11話『飲み込まざるを得ないカーマイン』
☆六月一日午後一時五分
「差し入れすか? あ――んんッ、ん!」
助手を演じる寡黙な護衛という設定をうっかり忘れていたので、咳払いをして誤魔化す。
猫背になりがちな背筋を正し、目付きも普段より二割増しぐらい悪くして、と。
来訪したツユリへと向き直り、その後ろに控えたエルフの女性が持っている、小鍋に目を向ける。
「……それは?」
「………、この集落で採れたものを使った野菜のスープです」
ちょっと間があったな……。ツユリは変わらず落ち着いた笑顔を浮かべているが、さすがに不自然だったか。
しかしそれを言えば、わざわざ人払いをしたってのに人を連れて差し入れに来るツユリの行動だって変だ。
探りを入れに来た、と見るべきか。
なら余計、ベル先生がここを抜け出して裏山に行っていることは隠し通さなければ。
「冷えても味が落ちないので作業の合間にどうぞ。中央都市の物に比べてしまうと少し自信を失ってしまいますけど、食べられない品ではないと作り手として保証しますので」
「へぇ?」
……困った。普通に腹が減ってるから食べたいぞ。
スープはまだ温かそうだし、ほくほくの野菜は口の中で絶妙に蕩けそうだし、これはもう美味が約束されて――いや、いやいや、オレはバカだが学習しないバカじゃあない。
前にご馳走されたオムライスに、血液が仕込まれたことを思い出せ。
まあそんなことをやらかしたミアに悪意なんてものは微塵もなかったが、しかしこの集落ではそうじゃない可能性が高い。
外部から訪れた使者が殺されていた以上、その動機はまだ分からないが、同じようにオレだって襲われてもおかしくないんだ。
このスープの中に薬がたんまり盛られてるなんてこと、全然普通にありえる――。
「あー、せっかくだけど……」
と、オレのために作ってくれたスープを無下に扱うのは心苦しいが、適当な理由を付けて断ろうとすると。
「あ、もしよかったら、今ここでちょっと味見をしてもらえませんか?」
「――――――はい?」
「いえ、お口に合わないようであれば別の物も用意できますし。どうでしょうか? ダメ……ですか?」
もしかしてオレ、もう既に追い詰められているのだろうか。
「何か、食べられないご事情でも?」
「…………」
この強引さ、どう返事をすればこの場を切り抜けることができるだろう。
内心覚える焦り。対するツユリは平然とした態度を崩さず、笑顔のままで。
……気のせいだろうか。この人、徐々に徐々に、集会所の中に入ろうと迫ってきているような。
いけない。ここから屋根裏部屋の様子は分からないが、一度入られてしまえば、物音がしないとか忘れ物をしたとか適当な理由を付けて、中の様子をチェックしてきそうだ。
こっちも多少強引になっても、早々に会話を打ち切るべきだろう。
そう判断したオレは両手を胸のあたりまで挙げて、止まれと言外に訴えるようにしてから、急いで口を開く。
「お、オレ何でも食えるので! だから大丈夫ダイジョウブ……それ美味しくいただきます!」
「そう、ですか? でしたらいいのですけど。まさか変な物が入っていると思っているわけではないですよね……?」
「えぇ⁉ まさかそんなわけないじゃないですか……。えっと、あー、マジで食うんで……―――――――――……あーっと、そろそろ戻んないとデスネ! スープはありがたくいただくます!」
「…………ええ。それなら良かったです。それじゃあシーペちゃん、お鍋を彼に」
「……」
シーペ。そう呼ばれたエルフが一歩前に出る。すると風に揺れた長い金色の髪から、やはりというべきか甘ったるいニオイが香ってきた。この集落に浸透している薬物が生み出した、ニオイが。
そういやベル先生が言うには、中毒者には咳をするとか目が充血するとかの特徴があるって話だったけど……こうして目の前に立って観察してみても、それらしい異常は見当たらないな。
強いて挙げるなら、さっきから一言も声を発していないのが気になるといえば気になるが、単に物静かな性格だから、なのかもしれないしなぁ――。
「…………」
無言で差し出される鍋。受け取るように手を伸ばした、その時。
「あ?」
固く閉ざされたシーペの口の端から、つー、と透明な液体が零れた。
「――――やれ」
短い命令。笑顔の消えたツユリの声と表情に一瞬気を取られたオレは、シーぺに片腕を強く引っ張られ体勢を崩される。
「ッ――⁉」
それだけじゃない。シーペはもう片方の腕をオレの背中に回し、さらに股座に足を突っ込んで、とにかく蛇のように全身を使って密着してきた。
「テメッ、なにしやが――」
まだだ。まだ行動は終わっていなかった。むしろここから先が向こうの本命。今までのは次の行動を成功させるための準備でしかなかった。
オレの身動きを封じ、反撃の隙を与えることなくシーペは、その虚ろな顔を勢いよく寄せた。
「――んンッ⁉」
鼻孔を刺激する甘いニオイ。それはさっきよりもずっと間近で、濃厚で……最悪だ。
唇には柔らかい感触。前歯にはオレのよりずっと細くて長い舌が当たって。舌同士は重なり、絡まり、互いの熱と唾液が行き来し、その圧倒的不快感の果て、オレの喉奥に何かがねじ込まれる。
「――ん、――ぐ、んぅ…………ッ」
反射で嚥下してしまう。
まずい。なんだ。オレは今、一体何を飲まされたんだ……⁉
直後、破裂したのかと思うほどに心臓が強く震えた。
視界が白黒に明滅し、脳に電流が走る。
大地がどこまでも崩落していく幻覚が網膜へと投影され、四肢や内臓が痙攣し、もはや立っていることすらままならない。
間違いなくこれは生命への侵害。ツキヨミクレハに訪れた生存危機だ。
――そう認識した瞬間、オレの思考は暗示によって透明な海へと沈み、意識が変性。絶対的平静を携えて走り出した。
とにかく今は、ふたりから距離を取らなければ――。
「ッ、――‼」
未だ口内に居座っている異物へと牙を突き立てる。それによりわずかに拘束が緩み、オレは纏わりついていたシーぺの身体をなんとか突き飛ばした。
そしてその反動で、オレ自身も幾分か後方に移動。これで最低限、一歩分の安全を確保できるはず……だったが目算が外れた。
もはや正常に機能していない神経では数歩後ろに下がるすら叶わず、オレはひどい酔っ払いのように、そのまま尻餅を付いてしまう。
「――ぁ、がッ……げほッげほッ……おぇ! おぇええ‼」
口の中に溜まったものを吐き出す。
しかし、肝心の飲み込んでしまったモノは出てこない。吐き気自体は充分すぎるほどあるが、全身が痺れているせいで吐いて出すという行為さえ満足にできないのが、今のオレの現状だった。
クソ――飲まされたのはおそらく、例の特別製の薬だ。
しかも喉を通ったときの感覚からして、錠剤や粉末じゃなく原料の花そのもの。
だとしても、これほどまで即効性があるなんて。
だが、ならば、なぜシーペはそれを口の中に隠しておくことができた――?
ああ、その答えはひとつしかない。
彼女もまた、既に正気を失っていたんだ。
ベル先生は言っていた。この集落に蔓延している薬物の成分は、暗示をかけることも可能なタイプに似ていると。
ならばそれができると仮定して、魔族全員が薬物を摂取していたことを考慮すると、この集落の魔族は全員、薬物を摂取していない人間――つまりはツユリの操り人形になる、ということではないだろうか。
そして薬を飲み慣れていた分、シーペはオレよりも少しだけ、症状の発現が遅かった。
「……ァ……ァア…………ァァァァァ…………」
ぐらぐらと揺れる視界の中で、オレに突き飛ばされたシーペが全身を痙攣させ、喉を掻きむしりながら喘いでいるその姿を見ては、そんな仮説が浮かんだ。
けれど、それは今意識を割くべきところではないはずだ。
すぐに思考を切り替える。
この感じからしてあと十秒、持つかどうか。オレの意識が断線するまで、たったそれしか猶予はないのだから。
「ッ――あ、アル、カー――ド、レス――」
唇が麻痺し、その感覚すら今にも消えようとしている最中、オレは決死の思いで呪文を紡ぐ。
オレが倒れたら次はベル先生に危険が迫る。《支柱》も奪われ、中の魔石を利用されるかもしれない。
それにオレ自身、いくら基本的には不死の吸血鬼とはいえ、生命の保証があるわけでもないのだ。
意識を失くしている間なんか、特に……。
――以前ならば覚えなかった恐怖の手触りを振り払うように、オレは魂に格納された聖剣を取り出し、その刀身を目元に翳した。
最悪の事態を避けるため、最優先するべきは対策だ。
意識を失う前に一刻も早く、オレは手を打たなければならない……!
「セン――コウ、ノ――ッ」
この状況を打破できるのは魔眼のみ。魔眼でオレの身体にプログラムするんだ。
意識を失っても、身体の異常など無視して、この場から逃げるように自身を書き換えてしまえば――外部の力で強制的に動かしてしまえば――!
「ッ――、―――――⁉」
しかし間に合わず、声が失われた。
次いで聖剣が手元から離れ、床に転がったところをツユリが蹴飛ばす。
その顔に張り付いているのは、やはり笑顔で。
けれど今度は、仮面は被ってないようだった。
「チューは初めてだった? だったらごめんなさい。でも、これでも気を遣って綺麗な女の子を選んであげたんですよ。……ふふ、ウソ。シーペちゃんってちょっと、ぶりっ子で性格が悪いところがあって……それがほんの少しだけ、嫌いだったから……。だから火種になってもらわないと。もっともっと強くて大きな、戦争の、破滅の火種に――」




