一度きりの自分の命よりも、再誕できる僕のことを優先した。

 彼女はそれが必要だと判断したから、そうした。

 ならばその、ソフィアが僕へと繋いだ大いなるナニカは、僕なんかが途切れさせてはいけないモノだ。


 ゆえに僕も、僕にできることを。必要だと判断したことを。


 他の誰でもない、不死鳥の眷属として。

 本来ひとりでは背負いきれないモノを背負ってしまっている主を、ほんの少しでも助けるために、支えるために――この一歩を踏み出し続けるんだ。


 そうしてまた、誰かに何かを託し、繋げることができたのなら。

 惨めでも、滑稽でも、僕は。

 笑って終われると思うから。



 そこに寂寞は無いと、思うから――。



☆六月一日午後七時三十五分


 瓦礫の上にその姿が見えた瞬間、身体が勝手に動いた。


「ツバサ――!」


 痛みなど無視した。障害など無視した。敵など無視した。

 使えなくなった左足で立ち上がり、突き刺さった剣も右半身の拘束も忘れて、比較的マシな右足で蹴りを放ち、その反動を使って眷属のもとへと跳んだ。

 当然飛距離は足りなかった。その空白は這いずって必死に埋めた。

 マリアに背を向けてでも、そうしてでも。

 紅い月を背にした彼に近付きたかった。


「ほう……多少格を下げたモノを使ったとはいえ、最後の最後で根性を見せたな。いいだろう、その今際の際は報酬だ」


 気まぐれか、情けか、驕りか。剣が抜けて拘束が解ける。

 だがそんなことはどうだっていい。

 とにかくその、今にも消えてしまいそうな大切な人の手を、取りたかった。


「ツバサ! ツバサ――ッ!」


 バチバチと火花が弾ける。

 我が眷属は今にも消えそうな炎を心臓に宿している。

 その少し横には漆黒の日本刀が突き刺さっており。

 それが致命傷なのは明らかだ。

 いや、それだけじゃない。

 大小を問わず傷は全身に刻み付けられていて、彼が死線を潜り抜けてきたことをこれでもかと訴えている。


「……あ、はは……お届け、もの……です。……間に……合って、良かった……」


 血も涙も乾ききったという瞳が、私の姿を映して嬉しそうに笑った。

 同時にその影が揺らめいて、無防備にも瓦礫の上に倒れようとする。

 そのすんでのところで、私はその身体を抱き留めた。


「ツバサ……よくやった。お前は頑張った……頑張ったな……」


 莫迦な、やめろ。何を励ましているんだ私は。

 これではまるで今生の別れのようじゃないか。

 すまないツバサ……こんな安易な言葉しか出てこない私が、私も憎い……。


「――、……ッ」


 駄目だ。

 口を開けても次の言葉が出ない。頭が真っ白になる。

 何をどう言えば、伝えたらいいのか分からない。


 ふざけるな。どこまで馬鹿なんだ私は。

 これまで騎士団長として、部下や多くの市民と接してきたはずだろう。

 昔よりずっと人情というモノを理解できるようになって、誰かを導くことも、綺麗事を本気で語ることもできるようになったはずだろう。


 なのに……なのにだ。痛感する。してしまう。

 騎士団長でも、剣客でもない……ただのアヤメとしての私が剥き出しにされるとき、私の心はあまりにも無防備で、両親と袂を分かたれて自分を見失った幼子のままだ。


 背負った罪悪、抱いた誇り、夢見た理想。

 それら積み上げてきた自分の何もかもが一気に崩れ去って。

 その傷を癒してやることも、その負担を軽くしてやることも、何もできず。


 眷属、部下、友人――。

 そのような一言では言い表したくない宝物のような関係が、唯一無二が失われていくのを、私はただ涙をこらえて見てることしかできない。


「う、……ぐ、ごふッ……ごほッ……」


 痛い。彼の傷が、自分の傷のように痛い。

 彼の熱がこの手に流れ、すり抜けていくごとに。

 私自身の心も熱を攫われていく……。

 寒い。凍えそうだ。嫌だ。淋しい。どうしようもない。こんなの嫌だ。駄目だ弱さを見せるな。強く気高く在れ。彼を不安にさせるな。ほら早く、言え。言ってやれ。言うんだ。騎士団長として、不死鳥の主として、彼の心を満たしてやれる言葉を……!


「――ッ、嫌だ……! お願いだ、死ぬな……死なないでくれ、ツバサ……」


 ああ――なんて、恥知らずな言葉。

 大勢を殺してきた私に、同じような命乞いを無視してきた私に、そんなことを言う権利などあるはずないのに。あってはいけないのに。

 でも思わず、口を突いて出てしまったんだ……。


「……初めて、聞き、ました……はは、そういうの……嬉しい、なぁ……」


 そっと、頬に彼の指が添えられる。

 その手には心臓から零れた炎が宿っていて、温かくて柔らかいそれが、私の傷を癒していく。

 私はすぐにやめろと言おうとしたが、言えなかった。

 だってそれには私の背中を押すような力強さがあって、それを拒絶してしまったら私は、いよいよ何もかもを裏切ってしまうと理解したから。


 だからどうしても、その手を振り払うことはできなかった。


「ツバサ……」


 不死鳥には、己の生命力を他者に分け与えられる能力がある。

 それによってツバサの命が、私の傷を癒していく。

 切れた皮膚を、折れた骨を、千切れた筋肉を、失われた血液を、冷めかけていた熱を少しずつ補っていく。

 私の中に、彼が満ちて。

 触れた炎は線香花火のように何度も弾けて。

 その度に見ていられないほど綺麗に輝いて。

 目を逸らすと、彼の本当に穏やかな笑みが瞳の中に飛び込んできて。

 身体が軽くなる。心に(ねつ)が灯る。

 再び立ち上がるだけの力が、何者でもないアヤメが、目を覚ます。


「アヤメさん、勝って――」


 無邪気な声。力が抜けて頬から離れていく手を、私はしかと掴んだ。


「ツバサ……ッ‼」


 直後、死を迎えた彼の胸に再誕の炎が点火する。

 そしてその小さな火種は、私の微かな希望を抱え込んで。

 瞬間――あっけなく消え失せた。


「……………………」


 予感は的中してしまったのだと、無感動に思う。

 半分に切り分けられた期待と落胆によって、心は凪いだ水面のように揺れず。

 けれど涙が溢れて止まらない。


 不死鳥の輪廻転生は破られた。

 理屈も何も不明のまま、その事実は確かに私の中に降り注ぐ。

 ツバサの身体は灰になることも、生まれ直すこともなかった。

 彼は私の腕の中で、静かに息を引き取ったのだ。

 実感が追い付いた束の間の後、私は叫んだ。


「                                 」


 咆哮は声にならず、無音だけが鳴り響く。

 その静寂は、喪失の悲しみと鎮魂の祈りが生み出した、尊ばれるべきひととき。

 しかしそれも長くは続かない。


 ぱん、ぱん、ぱん――と音がした。


 それは遠くのほうで響いた爆発音でもあったし、素敵な一幕が見られたとでも言いたげに拍手を送る聖母のものでもあった。

 まったく本当に、嫌になるくらい。

 紅い月の下、狂乱に包まれる町が。

 七刃を向け、戦場に立つ襲撃者が。


 お前の戦いはまだ終わっていないぞと、我が身を駆り立ててくる――。


 ……そうだな。

 勝てと、言われたんだものな。

 そのために私は、立ち上がる力と立ち向かう武器を繋げられたのだものな。

 手を伸ばす。

 ツバサの胸に突き刺さった、血と肉と怨嗟に塗れたその刀へ。


「――私を助けてくれてありがとう。

 使わせてもらうよ、ツバサ。君に心からの敬意と感謝を」


 もう片方の手で優しく愛おしく、孤独を埋めるように彼の頬を撫でる。

 それから一息に妖刀を引き抜き、流れ込んでくる慟哭を抱擁しながら私は、漆黒の切っ先を獲物へと向けた。


「ふっ、寂寞なる不死鳥に授けるよ――我が妖刀を」


「……たわけ。ツバサが身命を賭して私に繋いだモノ。その意味が分からぬほど鬼畜生でもあるまいに」


「殺人鬼がぬかしてくれる」


「そうか、地に足がついていない()()()()()に見えたものでな……」


 刹那、私は妖刀を二度振るった。

 割断せしは認識阻害の法則と、私自身の頭髪。

 血濡れの髪が羽根となって戦場に散り落ちて、同時に不可視の剣がやっとこの瞳に映り込んだ。

 数は計七本か。一本はマリアの手に。残りの六本の剣たちは重力を忘れたように、周囲を浮遊している。

 私がそれを目で追ってみせると、マリアは平然を装ってこう呟いた。


「今……法則(まほう)を、斬ったのか」


「私との繋がりが強固だった。ゆえに可能だった。そして次は――貴様と月の冥府との繋がりを断ち斬る」


 マリアは僅かに眉根を寄せた。

 どうやらツバサの死が私にもたらした推測のひとつ目は当たりのようだ。

 本来破られることのない輪廻転生への介入。魂への干渉。そして地上には存在しないはずの技術。

 解けてしまえば、答は単純だった。


 要はマリアは、地上(うち)には無い法則(モノ)宇宙(そと)から持ち込んだのだ。


 ああ、見事に一本取られたと言わざるを得ない。

 まさか月を背後に付けるとはな。どのようにして意思疎通を図ったのやら。


 まあそれが分かったところで、やはりその真意は見えないままだ。

 マリアはそこまでして私に挑んでいるが、けれどそれが決死の行動だとも思えない。

 彼女はもっと大局を見据えていて、その過程で障害となる小石を丁寧に取り除いているに過ぎないとさえ感じられる。


 不死鳥の殺害はあくまで通過点――。


 だとしてもとにかく、マリアが私を殺すつもりなのははっきりしていて。

 私かマリアか。どちらかが死ぬまで決着が付くことはないのだろう。


 となればまずは、ヤツを確実に屠るため、《傘》を復活させる。

 不死鳥の輪廻転生を破ったのがマリアではなく月だとするならば、その手段は紅い月光だ。

 ゆえに私は、舞い散らした羽根を一本ずつ使い魔へと変化させていく。


「無駄なことを」


 マリアはその手に持っていた限りなく透明に近い、硝子の剣を強く握りしめた。

 瞬間、顕現した火の鳥が次々と燃え尽きたように消失する。

 なるほど、アレが最初に私の炎を打ち消した元凶だったか。


 しかし見たところ――すでに灯っていたツバサの炎には無力のようだった。


 私は間髪をいれずに次なる個体を顕現。

 当然マリアはすぐに再び消失を実行する。

 ヤツには無視をするという選択肢はない。

 なぜなら火の鳥の顕現が一体でも果たされてしまえば、月の明かりは遮られ、不死鳥を殺すことができなくなるからだ。

 ゆえにどうしたって、マリアは対処せざるを得ない。


 そうやって私が彼女に強いるのは、使い魔を消されるたびに生み出し、生み出すたびに消されるという秒単位の攻防――これが何を意味するのか。


「……小癪な……、《キング・オブ・デザイア》!」


 その意図に一瞬遅れて気付いたマリアは、言霊を唱えて空の手を振り下ろした。

 それに呼応して、浮遊していた六本の剣が宙を翔ける弾丸として射出される。


 悟ったな。私がその硝子の剣の能力を分析していることに。

 使い魔の顕現を続けながら私は、妖刀の試運転がてら、向かい来る剣に最高速の居合を解き放った。


「ふんッ―――‼」


 刃のぶつかり合う音は六度。

 いずれの剣も刹那のうちに、私という着弾点を大きく逸れるよう弾き飛ばした。


「悪くない使い心地だ。速く振るえ、深く斬れる」


 それを最も実感できたのは、向かってきた中で四本目――アレが先ほど私の右半身を拘束していた、刀身に変形機構を有した剣だったようだが、この漆黒の刃は向こうのソレよりも速く剣閃を描いた。


 つまりもう、我が刃が妨げられる機会は存在しない、ということだ。


「……くッ……」


 奥歯を噛み締めたマリアは、遠隔操作している六本の剣を再び操作し私――ではなく、その背後に顕現した火の鳥へと向かわせた。

 なぜならば、本来であれば硝子の剣の能力だけで処理されるはずの火の鳥が、軽く見積もって二十体は顕現しているのを目撃したからだろう。

 花火のように打ち上がる火の鳥を、

 六本の剣が弾丸の雨を演じて撃ち落としていく。


 構うものか。これで分析は完了した。

 ――掴み取ったイメージは、波。


 硝子の剣にはおそらく、魔法魔術が実行された直後に波のようなモノを放つことで、その法則を打ち消すことができるという能力が備わっている。それに加えてその波は何度も使用できるときた。

 さすがに魔力消費はしているだろうし、月に頼った以上は不死鳥の再誕など無効化できない法則もあるのだろうが、それを差し引いてもなんとも反則じみた力だ。


 けれど、それでも弱点は存在している。

 だってそうだろう。能力を複数回使用できるということはつまり、そこには時間的制限があるということなのだから。


「――タイムラグは一秒と少し。それこそが、一度発揮された剣の能力が再使用できるようになるまでの硬直時間だな。その間隙を突けば、私の炎は無効化されない。使い魔の顕現は可能というわけだ」


 片っ端から使い魔を顕現させ、消失した個体とされなかった個体を見て導き出した結論を告げる。


「…………」


「さらにツバサの炎に干渉しなかったところを見るに、その剣は発動を許してから一定時間が過ぎた法則には手出しできない。だから直接撃ち落とすしかないのだろう? 当たっているな?」


「途端に、得意げだな」


「これ以上の言葉は不要か? ……ならば」


 背後では空舞う剣が檻を描き、飛び立つ火の鳥を悉く閉じ込め(うちおとし)てゆく。

 だがそれに対するこちらは、人間の頭髪と同数の、およそ十万体の使い魔。


 一度に顕現できる数が限られているゆえ、今はまだ処理が追い付いているようだが、そのうち一体でも《傘》に辿り着いてしまえば、不死鳥の再誕を妨げるモノは遮られ、マリアは半永久的なる殺し合いを私に挑むことになる。

 そうなればいかにヤツでも勝ち目はないだろう。


 これはもはや真剣勝負にあらず。

 駆け引きも読み合いも存在しないただの我慢比べ。

 勝利は遠からず約束された。

 私はしばらくの間、ヤツをあしらうだけで構わない。

 そうとも、理解しているよ。


 だが――すまないな。


 私はこれでも、ひどく怒りを覚えているんだ。

 だってヤツは市民を殺し、仲間を殺し。

 何より私の大切な人さえもその手にかけた。

 そんなクソ女を、一刻も早くこの手でぶち殺したいと思うのは――殺人鬼だって同じだ。


 ゆえに、タイムアップなど待っていられない。

 私は妖刀を構え、刃を向けて、告げる。


「決着をつけよう、サンモトマリア。

 いい加減、この狂った夜を終わらせるぞ――!」


「お前程度で躓いてなるものか、オオトリ・アヤメ‼」


 マリアは硝子の剣を構えて、力強く吠えた。

 刹那、再び殺し合いの幕が開ける。

 互いに瓦礫を蹴り飛ばし、見えない何かに引かれるように交差する。


「ふ――‼」


「――は!」


 光を通して姿を現す硝子と。闇に染まり死を運ぶ漆黒。

 ふたつの刃が耳障りな金切り音を響かせ、剣戟は幾重にも切り結ばれる。


 生憎と不可視の鎧については手付かずのままだが、問題ない。

 二、三度打ち合えば分かる。マリアは様々な武装を使いこそすれど、その本質はおそらく剣士(つかいて)ではなく刀鍛冶(つくりて)

 一対一の剣技の比べ合いとなれば、力量はこちらが圧倒的に上を往く――!


「甘い‼」


 マリアを容易く捻じ伏せて叩き込むのは居合、鎧通し、搦め手に体術。

 斬れない鎧を想定した戦法に変わりはないが、ツバサが傷を癒してくれたおかげで、身体は全盛期と同じパフォーマンスを発揮できている。

 ゆえにもっと早く、速く、疾く――ずっと強く、深く、鋭く。

 私の刃はヤツを圧倒できる。


「ぐ、ぅぅう⁉ ――――ッ、ちぃ‼」


 それでもマリアは必死に食らいついてきたが、一度の振り下ろしには二度の居合で返し、二度の切り返しには三度の剣閃で打ちのめした。

 そうして何度目かの攻撃がマリアの腹部を捉えたそのとき、着実に蓄積していたダメージが一気に破裂する。


「がハ――ッ⁉ あ、ぁぁ…………」


 不可視の鎧の内側に、吐き出されたマリアの血液が流れる。

 衝撃で折れた肋骨が内臓を破ったな。

 堪らず瓦礫の上に膝を突いたマリアに、不敵さすら捨てた純然たる殺意をもって追撃する私。

 剣一本構えた程度を防御とは呼べないと一刀を浴びせ、仰向けに倒れるマリア。

 逃がさないようその胴体を踵で抑えながら、妖刀の切っ先を首元めがけて突き立てる。


「ぅ、ううッ……‼」


 それを何とか硝子の剣で弾きながらも、返す刀で斬首刑のように迫る刃を受け止める形となったマリアは、苦悶の表情を浮かべていた。

 懸命に私を見返す紫色の瞳には、かつて、いや――今なお抱かれ続ける慣れ親しんだ感情が滲んでいる。


「――畏れているな、この《剣客殺女(わたし)》を」


「あぁ、認めるとも……お前のほうが強いと……! 同時に、最初からソレを出していれば、ッ……お前の大切な眷属は死ななかっただろうともな……‼」


 信念に背いた妖刀(とくべつ)

 それを手に取ったからこそ、私は魔法を斬ることが可能となり、こうして未知の武装に対抗できている。

 マリアはそう、私の内にある屈辱を的確に詰ったが。

 しかし真に生きるか死ぬか、勝つか負けるかという究極の場において、そのようなことを気にするよう殺人鬼は造られていない。


 相手をこの場で確実に殺害する。

 極限まで突き詰められたその専心は、何においても覆ることはない。

 目的を果たすまでは機械のように、我が身体、我が刃は止まることを知らない。


 目的は注意を引くことだった。私の狙いがあくまでもマリアの首を落とすことにあると思わせるためだった。

 それもこの、鍔迫り合いとも呼べない一方的な押し付けで果たされただろう。

 研ぎ澄まされた殺意はやがて透明に。

 刀捌きには凪いだ水面のように静謐が宿り。

 ()()という行為は何の前触れもなく極自然に果たされる。


 一瞬。

 たったそれだけで私は、硝子の剣をマリアの手から弾き飛ばし。

 そして武器を失ったその右腕を、斬断した。


「ッ――⁉⁉⁉」


 血液が噴水のように鎧の外へと弾け、遠くのほうでぼとり、と肉片の落ちた音が木霊する。

 悲鳴を上げないのは意地か、それとも単に声が出なかったのか。

 どちらにせよ、やっと有効打を入れられた。

 それも致命的なモノを。


「貴様の鎧は硬いよ。だが、どういうワケか、右腕だけその強度に問題があった」


 鎧に耐えられる妖刀で何度も打ち込むことによって、把握できた急所。

 上手く偽装していたようだが、そこだけがまるで材質が違った。

 それを悟った瞬間。斬れる、そう直感が囁いたのだ。

 そして結果は裏切らなかった。

 マリアは額に脂汗を滲ませて、声を絞り出した。

 

「……ぐ、《グリュック・エィーレ》……」


 その言霊に呼応して、未だ火の鳥を迎撃している六本の内の一本が向かってくるのを捉えた。

 刀身に一筋の深緑の光が引かれているそれが、どうもマリアにとっての命綱らしい。

 だが、例え剣が弾丸の如き速度で向かってこようが、この距離ならば私が刀を動かすほうが何秒も先を行く。


「遅い!」


 これで決める。残念ながら妖刀ですら鎧に刃を通すことはできなかったが、穴を開けることはできた。

 右腕の切断面から刃を差し込み、内側をかき混ぜる。

 それでこの殺し合いは終わ――――――――、



「――――なん、だ――――?」



 理解が、追い付かなかった。

 否。端から理解できない、モノだった。


「身体が――動か、ない――!」


 私は今、何をしている?

 案ずるな。問題ない。すべて把握している。掌握している。

 思考は途切れることなく連続していて正常そのもの。の、はずだ。

 マリアが剣を呼び寄せた零点数秒後。

 私は間違いなく、踏みつけていたマリアの身体を蹴り飛ばし、右腕の()()()()()に妖刀を突っ込んだ。


 本当に、あと少しで刃は二の腕から体内に侵入し、心臓ごと内部をぐちゃぐちゃにしていた。

 だが実際には、それは叶わなかった。

 刃はマリアの身体に触れることすら許されなかった。

 なぜならば、空のマリアの左手が、まるで盾でも構えるかのようにソレを突き出したから。


 ソレは――()()()だった。


 何の変哲もない。けれど何が書かれているのか解読不能な、紙っぺらだった。

 鎧の強度なんてあるはずのない、とっさの防御性能など期待するほうがおかしい代物。

 だというのに、私の刃は止まった。殺害は果たされなかった。


 なぜ。それだけが分からない。考えることすらおぼつかない。

 どう考えたってあと数センチ腕を動かせばそれで決着がつくというのに。

 まるで母親が子供を人質に取られたかのような、あるいは子供が母親にそう命じられたかのような。

 理屈や感情よりももっと根源的な、生命としてプログラムされた禁忌のように。

 それを破ることが――どうしても叶わない。


「誇れ、オオトリ・アヤメ。この壁が無ければ私は負けていた」


 いつの間にか元に戻った右腕に剣を持っていたマリアが、言う。


「これは【■■】の原本。理解できなくとも分かるだろう――お前たちにとっては、何があっても失われてはいけないモノだと」


 なんだ、マリアは一体何を言っている。

 その疑問が、曇りなき殺意に毒を仕込み、濁らせた。


「―――――ぁ」


 気が付くと、心臓に硝子の剣が突き刺さっていた。

 それだけじゃない。

 ほかの六本の剣も、残さず、私のあらゆるところを貫いている。

 身体が倒れる。墜ちる。光が途絶え、灯火が燃え尽きる。

 私はもう死んだ。この世には大事なモノを託されてもなお、ドラマティックな死が訪れないこともあるのだと教えるように、あっけなく終わった。


 それでも続いているこの思考は、余韻や余熱のようなもの。

 何もできないまま、ただ、完全なる死の一歩手前に、意味を見いだそうとして、結局は何も成し得ない束の間。

 このときの私にできたのは。

 せいぜいが音を()()()、受け止めることだけだった。


「まったく本当に無駄な足掻きをしてくれた……」



 







































「いいや――決して無駄じゃなかったよ。ああ、絶対に」



















































☆六月一日午後七時五十九分


「――遠見(とおみ)桐花(とうか)


「なんだよ真理亜(まりあ)。その顔、もしかして紅羽(くれは)が来たと思ったか? だったらご期待に添えなくて悪いな。でも、ああ。これは今のお前だけに伝えるけどさ――今回の俺の役割は、あいつをこの場に居合わせることだと思うんだ。だから……」


 右手に嵌めた手袋を外す。

 露わになったのは、一見なんてことのない普通の手。

 だが降り注ぐ紅い月光に触れた途端、ソレは光を分解して別の光を生み出す。

 場に満ちていく虹色の粒子。

 少しずつ、()が書き換えられていくのを感じる。

 じきに黒は白へ。黒は紫へ。

 魂は扉を開き、灯火の世界に誘われる。


「誰かはツバサに。ツバサはアヤメに。そして次は、俺が繋げるよ」


 静かに、けれど揺るぎない眼差しを向ける。

 すると彼女は一瞬だけ俺を侮蔑するような目をしたが、すぐにまた、あの日から纏わりついている冷徹さを取り戻した。

 いや、多分ずっと、そっちが真理亜の本当だったのだろう。

 止まった時を動かすために、何もかもを利用し、裏切り、真実を手に入れると誓ったその瞳。

 ゆえに素顔のままで、真理亜は言うのだ。


「ねえ。私たちってまだ、素晴らしき友達よね?」


「だから俺も神澄(かすみ)もここに立ってる。友達として、諦めないためにな」


 迷いなく答え、俺は空間を撫でるように右腕を振るった。


「《壊れた右腕(ブロークン・ライト)》――」


 さあ、今回も始めようか。

 傲慢でクソったれな調停者気取りの旅を。


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