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鏡面のクロノスタシス  作者: 悠葵のんの
三章【月下狂乱の物語】
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7話『ローズレッドの甘い香り』

☆六月一日午前六時五十分


 早朝。オレとベル先生は、ついに目的地である集落に到着した。


「うーん……朝陽が染みるねぇ……」


 ほぼ夜通しで魔石関連の授業を受けていたオレは、馬車を下りるなり全身を伸ばしながら呟く。

 もちろん、大きな欠伸のおまけつきだ。

 するとベル先生が呆れるように、それが吸血鬼の言うことかい、というものだから、確かにと苦笑いがこぼれた。


 (あか)い月が沈み、(あか)い太陽が昇る空。

 肌に触れる風は程よく水気を含んでおり、草木の青臭さは強いが、中央都市よりも空気が澄んでいる気がした。

 異世界でもなんだかんだ、都会と田舎の空気ってのはやっぱり違うらしい。


 元の世界ではどちらかといえば田舎のほうに住んでいたオレとしては、この緑に覆われた空気に若干の懐かしさを覚えなくもないが、それとは別にこの土地には、何か特有の……独特の雰囲気が沈殿している風にも思えた。


 山の麓近く。森の中のひらけた空間に建てられたいくつかの民家。田畑や井戸など生活していくのに必要なものは揃っていて、広々とした牧歌的な印象を受ける光景。

 しかし同時に、どこか閉鎖的でもあるような――この世界に来た初日に覚えた、まさしく別世界に足を踏み入れたのだという実感を想起させる、そんな箱庭ぶりだ。


 つまり、この集落は既にひとつの世界として完結しているのだろう。

 そんな場所に、オレたちはこれから土足で上がり込むってわけだ。

 さて……鬼が出るか蛇が出るか。前者なら同族ってことで友達になれそうだけどなぁ。


「忘れ物はないか? ロケットは持ったな?」


「大丈夫だよ。面倒見のいいベルせんせぇ~」


「よし。木馬の自動警備システムを発動し……行くとしようか」


 ベル先生は釣り下がっていたランタンもとい《支柱》を収納したケースを片手に、自身の魔術で動かしていた馬――精巧な木製の馬形(うまがた)――に新たな目標を設定してから、白衣を翻した。

 まだ朝早いからか誰の姿も見当たらない。ので、とりあえず民家のひとつを訪ねてみよう。

 そんな話をしながらオレたちは、集落の内部へと足を進めた。


 ふと、正面に建てられた看板の文字が目に入る。


「ん……420……と、なんだぁ……?」


「昔教えてもらった知識が正しければ、42とontology(オントロジー)だろう。あれはゼロではなくアルファベットのオーだ」


「ふーん。変な名前だなー」


「存在論を意味するほうならば、“四十二人の存在する意味がこの集落”……あるいは“自身の存在について考察途中の四十二人が集った場所”、だろうか。いずれにしても統一言語のあるリタウテットでは、珍しい表記なことは確かだが――――む」


 ベル先生の足が止まる。その視線の先を追うと、民家の集まっている場所から少し離れた、山道へと繋がりそうな木々の間に、中年女性の姿を捉えた。

 朝の散歩でもしていたのだろうか。今ちょうど、民家のほうに戻ってきたところのようだ。


「第一村人発見ってやつだな」


「ああ。ひとまず、紅月(あかつき)症候群で住民が全滅した、なんて事態にはなっていないようだ」


「《支柱》使ってんのかな。あ、つーかさ、ふと気になったんだけどさ、()()()ってどーしてたんだろなぁ? つい数時間前にゃあオレも月の影響受けちまったわけだし」


 元々オレの知る紅月症候群は、外的魔力に耐性のある魔族や、魔法魔術が使える人間には効果がないって話だった。

 問題はこの世界に住む人間の九割が、魔を扱えない、体内魔力の少ない存在だってことで。

 だから中央都市の研究者は、オレが吸血したシンジョウの愛娘――ミライは、その一般人たちを守るために《傘》を開発したし、無垢で無力な子供を助けてその命を落とした。


 甲斐はあったんだろう。おかげで今も、中央都市は《傘》によって守られているし、助けられた子供だってきっと命を繋いでいる。


 けど……《傘》の外はどうだ?

 紅月症候群はその影響を強めているって話だ。実際、半吸血鬼として人並み外れた魔力を有しているオレでさえ、あの毒電波を食らって頭がおかしくなりそうだった。


 そんな、悪いほうに転がり続けている状況の中で、過去に中央都市を出奔していた者たち――政府や騎士団の庇護下から外れて生きることを選んだここの住民たちは、あの月にどう対処しているのだろうか。


 もちろん、外で生きることを選んだ以上は少なからず魔を扱う手段、都市の外で生きていける力を持っていたんだろうとは思う。

 だが現実問題どうやって、《傘》もなしに紅い月が浮かぶようになってからのこの三か月を乗り切ってきたのか……正直、想像もつかないというのが本音だ。


「僕も同じ疑問を抱いている。中央都市の外、小さなコミュニティ、人と魔族、そして行方の掴めない使者と《支柱》。……この集落の実体を紐解くには、すべてを細かく知る必要があると思う」


「ふむぅ」


 と、相槌を打ったところで、先ほどの中年女性と目が合った。

 辺境の集落に客人が訪れたか、あるいは行方知れずの使者を探しに来た騎士団か――そのどちらと取ったのかは不明だが、女性は軽く頭を下げながら、早足でこちらに駆け寄ってくる。


「挨拶は僕に任せてくれ。表向きの目的は《支柱》の設置。使者については、向こうがしらを切るなら話に乗って泳がせる」


「ん」


「クレハは助手として紹介するが、振舞いは寡黙な護衛で頼む。警戒心や猜疑心を煽れば、何かしらの反応があるかもしれない」


「ボロを出させるってことか。りょ~かい」


 方針の確認を手短に済ませ、オレたちは《42ontology》と書かれた看板の前で女性と合流した。


「……すみませんっ、気付くのが遅れてしまって……」


「いえ、こちらこそ朝早くに申し訳ない。どうぞ、焦らず息を整えてください」


「あ、ありがとうございます……。ん……その、もう大丈夫です。それでお二方は、どのようなご用件で……?」


「我々は中央都市から派遣されてきました。《支柱》の件に関して、先に書状が届いていると思うのですが、ご存じでしょうか?」


 中央都市、《支柱》、書状。ベル先生がそれらの言葉を出すと、女性は心当たりがあるように何度か小さく頷いて、真剣な表情を浮かべた。


「……はい、到着をお待ちしてました。申し遅れましたね。私はこの集落の、長のような立場にあります。ツユリといいます」


 ツユリ……集落の長か。いい出だしだぜ。

 その立場と口ぶりからして、書状については間違いなく知っている。

 ならば、先に派遣された使者についてこの人がどう答えるか。それによってオレたちがこの集落でどう振舞うべきかも決まるだろう。


「こちらこそ、僕はブルーベル。《支柱》設置のための技術者です。そして後ろの彼は助手のクレハ」


「…………」


 目付きを鋭くして、無言のまま、会釈とも取れないほど僅かに頭を傾ける。


「……よろしく、お願いします……」


 笑顔を浮かべながらも、ツユリの返事には若干の緊張が混じっていた。

 それに加えて、自分を守るように腕に手を添えるその仕草。どうやら警戒心を抱かせることに成功したらしい。


 これもアネモネという、最高のスタァの演技指導を受けていた賜物だな。

 表情や些細な仕草をもって、抱かせたい感情に相手を誘導する――その技術は確かに、オレの中に培われていた。


「さて――早速ですが到着を待っていたということは、《支柱》設置の同意を得られたと理解してよろしいでしょうか」


「はい。最近の月の魔力は前より強力で、その……死者が出てしまう事態になっていたので。私たちは中央都市を出奔した身ではありますが、それでもその庇護を受けられることに深く感謝しています」


「心中お察しします。政府としても、都市外との繋がりは完全に断ち切るべきではないと考えています。ただ、解いた糸をどう結び直すか模索していたのでしょう。ですがご安心を。《支柱》の設置はいつでもできる状態にあります」


「ありがとうございます……本当に、ありがとうございます」


 心の底から振り絞るように言って、ツユリは頭を下げた。


「いえ……ですがその前にひとつだけ、どうしても確認しておかないといけないことがあるんです。いいですか?」


 ――来た。切り出しは直球だが、逆にそれが、表向きは自然な流れだ。


「え、ええ、なんでしょう?」


 ほんの少し、これもまた()()()()()()を見せたツユリに、ベル先生が問いかける。


「我々の前にここを訪れた使者が、今どこに居るか知りませんか?」


「……お二人以外の使者、ですか……?」


 さあ、どう出る。ここで疑う余地のある返答が来るかどうか。それが今後のオレたちの行動に関わる。ひとつの分岐点となるだろう。

 真相を知った上で隠蔽するか。それとも嘘偽りのない無知を見せるか。


 いずれにしても、オレがこの眼に収めるのは――真実のみだ。


 静かに、両目に意識を集中して魔眼発動の態勢に移行する。

 悪魔の持つ魅了幻惑(ファシネーション)と、媒介元であるアネモネが生来より宿した雷属性の掛け合わせ。それが可能にするのは生体電気への介入。

 他者の意識を操ることも思考を読むことも可能な、これは文字通り悪魔の力だ。


 この眼で視てしまえばツユリが嘘を吐こうが関係ないし、何かの心当たりを頭の中に連想してくれたら、それすらも読み取れるだろう。

 ふっ、とんだ反則技だぜ。思わず口角が釣り上がりそうになりながら、オレは体内魔力を奔らせる。


 準備完了だ。《血識羽衣(アルカードレス)》――――《悪魔(アネモネ)》の血液を媒介に、もう一秒もなく魔眼を発動させようとした、その時。


 さりげなく、ベル先生に足を踏まれた。


「――⁉」


 しかも大した予備動作もなかったくせに、それは有り得ないほど重い一撃で。


「ッッッ~~~~……⁉」


 爪先から頭のてっぺんまで、激痛が電流となって駆け抜けていく。

 思わず呻き声が漏れそうになったので、必死に奥歯を噛んで堪える。


「……?」


 ツユリはその様子を見て明らかに不審がってしまったが、オレはすぐに感情を殺して助手を演じる寡黙な護衛――つまりは真顔に戻って誤魔化した。誤魔化せていてくれ。


 一方でいきなり人の足を踏みつけたベル先生はというと、極めて涼しい顔をしていた。

 しかも今気付いたがこの野郎、それとなく《支柱》の入ったケースを足元に置いて、ちゃんとツユリの死角を突く形でオレの足を踏んでいたようだ。抜かりねぇ……。


 ……まあとにかく、魔眼は使うなということらしい。

 オレは束ねていた魔力を宥めて、そのまま力を抜いた。

 それから数十秒経っただろうか。ベル先生の問いから若干の間をおいてツユリが口を開いた。


「……少なくとも、私の知る限りは誰も訪れていません。こう言っては失礼ですが、少し変だなとは思っていたんです。お二方が来てくださった今日は書状にあった予定日より……その、遅かったので」


「そうですか。分かりました。あくまでもこちらの事情ですので、忘れてください」


 ベル先生は穏やかな表情を崩さずに、そう返した。

 知らないと答えられた以上、変に疑う姿勢を見せるわけにはいかないからな。

 この話はここでおしまいか――と、思いきや。


「えっと……つまりお二方は、この集落に向けて出発した二組目の使者……ということですよね?」


 ツユリが口元に指を添えて、こちらの事情を推察するように言ってきた。


「……ええ。そうですが」


「でしたら一組目の方々は、道中で事故にでも遭われたのでしょうか。馬車でしたら車輪の痕などは……?」


「いえ、そういったものは特に。あったとしても、ここ数日中に降った雨で消えてしまったでしょう」


「そう、ですよね……」


 今のところツユリが嘘を吐いている様子はない。とはいってもそれは、目が泳ぐとか汗を掻くとか、そんなオレにでも分かるような引っかかりはないという意味でだが。

 しかしベル先生の言葉を拾い上げ、同じ目線で使者のことについて考えを巡らせるツユリのその姿勢……敢えてやっているなら相当なもんだぜ。


「……ひとまず、その件は《支柱》の設置を終えてからにしましょう。ツユリさん、あとでほかの住民に話を聞いても? どんなに些細なことでも、手がかりに繋がるかもしれませんから」


 これ以上は藪蛇だと考えたのか、ベル先生は予定通り、使者については知らないというツユリの話に乗って会話を切り上げつつも、そんな提案を残した。

 これが何かの布石に繋がればいいが、それを聞いたツユリの反応は。


「もちろんです。この集落のために行方が分からなくなったとなれば、私も気がかりです。協力できることはなんでもさせてください」


 なんだかもう、疑っているこっちの心が汚いみたいで嫌だな……。

 そう思えるほど、彼女の応対は完璧だった。


☆六月一日午前七時


 《支柱》の設置は、集落の中で一番高い場所が望ましい。

 ベル先生がそう伝えると、ツユリはオレたちに少し待つよう言った。


 そうして彼女は、全部で八棟ある民家とは別の、ほかに比べても明らかに一回り大きな建物へと向かった。

 そこに入っていく後ろ姿を見届けてしばらく。中からは十数名ほどの魔族が出てきた。


 全員が二足歩行で、人型に近い。筋肉質な体躯と鋭い牙や爪を持つライカン、全身を覆う鱗に爬虫類特有の瞳が特徴的なリザードマン、鳥類の手足と小さな羽を有したハーピーに、長い金色の髪と尖った耳が目を引くエルフなどなど。

 オレが分かる範囲で大雑把に種族を分けると、こんなところか。


 彼ないし彼女らは気怠そうに身体を動かしながら、薪割りや畑の整備など、日々の生活を始めていく。

 《支柱》設置の作業のために、仕方なく叩き起こされたってところか。

 建物は無人になったらしく、ツユリが両手で丸を作ったので、オレとベル先生は歩き出す。


 すれ違った何人かの魔族と短い挨拶を交わしつつ、時折無視されつつ。

 そうして集落の中を歩いていたオレはふと、あることが引っかかった。


 なんか――臭いな。


 それは例えば、刑事が事件のニオイを嗅ぎつけるときのような、抽象的なキナ臭さとかではなく。

 かといって魔族特有の、生物としての獣臭さというわけでもなく。


 何というか、南区でやたら強い香水を付けたヤツとすれ違ったときのような、そういった意味での不快な甘い香りが、そこら中に立ち込めているのだ。


 オレは必要なとき以外、人間と同じレベルまで五感を抑えているのだが、それでこれだ。

 ここの住民たちは何とも思わないのだろうか。

 いやむしろ……住民たちがこのニオイを放っているのか……?


 それは、オレがこの集落で初めて掴んだ、具体的な違和感だった。


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