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鏡面のクロノスタシス  作者: 悠葵のんの
二章【地雷乙女の物語】
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幕間『紅い月の下で待っていて。素敵な騎士様』

 五月八日。早朝。リタウテット中央都市、南区の裏路地。

 そこに――ふたりの女が居た。


 ひとりは夜の内に記事をばら撒くという仕事を終えて、青白い朝日を浴びながら帰路についていたはずの女。

 年は十代後半。髪は短く、帽子を被り、オーバーサイズの衣類を着用しているので、身体のラインが出ることもなく。影だけ見れば本当にただの人型。十人が見れば十人が普通と答えるような、黒髪黒眼の日本人。


 そしてもうひとりは。

 まるで死人のように瞳の輝きを失った、けれど誰もが見惚れるほどに眩しい白金の髪を持つ女。

 聖母と同じ名を持つ彼女は、その手に持っていた一枚の紙を――東区壊滅の原因が妖刀を手にしたシンジョウという男であることを書き上げた新聞記事を広げて言う。


「やっと会えたわね、この記事の著者さん」


 軽やかな声。微笑むように緩んだ口の端。微動だにしない冷徹な眼差し。

 それを受けた黒髪の女は直感した。

 ――あ、これは殺されるやつだ。と。

 女はすぐにその身に秘めた特異の力、自身に対する他者からの存在認識を阻害するという()()を発動し、裏路地からの脱出を図った。


 元々、危機が迫っているという予感はあったのだ。

 朝の南区。人気の無い霧がかった通り道。明らかにナンパ目的ではない呼びかけに、断る隙もなく裏路地に連れ込まれて。


 ……ただ、このようなことは以前にも何度かあった。

 女は新聞記事を書いていた。

 あくまで生計を立てているのは勤め始めて一年以上になるパン屋での仕事だったが、彼女にとってその趣味は、金銭的利益の発生する仕事以上に意義を感じる――言ってみれば使命のようなものだった。


 有名人や政府要人のスキャンダル、一般市民まで周知されない犯罪者の情報を正確に記し、民衆に正義を問う影の探究者。

 本人はその立場にとても満足していた。かつて失くした、零れ落ちてしまったモノを埋めていくような充足感があった。

 しかし、良くも悪くも事実をありのままに白日の下へと晒し上げるその行為は、後にどれだけ正しい行いだと判断されたとしても、その時々で不都合な側の人というのはいるわけで。


 日頃から他者より恨みを買うことが多い活動に加え、自身の正体が表に出ていないという性質上、熱心に記者本人を特定し逆に晒してやろうという手合いも少なくなかったのだ。


 そんな場合、女は常に相手の出方を探り、隙を見ては魔法による存在の隠匿を行って逃げるか、騎士団に居る情報提供者(しりあい)に助けてもらっていた。

 先に手を出したのは向こうだとか。自身が記者である証拠はないだとか。やりようはいくらでもあった。それが通用したこれまでだった。


 しかしそれも、今この瞬間までのこと。

 白金の髪の女は、呼吸を殺し、鼓動を偽装し、己が存在を隠匿した黒髪の女の――その胸倉を掴み、強引に汚れた壁へと叩きつけた。


「きゃッ――あ、ぅッ……⁉」


 黒髪の女は何が起きたかをまったく理解できないまま、地面に倒れて咳き込むことしかできない。

 鼓動と噛み合わない呼吸。だらしなく垂れる涎。涙を湛えた視線の先には、まるで宝石のような紫色の瞳が待ち構える。


「なん……で……ッ……」


 黒髪の女の魔法は、それによる存在の隠匿は、かの騎士にも魔眼を持つ悪魔にさえ見透かせなかったというのに。

 物事には必ず原因が存在する。かつて聞いた忌々しい教師の言葉が自身を諭すようにフラッシュバックするものだから、黒髪の女は半ば反射的に相違点を探した。

 自身が魔法を使う前後にもたらされた、変化の痕跡。

 見つけたのは、白金の髪の女の手だ。新聞記事を持っていたその手にはいつの間にか、記事に代わってバトンのような筒状の何かが握られていた。


 あれは、なんだ。

 こんな、どうしようもないくらい絶体絶命の状況なのに……目が離せない。

 

 そう思いながら、黒髪の女ははっきりしない視界の中でソレに視線を注ぎ続けた。

 不意に差し込む朝日。淡い光がすり抜けたのは細く美しい刃。

 そう、白金の髪の女が手にしていたのは、剣の柄だったのだ。

 鍔から先の視認が難しい、光を射してようやく輪郭が分かるような、限りなく透明に近い刃。

 明らかに特別製であるそれに秘められた力が、自身の魔法を打ち破ったのだと黒髪の女は直感した。


「――――ぁ」


 そして、理解するのだ。

 その切っ先が今、自分の首元に向けられている、と。


 血の気が引いていく。寒い。冷たくて身体の芯から震える。噛み合わない奥歯がかたかたと音を鳴らす。


 死。自分がこの世界から消えてしまうこと。これまで連続していた意識が断線し、もう二度と戻ることはなく、月の冥府へと導かれた魂は他者の新たな命となるか、別のエネルギーに変換されること。そして己もかつては別の誰かとして生き、死に、その自我は今の己に上書きされてしまっているということ。


 それを、そのシステムに組み込まれている自身を認識した瞬間、胃液がせり上がってきた。

 首に異物が押し込まれて、ごりごりと異音を立てながら肉も骨も断たれて、ぼとりと地面に落ちる自身の首が目に浮かんだ。


「はっ、はすっ……はすへへ……ううぅぅっ!」


 声にならない声。いつもは形になるはずの言葉が、伝えたい形に固まってくれない。

 間違っていた。驕っていた。過信していた。

 相手の目的を探ろうとなんかせず、変に誤魔化そうなんて思わず、声をかけられた瞬間に全力で逃げるべきだった。

 ううん、違う。もっと最初から――誰かの薄暗い部分を晒し上げるなんてこと、やめておけばよかった。だからきっとバチがあたったんだ……。

 そんな後悔がよぎり、永遠に近い一秒が過ぎる頃。


「ご、べぇ……なさぃぃ……ルゥぅぅ……あぁぁぁ、ああ……」


 黒髪の女はもう、こんな一瞬一瞬薄氷を踏み歩くような命の危機には耐えられないと、一刻も早くできる限り痛くない方法で終わらせてくれと願った。


「正しさに酔った小悪党。責任を負いたくない正論吐き。あなたについては、その言葉だけで事足りるわ。だから生い立ちも動機も語られる必要はない。けどね、ひとつだけ聞きたいことがあるの」


 柔らかい声色で。冷たすぎる眼差しで。聖母は言う。


「あなたが騎士団に抱えている協力者――誰?」


 五月二十八日。夜。ようやく、必要な情報が揃った。

 まったく。わざわざ面倒に面倒を重ねた策を弄した甲斐が、あったというものだ。


 それは四週間ほど前のこと。私は、サンモトマリアが東区壊滅の原因となった呪具『妖刀』の重要な関係者であり、その身柄を確保する必要があるという書状を、東西南北にある主要な騎士団支部、そして中央の本部に騎士団長オオトリ・アヤメの名を用いて送付した。

 当然、騎士団長様はすぐにそれが偽の書状であり、何者かの策謀であると思い至っただろう。

 しかしだからといって彼女は、第三者によって偽装された自身の命令を取り消すことはしない。


 なぜならば、水面下で行っていた秘密裏の調査を騎士団全体に拡散されたからだ。

 それは警告であり牽制。つまり、先手を取られたということ。

 とするとひとまずは機を窺い、相手の術中に陥るフリをして盤面をひっくり返すことを狙うのが定石であり、いざとなれば力ずくで解決できるだろうという傲慢が抜けきらない彼女の限界でもある。


 こうして彼女は、この五月中に騎士団の力のみでサンモトマリアの身柄確保ができなかった場合、情報を一般市民に公表し、正式に指名手配を行う方針を決めた。


 が、そこはまだ、どうだって構わない。

 重要なのは騎士団全体に妖刀=サンモトマリアという認識が広がること。

 そして騎士団内には、その餌に食い付く魚がいる。

 常に記事のネタになりそうなモノを探し、それを記者にリークする内通者がね。

 私は記者が動き出した頃合いを見計らい、堂々と町中に姿を晒し、さらにツキヨミクレハという餌を撒いた。

 そこから近場で妖刀案件のひとつでも起こしてあげれば、情報収集と新たな記事の執筆、各地区へのばら撒きのために、正体不明の記者は姿を現すという算段だ。

 あとは獲物が網にかかるのを待つだけ。


 結果、目的は過不足なく達成された。


 ただ、ひとつ予想外だったのは、あれだけ民衆を扇動してみせた記者本人があまりにも小物だったこと。

 落胆とまでは言わないが、肩透かしを食らった気分ではあった。

 ペンを武器にしていた点は多少の好感を持てなくもないが……まあいい。とにかく私にとってあれは、ただの舞台装置にしか過ぎなかった。


 大切なのは、弎本(さんもと)真理亜(まりあ)が記者を殺害し、その協力者から騎士団内部の情報――本部の見取り図や警備体制など――を入手したという事実。


 どうやらこの世界は、今までと違って裏方に徹することを許してくれないみたいだから。

 この辺りでひとつ、私もスポットライトを浴びるとしよう。


 絵本は閉じかかっている。冥府の用意は順調。であればここで、中央都市の()を破壊する。

 建物の屋上。給水タンクに腰を下ろし、私は西の空に沈む紅月(あかつき)を見送る。

 次の【物語】は決まった。


「六月一日の夜。――不死鳥を墜とす」


 剣よりも銃よりも、私は万年筆と用紙で世界を統べるわ。


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