3話『彼女の落とした羽根は確かに燃えていた』
☆
「……時間切れか。目的は果たせたが……欲は出すなとでも……?」
オレの胸元で俯いていたレイラが、誰に向けてでもなくそう言った。
見れば、地平線からは本格的に日が出始めている。月はまだ沈みきっちゃいないが、刻一刻と朝が近づいていることは確かだ。
やはりレイラにとって太陽は避けたいものらしい。
……待てよ。もしそれが吸血鬼特有の習性とか弱点みたいなものだとするなら、オレはどうなんだ?
レイラの眷属になるという儀式を終えたところで、まだオレの身体には特別何かが変わった様子はない。
強いて言うなら首筋に牙が刺さった時、心臓が強く高鳴って急激に頭ん中がすっきりしたことぐらいか。
それ以外には特に、さっきレイラが見せた羽や牙が生えたわけでもないし、最強のパワーが使えるようになった感覚もない。
ただほんの少し冷静になっただけ。でも、それも変化といえば変化であることに間違いはないはず。
ならもしかしてオレも、今やレイラと同じように太陽を避けるべき存在になっているんじゃあなかろうか。
そんな一抹の不安がよぎる一方、オレの心中を余所にレイラは、階段のほうへと声をかけた。
「そろそろ出てきたらどうかのう。盗み聞きは其方の性分には合わんじゃろう」
誰もいないのにいきなり何言ってんだ。と思ったのと、こつんと音が響いたのはほぼ同時だった。
それは聞き間違いじゃない。確かに耳に届いた、靴音だ。
一回、二回、音は続く。
規則的に、早すぎることも遅すぎることもなく堂々と鳴り渡る。
そしてそれが途切れた瞬間が、階段を上りきったのだという合図だった。
「――失礼しました。ティアーズ卿」
「……ええっ、誰ぇ……⁉」
知らない世界に来たのだから当たり前だけど、全然まったく見覚えのない女の人が現れた。
いや、オレが驚いたのはむしろ、本当に誰かが潜んでいてこれまで盗み聞きをされていたという部分なんだが……とにかく現れたそいつは、朝の風に長髪を揺らしながら、凛々しく佇んでいた。
思わず目を逸らしたくなるほど真っすぐな瞳。服装は髪色に合わせた高そうでお堅い黒服で。とはいえよく見ると、黒髪には部分的に赤く染められているところがあった。
それもあってか、立ち居振る舞いからくる洗練された雰囲気が強いながらも、全体で見るとどこか、荒々しさや野性的といった印象を覚える。
……もしかして結構コワめな人だったりして。ヤの付く自由業の方とか……。
「よい、証人は必要じゃ。これで聖戦が始められる。それに其方には、我が眷属が世話になるからの」
「オレ?」
首を傾げると、レイラはオレの手を強引に引っ張り、その小さな顔を耳元に寄せてくる。
「其方は実のところ、まだ半分は人間じゃ。とはいえそれだけでも充分すぎる変化を実感していくじゃろう。力に飲まれるな。そのためのもう半分じゃ――」
「それってどういう……! ――って、あっ、あれ? いねぇ……どこいった?」
すぐそばに居たはずなのに、またしてもレイラは一瞬で姿を消した。
街灯の上を確認する。だがそこにレイラの姿はない。慌てて周辺も見回したが、やはり月の光を吸った白髪も、赤く光る瞳も、その痕跡すら見つけられなかった。
「ティアーズ卿は完全なる吸血鬼。その身は如何なる姿にも変化できると噂されている。おそらくは霧となって消えたのだろう」
「へぇ……すげぇんだな、吸血鬼って」
適当に返事をしながら、オレは焦る気持ちを自覚していた。
聖戦ってのに参加するのは、今じゃないのか?
そもそもオレはまだ半分は人間で、それで力に飲まれるなって?
結局何をどうすればいいか、まるでさっぱりだ。
「…………」
けど、まあ、うだうだ考えても仕方ねえか。
慌てる心を落ち着かせようとすると、クリアだった思考がどんどん鈍くなってきた。
熱が冷めた、というよりむしろ冷めてた部分が熱くなる感じだ。
人生なるようにしかならないってのは、オレがこの世界に来る前の生活で得た数少ない教訓よ。
オレは気を取り直して、突然現れた女に向き直る。
「それで……アンタは?」
「申し遅れたな。私はオオトリ・アヤメ。若輩の身ではあるが、このリタウテットの治安維持を目的とした組織――《不死鳥騎士団》の団長を務めている」
「はぁ……」
丁寧にお辞儀をしてくれたのは嬉しいかったが、その肩書きについてはよく分からなかった。
「警察の署長のようなもの、と言ったほうがイメージしやすいかな?」
「おぉ分かりやすい……すいません、知らないことばっかで……」
そうか、偉い人ならちゃんと気ぃ使わないとな。オレがこの人の世話になるみたいなことを、レイラが言ってたわけだし。
言われてみれば、背筋も猫背のオレと違って真っすぐで、話す時にちゃんと目合わせてくれるし、そういう細かいところからもしっかりしてる人だって思えた。
「この世界に来たばかりなら当然さ。だからこの地に住む者は新参者に優しいんだ。さて、少年。君の名を聞かせてくれるかな?」
「あ……クレハっていいます」
「よろしい、クレハ。君を我らが騎士団に案内しよう。宿舎に空き部屋があるから、今日はそこで休むといい」
「え⁉ いいんすか!」
「ふふ、無論だ。この世界は、生きる意志を持つ存在すべてを歓迎するよ」
優しく微笑んだその表情を見て、オレは胸の辺りが少しばかり温かくなった。
けどすぐに、どこか目を逸らしたくなるような後ろめたさも覚えた。
結局、朝日を浴びたオレの身体は何ともなかった。
☆
そうして警察署長……じゃなくて、騎士団長様に案内してもらったのは、この町の真ん中にあるデカい建物だった。
どうやらここは騎士団の本部で、敷地内には団員用の宿舎があるって話だ。
目的の部屋はその宿舎の三階、入って右側の突きあたりにあった。
「ここだ。この部屋で休むといい。とはいえ、もう早朝になってしまったがね」
「いえ……ほんと、助かります」
レイラがくれたシチューのおかげで腹は減ってないが、頭を使って血を吸われて町を歩いてで、とにかく横になりたい気分だった。
元々規則的な生活はしてなかったし、寝ようと思えばすぐにでも寝れるだろうな。
「うん、次の行き先が決まるまで好きに使ってくれ。それと昼時になったら向かいの建物にある団長室を訪ねてほしい。そこで私の部下を紹介して、君さえよければ町を案内させよう。……ああ、先に食事が必要なら、食堂で私の名前を出して好きなものを食べてくれて構わないぞ」
「え、えぇ〜……」
「どうした?」
「いやっ、なんか……こんなに優しくされんのはじめてで、変な感じだなって……」
寝る場所に町の案内、食い物のことまで……おいおい、この人がまるで女神様みたいに輝いて見えてきたぞ。
アヤメ、だっけ。オレと目を合わせて話してくれて、頭だって下げてくれて、人として扱ってくれて、世話焼いてくれて、それでたまに優しく笑ってくれる。
こんな人を嫌いになるヤツがいるか。いるわけないね。
きっといろんなヤツから『この人の部下にならなってもいい』って思われて、この人は団長をやってるんだ。それだけの器ってのを感じたよ。
「オレにはもう飼い主がいるけど、アヤメ……さんみたいな人についてくのも楽しそうだったかもな……」
「そうか。ふふっ、嬉しい言葉をありがとう」
また、アヤメさんは柔らかく微笑んでくれた。天使だ。なんかもう顔とかいくらでも見てられるし、髪はサラサラだし、背もすらっとしてて、服だってすげえ似合っててカッコいい。眩しい。失明しちゃう。
外面も中身もちゃんとした大人……日頃から努力を惜しまない誠実な人なんだろうなぁ。オレとは正反対だよ。なんかそう考えたら胸が苦しくて、自分が恥ずかしくなってきたぜ。
そっか……こう感じる心を多分、憧れっていうんだな。
「しかし残念ながら、こちらの眷属契約は既に行われていてね」
その声は、今まで聴いてきたアヤメさんのものとは一味違った。何か一本固い芯が入ったような、静かだけど力強さを感じる声。
そして表情もまた、それに相応しい、傷つくことを覚悟した騎士の顔だ。
「……ぁい?」
その突然の変わりように、オレは驚くこともできないで間抜けな返事をしたが、アヤメさんは気にすることなく言葉を続ける。
「――私は不死鳥として聖戦に参加する。開戦は明日の夜。初戦は私たちと君たちだ」
「ええっ⁉ き、君たちって……オレたちじゃん⁉」
「クレハ、どうかそれまでに考えておいてほしい。この世界で生きていくということ。そして互いの願いを懸けて戦うことの意味を。……それでは、これにて失礼するよ」
アヤメさんは最後にまた小さく微笑んで、鮮やかに身を翻した。
その時、一瞬広がったスーツの隙間から落ちたのは――羽根だ。
いくつかの赤色を帯びながら、その上からさらに紅い炎を纏ったそれは、オレが瞬きをすると消えちまったが……確かに見えたんだ。
「ま、マジかよ……」
アヤメさんと……オレにすげえ優しくしてくれたあの人と……戦うだって?
「でも……まあ、吸血鬼と不死鳥じゃあ死ぬこたないか!」
そりゃあ変に喧嘩なんかしたくないが、オレはレイラの眷属になったわけだし、そういう契約だ。
一旦は気にしないことにして、さっさと部屋に入って寝ちまおう。
食うのも寝るのも、できる時にしとかないといけないってのは、身に染みてるんだ。