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鏡面のクロノスタシス  作者: 悠葵のんの
三章【月下狂乱の物語】
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10話『シグナルレッドに気をつけろ』

☆六月一日午前九時五十分


 けれどそうなると、新たな疑問が浮かぶ。


 なぜこの子は、精神(ないめん)が生後間もない状態である一方で、その推定年齢を大きく逸脱した体躯を持ち合わせているのか。


 いや、その超自然的な成長については、多くはないが前例がある。

 というのも幼いながらにして世界に働きかける力を持った魔法使いは、自身が生命の危機に瀕した際、その危機に対処できる年齢までその身を成長させることがあるのだ。


 それは魔的な意味での原始反射であり、さながら運命の前借り、いや辻褄合わせのようなもの。


 だが僕が知る前例では、急成長は器、精神、炉心のすべてに適応されていたはずだ。

 つまりこの場合、外面と内面で差が生まれてしまったのは、成長過程で何かしらのエラーが発生した、あるいは現在も進行中ということだろうか。


 まあともかくとして、成長の仕掛け自体ははっきりしている。

 僕が問題視しているのはその過程のほうだ。

 赤子の成長に生命の危機なんてものが必要なのだとするなら、一体誰が、何が、この子の権利を脅かしたというのか。


 魔草薬の現物を見れば何かしらの情報が得られると思っていたが、生み出しているのがおそらくはまだ自分が何をしているかも分かっていない赤子となれば、どう思考を進めていいのか分からなくなる。


 さらに困ったことに、この子を今すぐここから連れ出そうにも、手足を縛り付けている荊の撤去が僕には難しい。

 魔法使いの血液で育つ魔草薬も、血液(それ)を供給する役割を果たしている荊も、言ってみればこの子の魔法だ。

 それを解くためには、この子自身が法則の実行を取り止めるか、魔力が尽きるのを待つしかない。


 一応、僕がそこに割り込んで止めるという方法もあるが、その場合どうしても強引な手段になってくる。

 慣れない魔術。慣れない実力行使。結果が良くない形で終わることは、目に見えている。


 この子を安全に救出するためには……クレハの魔眼が必要だ。

 あの悪魔の目を使って、この子が魔法を止めたくなるよう思考誘導を行えば、危害を加えることなく解放できるだろう。


 もっともそれが本人の意思に反する場合、その思考や心を捻じ曲げるということは非人道的な手段で、本末転倒になってしまうのだが――僕はクレハを、この赤子をここに縛り付けた者と同じ立場にしてしまうのだが――。


 しかしそうなると、誰がどうやってこの子の魂に、指向性を与えたのだろうか。 


「…………」


 空いている手で前髪を掻き上げる。

 切り替えよう。このままこの子の側に居ても、事態の解決にはならない。

 あるいはそれがこの子の支えになるかもしれない、なんて考えてしまえばそれは充分すぎるほどの心残りだが……とにかく僕は、調査を再開することに決めた。


 しゃぶられていた指を丁寧に繊細に引き抜いて、それから僕は、別のポケットから採取用の小瓶を取り出す。


「ごめん。少しだけもらうよ。……許しておくれ」


 皮膚に刺さった棘から少しずつ漏れ出ている血液を、サンプルとして回収。

 この件に関して僕がどうしようもなく無力だと分かったときは、気は進まないが最終手段としてこれをクレハに摂取してもらい、血の記憶を辿ってもらおう。


「…………ッ」


 奥歯を噛み締める。……まったく、本来守られるべき存在に頼ろうとするだなんて、年長者としては情けないことこの上ない。

 果たして手段を選ばないのは大人のやることか、子供のやることなのか。

 頭の中で自問自答を繰り返しながら僕は、後ろ髪を引かれる思いで立ち上がった。


 瞬間、背後から布の擦れる音が聞こえた。


「――――」


 軽く息を吸い込む音。僕はすぐに、誰かが何かを振り抜くつもりだと予測し、即座に真横へと跳ねた。


「――ふ、ん――ッ‼ って、なッ、クソ……避けられた⁉」


 視界が一回転。花弁を潰し、絞るように出てきた蜜で手足を汚しながらも、早いところ体勢を整える――はずが、またも別の気配を察知する。


「チッ――」


「こっちに任せろ!」


「絶対逃すな!」


 揺らぐ景色の中で捉えた影は複数。既に囲まれていたのか。

 一人目が背後から攻撃し、左右のどちらかに避けられた場合は、その先で待機していたヤツがすかさず追撃する――悪くない手だが!


 僕の着地先を狙って襲ってきた二人目による攻撃――材木を加工したバットのような棒状の武器の振り下ろしを、あえて距離を詰め、振り上げた状態のまま止めることで阻止。


 そのまま足をかけて体勢を崩し、バットを取り上げるのと同時に腕を掴んでは、締め上げるようにして背後へと回り込む。


「ぐッ、あ――いててててぁ‼ 折れる折れる!」


「む、この強度は……」


 そこで僕は気付いた。現在拘束している人型や周囲に見える人影の正体が、魔族ではなく、集落では見当たらなかった()()であることに。


「人間……? これだけの数が一体どこに……まさか、もう一方の通路の奥か?」


「うおおおおおおおお――――!!!」


 ゴンッ、という鈍い音と、パキッ、と焚火で起こるような木が弾ける甲高い音が頭に響く。

 それも一発だけじゃない。続けざまに計三回もだ。


「ッ――」


 思考に気を取られたな。どうやら、背後に更なる別動隊が居たらしい。

 揃いも揃ってバットもどきで、遠慮なく頭を狙ってフルスイングしてくれた。


「だが、その程度で!」


 多少よろめく程度で終わった僕は反撃に出る。

 相手の視界から消えるように瞬時に背を屈め、向かってきた四人目の足を引いて転倒を誘う。それから両手を地面についてバネのように使い、側転の要領で蹴りを放ち五人目をノックアウト。

 着地を利用して体勢を立て直すことで、次撃にも対応可能な状態を維持する。


「嘘だろ! なんでこの数でこっちが負けるんだよ! 人間じゃねぇぞ!」


 六人目。驚きの声を上げた中年の男を睨みつけ、流れるように胸倉を掴み、軽く投げ飛ばしてやる。


 当然だ。この身体は人よりもずっと丈夫に作られている。僕の頭をかち割るためには材木でも銃弾でも役者不足。流れ星を引き寄せて直撃させるぐらいでないとな。


 無論、馬力だってその堅牢さに比例する。多少の体格差があろうが魔法も魔術も使わない人間を捻じ伏せることなんて、文字通り赤子の手を捻るようなものだ。


「大人のつもりなら、少しの痛みは我慢するんだな――子供たち!」


 ……なんて余裕ぶってみたが、相手は軽く怯む程度で、逃げ帰る様子はない。

 どうやらここを見られたからには意地でも始末するというスタンスらしい。

 そうなると、少々困ったな。

 この先、状況は悪いほうへと転じていくしかない。


 というのも、相手の数が異様に多いのだ。

 最初は五、六人程度に囲まれているのかと思ったが、その数は今や十四人にまで増えている。

 と、観察しているうちに入り口のほうからまた数人やってきた。

 このままいけば集落に居た魔族と合わせて、きっちり四十二人分揃うのではなかろうか。


 ……潮時だ。このままでは相手を殺せない僕のほうが、次第に数で押されてしまう。

 ひとりひとりの対処は簡単でも、物量というのは決して侮ってはいけないのだ。


 一度、女の子に目をやる。

 大丈夫だ。とりあえず僕を襲ってくる連中は、あの子のことを守ろうとしている。

 それがたとえ、愛や慈しみとは真逆の意図を持っていたしても、すぐに不必要になったと捨てられることはないだろう。


 そう自分に言い聞かせて、僕は脳内で退却の段取りを組み立て始める。


 来た道は戻れない。脱出するとしたら、陽射しの差し込む天井付近の大穴、あそこからだ。

 位置的に山の反対側に出ることになるが、やむを得ない。

 全速力で集落に戻り、クレハに状況を伝え、再び全速力で迎えに来る。これでいこう。

 方針を決め直したところで、僕は改めて周囲の動きを確認した。


「――――?」


 そこで、違和感を覚える。

 先ほどから連中の攻撃の手が休まっていた。それはてっきり僕の出方を窺っているのかとも思ったが、どうもそういった風ではない。


 無数の人影は、気付けば僕から少し距離を取り、膝をついていた。

 男も女も。夫婦も兄弟も。頭を下げ、両手を強く重ね合わせて、乞うように。

 花畑の中心で磔にされている女の子へと、ひたすらに――祈りを捧げていた。


「……何、を……」


 異様な光景だ。場の空気が変質したのは明らかだった。何が起きてもおかしくない。

 ――そう身構えるのと同時に、僕の足元から素早く、荊がその身を引いた。


「ッ――、来る!」


 引いた波は、押し寄せるのが道理だろう。

 僕はすぐに地面を蹴り上げ、付近の男を踏み台にするような形で宙へと飛び上がった。


 しかし遅かった。荊同士は重なり合って網を形成し、空中にある僕の身体を、虫でも捕まえるように捉えた。それから荊は無数の触手を伸ばし、足に、手に、胴体に絡みついて。 

 逃れようと動けば動くほど、どうしようもなくなっていくそれはまるで、蝶を捕まえた蜘蛛の巣のよう。


「……ぐッ!」


 やられた。身動きが取れない。

 幸い荊の棘は、先ほどのバットもどき同様、この身体に傷ひとつ付けることはできないが……僕も似たようなものだ。あの子の魔力が通ったこの鎖を、強引に振り解くわけにはいかないのだから。


 これは、言い訳のしようもないな。

 ……すまないクレハ。僕がここに居ることがバレた以上、君にも危機が迫るだろう。


 どうか、どうか気をつけてくれ……。


 可愛い生徒の無事を願う僕の瞳には、荊が胎動したことによって花畑の中に浮かび上がった、()()()()()()使()()()()()が映っていた。


 分割された人体を植物で乱雑に縫い合わせた――冒涜され尽くした生命の成れの果てが。


☆六月一日午後一時五分


 ベル先生が調査に出かけてから何時間か経った。

 オレのほうの収穫は今のところナシ。外は会話も聞こえないぐらい静かなもんで、ただ目を閉じて耳を澄ませているだけの、起きているような寝ているようなこれまでだった。


 さすがに腹も減ってきたし、そろそろこちらから動きのひとつでも見せるべきか、と迷い始めた矢先――集会所の扉が叩かれた。


 それはこちらが観念して開けるまで延々と続くようなノックだったから、オレは仕方なく屋根裏部屋から下りて、扉を開ける。


 すると集会所の入り口には、吐き気を催すほど甘いニオイを漂わせるエルフと、この集落の長みたいなものだというツユリが立っていた。


「――作業のお邪魔かとは思ったのですが、もしよかったらこれ、差し入れです」


 日に焼けたような茶色の瞳に屈託のない笑みを添えて、彼女はそう言った。


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