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鏡面のクロノスタシス  作者: 悠葵のんの
三章【月下狂乱の物語】
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2話『桜の姫』

☆六月一日 午前零時四十二分


「八重城の主って――ッ、お姫様ァ……⁉」


 驚きのあまり声を裏返らせた、その刹那。

 オレがとっさに口元を手で覆ったのと、頭上、即ちこの部屋の天井裏から敵意を帯びた熱烈な視線が降ってきたのは同時だった。


 続いて無知で無作法な教養のない者を侮蔑する雰囲気が、この煌びやかな空間に流れ込んでくる。

 陰口を叩かれているというわけではないが、どうやら天井裏に潜む何者かだけでなく、襖を隔てた向こう側に居る人たちにも嫌われちまったらしい。


「…………」


 しかしそれも当然か。言い訳のしようもなく、今のはオレが悪かった。

 突然のことでまだ頭が追い付いていないが、おそらくここは御前というやつなのだ。

 それも、八重城のお姫様の――。

 今のオレはまさしく頭が高いのだろう。


 まるで刀の切っ先を突きつけられているような、身の程を弁えろとでも言いたげな威圧感に身構えつつ、とにかくオレはその場に正座をした。


 高慢ちきで偉ぶってるヤツは好きじゃないってのがツキヨミクレハの心情だが、本当に高貴で立場のあるお方には尻尾を振るのが信条であり――そして何よりも、サキと名乗ったこのお姫様には、食事や仕事といった打算的な見返りを一切期待することなく跪いてしまいそうになるほどの、洗練された存在感を覚えてしまったというのが真情なのだ。


 何も把握できてないことに変わりはないが、できる限り身体と心の姿勢を正して、自分が正真正銘、本物のお姫様の前に居るという状況を受け入れる。


「…………」


 すると、それならまだマシな部類の態度だと点数をくれたのか、オレを咎めるような場の圧迫感は少しだけ和らいでくれた。

 及第点にはまだ、程遠いようだけど。


「突然のことで混乱しているのはお察しします。ですが単刀直入に申し上げまして――ツキヨミクレハ、貴方には中央都市の外にある、とある集落の視察をしていただきたいのです」


 城主に相応しい威厳と気品の中に、少しだけ幼さを残した耳触りのいい声が、確かな言葉となって水のように全身に浸透する。


「…………」


 ああ。きっとどんな人も、この声でひとたび命令されてしまえば、断ることはできないのだろうと思った。

 中央都市の治安を守る騎士たちの長、あのアヤメさんに初めて会ったときに抱いた印象と同じだ。

 身に纏ったカリスマとでも言うべきか。立場が人を動かすのではない――人を動かす目に見えない魅力を持つからこそ、より重要な立場に身を置く定めを背負っているのだろう。


 ならば、オレの答えはもう決まりきっている。


「……分かり、ました。――やります」


 そんな立派な人からお願いされるってのは悪い気分じゃねえ。むしろ認められた気がして、役に立てるのを嬉しく思う。

 どっちにせよ偉い人からの命令なら、拒否できねえだろうしな。だったら大人しくして、大人らしくして、今後のためにも使えるヤツだってところを見せてやるぜ。

 それに……オレにだって責任ってのはあるんだ。


 ――力を持つ者の責任。


 それは、《不死鳥(ナイツ・オブ)騎士団(・フェネクス)》の団長であるアヤメさんから貰った教えだ。

 もしもこの手に、誰かを助けられる力があって。

 もしも今行動を起こさなければ、助けられるはずの命が消えていくなら。

 オレは迷わず剣を執ると決めた。

 その願いを、背負ったから。


 と、そんな意味を込めた、我ながら少しは立派な心掛けが出来た返事のつもりだったのだが。


「委細構わず、と。ふむ」


 御簾(みす)を通して聞こえた声は先ほどとほんのわずかに違い、若干の硬さがあった。

 不満や疑問まではいかないものの、何か意にそぐわないことが起きたような、その変化。

 吸血鬼としての鋭敏な感覚でなければ察知できない、些細な感情の動き。

 しかしそれも一瞬のことで。


「…………」


 小さく頷いたオレを一瞥し、すぐにお姫様は先ほどまでの威厳と気品に満ちた声で言うのだ。

 オレと、この部屋の外に居る人たちに向けて。


「この桜の姫、ツキヨミクレハの度量に感服いたしました。――それでは告げます。彼の返答に不満がある者のみが襖を開け、わたくしの前に姿を現しなさい。そうでないのなら……夜も更けた頃合いです。ご苦労様でした。早く家に帰り、家族を安心させておやりなさい」


 ……返ってくる言葉はない。一拍ほど置いて襖の向こうから聞こえてきたのは、その場を立ち去る足音のみだ。

 控えめなものから遠慮しないものまで、様々な足音が響いては部屋の周囲から人の気配が薄れていく。

 けれど完全に無くなったとまで言えないのは、天井裏にまだ、警戒心の塊みたいな輩が残っているからだろう。


 あまりに強く意識されるものだから、つい天井を見上げてしまう。

 ……見つけた。

 部屋の仄暗さも相まって、人並みの視力であればまず分からない小さな隙間。

 そこから、いけ好かない天使の瞳を想起させるような薄い黄色、浅黄色の双眸がこちらを監視していた。


「…………」


 一秒よりも短い間の、視線の交差。

 お互いがお互いを見定めるようなそれは、お姫様の一声によって妨げられた。


「ワビスケ。貴方も少し席を外しなさい」


「わび……?」


 それは、天井裏に向けられた声だった。

 

「――ですが、それでは」


 抑揚のない低い声で、短い抗議が降ってくる。


「よい。わたくしはクレハとふたりきりになりたい」


「しかし……」


「くどい。わたくしがお飾りで担ぎ上げられた小娘でないことは、貴方だって理解しているでしょうに」


「自負しております。……それでは姫様。しばしの間、留守にします」


 その言葉を最後に、天井裏の気配は霧散した。

 誇りの高さゆえに未練や葛藤などは切り捨て、命令に従ったようだ。


 さて。見事お姫様のご希望通り、ふたりきりになっちまったわけだが……。

 そこには一体、どのような意図が込められているのか。

 何か仕事を引き受けた以上、その内容についての説明があるんだろうなどと推察してみるが……それはそれとして、オレもう足が痺れ切ってるんだけどな。

 できれば長話にならないことを祈るぜ。


 なんて、お姫様と同じ部屋にふたりきりだという状況に緊張しつつ、慣れない正座に脚部の限界を感じていると。


「クレハ。此度はわたくしの不躾なお願いを聞いてくれてありがとう。どうぞ楽になさって」


 一語一句決して聞き逃すことはないであろう澄んだ水のような声に、布の擦れる音が重なる。

 御簾の向こうで影が蠢いた、と思った束の間。


「今、そちらにゆきますので」


「え?」


 オレが心の準備をし終えるより先に、ひょこりと――満開の桜はその姿を見せた。


「――、ぁ――――」


 見惚れた。

 時間が止まり、音が消え、鼓動が静止した。

 そしてそれらは、()()と共に連続性を取り戻す。


「――――」


 眩んだ目を落ち着けるために、ぱちりと瞬きをして、もう一度眼前の光景を見直した。

 それはまるで、シャッターを切ったカメラが、次の被写体にピントを合わせるような行為。

 そうまでしてようやく、オレはハッキリと認識することが出来たのだ。


 その――深紅の瞳を。妖しさを纏う切れ長の目を。雪を欺く肌を。着物の上からでも分かるほど、細くしなやかな手足を。さらに一等目を惹く、その身を彩る華美な装飾のどれにだって勝る輝きを宿した、儚げな薄桃色の長髪を。

 まるで咲き誇った桜が、その最も美しい瞬間を切り取って、時間を止めてしまったかのような。

 たおやかで、精彩を放つ、世界の美しさが――人の形をして目の前にいた。


 美形というなら元の姿を取り戻した麗人たるレイラや、それこそ自身のビジュアルを売りのひとつにしているアネモネもそうなのだが、八重城のお姫様の優美さは何というか……怖かった。

 見るのが怖い。話すのが怖い。同じ空気を吸うのが怖い。


 触れるだけで弾けて消えるシャボン玉のような脆さと、同じ人の身でありながら自分とはまるで違う美しさが同居している彼女の容姿は、もしかしたら宇宙より訪れた未確認生命体なのではないかと真剣に考えてしまうほどの――未知だった。


 分からないものには畏れを抱くのが人間だ。だからオレも、オレの残り半分の部分で、お姫様に畏敬のような感情を抱いた。のだが。


「足が痺れているのでしょう? 遠慮することはありませんよ」


 そのお姫様本人は意外にもフレンドリーに、言いながら微笑んでくれた。


「は、はぁ……そういう……えっと、そうおっしゃられるなら……」


 気を遣われた以上は遠慮なく振舞うのが礼儀だろうと、オレは記憶の海からそれらしい言葉遣いを拾い上げながら、身体をもぞもぞと動かす。

 そこで重大な事実に気が付いた。……まずい。足が痺れすぎて自由に動かないぞ。まさか怪我とは少し違うから、吸血鬼の回復能力が働いてないのだろうか。


「どうかなさいまして?」


「……イイエ?」


 くそ、早く体勢を変えなければ。しかし、このままひっくり返りでもしてお姫様に醜態を晒すわけにはいかない。オレなんかが晒していいはずがない……!

 落ち着け。慎重に。まずは体重をかけている腰を持ち上げ、次に膝を動かして足の稼働スペースを確保。それから手を使って、言うこと効かなくなった足を伸ばすという流れを実行――したの、だが。


「あ、――ぐぇ⁉」


 こけた。足の痺れに加えて、一時間ほど前に行われた聖戦の疲労、そしてお姫様と面と向かって話しているという緊張が重なったことで、自分でもどうしたらこうなるのかって思うぐらい見事に、前のめりに倒れた。

 だが、もっと問題なのはここから先だ。

 動かない足と反射的に伸ばした腕。そしてその先には正座をしたお姫様が居て。

 そう。なんと度し難いことにオレは、その細い肩を両手で、しかも結構思いきり掴んでしまったのだった。


「な――――ッ⁉」

「…………おや」


 お姫様の身体を支えにしていることもあって、なんだかまるで迫っているかのような体勢。

 今にも目と目が、鼻と鼻が、唇と唇が触れてしまいそうな距離。

 仄かな暖色の明かりとそれが生み出す陰影が印象を操作したのか、視界を覆わんばかりのお姫様の美しさに対し今感じるのは、畏敬というよりも、いっそのこと身を委ねて沈んでしまいたいという甘美で妖艶な雰囲気だ。


 まるで捕食者である蜘蛛でさえも幻に惑わせるような、魅惑の蝶。

 今にも呻き声を上げて倒れてしまいそうなほど頭が真っ白になったオレは、引くも押すもできないままお姫様と目を合わせ続けていると。


「お怪我はありませんか、クレハ」


 何事もなかったかのように微笑を浮かべて、お姫様はオレの名を呼んだ。

 それでようやく正気を取り戻したオレは、すぐに謝罪の言葉を口にする。


「す、すいません……! 離れ……すぐに離れるんで……!」


 肩から手を放し、また変に倒れてしまわないよう痺れた足に気を付けながら、頭を下げる。


「ホント申し訳ありませ――――ん?」


 すると不意に、両の手首に氷でも触れたような冷たい感触が走った。

 顔を上げて見てみれば、なんとお姫様がオレの両手を掴んでいるではないか。


「え。あ……?」


 熱を心地良く冷ましてくれるような指の温度と、柔らかな肌の感触。

 まったくもって予想外であるお姫様の行動に呆然としていると、彼女は僅かに口角を釣り上げて言った。


「どうぞお気になさらず。それに言葉遣いも普段通りで結構です。……失礼」


「はい?」


 お姫様は笑っているのか怒っているのか分からない笑顔を浮かべ、軽く握ったオレの両手首を左の手のひらで束ねた。そしてすかさず、空いた右手をオレの脇の下の辺りに差し込んでは――。


「えいや」


 半ば四つん這いになっていたオレの身体が仰向けになるよう、半回転させた。


「ッ――⁉」


 合気道か何かの技なのだろうか。見事にぐるりと回った視界は、シミひとつない天井を映している。

 しかも、しかもだ。後頭部の感触がおかしい。

 肌触りの良い布と、その奥に微かに感じる温もり、何よりこの全体的な柔らかさ。

 これは……これはまさか。


「お疲れなのでしょう? 充分なもてなしとは言えませんが、しばしの間、わたくしの膝をお使いください」


「だッ、ダメじゃあないですか……⁉ お姫様なんだから、オレみたいなのにこんな……!」


「立場は関係ありません。いえ、だとしても、貴方には役目を与えました。それも白状してしまえば、わたくしの不始末を押し付けたのですから、必要なことはしなくてはなりません。それともやはり、わたくしの幼い身体では膝枕には適さないのでしょうか」


「い、いえ……んなことはないですけど……」


「心地よくて?」


「……はい」


「でしたらこのままで。先ほども申しましたが遠慮は不要です。貴方が中央都市に置いていかれました聖剣――《ナイト・メア・アタラクト》を無断で八重城に持ち込むという失敬を、こちらは既に致しているのです。多少なりとも不遜な態度を取っていただかなければ、立つ瀬がありませぬ」


 深紅の瞳を妖しげに輝かせながら、冗談まじりに言うお姫様。

 オレは今、その膝の上に頭を乗せていて。

 お姫様の膝枕。清らかな甘い香り。薄暗い部屋。ふたりきり。……まずい。何かが妙だ。心臓の鼓動が早い。動悸が収まらない。


「それもあって実のところ、先ほどのような大人に慣れた態度は、見ていて気持ちのよいものではありませんでした。少なくとも今は尾を振ることも肩肘を張ることもなさらないで。どうか年頃の、普段通りの貴方を見せてもらえたら、わたくしは嬉しいですよ……クレハ」


 お姫様の白魚のような手が、そっと、割れ物にでも触れるように丁寧に、オレの頬に添えられる。


「……は、はい……」


 ごくりと、生唾を飲み込む。

 どういうことなんだ、これは。

 普段だったら以前ミアに迫られたときのように、理性が本能を強制的に抑えつける《明鏡止水(あんじ)》が発動するはずなのだが、今回は元から曖昧な判定のさらに微妙な部分を攻められたのか、その兆候が一切ない。


 だからといって、これ以上お姫様に粗相をしてはいけないだろう。

 仕方ないので子供の頃の、あの母親とのクソみたいな記憶を手繰り寄せ、ひとまず気分を落ち込ませる。


 ……ああもう、なんだってオレはこんな自傷行為をしているのやら。

 静かに、お姫様にかからないよう重い息を吐き出す。

 そうやって精神が逆に安定してきたところで、お姫様もそれを察したのか、柔らかだった表情に一本、先ほどまでの()()を打ち込んだ。


「改めまして。わたくしはこの八重城の主――桜の姫と書いてサキと申します。お会いできて光栄です。レイラ・ティアーズの眷属、ツキヨミクレハ。この金色の髪と赤い瞳、かの麗人とお並びになったら、さぞ見応えがあるのでございましょうな」


「ど、ども。というか眷属のこと知ってるんですね。……知ってんだ?」


「ふふ。もちろん、存じておりますよ」


 普段通りにと言われた手前言い直したのだが、それが面白かったのか微笑を含んだ返事をするお姫様。

 しかし再び流れるように表情を切り替えた彼女は、真っすぐにオレの目を見つめて、口火を切る。


「彼女のただひとりの眷属なのですから、政府上層部にその事実を把握していない者はおりません。そして、少々入り組んだ話ではあるのですが、此度の一件においてクレハに白羽の矢が立った要因のひとつが、()()なのです」


「レイラとのことが?」


「はい。中央都市政府と彼女の間で結ばれていた契約が先月破棄されたこと。同時期にわたくしが呪術を受けて体調を崩したこと。そして――紅月(あかつき)症候群の深刻化。以上のことが重なった結果、ツキヨミクレハにとある集落の視察を依頼する運びとなりました。それでは手短に、詳細をお話いたしますね」


 オレは小さく頷きながら内心、こう思った。

 これは絶対長い話になる――って。

 六月一日。午前一時の、ちょっと前。


 ツキヨミクレハの夜はまだ、終わらない。


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