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鏡面のクロノスタシス  作者: 悠葵のんの
三章【月下狂乱の物語】
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9話『深紅の忘れ形見』

☆六月一日午前九時十分


 調査開始から二時間近く経過しただろうか。

 ベルトに仕込んだワイヤーを使い、コソコソと集会所の屋根裏部屋から抜け出した僕は、そのまま近くの茂みに身を隠すようにして入山した。


 歩くは獣道。人の気配はないものの、万が一にも抜け出したことが発覚したら不都合だ。

 常に木陰を意識しながら、踏みつけたら音の鳴りそうな枝葉はなるべく避けつつ、日当たりや湿度、土の性質などを観察し、頭の中にマッピング。


 そうやって、僕は魔族が使っている薬物の元となった植物の栽培場所を分析していた。


 栽培――そうだ。集落に蔓延している薬物が新種か変種かは未だ分からない。けれどいずれにしても、物理的にも魔的にも人間よりタフな魔族が使っている以上、何者かが手を加えていると僕は予想している。


 群生していたモノならば絶やさないよう栽培に切り替えたはずだ。

 栽培していたモノならば魔的要素を加えつつ環境を整えたはずだ。


 つまり何かしらの痕跡はあると踏んで、こうして山中を調査しているわけだが……今のところその成果はない。


 ここが中央都市の内部であれば、人目を避ける必要があるから専用の小屋などがあったかもしれないが、しかしこんな辺境の山奥でそんな気遣いは不要だ。


 まさに木を隠すなら森の中。この中から規模の分からない栽培地を探すとなると、闇雲になるには時間が足りない……。


 一応、日が沈むまでには戻るとクレハには伝えたが、それより先に向こうでトラブルが発生する可能性は、低いとは言い切れないんだ。


 ツユリは危険だ。何をするか分からないところがある。

 だってそうだろう。

 殺人の事実を隠す方法が、死体をバラバラにし、畑の野菜に混ぜて堂々と振る舞うだって?


 確かに僕の経験上、人間とはやましいところがあれば必ず何らかの信号を発する生き物だ。

 落ち着きを失って視線を泳がせたり、とっさに話を変えたり、緊張で乾く唇を何回も舐めたりとか。


 でも、ああ、彼女はその真逆だったよ。

 まるで他人に明かせない秘密などひとつもないとでも言うように、とにかく自然体で居た。

 状況は確実に、彼女を黒だと言っているのに。

 僕もクレハも、あるいは彼女自身でさえも。あの場に居た全員が、そう思っていただろうに。


 それでも疑いは確信にまで至らなかった。

 なまじ知性なんてものを有しているからこそ、疑わしきは罰せずなんて無駄な公平性に、あえて誘導されているようでもあった。


 なんだそれは。

 妄信によって罪悪感から逃れているのか。既に心が壊れて強迫感など失くしてしまったのか。

 絶対的に覆せない黒を、己の振舞いだけで白に塗り替えようとするその無謀さ。


 そんなことができる人間の行く末は、決まって幸福ではない。

 酷ければ、周りの全部を巻き込みながら、笑顔を浮かべて破滅へと走っていくだろう。


 ……ふざけるな。そんな悲劇、本当ならあってはいけないんだ。

 ()()が礎となったこの世界は……そう、あの白黒髪の少年が目指しているような、誰もが笑って幸せでいる世界であるべきなんだ。

 そうなる義務があってもいいほどの、犠牲と献身だったんだ。


 だったら僕は……止めてやるさ。もう後戻りできないところまで事態が進んでいたとしても、まだここで止まって良かった思えるように、中途半端な破滅で終わらせてやる。

 誰のためでもない、僕自身の怒りを鎮めるためにな。


「――――」


 いつの間にか強く握り締めていた拳を、そっと緩める。

 爪が食い込んでいた手のひらを見ると、裂けた皮膚と血液の通っていない自分がそこに在った。


「…………」


 とにかく、危険な状況でクレハをひとりにしてきたんだ。一秒たりとも時間を無駄にしたくない。


 珍しく感情的になってしまった僕は一度、鼓動の無い胸に手を置いてから、ブルーベル――つまり《人形(ドール)》として冷静に、機械的に思考を再開した。


 さあ、よく考えろ。痕跡が見つからないのは、栽培場所が人気の無い山中だからだ。

 しかし――そうだな。辺境の地では確かに人は居ないが、代わりに野生の魔獣が栽培中の植物を食い荒らすということはあるかもしれない。


 さらに誰かが定期的に管理することを考えれば、最初からある程度場が整っていて、かつ集落との距離が遠すぎないほうがいい。

 なぜなら夜には紅い月が浮かぶ。それが栽培を始めた時期と一致するかは不明だが、人でも魔族でも百害あって一利なしの明かりを垂らすのだから、往復の時間は少しでも減らしたいと思うはずだ。

 作業と移動の時間に気を取られて夜になっていた、なんて事態を避けるために()()()()をした可能性は充分。


 となると一番都合のいい場所は――洞窟、いや山窟だろう。


 植物にとって恵みにもなるが災害にもなり得る雨風を凌げる上、野ざらしよりは野生動物への対処がしやすい。

 まあ、たとえば大麻の場合などは、成長のためには最低でも一日六時間ほど日光に当てる必要があるのだが……魔的要因が絡んでいるならその前提が崩れることはままある。


「よし、まずはこの仮説潰しからだ」


 それしかできないなら、それをひとつずつ着実にこなしていくまで。

 僕は一度来た道を戻りながら、獣道、水場、集落との距離、岩と岩の間に空いた人の通れそうな隙間などを意識しながら栽培場所を探した。


 そうして意外にもあっさりと見つけた山窟の最奥。

 淡い陽が差し込み、花が咲き乱れているその空間で――僕は、傷付いた赤色の髪の女の子と出会ったのだった。


☆六月一日午前九時四十分


 洞穴を見つけて足を踏み入れたとき、ここだという確信を得た。

 なぜなら、集会所に置かれたベッドに染みついていたのと同じ甘ったるいニオイが漂っていたからだ。


 中はそれなりに入り組んでいるようだったが、人が通れそうな道に限定すれば、行き先はほぼふたつに絞られた。

 そのうちの片方、微かに風の流れを感じたほうへと進む。

 反響する足音。風に揺れる前髪。奥へと進むにつれてその存在を露わにする、本来山窟内に届かないはずの()()()


 終点に辿り着いた僕は、目撃した。


 山窟の最奥に形成された空洞。その天井付近にぽっかりと空いた孔は真っ暗な空間に、まるで夜空に浮かぶ月の如く、枝葉を通して淡い陽射しを垂らしており。


 その――スポットライトの中心。


 まだ十歳前後だと思われる女の子が、一糸纏わぬ姿で鎖のような荊に手足を繋がれ、己の血液で花を育てていた。


「――――――――」


 その姿を見て、その虚ろな目と視線が交わって。

 あれはかつて岩崩れでも起きてできた孔なのだろうか。いや、この空間自体、自然に形成されたというには綺麗すぎるドーム状だ。ならば天井の孔と合わせて、人の手によるものだと考えるべきじゃないか――なんて風に連続していた思考が、彼方に吹き飛んだ。


 光を浴びながらも光を映していないその瞳。

 それを目指して僕は、聖域を荒らすように一歩踏み出す。

 すべて散ってしまえ。あの子を解放してくれ。

 そう祈りながら、花を踵で潰していく。


 そして女の子の前に到着した僕は、目線を合わせるためにその場に屈んで、在りし日の愛玩人形としての自分を手繰り寄せるように、優しい声色を作り出した。


「はじめまして。君を笑顔にするためにやってきた。僕はブルーベルだよ」


 女の子からの返答はない。

 心臓はちゃんと動いていて、呼吸もきちんとできている。

 だが虚ろな視線は一向に動く気配がないし、荒れて皮の剥がれた唇も何かを訴えたりはしない。


「――――」


 ふと、地面に届くほど長く伸びたスカーレットの髪に、虫が這っているのが見えた。

 それを払うため、女の子の髪に触れる。そのとき。


「ッ――――」


 びくっと、女の子が身体を震わせた。


「………」


 反射的行動。とっさに脳裏に浮かんだのは暴力への恐怖心。刻み付けられたトラウマ。

 ならばと僕は、女の子の冷たく小さな手を取った。


 まずは僕が危害を加えないこと、敵でないことを証明しなければ。

 生憎、この手は全然温かくないけれど、それでも孤独を紛らわせることはできるはずだと、そうなるようにと願いながら、手のひらに触れる。


 すると次の瞬間、女の子はぎゅっと僕の指を握り返してくれた。


「…………」


 ……まさか。いや、そんなはずはない。

 新たな仮説とその否定が同時に行われる。

 なんて想像をしてしまったのだ、僕は。ああ、これは勘違いだ。経験則に基づく偏見だ。この機械仕掛けの身体が積み重ねてきてしまった悪癖なのだ。

 長く存在した者らしく僕の思考は些か凝り固まっていて、ハナから決めつけるようにしてしまうことは、クレハが教えてくれたじゃないか。


 けれど……しかし、今の光景には見覚えがあった。

 それはまだ、僕が僕の役割を果たしていた頃に何度も経験したことだ。

 完全に無視することはできない可能性だ。


「……ごめんね。ちょっとくすぐったいよ」


 確かめなければ。肯定するため、あるいは否定するために。

 僕は女の子の背後に移動し、無造作に曲げられた足の裏側を軽く押し込んだ。

 結果――足の指のすべてが、僕の指を確かめるように曲がった。


「……足底把握反射だ」


 思わず、声が漏れていた。


「いや、まだだ」


 ふたつまでなら、僕は偶然で納得できる。

 重要なのはこのあと。もう一度、検証をしたあとだ。

 答えはそこで決まる。

 必然を作り出すには、偶然がみっつ続くことが条件なのだ。


 僕はポケットのひとつから清潔なハンカチを取り出し、人差し指の土汚れを綺麗に拭き取った。

 それから恐る恐る、空想を現実にしてしまうことに怯えながらも、その指先を女の子の唇に与えた。


「――――――――」


 すると、それまで虚を見つめていた瞳が、何かを探すように動いた。

 同時に差し出した僕の指先を(くわ)え、舌を動かしながら弱々しく吸い始めたではないか。


 それはなんて――残酷な結論だろうか。


「バカな……何がどうなって……そんな……」


 僕の指を母親の乳首だと思って、必死に口を動かすこの子は、断じて十歳前後などではない。


 この子はまだ――産まれたばかりの赤子なんだ。


 身震いし、指を握り返し、足の指を曲げ、口に含んだものを頑張って吸引する。

 それらは原始反射といって、生後間もない赤子が取る行動で間違いない。

 ああ、ならば言葉による返事がないのも当然だ。

 そもそもこの子はまだ、自分が言葉を話せることを知らないのだから。


 それほどまでに、無垢なのだから……。


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