表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鏡面のクロノスタシス  作者: 悠葵のんの
三章【月下狂乱の物語】
61/81

15話『間違いなら、レッドインクで塗り潰して』


 魔族の住民すべてに麻薬が浸透したタイミングで、反魔族派の人間があることをツユリ(あのひと)に進言した。

 それは私という魔法使い――人間社会における異分子を、用済みと判断して処分するべきだという意見だった。


 あの人は多分、愚か者がまた馬鹿馬鹿しいことを考えて、なんて思ったのだろうけど。その辟易を顔に出さないまま冷静に、あの人は私の利用価値について説明をした。


 というのも、私が生成する麻薬を魔族に投与することは、一度行えばそれで終わりではなく、今後も定期的に続ける必要があるのだ。


 なぜなら一度の摂取で中毒状態に陥る麻薬とはいえ、いやだからこそ、時間が経ち代謝で成分が体外へと排出されたあとの摂取者には、酷い禁断症状が訪れる。

 そして、薬によって自我が薄まっている摂取者では。


 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 問題はそこだ。

 特別な麻薬がもたらす、絶対に抗えない離脱症状。

 薬の切れた魔族を必ず支配する、第二の脳内麻薬。

 それがもたらすのは厄介なことに。

 紅い月光を浴びたときと同じ――自殺衝動なのだから。


 禁断症状に陥った摂取者は、麻薬によって書き換えられた脳に幻覚を見せられ、最後の枷である(こころ)を放逐、さらには過度の発汗や多臓器不全、全身の筋肉が崩壊していくような激痛が発生し――結果、それらすべての苦しみから一刻も早く楽になるためだけに、身体を動かすようになる。


 生きているだけで、存在しているだけで、苦しいのなら。

 楽になるための自殺(ほうほう)は――きっと唯一で、確実なモノで。

 ゆえにそれは周囲を巻き込んででも、何としてでも実行され遂行される。


 少なくとも最初で最後の実験体であったリベリオからは、そういったデータが取れていた。

 さらに種族によっては闘争本能が極限まで高まったり、狂暴性が付与されることも全然有り得るだろうという話。


 つまりそれは――現時点では絶対に避けるべき事柄なのだ。

 今魔族に死なれるのは、戦争の火種を作る前に盤面に必要な駒を失うことでもあるし、何より紅い月光を防ぐ手立てを失うことでもある。


 どうしようもない外的要因に奪われるならまだしも、それを自らの手で捨てるのは愚の骨頂だ。自分で自分の身を守れない以上、目的を達成するまではプライドを捨てろ。

 そうあの人は言っていた。

 本当に譲れないモノさえ守り通せば、望む未来はいつかきっと掴める、と。


 それを、私に対して情が湧いたのではないか、と指摘する声もあったが……そんな意地を張った、あるいは覚悟を示したあの人を見て私は、自分に対して情があるから生かされた、とは思わなかった。


 ともかく、反魔族派を説き伏せたあの人はその後、勝手に暴走――独断で私を殺してしまうなど――する人が現れないよう、私をある種の信仰対象として扱うように指示した。


 無論それは形だけで、単に魔族の殲滅が果たされるまでは機嫌を取ってやれ、みたいなニュアンスではあったが、結果として決まり事となった偽りの祈りは、皮肉にも私の魔法行使の助けになってくれた。


 もしかしたらあの人はすべてを見抜いていて、そうしたのかもしれない。


 最初に花畑を赤く染め上げたときのように。

 後に行った使者の迎撃や、この場所への侵入者を拘束したときも同じく。

 彼らが祈り、望んでくれたからこそ私は、魔法を使うことができたのだから。


 けれど、そうなるとだ。

 不意に――私の内にとある疑問が去来する。


 私はこの頃になっても未だ、身体を自由に動かすことができなかったのだが。

 今更ながらどうして私は、そんな状態で魔法の行使のみが可能なのだろうか、という疑問だ。


 いや、正確にはそうじゃない。


 先の答えを私は……自我の不足している私という器を他者の願いが満たして、ひとつの装置として利用しているからだと、自然とそういう風に理解している。

 薬で自我を失った魔族を操っているのと仕組みは同じだ。


 つまり身体を動かすにしても魔法を行使するにしても、願い、意思、自我といった要素は必要不可欠で。

 それを他者に望まれたからこそ、自我の補強と指向性の付与を受けたからこそ、私は魔法の行使ができている。


 ならば私の内に去来した、未だ解のない真の疑問とは。

 自我(それ)を補助してもらわなければならない私はまだ、自己の定義が不充分なのではないだろうか、という問いかけ。

 そしてそれが、身体を自由に動かせないことに関係しているのだとするなら。


 私は――集落に訪れた破滅の化身。終わりの象徴。

 それ以外の何者でもなく、それ以上は何も求めていない、はずだけど。

 それで不充分だというなら、もっと完全な、納得できる答えがあると思った。


 そうだ。


 私は、あの人から与えられた存在理由に、疑問を覚え始めていたんだ。



 麻薬が浸透し魔族を支配下に置く――その直前。

 中央都市から、一通の書状が届いた。

 そこには紅月(あかつき)症候群の現状と《支柱》の設置について記されており、あの人はもうじき訪れる使者を、戦争の火種のひとつとして計画に組み込むことに決めた。


 本来であれば中央都市の人間の殺害は、魔族に住民を殺させ、それをあの人自身が政府に報告し、世間への印象操作をした後に……という段取りだったが。使者の来訪は避けて通れない以上、計画を前倒しすることにしたのだ。


 夫の殺害。人間の住民の殺害。使者の殺害。

 まあ減った命が多ければ多いほど、世論は動かしやすくなるだろうと、あの人は考えた。


 けれどそれは、ひとつの誤算を生んだ。


 冷静に考えてみれば当たり前の話なのかもしれないけど。中央都市が寄こした使者はいわゆる魔術師で、都市の外に出られるほど戦闘経験を積んでいる手練れで。

 食事に盛られた麻薬にも、魔族による奇襲にも、あの二人はそれなりに対処してみせたのだ。


 そうはいっても、私の魔法を完全に無効化することはできず、最終的には魔族を使った物量作戦でその命を散らしたのだが……しかしこの花畑で二人目の殺害が果たされた時点で、使者到着から五日の時が経とうとしていた。


 まさしく孤軍奮闘。

 あの魔術師たちは、いつか救援が来ることを信じて最後まで戦い抜いた。

 想定日数を過ぎても使者が帰還しないという事態に、お城のお姫様という人がその異常を察知し、何かしらの手を打ってくれるはずだ、と。


 そして、使者の命を取りこぼしはしたが、しかし確かにお姫様は動いたのだろう。


 五日目の夜、あの人は念入りに戦闘の痕跡を消していた。

 万が一にも第二の使者が来訪して鉢合わせることのないように。

 そんな名目で奪取した《支柱》と共に人間を山窟内に押し込み、魔族とあの人のみで作業は行われていた。

 それが何とか終わった六日目の朝。

 計画の次の段階――いつ人間を皆殺しにするべきかを考えていたあの人は、目撃したのだ。


 新たに訪れた使者。灰銀の髪の子供と、金色の髪の少年の到着を。

 

 あの人は逡巡したのだと思う。再び使者を殺すか、それとも目の前で魔族を暴走させて人間を襲わせるか。

 どちらがより大きな破滅へと繋がるか考えて、そして。


 やはり使者を殺すことを選んだ。


 “魔族が急に人間を襲い始めた”のと、“魔族が使者共々人間を皆殺しにした”では、後者のほうがより嘘を真実にできると決断した。


 その結果、花畑には侵入者(こども)がひとり、磔になって。

 でもその子は怖いほど、あるいは安心するほどに死んでくれなくて。

 君を笑顔にするためにやってきた。そんなことを子供の顔で、大人のような微笑みを浮かべて言ってみせた子供(にんぎょう)は。


 囚われた荊の中で――唄を、歌う。


 それは子守唄。新たな生命を、その誕生を祝福し、この世界に存在することを賛美する赦しの声。

 笑顔のために、安らぎのために届けられた真心で。

 私を母親から産まれた赤子として扱っている、奏でだ。


 破滅を目前に控えたこの身に、それが最後の微睡みをもたらす。

 夢見心地な意識の中。ふと、あの疑問が巡り巡ってきた。


 この身は来たるべき破滅が形になった存在。

 終わりを招き、届け、迎えるモノのはずなのに。

 でもならば、こんなことをされて、心地良さを覚えてしまう私は何なのだろう。


 やはりあの人がくれた存在理由が不完全だったとして。なら完全で正しい答えは? この身体を動かすのに必要な最後のピースはなに?


 ――――――分からない。


 いや、予想自体はついてる。

 だけどもし、本当に心の奥底ではそう思っていたとして。

 そうする意味があるのだろうか? 権利があるのだろうか?


 だって私は――母が私を産みたくて産んだのか、分からない。


 あの日、あのとき、母が花を食い散らかして自死を選んだのは、自らを地獄から解放するためだったかもしれない。無論、私が生き残るという微かな希望に手を伸ばしたのかもしれない。あるいはほかの何かを守るためか、その身をもって復讐を終わらせるつもりだったか。

 それらすべての感情はきっと共存可能で。どれかひとつだけしか抱けないなんてことはなくて。

 でも、だけど。どの感情がその選択へと母を導いたのか、私の頭の中にはその情報が引き継がれていないから。


 だから今ここに存在している命が望まれたモノなのか、望まれてないモノなのか。この心臓が動いているのは正しいことなのか、間違っていることなのか。

 ……その答えが、出せないんだ。


 ああ、誰か教えて。

 始まりからして間違いだったあの集落は。

 そこで起きた悲劇が産み落とした、(わたし)は。


 やっぱり――間違い、なのかな?


 だとするなら、この命はここでこのまま。


 子守唄が途切れた。足音と、花を一輪摘み取る音がした。

 私が何を考えたところで、あの人はもう止まらない。

 計画の歯車が狂い始めていることを理解してなお、それでも迷いなく往くのだ。


 きっと、もうひとりの使者を殺すために――。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ