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鏡面のクロノスタシス  作者: 悠葵のんの
二章【地雷乙女の物語】
42/81

16話『終わらせるためのA. 始めるためのI'』

「会場は満員。立ち見も大勢いるぜ。騎士団の人に頼んで外にも中継してもらってるけど、それでも客足は途絶えない。ファンも、そうだったヤツも、そうじゃないヤツも、ただの野次馬も沢山。……マジでいいの?」


「ああ。ボクは夢を見せて、そして壊した。責任は取らないと」


「……そっか」


「ボクはボクのやるべきことを果たす。だから君も頼んだよ。中継じゃなくて、会場内に直接来ているはずだから」


「おう。留置場でカツ丼食ってるミアを助けてやんねえと」


「……変なイメージ押し付けないでくれる? せめてあの、缶ジュースにストロー差したのにしてよ」


「それかキッチン借りてオムライス作ってたりとかな」


 なんて軽口を交わして、オレは観客席へ。

 そして本日の――本日も主役のアネモネは、舞台へと上がる。

 

 ミアが言っていた通り今朝、中央都市全域に、アネモネの真実を書き連ねた新聞記事がばら撒かれた。


 それはおよそ三週間前、シンジョウが妖刀所持者であったことを暴露したゴシップ記事と同じもの。

 盗聴なり盗撮なりあくどい手を使うから行政からは煙たがられ、一方で間違った情報を出したことはないという実績が大衆を引き付ける――最低最真の新聞記事。


 そうだな。それなら納得もいく。

 前回のシンジョウの記事は、騎士団内で盗聴した証言を元に書かれた。

 で、された側のツバサは、なぜか記者の存在に気が付かなかったとのことで、何でも高度な偽装魔法が使われていたって話だった。


 それと同じ手を使ったのだろう。

 だからオレは昨日、劇場から逃げる記者の姿を認識できなかったんだ。


 けど、そんなことはもう問題じゃない。

 記者を取っ捕まえたところで記事は世に出ちまってるし、それにアネモネは、これは観客に嘘を吐いていた自分への当然の報いだと受け入れている。


 だからせめて、これ以降は真摯に。

 アネモネはすべての人を集めて、記事に関する説明をすることにした。

 ファンも、ファンだった人も、そうじゃない人も、野次馬も、とにかくすべて。

 これまで隠していた分、ここで全部を公にしてしまおうという考えだった。


 ――アネモネが、舞台の中心に立つ。


 それまで疑惑と混乱にどよめいていた観客たちは、一斉に静まり返った。


「まず初めに、感謝と謝罪を」


 観客席全域に、マイクを使うことなく声を届かせるアネモネ。


「本日はお集りいただきありがとうございます。そして――ごめんなさい。今朝リタウテット全区に散りばめられた新聞記事、あの一枚に書かれたことはすべて事実です」


 乱雑な声が沸き立つ。それも、仕方ないのだろう。

 ネオスタァ――舞台や音楽だけでなく小説や衣服のデザインまで、ありとあらゆる行いで人々の心を満たしてきた偶像が、何よりも誰よりも輝きを放っていないといけないスポットライトの真下で、謝罪をして頭を下げたのだから。


「ボクは常に魔眼を使用して、ボクのことを見る皆さんの心を勝手に読み取り、それを舞台などに反映してきました。より多くの人に応えるべく。より多くの人に、ボクのことを愛してもらうために」


 夢や憧れを背負う存在が、秘密を暴かれて大勢に囲まれて、いつもより小さく見える姿で弱々しく言葉を紡ぐ。

 それは、見る側の先入観がそう映しているだけかもしれないけど。

 実際、裏切られたとか期待外れだったというような気持ちを抱く人は、少なくない。


「……本当はアンケートでも取ればよかったのです。だけどボクは、()()を表沙汰にしたくなかった。媚を売っているとか人一倍愛されたがっているとか、自分がそういう見方をされるのがたまらなく怖かった。そう思われて嫌われることに耐えられなかった。――だからズルをしました。使っているモノを、使っていないフリをして、勝手に見てはいけないモノを覗いてきた」


 アネモネは一度目蓋を閉じて、それからゆっくり開く。

 黒かった瞳は一転、紅色に染まっている。それをたっぷり十秒ほど観客に披露してから、恐れを抱かせてから、アネモネは魔眼を解除した。


「見ての通り、今は使っていません。おかげであれほどまで自信を持って立っていたこの舞台に、押し潰されてしまいそうです。記事にも書かれていた通り、ネオスタァとしてのボクは演技で、本当のボクはこんなにもちっぽけです。皆さんが背負わせてくれた夢を、ボク自身が壊してしまったこと――改めてもう一度謝罪いたします。本当に、ごめんなさい」


 もう一度、深々とアネモネは頭を下げる。

 その時だった。観客のひとりが立ち上がった。


「――質問、いいですか?」


 波風を立てない穏やかな声色。

 しかしその表情には、有無を言わせない真剣さがある。

 男の問いに、アネモネは静かに頷く。


「あなたのその魔眼っていうのには、相手にどのくらい干渉できるんですか? 例えば好みじゃない舞台だったのに、無理やり満足感を与えることは可能ですか? それが原因で健康被害などは発生しますか?」


「可能性が無いとは言えません。嫌いなモノを好きだと思わせることもできます。ですが――、」


 その続きは聞こえない。

 なぜなら観客たちの喧騒が波のように広がったからだ。

 魔眼で視られる。多くの人がそれに対する実感を持てないでいた。

 オレがミアに視られた際は、何とも言えない不快感を覚えたりもしたが、それはあくまでも深層まで覗く場合に限るし、そもそもアネモネは魔眼の使い方を熟知している。


 正直なところ、アネモネに視られたところで違和感なんて、よほど自我を捻じ曲げられるくらいじゃないと分からないだろう。


 しかし実感がないからといって、いや持てないからこそ、知らないところで自分の身体が毒に蝕まれていたとなれば話は変わってくる。

 身体は汚染され、意識は捻じ曲げられたモノだったとしたら――想像してみただけでも、自身の基盤が崩れていく人は多いだろう。


 けれどその中で、最初に立ち上がった男が声を上げる。


「どうか静かにお願いします! まだアネモネさんは話し終えていない! 裁判がしたいなら最後まで聞きましょう!」


 アネモネに負けない声量で、男はほかの観客を抑えつけた。

 ん……あれ。今の張り上げる感じ、どこかで聞いたことあるような。


「続きを、お願いします」


「……ボクは、見てくれた人の感想を捻じ曲げるようなことは一切していません。これは証明する方法がないので信じてもらうしかありませんが、神にだって誓います。魔眼が引き起こす健康被害については、それこそ他者の意志を改竄するような強い干渉でないと、何も起こりません」


「なるほど……アネモネさんを信じるなら、皆は安心していいってことですね」


「補足するとこの魔眼は、記事では便宜上《悪魔の目》と呼称されていましたが、これは悪魔の性質に、ボク自身の特性がかけ合わさることで発現した能力です。ほかの悪魔、淫魔の誰もが他者の心を読み取り、干渉できるわけではないことをご理解お願いします」


 必要な説明だ。これが原因で魔族の差別にでも繋がったら、それこそアネモネはどこにも行けなくなってしまうからな。

 質問を投げた男も、納得した様子で何回か頷いていた。

 それから彼は肩の力を抜いて満足そうに笑う。


「……そっか。なら仕方ないな」


「ほかにも何か言いたいこと、ご質問等があればぜひお願いします」


「それじゃあいいですか。ここに集まった皆さんも、俺が流れを決めてしまって大丈夫ですか?」


 問いかけに返事はない。

 別に、ここに集まった人々に意思がないわけではないだろう。

 誰もに思い思いの言葉があって、でもそれを伝えていいのか、伝えることをこの場は許してくれるのか、色々考えて……だからこそ最初に名乗りを上げた男は言ったんだ。

 流れを決める、と。


 肯定でも否定でも、最初にアネモネに述べられた意見が、その後を左右する。

 否定ならそれに同調して、罵詈雑言が飛び交うことになるだろう。

 肯定ならそれに同調して、許さなければならないという空気が生まれる。


 どっちにしても石は坂を転がるだろうが、それゆえに誰もが、最初のひと蹴りを行えずにいた。

 アネモネ本人とそのファン、ファンではない人が一同に顔を合わせているこの場では、踏み出す責任が重すぎるから。


 ならば求められるのは、まるっきり無関係というわけでもなく、かといってファンやファンでない人に偏り過ぎていない第三者的視点なのだが――あ、そっか。思い出した。


 なるほど。だからあの人は率先して前に出たんだ。

 周囲の沈黙を是と捉えた男は言う。



「――アネモネさん。俺は、あなたに多くの観客を取られた舞台役者です」



 そう。この人の出る舞台を、オレは一度目にしていた。

 つい数日前、これも勉強だとアネモネ以外が作る舞台を観劇しに行った。

 その時に見た主役が、この人。


「俺はずっとあなたを尊敬してました。同業者として、いちファンとして、一度見たら忘れられない舞台を作るあなたが、輝いて見えてどうしようもなかった。だから同時に、嫉妬していました。技術で劣ってるのは分かってます。才能で劣ってるのも分かってます。それでも何か、ここまでの圧倒的な差には薄暗い理由があるんじゃないかと、疑ってしまう時があった」


「…………」


「確かにあなたは観客の心を読んでいた。ほかの役者と同じ土俵には立っていない、ズルをしていたかもしれない。でも――それだって紛れもなく才能じゃないですか。普通、今見た舞台はどうでしたかってアンケ取られて、ダメ出しされたとして、すぐに何かを大きく変えるのは無理ですよ。どうして自分が良いと思ったモノが理解されないんだ、とか。そもそもこのダメ出しは自分じゃなくて相手の感性が大衆とズレてるんじゃないか、とか。色々考えちゃって……」


 でもそういうのを取っ払って、本当に沢山の人のことを考え続けたから、あなたの舞台は輝いていた――と男は語る。

 ミアも、似たようなこと言ってたっけ。

 心を読んだ程度で理想を体現したことはむしろ、称賛に値すると。


「あなたの舞台は、百パーセントあなたの努力と才能があったからできた。俺は今そう納得できました。そしてそれは、たった一回躓いたくらいで壊れるようなモノじゃないと思います。俺はこの先も同業者として、あなたを応援し続けます。すみません、以上……でした」


 言いたいことを全部吐き出して、男は席に座り直した。


「……あの! わたしも! 役者とかじゃないけど、アネモネさんのことをまだまだ応援したいです!」


「おれも! 壊れたならまたもう一度、夢を見せてほしいです!」


「同じ気持ちです! ぼくも! アネモネさんに支えられて生きてきたことに変わりはありません!」


 少しずつ、声が上がる。

 それはひとつひとつでは響くことは難しいかもしれないけれど。

 ならばと束になって、大きさを増して……アネモネの胸を確かに貫く。


「……ああ。ボクは今、初めて観客の()を聴いたんだね」


 愛おしそうに呟かれるその言葉は、オレが吸血鬼としての聴力で捉えてしまっているのが申し訳ないほど、アネモネだけの宝物だ。

 大丈夫。リタウテットに生きる者は大抵、似たような痛みを背負っている。

 だからこそきっと、現実ではありえないような和解だって――、



「結局さァ! アネモネってどっちなの!」



 観客の声が、遮られる。

 それは暗闇の中から放たれた凶弾。

 記事に書かれたアネモネの、もうひとつの真実に触れる怒号だった。


「男なのぉ? 女なのぉ? それともアレ? 女護連とかいうのが最近言い始めた、多くの人に知ってほしいとか理解を求めるとかいうアレなのかなぁ!」


 どんなに白いキャンバスでも、たった一点黒い染みが落ちると目が離せなくなるように。

 会場の雰囲気が一転する。

 明るく前向きな雰囲気には待ったをかけられて、冷静さが取り戻される。

 あれ、そういえば。その話はどうだったんだっけ、と。


 けれどアネモネは怯まない。自分を見失ったりはしない。

 だって自分を愛してくれる人がいるから。

 こんな自分でも、誰かを愛することができるのだから。


「まず、今のボクには相手の望む言葉が分かる魔眼(ちから)が足りません。努力はしますが、きっと誰かを傷つけてしまうことでしょう。それを承知で話をさせていただくと――」


 自らを奮い立たせて、胸を張ってアネモネは口を開く。


「記事にある通り、ボクはサキュバスではなく、サキュバスとインキュバスの子供――カンビオンと呼ばれる両性の悪魔です。男でもあり、女でもある。どちらとも解釈できるし、どちらとも解釈できない。ここで明らかにしておきたい立場として、ボクは自分のことをアネモネとしか思っていません」


 観客の多くは怪訝な表情を浮かべている。

 仕方ないだろう。それを理解するということは、相手の姿形を正しく理解するということ。

 きっと、友達でも家族でも容易に辿り着けない部分まで思考を広げないと、理解の入り口にすら立てない。


 ああ、投げ出したい。一言で形容できる単語がない。

 でも、自己満足で終わりたくない。


 だからアネモネは精一杯言葉にする。

 自分の在り方を伝えるのはこんなにも難しいことなのかと、痛感しながら。

 それでも、自分を理解したい人がいるなら話すべきだと、思ったから。


「格好いい。可愛い。美しい。魅力的。筋肉の付き方がいい。胸や尻の形がいい。それらがボクの男性に対しての言葉でも、女性に対しての言葉でも、どちらでも嬉しいです。ネクタイもしたいしスカートも履きたい。褒められるのも輝くのも好きです。ですが、尾籠(びろう)な話は苦手です。それは両性が理由で過去に嫌なことがあったからというのもあるけど、それが全部ではありません。この会場にも、ただ何となくそういう話題が苦手だという人が居ると思います。ボクもそう。性別よりも前の地点で、根本的に相性が悪いというだけです」


「記事にあった女の恋人ってのはどうなんですか! 男として付き合ってるのか、それとも女として付き合ってるんですか!」


「ボクたちにとってそこは重要ではありません。ボクはたとえ彼女が男性でも愛するでしょうし、彼女もボクがアネモネである以上愛を惜しむことはない。言うならばボクたちは、肉体ではなく人格で恋愛をしています。……こう言ってしまうと人格、即ち心にも性別や区分けがあるだろうと言う人もいるでしょう。ですがボクたちは、多様な分類や難しい理屈などを求めていないのです。ただボクがアネモネで、あの子があの子だったから愛が成立した。その事実だけで充分なのです。――ひとつだけ、我が儘を言わせてください。ボクはアネモネです。それ以上でもそれ以下でもない。この言葉に当てはまるからこの区分けになるというようなことは望んでいません。どうしてもボクを表す言葉が必要ならば、《アネモネ》と、そう呼んでください」


 アネモネはアネモネ。

 それこそが、いくつもの分類も果てのない分解も必要としないアネモネなりの、ひとつの答えだった。


「ボクが両性だと知って、気味が悪い、これ以上知りたくないと思った人は、無理に理解しようとする必要はありません。興味を持たない人にも、知ることを強いたりはしません。あの人は考えてることが分からないから近づきたくない、何となく肌に合わないから話したくない――それは一般的な人間関係にもあることで、個人における当然の権利だと思います。ですが、それが攻撃にまでなってしまうと話がこじれてしまう。なのでどうか、拒絶も、理解も、胸にそっと秘める程度でお願いします」


 もう誰も、アネモネの言葉を遮るようなことはしなかった。

 多くの人には納得を与え。

 少しの人には拒絶を与え。

 他者の心を視ることなく、ありのままの自分で、ありのままの誰かを傷つける覚悟を背負ったアネモネは、誰かに止められるような存在ではなかった。


「そして、両性であることを認知されたからといって、これから何かが劇的に変わることはありません。元々男らしさも女らしさも、描いて演じてきたこの身です。できること、やれること、それを続けるだけです。その幅をこの手で変えたいとは思っていません。大いなる流れの一部で充分過ぎます。それと改めて――」


 そうだ。忘れてはいけない。

 アネモネにとって今回の主題は、自身の在り方ではないのだ。


「――負った責任にはきちんと向き合うつもりです。嘘を吐けば怒られ、罪を犯せば罰が下る。自分だけの持ち物を建前にするつもりは、ボクはありません。今回ボクは嘘を吐きました。そんな不誠実な自分を、ボクは許せないまま抱えていくでしょう」


 万雷の拍手をくれた人々に感謝を。

 羨望の眼差しを向けてくれた人々に謝罪を。

 これまで自分を応援してくれた観客との話し合い(コミュニケーション)こそが、この舞台が用意された理由。

 もう二度と同じ過ちを犯さないために。

 アネモネは薄暗い観客席を、光の中から見渡して。

 もう一度、深く、頭を下げた。


「それでも、どうか。こんなボクに新しいチャンスをくれるのなら、また会いに来てくださると嬉しいです。観客席の皆がくれたものを、舞台の上で精一杯お返しすることは、ボクにとって――とても愛おしいことだから」


 観客席には静かな拍手が響いた。

 それはひとり、またひとりと伝播し、やがてはかつての万雷のように。

 拍手。声援。泣き声――誰もがアネモネに視線を注いでいた。


 その中で唯一、席を立つ人がいる。

 アネモネと観客の話し合いはまだ続いていたけれど、もうこれ以上は必要ないと外に出ていく黒革のジャケットを着た女がいる。


 ……さてと。オレも、オレにできることをやらないと。

 人込みをかき分けて、その背中を追う。


 魔法で中継されたアネモネの声が響くエントランス。

 舞台という中心を観るために計算し尽くされた観客席は、ここには無い。

 ゆえにごった返す人波は、混沌としていた。


 まるで祭りのようだ。ここでは勝手な私語も、野次も、途中退室もありあり。

 その中を強気に進んでいく女は、不機嫌な様子を隠すこともない。

 アネモネのファン。取材に来た新人記者。ただの野次馬。防犯のために配置された騎士。

 そのすべてにとって女は、路傍の石のようなもの。

 視線を向けることも、その性質を理解することもない。


 ひとりで暗い部屋の中にいる時とはまた違う、押し寄せるような疎外感に――女は小さく、けれども大きな怒りをこぼす。

 

「クソ……クソッ、綺麗事ばかり並べて……。そんなことが言えるのは余裕があるからだ。理解者がいるからだ。満たされてるからって自分だけで完結して……」


 強く握られた拳には爪が食い込んでおり、今にも血が流れてきそう。

 その内にあるのは失望と孤独。

 寂しさを怒りで誤魔化すようなその肩に、オレは手を伸ばす。


「待ちな」


 突然のことに驚いた女はぴくりと肩を震わせ、こちらを睨みつけるように振り向いた。

 ナンパの類いなら返り討ちにしてやろうという気概を感じた。

 けれどオレの姿を見た瞬間、その気迫は削がれて女は狼狽える。

 きっとこう思ったんだろう。

 どうしてかな神様。こんな路傍の石でも、悪いコトをしたらちゃんと追いかけてくるものがあるなんて。


「――ども、エレーナさん」


「君は……ど、どうも……」


 声を掛けられた女護連副会長は、まだ取り繕うことを諦めなかった。

 この動揺は致命傷ではない。この場から逃れる望みはあるのだとインスタントな笑みを浮かべて、その裏で思考を巡らせていた。

 だからオレは視線を、入り口近くに立っている騎士、そしてエレーナさんのポケットの中にある宝物へと移し、それからまたエレーナさんと目を合わせる。

 それだけで充分、意図は通じると思ったから。

 瞬間。


「ッ――!」


 エレーナは、ポケットから取り出したアーミーナイフの刃を容赦なく突き立てようとして――オレは手のひらでそれを受け止めた。

 

「い、ッ~~~~……ああもう。オレ、こんなのばっか……」


 まあ、腹を包丁で刺されるよりは安上がりで済んだけどさ。

 そこは成長ってことでひとつ。


「とりあえず、場所変えようぜ」


「すまない、待たせた」


「ん、弁当みっつ食った!」


「いや、それボクの分だったんだけど……得意げにピースされても……。ま、お願いを聞いてくれた報酬ってことでいいか」


 登壇を終えて、控室に戻ってきた。

 メイク用の鏡に映る自分の顔は、思わず笑ってしまうほど酷い。

 血の気は薄いし、唇なんかもう真っ青。全体的に疲れが滲んでいて、ああ、さっきクレハに向けた声も若干上擦っててボクじゃないみたいだった。


 かなりボロボロだな……。

 当たり前か。あんなに大勢の前で、ネオスタァではない自分を語ったのだから。

 でもだからこそ、この疲弊の中にはフルマラソンを走りきったような満足感もある。


 これがあるなら、ボクはまだやれる。


「さてと。やあ、エレーナ」


 狭くも広くもない控室の中心。固そうな椅子に座る彼女に挨拶をする。


「……アネモネ」


 ぎろりと、半目で睨んでくるエレーナ。


「君とは前にも会ったことがあるね。あの時はシャーロットと一緒に、女護連への勧誘に来たんだっけ。女性として活躍するボクに、連盟の象徴になってほしいってさ」


「今朝、断られた理由が分かりましたよ」


「うん。ほかにも色々あったけれど、主な理由はそう。ごめんね。君たちの活動はリタウテットに必要なものだと思うし、シャーロットはとてもよく頑張っていた。だけど、ボクはそうじゃなかったから」


 それを聞いてエレーナは拳を握り、歯を食いしばった。

 許せなかったんだ。

 ボクはミアさえいればそれで充分だった。それは極論、他者(せけん)に理解してもらうことも、権利を獲得することも、社会の枠組みに嵌ることさえ必要としていないということ。


 それは素晴らしいことで、我が儘で、傲慢だ。

 大いなる流れの一部でありながら、迎合する必要のない自我と関係性を築けているのだから。


 ――羨ましい。妬ましい。

 自分はもう満足だから、あとは勝手にやってくれと言えるその余裕が憎たらしい。

 理解と権利を求める自分が、孤独だから声を上げているように思えて惨たらしい。

 たまたま運よく出会いに恵まれただけのくせに、持っている側の上から目線が嫌で嫌で仕方がない。

 私だって――いつか理解者が現れたらきっと。



「で、どうしてシャーロット殺したの」



 その一言で、心の声は止んだ。

 ……そうか。うん、大筋は予想した通りだったけど、動機のパズル合わせが終わるとこれはどうにも、他人事に感じない。


「君も、ある意味では被害者だね。だから直接見に来たんだろう。アネモネがマイノリティであるという事実に、観客が理解を示すのか拒絶を示すのか。ボクが君と同じ道を辿るのか。どうしても気になったんだ」


「……何を、知った風なことを……」


 知っているさ。だって視ているから。

 ボクは両目に付けていたコンタクトレンズを外した。


「なっ、それは……!」


 それは先ほど、この部屋に入る前に被った仮面。

 秘めたのは紅い輝きを放つ――魔眼だ。


「ボクだって使うのは気が咎めたよ。でも才能とまで言ってくれる人がいたんだ。才能から目を背けるのは冒涜でもある。それに……君がここに居たんじゃミアが外に出られない。冤罪は可哀想だ」


「…………」


 エレーナは何も言わない。けれど口に出さないだけで、心の声は饒舌だ。

 罵詈雑言を叫び、自己を訴えている。

 どうか自分を理解してくれ。認めてくれ――って。


 なら、別室でこの会話を聞いている騎士に向けて代弁してあげよう。

 シャーロット殺害事件の、真相を。


「あの日、君とシャーロットは路地裏で口論していたんだね。君は、シャーロットのことが好きだった。でもそれを口にすれば今の関係は壊れてしまう。だから想いを秘めていたのに……抑えきれなくなった。ミアが君の本質を突いて、それに落ち込む君をシャーロットが励ましてくれて、それで言いたくなってしまったんだ。――なら自分の恋情を認めてくれ、と」


「……黙れ」


「結果、予想通り関係は破綻した。シャーロットは過去、ミアと似た体験をしていて、自身に向けられる欲求に嫌悪を抱くようになっていたから。だから君の想いを理解しても、受け入れることはしてくれなかった。それでもシャーロットは、せめて友達でいましょうと言った。けれどそれは君にとって、フラれた相手から叶わない夢を見せられ続ける行為だった。……忘れたい。でも、忘れられない。どっちに転んでも痛苦は抱えなければいけなくて。気が付くと君は――ポケットの中のアーミーナイフを取り出していた」


 クレハが既に回収していたらしいそれを、投げてよこす。

 なるほど、重いな。大きさは縦十五センチで厚さは五センチ。工具を直感的に素早く取り出せるよう、手首のスナップでロックを外せるカスタム仕様だ。

 これならまあ、そういう事故もあり得るだろう。


「シャーロットの遺体には奇妙な傷があったね。腹部にあった小さな切り傷、二か所。日本刀では意図しないとつけられないような痕跡だ。その正体は、これだよ」


 ボクはアーミーナイフの中から、ある工具を展開した。

 それはドライバーでも缶切りでもピンセットでもナイフでもない――ハサミだ。


「衝動に身を任せた結果、君は道具を取り違えたんだ。これじゃあ致命傷にはならなかっただろうね。だからもう一度、今度はちゃんとナイフを取り出して、刺し殺した。それが大きな傷のほうだ。……ミアはシャーロットを殺してない。エレーナ、君が殺したんだ」


「ッ……ああ、そうだ……! だがアネモネ……お前に一体何が分かる⁉」


 エレーナは肯定した。これ以上誤魔化せないと観念したのか、あるいは全部を晒してでもボクに叫びたかったのか。その答えは……エレーナ本人にすら分かっていない。

 ゆえにボクも、どうとは言えない。


「ただ……私はただ……あの人にだけはあんなこと……言ってほしくなかっただけなんだよ……」


 エレーナの中では、あの時のシャーロットの言葉がリフレインしていた。


 ――私は同性に恋愛感情を抱くあなたを、存在してもいい人だと思う。だけど同時にあなたも、恋愛感情を抱かない私の存在を許してほしいわ。だからごめんなさい。どうあっても、それを含んだあなたの気持ちには答えられない。


 そんなこと分かっていたはずなのに。言えば破綻することは想像できていたはずなのに。

 それでも自分の気持ちが抑えきれなくて。万に一つもない可能性に縋りつきたくなって。

 結局エレーナは、シャーロットと決定的にすれ違ってしまった。


 ミアがボクを繋ぎとめようとしたのとは逆に、どうしても手に入らないならいっそのこと、ナイフで斬って抉って捨ててしまいたいと、エレーナは思ったんだ。

 

「多分君が欲しかったのはさ、理解じゃなくて受容なんだよ。同性を好きになることを理解してくれるなら、その好意を向けられる当事者になっても許してほしかった。他人事だから許される理解なんて要らなかったんだ」


 自分勝手だとか、押し付けがましいとか、もっと突き放すような言葉は浮かんだけれど。

 でもボクはそれを口にしたいとは思わなかった。


 ……正直、ボクはエレーナに同情している。

 ボクは運よくミアと出会えただけで、立場が逆になる未来もあっただろう。


 いや、きっとボクだけでなく大勢の人がこうなる可能性を秘めているはずだ。

 誰かに理解されたくて、期待して裏切られて、抱えきれなくなった感情を爆発させる。

 そんな彼女を、一体誰が裁ける。人にも悪魔にもそんなことは許されない。


 だから――ここから先は、法の出番だ。


「時系列はこうだ。クレハとミアは銭湯に行き、そこでミアはエレーナと揉める。それをきっかけとしてエレーナはシャーロットと口論、犯行に及んだ。そして少しの時が経ち、ミアは妖刀を手にして犯行現場で目を覚ました。そこに鉢合わせた騎士がミアを犯人と誤解。今に至る。さあ――自供は引き出した。あとは厳正な調査をお願いするよ、騎士殿」


 少しして、二名の騎士がエレーナを確保するために入ってくる。

 そのうちのひとりは昨日聞き込みに訪れ、ミアに気絶させられたあの男だった。


「ご協力ありがとうございました」


「……いや。ミアはシャーロットを殺していないが、鉢合わせた騎士を負傷させたことは事実。これは自己満足の罪滅ぼしさ」


 ミアは妖刀を言い訳にするつもりはないし、ボクも一緒に背負うと決めた。

 だからお礼なんて、本当は言ってもらえる立場じゃないんだ。

 

「彼の、その後の容体は?」


「傷は浅かったので、生きています。目が覚めたら本人は、妖刀と戦って生き延びたんだって、傷を勲章にすると思います」


「……そうか。無事回復することを祈っているよ」


 騎士は短く敬礼をして、エレーナを連行していった。

 後にボクも南支部に出向いて、事情聴取への協力とミアへの面会をするつもりだ。


 でも今は少しだけ……ボクはエレーナの座っていた椅子に、ばたんと腰を下ろす。

 ため息を吐いて全身の力を抜くと、色々なことに一区切りをつけた実感が少しずつ湧いてきた。


 何かを得たのか、失ったのか。

 何かが変わったのか、変われたのか。

 はっきりしているのは前よりも何となく、身体が軽くなったということ。

 この感覚にあとちょっと、もうちょっとだけ浸っていたい気分だった。


 でも、そうだな。

 もうひとつだけ仕事がある。

 ここまで見届けてくれた、観客になってくれた吸血鬼に、投げかけなければ。

 あのいけ好かない天使の繰り返しになってしまうけれど。


 だけど――ツキヨミクレハは、この問いに向き合い続けないといけない存在だから。


「――ねえクレハ」


「ん?」


「エレーナがあんな行動を起こしたのは、我慢の限界だったからだ。似た経験を沢山重ねてきて。そのたびに自分を責めて改善しようとして、結局できなくて。そして、周りがそれに応えてくれることもなかった。どれだけ夢を見ても、現実に圧し潰されてしまったんだ」


 吸血鬼は。半分人間の吸血鬼は、何を言っているんだコイツは、と首を傾げた。

 だからボクは言う。もっと直接的に、傷付けるように、抉るように。


「クレハ――空想は脆いよ」


「あ?」


「どんなに華やかな飾りつけも、むごたらしい惨劇も、現実の前では等しく無力になる瞬間がある。物語に心を動かされることはあっても、それを支えにしていたとしても、時としてそれを一撃で崩してしまうほどの力の差が、空想と現実には存在しているんだ」


「……はあ」 


「ボクは負けた。でも負けて見えてくるものがあった。それは視えていないといけないものだった。観客の中には負けない人もいた。夢を現実にした人も、空想を追い続ける人もいるだろう」


 蒼白の月と、黄金色の月。

 両者をその身に宿す、ツキヨミクレハ。

 絵本の中のお姫様を迎えに行くことを望んだ君は。


「――君はどうする? 空想の檻で、どう現実に立ち向かう?」


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