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鏡面のクロノスタシス  作者: 悠葵のんの
三章【月下狂乱の物語】
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16話『緋色の夜/地に咲く彼岸花』

☆六月一日午後六時四十八分


 ――記憶の再生はそこで途切れた。


 牙に残ったシーペの血液と、花を育てるために使われた魔法使いの血液。

 それらに記された事の顛末を見届け、オレの意識は激痛と異物感に導かれて覚醒へと向かう。


 目蓋を開けると、そこは集会所一階の壁際だった。

 動けない。身体が壁に固定されている。

 微かに建物に差し込む光は、燃えているような朱。

 どうやら時刻はもう、日が沈み始めている頃合いらしい。


 行かなければ。オレが飲まされた花は今日の昼前に摘まれたものだ。だからその記憶が、光景が記されていた。

 ベル先生は今、あの山窟の最奥で捕まっている。(いばら)に囚われている。


 もっとも《人形(ドール)》であるあの存在に、この集落の人間や魔族が死を与えられるとは微塵も思わないが、しかし――ここはもう終わるしかない。

 シンジョウのときと同じで、きっともう、終焉()こそが救いだというところまで行き着いてしまっている。


 だからその前に、掬えるモノは掬ってやりたい。そう思った。


 ――明鏡止水(あんじ)が発動している。

 ツキヨミクレハは依然として生存危機に瀕している。

 その原因は両手と腹、胸、そして片目に打ち込まれた杭だ。

 きっとオレを殺そうとしたものの、それがどうしても叶わなかったツユリの、せめて身動きは封じておかなければという苦肉の策なのだろう。


 薬が効いている間に、拘束が効いている間に、吸血鬼を殺せる花を魔法に望むか。あるいは夜を待ち、紅い月という大いなる現象に淘汰させるか……考えとしてはまあ、そんなところだと思う。


 でもどうやら、シーペが考えていたように、間違ったモノはいつか何らかの形で正される流れがあるみたいで。

 そしてその流れは、オレをこの集落へと運んできた。

 血液を通して、寄生虫のように摂取者を支配下に置ける魔法の花に対して――その毒を自力で淘汰できる血液を持つ、吸血鬼という存在を。


 そうだ。さすがに摂取直後は影響を受けてしまうようだが、最終的にはオレのほうに軍配が上がった。

 花の魔法は無効化されている。ならば、あとは――この杭を抜くだけ。


「――ッ、――!」


 全身に力を入れる。痛い。苦しい。身も心も張り裂けそうだ。

 骨は砕け、筋肉は千切れ、臓器は破れ、脳だって損傷していて。

 いくら傷が治るからって、これより酷い怪我を負ったことがあるからって、慣れないものはどうしたって慣れない。

 ……だけど。相棒が残してくれた人としてのもう半分が、オレの身体を、心を動かしてくれる。


 思ったことがあるから。感じたことがあるから。

 まだ顔を合わせたこともない魔法使いに――伝えたいことがあるから。


「ぐ、ぁッ――‼」


 そのためにオレは飛び立たなければ、羽撃(はばた)かなければならないんだ!


「あァッ、ぁぁぁぁああああああああああ――ッッ‼‼‼」


 吸血鬼としての膂力。ありったけの魔力を注いだ身体強化。

 それによってオレは、オレ自身を縛り付ける杭を抜き去る。


「はぁ、はぁ、はぁ……ッ――――」


 滴る赤い血は、すぐに時が巻き戻るように体内へと保管され、傷は修復、背には緋光の翼が顕現する。


「ッ、ふぅ――――」


 呼吸を整えて、よし。準備完了。もう演技も遠慮もナシだ。

 血の記憶から山窟の場所を再確認。問題ない。最高速を失ったもどかしさはあるが、それでも電光石火の如く、一分で辿り着いてみせる。

 あの花畑へ。母親の遺体の上で花を咲かせている、赤子のもとへと。


「――――」


 その前に。ちらりと、入り口のほうで倒れているエルフに目をやった。

 息はまだある。しかしその身体は、ほかの住民以上に、もうどうしようもないほど薬物によって汚染されている。

 助ける方法は、ない。少なくともオレは手段を持ち合わせていない。

 ならばきっと彼女もまた、破滅に攫われる存在のひとつなのだろう。


 それでも。オレが赤子の記憶やその出生について理解できたのは、彼女が折れたはずの心を最後まで繋ぎ止めてくれたからだ。あのとき自らの身命を賭して、花畑の中心を睨み、観測してくれたおかげなのだ。

 ……だから。


「――アンタの命が報われるように、やれるだけやってみるよ」


 それだけ言って、オレは翼を広げた。

 天井をぶち抜いて、黄昏の空を往く。

 身体に纏わりついた甘いニオイを振り切るように風を浴びながら、山の反対側、その中腹に小さく空いた孔を探す。

 山窟の最奥。花を育てるために穿たれた、光の差し込み口を。

 

「……見つけた」


 迷わず一直線に飛び込む。暗転する視界。減速と着地を行うとすぐ、トンネルを抜けたあとのような目の順応が、内部を浮き彫りにした。


 周りを囲んで祈りを捧げている人間。花畑の端で荊に拘束されているベル先生。光の柱の外に居るツユリと内に居る赤子。そしてその眼前に飛び込んできた――ツキヨミクレハ。


 位置関係としてはこんなところか。続いて状況だ。

 困惑の表情を浮かべる人間、一方ベル先生は安堵するように目を瞑り、変わらず赤子は虚を見つめていて――そしてその中で、ツユリだけが即座に反応し動き出していた。


 驚きによる思考のフリーズを殺意で上書きし、花を毟るように摘み取っては、再びオレに摂取させようと向かってくる。


 ああ、懸命だ。確かに吸血鬼に花の支配は効かない。が、内側に入り込んだ外敵を駆逐するまでは、多少なりとも空白の時間は生まれてしまう。さっきは数時間。次はもっと短いだろうが、先手としては申し分ないだろう。


 だけど悪いな――それより先にオレが、悪魔の瞳でアンタを射抜く。


「そこで止まりな。……やっとだ。やっとアンタの内側が視えたぜ、ツユリ。《血識羽衣(アルカードレス)》――《鮮紅残視・郷愁(センコウノマガンデ)》」


 ……その日に焼けたような茶色の目。

 その瞳の奥に映るのは――愛する人を失った悲しみ。原因となったモノへの怒り。憎しみ。復讐が生んだ悦び。目に映るものすべてに願う破滅。思い出に寄りそう渇望。


 慟哭はいつまでも、いつまでも耳の奥で残響していて。

 夢を見ているとき、食事をしているとき、風呂に入っているとき、生命に必要不可欠なあらゆる柵から解き放たれるべき瞬間にも、混沌が常に渦巻いていた。


 ゆえにツユリは、解放されたかったのだ。


 楽しい思い出も、辛い現実も、決して色褪せることなく自分の内側に同居し続けるものだから。

 次第に感情も思考も自分の位置さえも、何もかもが分からなくなって。

 けれどもう、修復も後戻りもできないことは確かで。

 そんなどこかが壊れてしまった自分を消して、楽になりたかった。


 でもただ消えるのはダメだ。それは無駄死にだ。

 必要なのは目的。この命を使い切れる理由。

 そのために、自分の中で一番確かだった()()を手繰り寄せた。


 そうすれば、ツユリは夫を殺されたことに病んで無駄死にした妻でなくなる。

 そうすれば、ツユリは夫を殺したすべてへの復讐の果てに死んだ妻であれる。

 そうすれば、ツユリの夫の死はきっと、無意味なんかじゃなくなる。

 そうすれば、最後の最後で守られるべきものは守られると、思った。


 だからツユリは、自分が分からない自分なりに精一杯、終わりに向かって走ることができたのだ。


 ――それがツユリの正体。嘘と真実が交錯し、理解から拒絶された混沌。


 ゆえに実際のところ、オレは彼女の全部を紐解けたわけではない。

 だってツユリの中には、今この瞬間も心の起源となる十三の感情がぐちゃぐちゃに捻じれ合っている。

 そんな風に矛盾し続ける彼女の言葉は、嘘から出た実とも、その逆とも言えてしまうだろう。


 そりゃ白を黒にも、黒を白にもできてしまうわけだ。

 もう行き着くところまで行き着いてしまって、後戻りできないわけだ。


 どうしようもない。遅すぎた。

 そんな言葉が脳裏に浮かんで、自嘲する。

 救えないことを悔やむなんて、随分偉くなったもんだなオレは。


 けどさ、叶えられなかった夢を叶えた女の子が、この世界には居るんだ。

 そいつはオレにこう言った。

 この世界ではどこへ行くにも自分の努力次第なんだ、って。

 報われた姿を見せつけてくれた。

 ならさ。ちょっと、ほんの少しぐらい、こんなオレの手でも何かを変えられるって信じたくなっても、バチは当たらなねえよな。


 吸血鬼(レイラ)がオレに手を差し伸べたように。

 吸血鬼(オレ)が赤子に手を差し伸べてみても――。


「よし! これから超重大な話をする。全員静かにしてろよ~」


 ぐるりと一周、この場に居る人間たちを魔眼で射抜いて、思考誘導による命令を下す。

 そうしたら赤子と向かい合うように座り込んで、と。


「聞こえてんだろ? オレはクレハ。そっちの名前は?」


 赤子の目に光は差さない。口も開かない。

 けれどその声は次の瞬間、オレの頭の中にはっきりと響いた。


『……どう、して?』


 幼い声だった。少し舌足らずで、たどたどしい。

 けれどはっきりと、自身の存在を訴える声だった。


「オレは吸血鬼だ。花に含まれた血液から記憶を見た。そんでこの眼を通して、魂の部分で喋ってるお前の声も聞こえてる。で……名前、あるか?」


『なまえ……なまえ……あなた、こいつ、それ、がき、おにご……かみさま……とか……』


「そっか。奇遇だな。オレも昔そんな名前だった時期があるぜ。神様はさすがにねえけど、クソガキだの借金野郎だの、犬だの……。知ってるか? 人をモノ扱いするのって結構ダサいことらしいぜ。そんで、そっから抜け出せないヤツも、同じくらいダセェんだ」


 似てる、なんて簡単には言えない。

 けどこの赤子はどこかで、以前のオレと重なるような気がして。

 それが今、オレがこうしている一番の理由だ。


「さて……オレは腹が減った。スープを食い損ねて、割と酷い目にも合った。だからさっさとこんな集落とはおさらばして、中央都市であったけぇメシを食う。こいつは確定だ。んでさ――一緒に来いよ」


『…………え?』


「あんまし高いのじゃなければメシ食わせてやるし、家も……まあアヤメさんに土下座したらなんとかなんだろ。で~風呂入って、新しい服着て、知らないヤツと知り合いになって。オレの中じゃあそれが生きるってことなんだけど……まあいいコトばっかりじゃねえが、案外悪くはねぇよ?」


 赤子の、長く伸びた髪を見て思う。

 生きようとする意思はあるはずだ。

 それさえあるなら、この世界はきっと歓迎してくれる。

 少なくとも、ここで終わるよりは希望はあるはずだ。じゃなきゃ嘘だ。


 ――だから。


『……どうして?』


 悲しい声だった。

 今にも泣き出しそうな、聴いているほうの胸が張り裂けそうな声だった。

 そこに込められた感情が、何となくだけどオレには分かる。

 向けられた優しさの意味が分からなくて。何か裏があるような気がして。そんな風に疑ってしまう自分が嫌で。けれどそれに縋りたい自分も在って。


 生憎、オレだってまだ答えは出せてないよ。

 だけど。自分のことを棚に上げてだけどさ。

 記憶を覗いて、その問いを投げかけられて。



「オレは――間違いじゃないって、思った」



 シンクという魔法使いが、どんな想いで自死を選んだのかは分からない。

 この集落はどうしたって、最初から滅びることが決まっていたのかもしれない。

 だが、たとえ間違いから始まった物語だとしても――そこで生まれた命は、産み落とされた心臓は、絶対に間違いなんかじゃない。


「生きていてもいいんじゃねえのって、そう思ったんだ。だから行こうぜ」


 小さく、両腕を広げた。

 魔眼で荊を解くよう誘導することはできる。

 でも、それじゃあ、意味がないと思うから。


 手を伸ばしてくれたら必ず掴む。

 だからその、最後で最初の一歩は、自分の意思で。

 そう想いを籠めて穏やかな眼差しを向けると、魔眼を通して再び声が響いた。


『……だめ。いきたい、かも、しれない。でも、まだたりないんです。このからだをうごかすには……はは(わたし)むすめ(わたし)じゃないかのていぎが……』


 そう……だった。赤子が声を出せないのは、器と炉心を結ぶ精神、つまり自我が未確定だったからだ。

 多分方向性としては、自我が揺らいで男に戻れなくなった一か月前のオレと、似たような状態。


 それでもオレはツキヨミクレハという定義を、揺らがせはしたものの喪失まではいかなかったから、身体を動かせたし力だって使えた。

 一方で、そうではない赤子が魔法を使うためには、他者の願いという指向性(ほじょ)が必要で。それが結果として、魔法使いの装置化に繋がった。


 ならば、今の赤子に必要なのは――()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。


 その方法を、オレは知っている。教わっている。

 きちんと理解している、のだが。

 だけどそれは、そっかぁ……マジかぁ。いや、別に嫌なわけじゃない。むしろ光栄なことだと思う。でもだからこそ、オレでいいのかと思ってしまう。


「――――――」


 ――いや、怖気づくな。

 これが人ひとり背負う重さなら、ハナから躓くわけにはいかない。

 胸を張って、平気な顔して、安心させてやれよ。

 責任を負うのだから。オレを捨てた両親のように、無責任になるのは嫌だから。


「オーケー……」


 一度だけ、オレは首元にぶら下がったロケットを握り締めた。

 それから浅く息を吸って、一度止めて。

 真っすぐに赤子を見つめて、言うのだ。



「――リオン。今からそれが、お前の名前だ。その髪は決して傷付いてなんかない。このロケットと同じ、綺麗なヴァーミリオン色だから」



『……りおん……ゔぁーみりおんの、りおん…………』


 赤子の名付け親になるなんて当然初めてのことだったが。

 返ってきた反応は、その音の響きを噛み締めるような、宝箱にそっと隠すような嬉しそうな声だった。

 ……気に入ってもらえたようで何よりだ。


「……うん……わたしも…………いっしょに、いきたい……」


 次の瞬間。赤子を縛り付けていた荊が、ぱっと大気中の魔力に溶けて散った。

 言葉の力。言霊。それを認め、受け入れ、存在(じが)が固定化されたことで、赤子は自ら最後の殻を破ったのだ。


「おめでとう。頑張ったな」


 とん、と小さな重みが腕の中に納まる。


「――っ、ぅう……ああああぅ……ぁぁぁあ……うぅうぅぅ……」


 耳に届くのは控えめで小さな産声(なきごえ)

 オレの胸は涙に濡れていく。それは産まれたことへの喜びか。あるいは母を失った悲しみか。

 どちらにせよリオンはこの瞬間、この世界の一員となった。

 もう誰かの破滅に巻き込まれるような、未来を選べない存在なんかじゃない。


 自らの選択を自らの意思で決められる。

 それはもしかしたら、残酷な祝福なのかもしれないけれど。

 それで良い、それが良いと、オレは思うよ。


「……得心がいった。確かに名前は存在を固定する上で必要不可欠なピン……それを授かる機会を逃してしまったがゆえに、成長した肉体と魂を動かす脳の認識がエラーを起こした、か」


 リオンと同じように荊から解放されたベル先生が、オレの隣に膝をついて言う。


「忸怩たる思い、というやつだな。僕の推測は正確ではなかった。クレハの魔眼も必要になった。本当……不甲斐ないことこの上ない」


「んなこと言うなって。な?」


 腕の中を優しく揺らす。すると小さな頭が上を向いて、ベル先生を見た。


「こもり、うた……ずっと、きこえて、た……あ、ありがと――ございま、した」


 音をひとつずつ確かめながら紡がれた言葉に、ベル先生は不意を突かれたようにきょとんとする。


「そういうこと」


 オレも記憶の中で聴いたぜ。

 ベル先生がここで捕まってる間に唄っていた子守唄。

 その()()()()()()()が、リオンが再び疑問を抱くことに繋がった。

 自分は集落に訪れた破滅の化身なのか、それとも生きる権利を持った生命なのか、ってな。


 その思考が根底にあったからこそオレの言葉は、名前は、届いてくれたんだ。


「……そ、そうか。少しでも役に立てたのなら、僕が此処に来た意味を持てるよ。……ん、んんっ……それはさておきだな」


「あ、照れたの誤魔化したろ今」


「い、いや違う。今のは他意なく、早いところこの状況から脱するために話を切り上げるべきだと判断したからで……」


「はいはい。そういうことにしておきますよ」


 なんて、もう少し余韻に浸りたいところではあったが、確かに時間に余裕があるわけでもない。

 話はまたあとで、だな。


「……さて」


「どう動く? 時間はかかるが、君の力があれば全員を拘束したまま中央都市に引き渡すことも不可能ではないだろう。政府お抱えの魔法使いなら、魔族の治療もあるいは……」


「よし、それでいくか。でもその前に、この花畑は燃やす。いいよな、リオン」


「で、でき、るなら……おねがい、します。このした、の、はは、も、いっしょに……ぜんぶ」


「――決まりだ。全員聞こえたな! 今からここを灰にする! 死にたくなければさっさと集落に戻って、部屋で大人しくしてな!」


 魔眼を通してそう伝えてやると、人々はすぐさま外に向かって駆け出した。

 狭い山窟の通路に殺到する人の波。それに紛れるようにしてツユリは姿をくらませたが、思考誘導は効いているはず。優先順位を見誤るな。今オレたちがやるべきことは。


「ベル先生、リオンを頼む。万が一にも炎が燃え移ったらまずい。それと――」


「ああ、もうじき日が沈みきり、月が紅く染まる。その前にもう一方の通路の先――集落を離れた人間たちが使っていた、最初に奪取された《支柱》を回収する」


 頷く。間抜けなことに集会所を出てくるときオレは、屋根裏部屋に置かれた《支柱》の有無を確認し忘れた。だがおそらく、状況からしてツユリに奪われた可能性が高い。

 ゆえにもうひとつの、最初に訪れた使者が持ち込んだほうを回収し、早いところそれで魔力防壁を展開してやらないと。


 オレは抱えていたリオンをベル先生に預け、いつも通りボロボロになったシャツを一枚脱いで、それを渡した。


「わりー、今はこれしかねえんだ」


 ベル先生の登山装備は素肌には痛そうだし、上から下までカバーできそうな白衣も集会所に置きっぱなしだからな。寒いだろうが少しだけ我慢してくれ。


「あ……そ、か、わたし……は、はだか……」


「ふむ。林檎が効いてきた、ということか。神秘だなぁ」


 思い出したように頬を紅潮させて身をよじるリオンと、目蓋を閉じて温かい表情を浮かべるベル先生。


「言ってねえで急げよ……。少ししたら火を放って、オレは飛んで出るから。集落で合流ですぜ」


「了解」 


 そう応えてリオンにシャツを被せ、長い朱髪(あかがみ)を一束にして握らせたベル先生は、走り出した。

 外見的にはリオンとそう変わらない体躯をしているベル先生だが、その馬力はやはり《人形(ドール)》のモノ。

 安全に考慮しつつもちょっとしたアトラクションのようなスピード去っていくその背中に、あれなら脱出は間に合うだろうと思う。


 けど一応、オレは通路の出入り口、その上部に聖剣を全力で投擲して、落盤を誘発。これで出入口は塞がれ、炎が漏れ出ることはない。

 加えてオレが脱出した後に、天井の孔も自然と崩れるはずだ。


 それから少しの間、オレは胸に手を当て、リオンを通じて獲得した言い表しにくい感情と向き合い。

 ふたりが脱出した頃合いを見計らって、全身に魔力を奔らせる。


「準備完了。《血識羽衣(アルカードレス)》――《無窮沈淪・煉獄(アガナイノホムラヲ)》」


 不死鳥の炎を身に纏い、さらに再出現させた聖剣――《オース・オブ・シルヴァライズ》の刀身に注ぎ込んで。

 

「シンク……赤髪の魔法使い。オレはアンタを記憶でしか知らねえ。だから、アンタがどんな気持ちでその道を選んだのかも分かんねえ。けど、アンタが遺せたものは――確かに在ったよ」


 炎を、振り下ろす。

 紅い花はより鮮烈で熱烈な紅蓮に包まれ、やがてその色を失っていく。

 その光景を最後まできちんと見届けたい気持ちを抑えて、オレは背に翼を顕現。

 来たときに通った孔から、再び空へと羽撃いた。


「――――」


 太陽は既に地平線の彼方だ。反対の空にぼんやりと浮かぶ月の色はまだ正常を保っているが、いつ紅く変色しても不思議じゃない。

 その前に《支柱》を使わないと、集落に居る人間も魔族も、月のせいで死ぬことになる。


「ベル先生は……さすがにまだ山ん中か……?」


 木々の影に隠れているのか、吸血鬼の視力を使ってもその姿は捉えられない。一方で一足先に山窟を出たツユリたちの姿も見えないが、そちらは既に集落に辿り着いたと考えていいだろう。

 となればこのまま一度集会所に戻って、結界の確認をしよう。


 魔族が構築した、原理的には《傘》と同じ術式。

 それをもしかしたら、少しぐらいオレの魔力で発動し展開できるかもしれない。


 先の展開を考えながら、オレはじきに集落上空へと到着。

 夕陽と月光の間で岐路に立たされている場所を眼下に収めた。

 収めて……目を見張った。疑った。


「は――? なん、で――――ッ」


 赤い。紅い。どうしようもないほどに、アカい。

 切られて、刺されて、裂かれて、抉られて、踏み潰されて、焼かれて。

 そうして踏み荒らされた大地が、建てられた民家の壁が、普段使っていたのだろうナイフや農具が。

 どうしようもないほどに、血で染められていて。

 それは人間のモノであり魔族のモノでもあって。

 つまりは、信じられないことに住民のすべてが。


 殺し合いを繰り広げていた――。


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