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鏡面のクロノスタシス  作者: 悠葵のんの
三章【月下狂乱の物語】
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14話『スカーレットの記憶の中で』


 ――記憶が、混濁していた。


 目蓋を開けて最初に目にしたのは、()()花だった。

 すぐに頭の中には、ここが山窟の奥にある空間で、この花が災いをもたらすものであることが浮かんだ。

 さらに連想された記憶は、この花がこの土地に根を生やしてしまった経緯。


 ()()を持ち込んだのは、この集落に人間が増えるきっかけを作った、あの噂を流した男だった。


 傷の癒えた男を見送る際、餞別にと渡されたそれは、育てれば薬になるという話で。

 今後中央都市では規制されるものだから、必要がなければ処分して構わないとも言われた。


 当時のデヴァは、早速栽培して使ってみようと提案した。

 それが果たして魔族に効果をもたらすかどうかは分からなかったが、単に日常の中にちょっとした刺激が欲しかったのだろう。

 しかしそのときは、シンク(わたし?)を含めた残りの四人が反対した。


 都市での生活から距離を置いた世捨ての魔族なのだから、薬物に対して過剰な抵抗があったわけではないけど、もし万が一にもこんな小さな箱庭の中で歯止めが効かなくなったらと考えると、嫌だったのだ。

 まあかといって逆に、断固として拒絶して捨ててやる、と意気込んだわけでもなかった。

 だからそのときは、とりあえず自分(だれか)が預かって忘れることにした。


 そして、数年が経った頃。集落に人間が増えた時期。

 外部と断絶された箱庭の中で、医療用として麻薬を使えたらと思うことが増えてきて、そこで種子の存在が思い起こされた。


 かくして、花の栽培が始まることになる。


 できあがったのは、私なのかな(シンク)と初期メンバーだけが知る秘密のお花畑。

 五人の頃ならいざ知らず、今の集落で麻薬の存在が露呈すれば、蔓延を食い止めることはできないと分かっていたから、その存在は秘匿された。


 使うのはどうしても必要な場合のみ。人前では薬を見せないようにしたり、眠っている間に投与したりと、味を覚えさせないことを意識しながら、その使用頻度は年に数回に留めた。


 うん。きちんと管理して、抑えられていたほうだと思う。

 だけど生きていれば何が起こるか分からず、例外はどうしても生まれてしまうもので。

 人前で大っぴらに薬を使ってしまったことが、一度だけあった。


 ある嵐の日、ピルコットが風に飛ばされてきた樹木によって、半身に大きな怪我を負った。

 木の皮によって捲られた肌。柔らかな羽根は血に染まり。骨格は少し歪んでいた。

 すぐに魔法による治療が行われようとしたが、しかし酷いパニック状態に陥っていたピルコットを落ち着かせるためにはまず、薬が必要だった。


 すぐに私じゃないかも?(赤髪の魔法使い)は、薬に魔法を施した。

 なぜなら栽培初期に()()をした際、通常のそれは魔族に対して、効果がほとんどないことが分かっていたからだ。

 やはり生物としての性能差が圧倒的なのか。それとも元々がそういった品種なのか。

 試したことはないが、きっと人間の致死量をも魔族は軽々と乗り越えることができた。


 だから魔法使い(わたし)は、そのときの手持ちが心もとなかったこともあり、人間に使うのと同量でも効果が発揮されるよう魔的に薬を改良してから、それをピルコットに投与した。


 黒雲の空。視界を遮る大きな雨粒。まともに立っているのも難しい強風の中。

 一連の流れを隅々まで、細かく見ていた者はいなかっただろう。


 だがしかし、その場に居合わせた住民の中には、ツユリが居た。

 情報のピースはあのとき確かに、あの人に渡ってしまったのだ。


 ゆえに数年後、夫を殺されて復讐鬼となったあの人は、麻薬という武器で魔族に立ち向かうには魔的要素が必要不可欠だという結論に至ったのだろう。


 密かに使われている薬の正体に感づいたあの人が、赤い髪の女(わたし?)を尾行してお花畑を見つけたあと、かなりの試行錯誤を繰り返していたという光景が、頭の片隅に残っている。


 そう。試行錯誤とはつまりは、麻薬の品種改良のことで。

 その光景が記憶として残っているのは、私ではない人(紅玉の深紅)がそれに気付いていたから。


 ならばどうしてそのとき、あの人を止めなかったのか――。

 要は、あの魔法使い(わたし)は思い上がっていたのだ。


 魔族に効くための麻薬を生成するためには魔法魔術が必要で、そしてあの人がそれをどうしたって用意できないことは明白だった。

 だから見逃した。どうせ復讐は失敗に終わるから。

 そうして見逃されたあの人の復讐心は、やがて挫折に行き着いて、いつか風化すると思った。


 ――狂った歯車が、いつの日か勝手に正しく噛み合うことを望んだ。


 けれど復讐鬼の計画は、燃え尽きることなき憎悪は、そんな驕りを踏み越えた。

 徹底的に自己を偽装し、自分(あかがみ)を騙し、その油断を誘い、機会が訪れるのをひたすらに待ち続けていた。


 そして――狂った天は、狂った女に味方をする。


 紅い月が浮かぶようになって言葉巧みに赤髪(シンク)と魔族たちを分断した復讐鬼は、魔法使いでかつ人間の器を有している自分(かのじょ)に麻薬を使い、仲間の男数人を使って性的暴行を加えた。


 その行為の意図は複数存在していた。


 まずは腹いせだ。(シンク)は人間でありながら魔法使いで、中立でありながら力を持つ者として魔族側に立つこともあった。それが、同じ人間として気に食わなかったのだろう。そういう風に誘導したのだろう。いつだって弱者が強者を挫く行為には快感が伴う。ツユリはこれを、反魔族思想に染めた住民の結束力を高める一手として実行した。


 次は脅迫。魔を覆すには、魔の道理を往くしかない。そのためにツユリはたった一度、けれども充分すぎた一度の接種によって麻薬の誘惑に支配されたシンク(魔法使い)を脅し、次なる薬を餌に、魔的な品種改良させようとしたのだ。


 そして最終的に、母親(わたし)はそれを受け入れたわけだが、しかしツユリとしては承諾が得られなかったとしても想定の範囲内だった。

 むしろ最後まで子供(わたし)が己を蝕む薬物への欲求に抗うと思っていたからこそ、その行為が実行されたのだとも言えた。


 そう、ツユリは考えたのだ。

 魔族を殺すための協力は、魔族には望めない。集落で唯一の魔法使いも向こう側に付く可能性が高い。魔法にも魔術にも縋れない。そうなったらいよいよ、せっかく手に入れた唯一の武器が意味を成さなくなる。


 ならば。ああ――新たな魔法使いを、迎え入れてしまえば、いいじゃないか。

 ツユリを妊娠させて、その子供を自分の傀儡として育てれば全部解決だ、と。


 鬼畜の発想だ。魔法使いを身重の体にすることで行動を封じ、生まれた(こども)(ははおや)から奪い、偽りの神を殺すための道具として使おうとするなど。なんて度し難いことだろう。


 けれど、それでもツユリは躊躇わなかった。

 魔法使いの子供は魔法使いになる。そう信じて疑わず、薬物の味を覚えさせる過程で男たちに襲わせ、妊娠を確信したタイミングで、より確実でより残酷な手段を選んだのだ。


 そして見事、花を飲み花に飲まれた魔法使いからは、新たな魔法使いが産まれた――の、だと思う。


 多分、きっと、そうなのだ。



 いや、実際のところ――産まれたのか。生き返ったのか。それとも、死に損ねたのか。分からなかった。


 どうやらこの世界には、“産まれる前の赤子が死ぬ”ことを許さないルールがあるらしい。

 シンクはそれを知ってか知らずか、自分の死を以て、私という存在をこの世に繋いだ。


 きっと、足りないモノはなかった。

 魔力と一部の記憶はこの身に受け継がれ、赤子のままでは生存維持が困難であるとして、体躯は急速に成長。

 血や肉はシンクのモノを流用しつつ、器は十年の時を一瞬で駆け抜けた。


 そんな、産声を上げず髪も歯も生え揃った私を見て、隣に居た復讐鬼が、あっけにとられたように鬼子だと呟いた。


 その意味を理解できた私は、やはり自分が母から産まれた娘なのか、あるいはシンクが生まれ直した姿なのか――よく分からなくて。


 でも、それでも、確かなことはあった。

 復讐鬼……ツユリという女の人は、私を利用して自分の世界を壊そうとしていた。

 そして因果は、魔法使い(わたし)という世界に干渉するための存在(ちから)を、目の前に差し出したのだ。


 ツユリは背後から首を絞めるよう抱き締めて、言う。


 ――私が、あなたのお母さんになってあげる。だから、お話を聞いて……?


 冷たい手が頬に添えられ、細い指が形を確かめるように口や鼻をなぞる。

 この人の企みははっきりしている。卵を割った小鳥の前に現れて、自分が母親であると刷り込み、自らの復讐の道具として私を育てることだ。

 当然、返事は決まっていた。


 ――まずは話を聞かせて。


 そう言うつもりだった。どうしてかと問われたら、私には実感がなかったからと答えるしかない。

 なまじ記憶を引き継いでしまったせいで形成されている今の人格についてや、ツユリの復讐、破滅に向かうしかない集落のこと、その過程で予期せず命を授かり、意図して命を落とした母のことも。


 全部がなんだか、遠くに見える風景のようで。

 当事者であるという感覚を持てなくて。


 だから、たとえそれが記憶通りの、救いのない話だとしても。

 自分の耳で聞きたかった。ツユリの語る話を。この記憶には記されていない想いを。


 もしもそれで、今動いているこの心臓が間違いから始まった、間違って動いてしまっているモノだと理解できたのなら、一緒に泥船に乗って、沈んでもいいとさえ思った。


 だって、あの集落は終わるしかない。

 そう結論付けたシンクの感情が、私の中には存在していた。


 争いの種を蒔いてしまわないよう、万が一にも世界に影響を与えないよう、平和に暮らしている誰かの幸せを損ねないよう――壊れた楽園は誰にも知られることなく消えるべきなのだと、魔法使いは考えていた。


 ならば復讐(それ)が、私を含めたすべての痕跡を、この世から最も静かに消せる方法だとするならば。

 ツユリに協力しようと思った。


 しかし、ここで問題がひとつ。

 返事をしようとした私はそこで、声が出ないことに気付いた。声どころか目や頭や手足も動かせなかった。ありとあらゆる意思表示ができなかった。


 困った。世界は確かに、私を生かすことを決めたというのに。

 生きていけるだけの力を発揮できる状態まで、器を成長させたというのに。

 初めの一歩を間違えたものだから、余計にどこかが拗れてしまったのだろうか。


 器と炉心はひとりで立って歩ける年齢なのに、私を私にする要素のどこかがまだ、生まれたばかりの赤子そのままだった。

 

 それでも、ツユリは私に語り掛けることを選んだ。

 人払いをしてふたりきりになってまで自分のことを、その内に抱え込んだ憎悪を、それによって成されるであろう計画を、まるで絵本を読み聞かせるように語ってくれた。


 私がわざと返事をしないよう振舞っていると思ったのか。それとも返事をしない話し相手が欲しかったのか。あるいは子守のつもりだったのか。

 それは私には分からないし、当然、産まれたばかりでこの世の残酷さを語られたって、胸が弾むこともなければ、安心して眠りに落ちることもなかったけど。


 とにかく私はただひとり、あの人の本当の計画を知った。


 それは、私の魔法で改良した麻薬を使って魔族を支配し、その後あの人が夫の遺骨を抱えて中央都市へと帰還、集落は魔族が人間を虐げる地獄だったと証言し、当然派遣されるであろう中央都市の使者を操り人形となった魔族に襲わせ、それを皮切りに世論を誘導、最終的にはリタウテットの人間すべてに魔族を排斥させるという計画――――ではない。

 反魔族思想に染まった人間たちが聞かされていたそれは、あくまでも表向きの計画だった。

 私が教えられた真実は。


 魔族を支配した後、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、中央都市へと帰還し、その事実を戦争の火種とする計画だった。


 そう。おおよその流れは同じだが、決定的に違う点がひとつ。

 それは集落の人間をも犠牲にするという部分で、つまりそれが意味するところは。

 あの人の復讐対象が、集落内の魔族だけではないということ。


 あのときあの場に居て、怒りと尊厳を胸に武器を取るのではなく、畏れと同情に震え酒を煽った人間たち――念入りな洗脳をされなければ格上の生物にただひれ伏すだけだった、弱者の意地すらも見せない愚か者たち。

 彼らも等しく破滅を迎えるべきだと、あの人は考えていたんだ。


 ――だって嫌じゃない。力で負けて、知恵で負けて、初めから覆すことのできない絶対的な差がそこにあったとして。それでも自分はペットじゃない、籠の中の鳥なんかじゃないって立ち上がる――その最後の尊厳さえも差し出してしまった生命なんて。弱者には弱者の意地がある。自分を自分たらしめているもの。たとえそれを捨てることで生き永らえるとしても、それを失った時点で自分の中のナニカは潰える。気が付かないほど緩慢に衰弱していく。だから、崩壊した平等を取り戻せなかった時点で、この箱庭は失敗作としてゴミ箱に捨てて、無かったことにするべきだったの。


 そう、あの人は語った。

 愛する人を失った悲しみ。魔族に怯えていた人間への怒り。種族間の決して埋まらない隔たり。

 人間と魔族は共に居ても常に孤独が纏わりついて、それがさらに多くの孤独を呼んで。

 その果てにあの人が辿り着いた結論は、その原動力は、皮肉にもシンクの考えと同じだった。


 ――きっと、あなたがそうなのよ。あなたがこの集落に訪れた、来たるべき破滅。大丈夫。私もすべてが終わったら一緒に逝く。人を随分と待たせてしまっているから。だから、そのために力を貸して。


 私は、終わり。来たるべき破滅が形になったもの。

 自己をそう定義した瞬間、私の中で新たな法則が目を覚ました。


 それは魔法。あの人が望んだ花を生み出すための力。

 他者の願いという補助を受けて実行された魔法は、しかし体内に取り入れた大気中の魔力を上手く放出できなかったがゆえに、血液を介して発現した。

 蛇口から水が出なかったから、私のどこかに刺さっていた棘が荊となり、花と私という水源を直接繋げたのだ。


 そうして出来上がったのが、魔族にも作用する()()花。

 摂取した者を強烈な催眠状態にしてその自我を摘み、外部から操ることを可能とする花だ。


 白い花畑が鮮血に染まっていく光景を見て、自分の意思が伝わったのだと理解したあの人は、私の頭を優しく撫でた。


 その後は私を通じて、花の摂取者の操作権限を自分自身にも付与。

 これにより花を摂取した存在は、私とあの人の言うことに逆らえなくなった。

 花は加工され、慎重に魔族への投与を開始。


 集落は一か月近くかけてゆっくりと、確実に、麻薬の浸透を許したのだった。


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