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鏡面のクロノスタシス  作者: 悠葵のんの
三章【月下狂乱の物語】
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19話『白金が振るいし七刃、唐紅に濡れ』

☆六月一日午後七時十七分


 夜より(くら)く、水底より穏やかな深淵。

 そこにぽつんと上も下もなく揺蕩(たゆた)いながら、動かない身体を少しずつ波に攫われながら。

 生の重量も死の喪失もない、解放的な感覚そのものへと溶けていく自分。


 その甘美なる微睡みの中、しかし私の胸に、炎が灯った。


 途端、全身が鉛のように重くなり、酸欠の苦しさに喘いで、足首を掴む冷たい手を振り払うため、私は水面へと手を伸ばす。


 引き伸ばされていた時間が戻る。

 直前まで続いていた思考が再開する。


 ――東西南北に出現した妖刀。

 おそらくはそれを起因として発生した朱色の閃光。

 それは特殊礼装をあっさりと貫通し、私は爆炎と瓦礫に圧し潰され、致命的な損傷を許してしまった。

 中央――《不死鳥(ナイツ・オブ)騎士団(・フェネクス)》本部は間違いなく壊滅状態に陥っただろう。


 敵の攻撃手段は、遠距離からの爆撃ではない。

 爆発の発生は内部からだった。

 つまりは本部の内側に起爆装置が仕掛けられていた。

 それもどれかひとつが起爆するだけで各爆弾が連鎖し、建物を瞬時に粉々にできるよう、要所を的確に押さえた設置で……やはり内部情報が漏れていた。


 しかし、そこまでは想定内だった。

 それを踏まえた上で防衛体制は構築された。

 人も建物も、物理と魔の両方に対して充分な堅牢さを有していた。


 要塞化したこの本部を突き崩せる勢力は、ティアーズ卿のような例外を除いて今のリタウテットには存在しない……はずだったんだが、結果はこのザマだ。


 一体我々は、どのようにして危機を見逃した?

 予兆は?

 違和感はあったか?

 ここまでの威力を持つ爆弾……そのような技術がどこに?

 秘密裏に資源を確保できるとしたら、まさか八重城に間者が?


 あるいは……。


「――――――」


 手のひらに()()()()を覚えたとき、再誕は果たされたのだと目蓋を開いた。


 ――醜い、月だ。


 満月には遠い、三日月とも呼べない、中途半端な月。

 だというのに中空に浮かぶその(あか)い月は、いつにも増して爛々と輝いている。

 おかげで都市の明かりがひとつひとつ潰えていくのが嫌でもよく分かる。


 天と地を遮る建物はない。空へと立ち上る黒煙ではその輝きは阻めない。

 ならば早急に、《傘》が必要だ。


 人の身にあの輝きは毒でしかない。

 眼球を突き刺し、脳を揺さぶり溶かし、精神を狂乱へと導く月明かり。

 このままでは中央都市全域の人間が、あるいは増加傾向にあるその効力であれば魔族までもが、その狂気(しせん)に侵されかねないのだから。


 それを防ぐための、不死鳥の炎を燃料とした魔力防壁を、今すぐにでも。


「――――」


 今背中を預けている冷たい瓦礫の下。果たして生存者は何人いる?

 ゆらりと身体を起こし、月に背を向ける。

 左手には普段携えている剣、ではなく一本の日本刀。

 その柄にそっと、重く、右手を添えた。


 そして抜刀――一閃。


 紅い月光が刃に反射するよりも早く刀身は解き放たれ、即座に鞘に納められる。

 斬撃は、既に用を成した。

 納刀と同時に突風が吹き荒れ、瓦礫の山と化した騎士団本部は左右に両断。道が斬り開かれる。


 そうだ。この一刀は、本部地下に設置されている《傘》本体までの()()()を取り除くために振るわれた。燃料となる炎を一刻も早く灯すために。


 たとえまだそこに、かろうじて命を繋いでいる団員が居たとしても――私の居合に巻き込まれたとしても。

 月光に抗う力を持たない市民を守るためには、そうするしかないと判断した。


 恨んでくれて構わない。私はそれを一片も残さずに背負うよ。そしていつか理想の果てで、相応しい咎を以て清算しよう。


 あるいは、それすら烏滸がましいというのであれば、惨めに泣いて喚いて赦しを乞い、無様を晒して失墜しよう。


 それとも、私みたいな人斬りに笑顔で付いてきてくれたヤツらだ。しばらく引きずってくれたら充分だと笑って、そして必ず敵を斃せと言うだろうか……。


 いずれにしても私は、その御心のままに。この身を捧げると誓う――。


 四方。遠くで燃え盛る炎と慟哭。中央都市全体が混乱に包まれる中、中心部であるここだけが、既に戦場跡のように寂寞に包まれていて。


 けれど墓標のように積み上がった瓦礫を斬り裂き、反転攻勢(わたし)(ほのお)が今、灯される――そのとき。


 背後から、足音が聞こえた。

 視界の端で揺れたプラチナブロンドを捉え、私はその名を呼ぶ。



「――サンモト、マリア」



☆六月一日午後七時十七分


 心臓が再び動き出した。

 目蓋を開く。

 空に浮かぶ紅い月を朧げに眺める。

 不死鳥の炎をこの身に纏う。

 身体を起こす。

 赤く染まった前髪が視界を覆う。

 その僅かな隙間から腕を見つける。

 見覚えのある指輪を嵌めた、二の腕から先しかない左腕を呆然と見つめる。

 両手で顔を覆う。

 守れなかった自分を心の中でぐちゃぐちゃにする。

 眼前にそびえる瓦礫の山を正視する。

 下敷きになっていたら生き返ったところで身動きは取れなかっただろうと悟る。

 ひとりの女の子の選択に、精一杯の敬意を抱く。

 遠くの空に風切り音を聞く。

 自分と同じように建物の外に放り出されながら、しかし命を落としてしまった団員の胸に、飛来した漆黒の日本刀が突き刺さる。

 一体、二体、三体。

 燃え盛る町並みと立ち上る黒煙を背に、幽鬼が現れる。

 周りに誰も戦える者が居ないことを確認する。

 強く握った剣を一息に引き抜く。

 仲間、だった者に剣先を向ける。


「――――ッ、ぁぁぁぁぁあああああああああァァァァ――‼‼‼」


 哀惜。万謝。慨嘆。激昂。奮起。覚悟。

 籠められる限りの想いを詰めて叫んで。


 そうして僕は――災禍との戦いに臨んだ。


☆六月一日午後七時十八分


「…………」


 死人のように光を失った紫色の瞳が、こちらを覗いている。


 確かいつかの彼女は白く清純な装いをしていたと記憶しているが、騎士団を襲撃し都市に妖刀という災禍を放った元凶は今、漆黒の外套にその身を包んでいた。

 その下は学生服、か。

 あれが彼女なりの、戦いに挑むときの正装なのだな。


 いやまさか、自らその姿を現すとは。

 私の前に首を晒しても生き残るだけの自信があるということか。

 それが実力の伴った分析か、幼さゆえの蛮勇なのかは分からない。


 ただとにかく、私が真っ先にするべきは市民の安全の確保だ。


 マリアとの距離、およそ二十メートル。

 私はその姿を視界の端で捉えつつ、右手で髪の毛を数本引き抜き、そのまま宙に放った。


 するとすぐに髪の一本一本はそれぞれ羽根に形を変え、さらに羽根は炎を纏った鳥へと――使い魔として顕現した炎鳥は計五体。

 東西南北に一体ずつ偵察として送り、残りの一体は《傘》の燃料となるよう指示を出す。


 ……はずが、目を疑った。

 どういうわけか、鳥たちは翼を広げる前に音もなく消失したのだ。


「――――ほう」


 私自身の魔力に不足はない。

 ならばこれは、不死鳥の炎が外的要因によって制約を無視して消された、と見ていいだろう。


 それは、私が不死鳥を受け継いでから初めて直面する事態だ。

 どうやらマリアは、使用者の死をトリガーとすることでしか消えないはずの炎を、無効化する手段を有しているらしい。


 どのような法則が働いたのか不明だが、対策は万全というわけか。


 だがこの程度で動揺している暇などない。

 すぐに行動の優先順位を書き換えて、意識を完全に外敵へと集中する。


 先にヤツを片付けなければ、役割を果たせないというのならば。


「現時刻をもって指名手配犯サンモトマリアを征伐対象と認定。クレハには悪いが……」


 紅月(あかつき)症候群の末期症状が現れるまでの時間を考えれば、生かさず殺さずの状態に持ち込む余裕などないだろう。

 ゆえに、速やかに。



「――貴様を始末する」



 そう宣言すると自然、スイッチを入れたように感覚が切り替わった。

 リタウテット中央都市の治安を守る騎士団長オオトリ・アヤメではない、ただひたすらに人を殺めることでしか己が存在を証明できなかった――《剣客殺女(けんきゃくあやめ)》としての回路が開いていく。


 射殺さんばかりの眼差しで獲物を捉え、呼吸は深く短く、腰を落とし鯉口を切り、居合の構えに移行。


 白銀の聖剣――《オース・オブ・シルヴァライズ》はこの手を離れたが。

 ああ、やはり。どこまでいってもこの手には。


 権威も歴史も飾り気もない、無銘(ただ)日本刀(ころしのどうぐ)がよく馴染む――。


 いざ、発射台と弾頭の構築は完了した。

 時間にして一秒。かつて幾度となく心構えが整わずとも刀を抜いていた過去を思えば、贅沢過ぎる時間だ。とても戦場に居るとは思えない行為だ。


 これを、マリアが余裕から見逃したと解釈するべきか。

 あるいは単に、無法の殺し合いという部分で経験の差が出たか。

 彼女の歳を思えば後者だと考えたいところだが――。


 どの位置、どの角度、どの体勢からでも零点以下の速度で首を落とすことのできる構造が完成した瞬間、彼女の瑞々しくも青白い唇が動いた。


「不健全な命の使い方をしてよく言う。形在るモノは死から逃れられないのが道理なのだから、オオトリ――」



 ――――紫電一閃。剣客、抜刀。



 神速の居合切りがサンモトマリアの首元向けて放たれる。

 否。既に斬撃は放たれ、見事命中し、納刀が行われ、そして私は()()()を放つために動いている。


「チッ――――‼」


 なぜならば必殺であったはずの一撃が、命を狩り損ねたからだ。


 マリアが何をしたのかは分からない。武器も構えずにただ立っていただけのようにしか見えなかった。

 しかし不意を突いたにも関わらず、私の一刀は防がれた。

 それは躱すとか受け流すとかいう話ではない。

 これ以上力を籠めればこちらの刃が砕け散る。

 そう直感するほど圧倒的な防御によって、受け止められたのだ。


 斬ると決めたモノは実体が有ろうが無かろうが斬り捨ててきたが、どうやらマリアは相当頑丈な、そして目には見えない鎧を身に纏っているようだ。


 その感覚をもとに私は思考するよりも早く、居合の体勢よりもさらに深く腰を落とし、回し蹴りを繰り出す。


「――ふッ、――ゥ‼」


 胴体に命中。僅かに宙に浮いたマリアの身体。すかさず背後に移動、さらに姿勢を低くし、全身をバネに見立ててマリアを蹴り上げる。そして空中という、衝撃の逃げ場のない舞台を用意し終えたところで、再び神速は駆け抜ける。


 斬撃を通さないのであれば、打撃によって内側を破壊するまで――。


 次なる一手として繰り出すのは、所謂、技としての鎧通しだ。

 無論我流。本来徒手空拳で使われるはずの技を、わざわざ日本刀でやる意味はないだろう。

 だが少なくとも私は打ち物でしかできず、できる以上やらない手はない。


 全身全霊。乾坤一擲。先ほどは従った直感を敢えて無視し、刃を砕くつもりで渾身の一撃を叩きこむ。


「――――ッッッ‼‼‼」


 刀身が炸裂し、鏡が割れるような甲高い音が響いた。

 烈風が荒び、花の如く散った鈍色の刀身が舞い上がる。


 今のは入った。だが浅いな。鎖骨か肋骨を折った程度。

 外見だけ見れば無傷のように綺麗なマリアの身体が、真っ逆さまに地上へと墜ちていく。

 私は柄だけになった刀を捨てて、最速で駆け出した。


 向かう先はマリアが落着する地点。

 道中、爆風で飛ばされてきたのであろう担い手を失った剣を流れるように回収し、居合の構えで固定。追撃体勢に入る。

 しかし、その刹那。


 落下途中のマリアを覆い隠した黒煙の中から――何かが飛んできた。


「ッ、――ふ!」


 私は不可視のソレを直感で弾き飛ばした。

 否……砕くつもりだったができなかったと言ったほうが正しい。


 刀身で受けた感触と響いた音から推察するに、どうやらそれは剣のようだった。

 少なくとも日本刀ではない。

 いや、西洋剣だとしても少し歪な形のように感じたが――問題なのは鎧と同程度だと思われる強度と、何よりその姿が一切目視できなかったことだ。


 透明な剣。鎧と同様の能力が働いているのか。あるいは私の認識そのものが改竄されているのか。


 後者であるならばそれこそが、この事態に至る予兆を見逃した要因なのかもしれない。

 と、確実なる殺害のために、絶えず走り続ける冷徹な分析思考だが――しかし。


「まだ来るか……!」


 向かい来る二本目の剣が――正確には剣に込められた殺意が――それを遮った。

 私は再び剣を振るい、あてずっぽうでそれを弾き飛ばす。

 気配はまだある。三本目、さらに次、四本目!


「な、に――⁉」


 不覚にも驚きの声が漏れた。

 四番目の飛翔体は剣ではなく、何か別の拘束具のようなモノだったらしい。


 刃が接触するのと同時にソレは私の右腕に張り付き、蛸の触手のように分かれた紐状のナニカが、右半身の稼働を制限した。


 目には見えないが感覚としては、骨折患者のように右腕を上肢固定帯で固定され、それをそのまま胴体に括りつけられたといったところ。


「――ぐッ、――ッ‼」


 そのうえこの拘束具、一体どのような素材を使っているのか、どれだけ強引に引き千切ろうとしてもびくともしないではないか。

 ここまで絶対的な硬度――私の知る限りでは折れない刀身を持つ聖剣ぐらいなものだが、ともかくこの状況を脱するためには人体の維持を放棄する以外ない。


 となれば即座に舌を噛み切って自害し、この身を灰に、そして拘束が外れたところで再誕するべきか!


 ここまでの判断で一秒。そして喘ぐように舌を突き出そうとした次の一秒。

 最高速の抜刀が封じられた、その致命的な瞬間を見逃さない透明の殺意が、正面から肉薄してくる。


 いや――それだけではない。気配は背後からも。

 まさかとは思うが、先ほど弾き飛ばした三本の剣が、ミサイルやドローンのように自立して稼働しているのではなかろうな……!


「ちィ――ッ……‼」


 全包囲攻撃(オールレンジ)に対応するのは不可能と見切り、囲まれる前に全力で真横に跳ぶ。

 その際、左手に握っていた刀の鞘で、正面の二本を何とか受け流しはしたが。

 とっさの回避行動も虚しく、正面の残り一本と追尾してきた背後の三本を避けるまでには至らなかった。


「ッ……ぐ……」


 私としたことが……右肩と右太腿、左のアキレス腱もやられたな。軽傷は刃が掠っただけの左側頭部ぐらいか。

 拘束は未だ解かれず、肩から足にかけて三本の剣が突き刺さっているこの現状。


「…………」


 立っていられず、瓦礫の上に膝を突く。

 するとマリアが余裕そうに、私の前に歩いてきた。

 その落ち着いた呼吸や足運びから察するに、先ほど与えたであろう傷は既に治癒されてしまったようだ。


「どうした。紅い月光は降り注いでいるぞ。するとどうだ。お前は《傘》に回していた魔力を惜しみなく私に注げるはずだが? 私が話している最中に不意を突いてこれか」


「…………」


 ただでさえ月光が鬱陶しいというのに、視界の左半分が流血で赤く滲む。


 それを拭うこともできないまま私は、舌を噛み切るか、あるいは身体を貫いている剣を利用するか、再誕までの経路を複数組み立ててみる。


 やろうと思えば、自刃自体はいつでもできるだろう。

 ――が、しかし。直感が告げる。

 何千何万という剣客と相対してきた経験が、囁いている。


 実を言えば、先ほどの攻撃を回避するという選択を下したのもそれが原因なのだが、どうにもマリアには何か、不死鳥である私を殺す手立てがあるような気がしてならないのだ。


 それは命のやり取りの中で触れた空気感。

 戦人(いくさびと)としての言語化できない直感が告げているのもそうだし。

 冷静に考えてみても、マリアは一度不死鳥の炎を無効化している。


 それを考慮するなら、たとえこちらが一か八かの勝負に出たところで、ともすれば戻ってこれなくなる可能性も充分にあるのだ。


 いずれ勝負に出る必要はあるが、しかし無謀になるわけにはいかない。

 いたずらに命を投げ捨てるわけにはいかない。

 ならば少なくとも今は、マリアの目と鼻の先で無防備に自刃することだけは避けなければ。


「改めて宣言しよう、オオトリ・アヤメ。死んだ命は戻らない、戻ってきてはいけないんだ。だからこそ遺された側は、今動いている鼓動に意義を見出せる――ゆえに、お前のその在り方は私が修正する」


 ああ、参ったな。これは、結構、かなり……絶望的状況と言える。


 サンモトマリア――当人だけならば確実に、難なく殺害できるという見立ては変わらないが。

 想定外の威力を持つ爆弾、不可視の鎧と七本の剣、そして未だ秘匿されし何か。


 それら多すぎる不確定要素が、瞳に収めたはずの未来(さつがい)を遠ざけていく――。


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