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鏡面のクロノスタシス  作者: 悠葵のんの
二章【地雷乙女の物語】
39/81

13話『愛は、黎明』

 ブーーーーーーーーーー。


 開演を告げるブザー音が鳴り響く。

 それはともすれば汽笛。機関車がホームから出発する報せ。

 幕が上がるのと同時に――ミアは最高速で駆け出した。

 スポットライトは明滅し、瞬時に主役の体躯を追う。


「ッ――、」


 奥歯を噛んだ。判断は即座に下さなければならない。

 オレは既に一度妖刀との戦いを経験し、倒すことに成功している。

 だから今回もきっと、可能か不可能かで言えば、可能だろう。


 しかし前回と今回とでは明確に、何かが違う。


 なぜならシンジョウは最後まで意識を妖刀に奪われ、狂わされ、殺し尽くされていたが、見る限りミアはそうじゃない。

 妖刀特有の黒いオーラも顔や姿そのものを覆い隠すほどじゃないし、何せはっきり()()()()()()()()()と彼女は言った。


 つまりそれは、自らの意志でここに居るということ――なのだろう。


 違いはなんだ。なぜミアは意識を保ったまま、ここにいる。

 分からないことだらけの相対。

 それでもオレは聖剣を強く握り直した。


 ミアは確実にアネモネを殺すつもりだ。

 殺意(それ)が己の内側から湧き出たモノか、使い手を蝕む呪具である妖刀に植え付けられたモノかは不明だけれど。

 でも、そんなことさせてたまるか。

 そうなったらいよいよミアとアネモネの関係はお終いだ。


 ――どうにかして刀を取り上げて無力化する。


 災禍を前にして絶対的な冷静さを手に入れたオレは、舞台の上から観客席へと飛び出した。

 助走はない。それでも両者の速度は最高潮。

 衝突は三秒後――二、一――《ディレット・クラウン》と妖刀の刃は、火花を散らして重なり合った。


「ぐッ、ぅぅぅ――⁉」


 刃越しだというのに、得体の知れない不快感が身体の中に流れ込んでくる。

 妖刀による浸食、精神の汚染。自分という真水に毒を注入されているような感覚。

 久々に味わうそれに思わず怯んでしまったオレは、スポットライトの熱も相まって、ミアの姿を見失う。


「しまッ――」


 どこだ。なんて振り返る時点でアウト。

 台本に書かれていないのに、観客に背を向けるなんてご法度。

 眩しさに目を焼かれてしまい、舞台の上に立っていることを忘れるのも論外。

 そんなお前に演じられる役などない。

 

 ワルツのように鮮やかなミアの切り返し。

 切っ先が絡み合い、聖剣がオレの手を離れ、ライトの輝きに目を焼かれ、視界を取り戻す前に強い衝撃が腹部を襲った。


「ァ、ッ――ぐ⁉」


 浮遊感と揺れる視界。観客席への着地の衝撃で心臓が止まり、吐血することで蘇生する。

 この程度がどうした。吸血鬼の回復力を舐めるな。

 オレは即座に戦線復帰しようと席から立ち上が―――れ、ない。

 手足が引っかかって動いてくれない。


 見れば、座席の手すりや足元から拘束具が飛び出していた。

 これじゃあまるで拷問椅子。

 しかもまずいことに、どれだけ力を込めても引き千切ることができない。


 吸血鬼の膂力に耐え切る拘束具――そんなものが普通の劇場にあるものか。

 となるとこれはミアが《ディレット・クラウン》を勝手に使って創造したもので、加えてもしかしたら、あの(あか)い目でここに座り続けるよう思考を誘導されているのかも。


 ユキノから教わったように全身を魔力で覆ってみる。が、変化はない。

 干渉は避けられるが、既に干渉されたあとの仕掛けには意味がないってことらしい。


 つまりは早々に……為す術を失ってしまった。


「クソ……ッ、アネモネ――!」


 名前を呼んだ。ミアが妖刀を手にして自分を殺しに来たという事実に、アネモネはすっかり放心している。

 戦えとも逃げろとも言えない状況。

 それでも、そのまま突っ立って何もしないのは、同じ舞台に立つ以前の話だろう。


「ッ……ミア……」


 呼びかけが功を奏したのか、アネモネの手に聖剣が出現する。

 《ナイト・メア・アタラクト》――紫色の粒子を纏う稲妻型の剣。

 正面に構えられたその刃に戦意は見えない。けれど自分を守る気力は窺えた。


 わざとらしく足音を立てながら優雅に歩くミアに対し、アネモネは聖剣を舞台の反対側へと投擲する。


 きっと、それが最善策だ。

 あの剣の能力は、使い手と剣の位置を入れ替えること。

 決して敵の排除に特化している能力ではないが、勝負から逃げる、時間を稼ぐという意味では優れた性能を発揮する。


「――――」


 途切れた足音。ゆらりと影が揺らめいて、ミアはアネモネに肉薄する。

 射程圏内に入った目標目掛け、容赦なく刃を振り下ろした。

 だが、それに割り込むようにアネモネが剣の能力を起動。

 剣と入れ替わる形で瞬間移動し、再び安全圏へと避難する。

 

 しかしミアは、それを計算に入れて攻撃を繰り出していた。

 空ぶったと思われた剣閃、振り切った刀を――ミアは手放していたのだ。


 つまりあれは至近距離で放った斬撃ではなく、遠距離を想定した投擲。

 アネモネの移動先に、使い手から離れた妖刀が迫りくる。


 ミアは、既に《ナイト・メア・アタラクト》の(つか)を握っていた。


「く――――ッ」


 再び位置の入れ替えが行われる。

 当然だ。迫りくる死を避ける手段があるのなら、反射的に使ってしまうのが生きているモノの性。


 ゆえに聖剣の柄はアネモネの細い首へと入れ替わり、ミアの目的は達せられた。


 流れるような手際の良さだ。

 一分経ったか経ってないか。たったそれだけの時間でオレは観客席に拘束され、アネモネは舞台上でミアに組み伏せられている。


「ん、ぐッ……うぅ……⁉」


 いつの間にか、舞台上の背景に組み上げられていた白壁。

 ミアはそこにアネモネを押し付け、妖刀を手放した(から)の右手を伸ばす。

 刹那。すべての照明がカンカンカンと音を立てながら光を曲げ、アネモネの頭部に集中した。

 

「『さあ。晒してあげる。お前の吐いた嘘を』」


 ミアの指がゆっくりとアネモネの唇を撫で、頬を伝い、目尻で一度動きを止めた。

 一拍、二拍。

 アネモネの反応を確かめるような時間が続いて――突如、指先は眼球に触れた。


「――――」


 顔を逸らそうとするアネモネを、ミアがもう片方の手で押さえる。

 なんだ。何をしているんだ。

 ミアが影になって、ここからではよく見えない。

 出血がない以上、眼球を指で抉っているなんてバイオレンスな状況ではないみたいだが。


 実際、少しして離れたミアの指先にも血は付いていなかった。

 人差し指と中指、その二本の指の腹に付着していたのは透明な、膜のような何か。


「――――」


 目を凝らす。人並外れた視力がオレにはあるのだ。

 あれが何かを見分けることは不可能ではない。

 ピントを合わせるように、レンズを切り替えていくように瞬きをして――――いや、待て。


 そうだ。アレは……レンズだ。

 脳内にある誰かの記憶と、先ほど目にしたそれが合致する。

 瞬間。

 ミアが一歩だけ横に移動して、アネモネの顔が露わになった。

 映し出された光景に息を呑む。

 なぜならば、今のミアがそうであるように。

 同じ力を使ったオレが、そうなるように。



 アネモネの瞳が――(あか)く、光を放っていたから。



「……え……?」


 何を、こんなに動揺する必要がある。

 アネモネは悪魔だ。ミアが使っている力の根源だ。

 だから、アイツが紅い瞳を発現していたとしても何も不思議じゃない。

 きっとミアの真意を知るために、たった今発動したんだろう。


 否。

 今の自分を見つめる冷めた自分が、そう呟く。

 そして想起するのだ。昨夜聞いた、天使アウフィエルの言葉を。

 彼はこう言った。アネモネはオレの前では一度も悪魔の目を使っていないという言葉を、優しく否定するように。


 ――いや、あの子は使ってるよ。


「――――」


 舞台装置が動く。観客席に飛ばされた妖刀が、裏方からミアに差し出される。

 災禍は担い手に戻り、漆黒の刀身はすかさず悪魔を貫いた。


「――ぁ、ぁあッ――ぐ⁉」


 まるで杭だ。

 逃げ出さないように、磔にするように、妖刀がアネモネの身体を固定する。

 そしてミアは大きく身を翻した。見せていた背は演出のためだった。

 これは舞台。一貫してミアは、その方式に則る。


「『アネモネは――スタァでした。舞台、音楽、小説、衣装、その他ありとあらゆる物を提供し、観客の心を満たすことを生きがいとする存在でした。その大胆な発想は、その眩しい輝きは、みなを魅了し虜にした。ただの一度も失敗はありません。観客の期待に応えられなかった前例などありません。その姿は、その声は、その思考は、どうしようもないほどに他人を惹きつけて仕方がないのです』」


 語り部は舞台上を歩きながら、つらつらと言葉を紡ぎ続ける。


「『とは言ってみたものの、果たしてそんなことが現実に在り得るのでしょうか。人は生きていれば例外なく他人を傷つける生き物です。アネモネは人ではありませんが、人と呼んでも差し支えない知能と身体機能を有しています。ならば、一目見ただけで相手の心を理解し、どこをどう揺さぶれば気に入られるのかを、寸分の狂いもなく実行するなんて芸当ができるのでしょうか』」


 アネモネは何も言わない。

 胸を貫いた妖刀からの侵食に耐えているのか、それとも何も言う気力がないのか、あるいは何も言わないことこそが、今の自分に与えられた役割だと考えているのか。

 

「『その真実は――やはり、アネモネは悪魔だったということ。つまりはズルをしていたのです。端的に言うとアネモネはその超常的な芸当を、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()で成し遂げていたのでした』」


 だから観客の期待に応え続けることができた。強盗の本当の狙いに気付くこともできた。オレの考えを見抜けた。ミアの記憶を改竄することもできた。

 それがアネモネの、嘘。


「『いえ、いえ。ですがわたしはそれを卑怯などとは思いません。偽物の夢だったと、よくも嘘を吐いていたな、などと見下し嘲ることはいたしません。だって舞台とは、この世でもっとも心地良く綺麗に装飾された嘘。魅せられて何が悪いのです。偽物の現実が本物の現実を侵食して何が悪いのです。むしろ人の心を読んだ程度で実際に理想を実現してきたその才能、手腕は称賛に値するものだと心の底から思います』」


 で、あるならば、ミアは一体何に怒るというのだ。


「『しかしこの場では、真実のみが語られなければならない。よって、先ほどの些細な嘘への追及は一旦取り止め――もうひとつの仮面を剥がすといたしましょう』」


 その台詞を聞いた瞬間、それまで無感情にやり過ごしていたアネモネの表情が歪んだ。

 刀が突き刺さっていることを思い出したように痛みに悶え、脂汗を滲ませ、手足をカタカタ震わせる。

 ミアは、再び背を向けた。アネモネに向かい合った。


「……やめろ。やめてくれ、ミア……それだけは!」


 涙を湛えるアネモネ。

 舞台上だというのに、スタァのイメージを壊すような演技でもなんでもない素の懇願。

 あれだけ高く遠く見えた眩しい存在が、今は悲しいほどに小さく弱々しい。


 ミアはそんなアネモネのパープルグレーの髪を、撫でるように整えてあげてから、そっと耳元に顔を寄せた。

 その時の声は聞こえなかったけれど、オレは何となくこう言い、こう告げられたのではないかと思った。

 舞台の上で、私語は厳禁だよ――と。


 暗転。けれどもオレの夜目は暗い舞台上を捉える。


 ミアが突き刺さった妖刀を引き抜いた。

 そのまま、刃は振り下ろされる。

 一度、二度、三度、四度。勢いよく、それでいて丁寧に。

 雨漏りでもしているようにぴちゃぴちゃと、血液がこぼれていく。

 横になったアネモネはもう、動かない。

 呻くことも悲鳴を上げることもなく、赤い海に溺れている。


 血と肉と骨がぐちゃぐちゃになったネオスタァ。

 見るも無残なその姿に思わず目を背けたオレを、しかしミアは許してくれない。

 むしろ本番はこれからだとでも言うように、咆哮するのだ。


「『この先に待つ光景こそ、アネモネが悪魔の座に就いた所以! 生命の輪廻を外れた我らの証明! さあ今、死にぞこないの悪魔は再生する――』」


 アネモネの内側から、白いエネルギーの塊が無数に解き放たれる。

 淡く光るそれらは傷口に浸透し、折れた骨も切れた肉も瞬時に元通りにしていくではないか。 

 ああ、あれが悪魔の――不死鳥の再誕とはまた違った不死性。

 生命の神秘とは似て非なる禁断の行い。

 時間を逆行するようなアネモネの身体。


 しかしその一方――赤い海に浮かぶ千々に裂かれた衣装には、再生が及んでいないようで。


「『刮目せよ! これこそが演技を忘れ、仮面を剥がし、衣装を脱がされたことで曝け出された、アネモネの禁断なる秘密!』」


 それが意図だったのだと丁寧に説明されて。

 オレは誤魔化しようがないほどに目撃してしまう。認識してしまう。


「『降り注げ――白日の光!』」


 月光よりも鮮烈なライトが注がれて、浮き彫りにするのだ。

 アネモネの、裸体を。

 

「――――え」


 言葉を、失った。

 どう反応すればいいのか分からなかった。

 ライトアップされたアネモネの何も飾らない姿は、それはもう美しくて。

 完璧に計算し尽くされた彫像を見ているよう。

 なのに、だからこそ、目を疑う。

 己のどの記憶にも前例がないと脳がバグを起こす。

 アネモネは、アネモネだった。



 彼でも彼女でもない、彼でも彼女でもある、アネモネだったのだ。



「『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それこそが、もうひとつの仮面(ウソ)なのでした。そもそも皆様はサキュバスがなんであるかをご存じでしょうか。アレは別の言い方をすると淫魔、あるいは夢魔と呼ばれるモノ。持って生まれた女の身体を使い、淫らに沈み、快楽によって男の精を奪う魔性の存在。それがサキュバスです。そしてかの生物には対となる男の淫魔、インキュバスという存在がおりまして。言ってしまえばアネモネの正体とは、そのふたつの間に生まれた希少種の悪魔――カンビオンなのです』」


 ぱちんっ。指を鳴らす音が響く。

 すると舞台上の赤い海が一か所に流れていき、天井のほうでおーーーんと唸るような機械音が聞こえ始めた。

 同じ音が座席からも聞こえて、背もたれが傾いていく。

 身体は相変わらず動かない。首も動かせない。

 オレはひたすらに、この劇場の演出に乗っかることしかできないらしい。

 

 ぽつぽつ――ざーざー――雨が降る。


 瞬きをすると、舞台は別の劇場になっていた。

 正面にそびえる大きなスクリーン。投影の準備は整っている。

 ここはもう映画館の中。


 ぴちゃぴちゃ。

 雨粒が眼球や口内に流れ込む。

 色は赤。味は……血の味がした。


「『《第二幕 悪魔の過去》――上映開始のお時間になりました』」


 アナウンスが流れて、ツキヨミクレハは緩慢に目蓋を閉じた。


 お前は悪魔だ。悪魔の子だ。


 と、族長に言われたことがありました。すると周囲の同族たちは目を輝かせて、石を手に取ります。


 胴体は一番大きな的だから点数は低めに設定。じゃあ手足はどうでしょう。胴体より点は高いけど、レアリティとしては凡と言ったところ。だとするならば頭はいかが。特に瞳などはやはり、魔眼を持ち合わせていますので。それはいい。しかしせっかく全身を差し出してくれたのです。もっとこう普通では狙わないような耳や歯、手足の爪とか。そうそう、ちょうどいい的があの子にはあるではありませんか――上にも、下にも。なに、もし失われるようなら、それが本人のためにもなりましょう。


 かくしてゲームは開催された。


 ふふ、あはは――――うん。

 どうにもおかしくなってしまって。ごめんなさい。

 おかしいというのは狂ってしまったという意味ではなく、単純に面白かったという意味だ。

 だって石を投げる君たちも同じ悪魔じゃないか。

 なのになぜボクだけ、同族から悪魔だなんて罵られなくちゃならない。

 何よりどうして、その言葉が罵倒の括りに入るのか。

 本当に不思議で仕方がないよ。


 ねえ、誰か教えてくれないかな。

 ボクは悪魔なのに、悪口を言われると、仲間外れにされると、どうしてこんなにも寂しい気持ちになるのだろうね。


 ゲームは三日三晩行われた。

 そして飽きられた。

 それもそうだ。だって悪魔は興味のないことにはとことん飽きっぽい性格で、何より淫魔である彼ら彼女らにとって他人を痛めつける快楽は、性の快楽に勝てるほどのモノではなかったから。


 そう、これはあくまでも、ただの暇つぶし。

 基本的に群れることをしない悪魔の、数年に一度開かれる種族会議という名の催し物。

 ボクはそこで磔にされ、ダーツの的にされて。

 ああ、よく遊んだなぁ。と玩具箱に片づけられるのを忘れられたまま、数年放置された。


 雨の日も風の日も。夏の日も冬の日も。

 普通の悪魔なら、淫魔なら治るはずの傷を抱えながら。

 いつまで経っても癒えない傷を抱えながら。

 死ぬほどではない傷を抱えながら。


 ボクは待ち続けた。

 次の種族会議に定められたその日を。


 ある日。何年かぶりに会った族長が、磔を解いてこう言った。

 この男女のどちらかと交わってみせろ、と。

 差し出された二組の夫婦は、どちらも片側が原因で子供ができず、淫魔に()()を依頼したという話。


 うん、そんな事情はどうだっていい。

 これは試練だ。

 男の相手をしたければ女を。

 女の相手をしたければ男を。

 己の持つ性質のどちらかを選び、己の持つ本能を示す試練だったんだ。


 ボクは結局――しなかった。

 

 せっかく自由になった身体が再び磔にされるとしても、欲が湧くことはなかった。

 それもそうだろう。

 だってボクは種族の落伍者。除け者で、忌むべきモノで。

 淫魔の枠組みにも、悪魔そのものの枠組みにも、弾かれたのだから。

 本能なんて最初からあったのかも分からないし、あったとしてもボクはそれを否定した。


 望みが叶わず残念がる夫婦。ため息を吐く族長。

 ボクは心の内で、厭味ったらしくこう叫んだ。

 なんだよ。最初に仲間外れにしたのはお前だろうが。ボクはただ、ボクが禁忌の存在で誰とも交わることができないってお前の認識を、叶えてやったんだ。

 なのに、どうしてこんな、いけないことをして叱られてる子供みたいな気持ちになってるんだよ、ボクは……。


 族長はそんなボクの咆哮を知ってか知らずか、諦めが滲んだ声で呟く。


 お前は両親からも捨てられた。

 あれだけ忠告したのに。

 禁忌は己が身を亡ぼすだけならず未来をも殺すと、説得したのに。

 お前を哀れに思う。

 ゆえに、ここで禁忌の象徴として蔑まれておくれ――アネモネ。


 ああ。ボクはアネモネ。


 男の淫魔であるインキュバスと女の淫魔であるサキュバスの間に生まれた禁忌の悪魔、カンビオン。

 男性と女性の両方を併せ持つ、みんなの輪に入れない忌み子。

 さあ、またまた磔の刑だ。

 ボクを待つ次のゲームは一体なんだろうね。

 数年に一度、ガラクタの中から見つかる暇つぶしを瞳に収め、三日月の笑みを浮かべて悪魔たちは嗤う。

 

 今度はどれくらいで遊び飽きるかな――ってさ。


 サキュバスとインキュバスが交わることは、言ってしまえば近親相姦のようなものだね。

 大抵の淫魔はそれに不快感を覚えるし、そうしてはならないという教えもある。

 なぜならば数少ない伝承によると、淫魔同士から生まれる子は先天異常を発現しやすく、例えば骨格が大きく歪んでいたり四肢が不揃いだったり、短命や子を成せない体質になるという文言があるからだ。


 ならば淫魔は他生物の遺伝子がなければ子を成せない存在なのか?

 ならば淫魔は他生物の遺伝子があって初めて生まれた存在なのか?


 その問いに答えるにはまず、悪魔がなんであるかを再確認しなければならない。

 そもそも淫魔とは、その源流である悪魔という種族とは――人間という生物に生じるあらゆる欲望が形成する自然現象のようなものだ。


 あれが欲しい。それが欲しい。

 そのためにはこれを奪わないと。これを潰さないと。

 そういった強い情欲が肉体から溢れ、気体が液体へ、液体が個体へ変化するように形を成した魔的存在。

 それが――悪魔だ。


 どうしてそんな、人が生きるうえで自然に抱えてしまう欲から生まれた存在に、悪という文字がついているのかって?

 善魔という呼び方があったっていいじゃない?


 答えは簡単さ。

 人間には前提として、悪性があるからね。

 性善説の逆って言えばいいかな。

 人は生きていれば自然と、悪いほうへ悪いほうへ流されてしまう生き物なんだよ。

 だから悪魔は悪魔。

 だから余計に、それに抗って善性を発揮している人ほど輝いて見えるんだ。


 それに、善なる行いに手を貸してくれるのは大抵神様のほうだろう?

 つまり善魔という言葉は、悪魔とは別。神様のコトを指しているんだ。


 話が逸れたけど結論として、基本的に悪魔とは誰かがお腹を痛めて生まれた存在じゃない。

 人間社会において負の軋轢が生んだ悪い吹き溜まりの具現体だ。

 

 ならどうして淫魔は人間と交わるのかって?


 ひとつは自身の証明のため、かな。

 ほら、悪魔は言ってしまえば人の空想から生まれたもので、空想とは時に現実の前では無力となるから。

 地盤が欲しいんだよ。人間という確かな存在に自分を刻み込めば、存在を忘れられて自然消滅するなんてこともないからさ。

 中でも淫魔はそのための道具、生き残るための武器として、己の性を使っているに過ぎない。

 

 もうひとつも、ほぼ同じ理由だよ。

 生きるために男を惑わし、女を抱き、そうやって精気を奪っているのさ。

 言うならばこっちは食事かな。

 悪魔は物理的概念が不安定だから、暴力では人より死に難いけど。

 でもその分、穴の開いたバケツみたいに自身の存在そのものが少しずつ零れていってしまう。

 だから足りなくなった存在エネルギーを補給するために、人と交わるんだ。

 

 ん、じゃあ誰とも交わることのない自分はどうして生きているのかって?

 うーん。君は生まれからして大抵の淫魔とは違うだろう?

 あらゆる枠組みから外れているし、あらゆる常識は当てはまらないよ。


 でも分類として、悪魔であることに変わりはない。

 となるとやはり君も、生命エネルギーを他者から得ているんじゃないかな。

 傷は治らない――でも死なない程度にはね。


 よおく考えてみるんだ。

 悪魔は人の欲から生まれた。欲を、感情を大きく揺り動かすことができれば、それが命の燃料になる。

 さあ、君が他者から向けられているモノは何かな?


 ちなみにぼくは、ぼくの暇つぶしに付き合ってくれてありがとうと思っているよ――アネモネ。



 その時、ボクは希望を見つけた。


 何年か。何十年か。何百年か経って。

 ボクはボクのことを知る悪魔を皆殺しにした。

 方法は簡単。

 数年に一度行われる種族会議。

 そこでボクは、娯楽に飢えた悪魔たちに暇つぶしを提供した。

 物語の読み聞かせから始まり、終いには舞台もやっていたっけ。


 もっとも磔にされたままのボクじゃあ役の幅は限られていたから、台本や演出をいくつも考えて、それをボクほどではないにしても、種族の中で立場の弱い悪魔に実現してもらったんだ。


 地位のある悪魔は娯楽を求め、それを満たすためにボクは位の低い悪魔を要求する。すると上からお遊戯会の開催を強いられた彼ら彼女らは、ボクという舞台装置を通じてカーストの上昇を狙い始めた。


 都合の良いサイクルだ。周りの要望に応えることが、そのままボクの望みを叶えることに繋がったんだから。

 そんな道筋の構築がここまで上手くいったのは、やはり魔眼があったからだろう。


 従来の悪魔に備わる魅了幻惑(ファシネーション)を宿した瞳に、ボクの生まれ持った属性である雷を起源とした()()()()()()()()を掛け合わせた――概念と物理の両方から攻め入る魔眼。

 この力はほかの淫魔どころか、名だたる悪魔さえ持っていないような、ボクだけの特別製だった。


 とはいえ当時のボクの力は弱かった。せいぜいが相手の心を読むくらい。意識や記憶を改竄したり、何かの行動を強いることまではできなかった。


 だからこそ少しずつ、ボクは力を蓄えた。

 本来の淫魔がする、肉体的に誰かと交わるようなことはできなかったけど――したくなかったけど――ボクは他者から向けられる喜怒哀楽のすべてを命の燃料に変換することができた。

 そうすることが、許されていたのだ。

 

 そして、力が充分に溜まったその日。

 ボクはボクのことを知る悪魔を皆殺しにした。


 魔眼を使い、殺し合いや自殺を強要することであっけなく事は終了。

 中でも一部の悪魔は手を下すまでもなく、視線を向けることもなく、ボクに心の底から恐怖し、持っていた生命エネルギーを針で突いた水風船みたいに爆発させた。

 残ったのは塵のみ。当然だ。

 存在を保っていたものが弾けて、ボクに吸い尽くされたのだから。


 その時、ボクは学び、誓った。

 今回はどうしたって皆殺しにする以外道はなかったけど。

 次からは絶対に恐怖や憎悪は奪わない、と。


 負の感情は時に、喜びや幸せを一瞬にして覆い穢してしまう。

 その分手軽に力を補給できる利点はある。でもそれじゃあ次がない。

 幸せにはいくらでも手を伸ばせるけど、恐怖は一生は耐えられない。

 耐えられなくなった観客は消える。ボクの目の前で塵になったあの悪魔たちのように。


 それは困る。

 だって周りに誰もいなくなったら、誰がボクを認識する?

 ゆえにボクは恐怖なんかじゃない、観客の喜びや幸せ、夢でも見ているような温かい感情だけをほんの少しずつ頂くことに決めたんだ。


 ――すべてが終わった。すべてが、始まろうとしていた。


 拘束を解いて地面に立った手足。

 目一杯息を吸っても痛まない身体。

 そして水面に反射した自分の、顔面。


 身体が軽くなるほど蓄えられた生命エネルギーによって治癒された顔は、見慣れないほどに美しいモノだった。

 はて、生まれた時からこんな形だったかな。

 もしや幾度死んでも死にきれないほどの生命エネルギーが、己の器ひいては魂を変質させたのか。

 答えは分からない。

 ただひとつ言えることがあるとするなら、ボクはまだアネモネだ。


 ボク自身の認識がまだ『カンビオンのアネモネ』に固定されている。

 その思考回路を魔眼で書き換えることは可能だけれど、アネモネをアネモネたらしめている(ぶぶん)はどうしても変わってくれない。

 だとするなら、やるべきことはひとつ。

 ボクは己を捨てるために、違う誰かに成るんだ。


 ――そう。

 この世の誰もを魅了し、最高のエンターテインメントをお届けする仕掛け人。

 いくらでも自己を切り捨てたって構わない、スタァを超えたスタァ。


 ネオスタァの――アネモネを演じてみせる。


 そうすれば今度は、誰もボクを仲間外れになんかしないさ。

 みんながボクを、愛してくれるはずなんだ。


 そうしてボクを取り巻く環境は一変した。

 最初は汚い路上から。道化を演じ、曲を作り、物語を構築して。評価を獲得するにつれて舞台は大きくなっていく。

 慢心はしない。初志貫徹をモットーに、お客様には心の底からご満足していただくことを忘れず。

 そしてボクは、お客様の内側に満ちた幸せ(ソレ)を魔眼で覗くことによって、存在(こころ)を満たしていた。


 いや――むしろ覗いていないと、幸せ(ソレ)は実感できなかった。


 その笑顔が本物なのか、それとも建前や虚飾といった偽物なのか。

 判別が上手くできないボクは、町を歩いている時も、舞台に立っている時も、ずっとずっと観客の心をカンニングしていたかった。

 ちゃんと正解を選べたか、何か間違えていなかったか。

 攻略本を見ながらゲームを進めるようなものさ。あるいはネタバレを見る、かな。選択肢を失敗しないように。製作者の意図したところで、意図した反応ができるようにってさ。


 でもそれを可能にしていた魔眼は、時と場合によって邪魔になった。


 悪魔は魅了幻惑(ファシネーション)を持つ。それは使いようによっては、退屈極まりない舞台に万雷の拍手を送らせることも可能だ。

 中央都市ではそのような種族特性は知識として広がっていたし、実際悪魔が不当な評価を獲得して金を稼いだ、なんて事件も散見された。


 ボクも疑われたよ。

 無論、事実を捻じ曲げるようなことはやっていませんとも。

 ボクはただ視たいだけなんだ。自分が周りからどう思われているかを。どうすれば正解の道を歩めるのかを。


 とはいえ無用な憶測は立ってしまうもので。

 だからとある前世持ちの人間に、瞳の色を変えるコンタクトレンズを作ってもらった。

 あれは今でも気に入ってる。

 なにせ、よっぽど眼が良い人でもない限り、観客は魔眼の使用には気付かないようになったのだから。


 そうして、ネオスタァはその輝きを増していった。


 気付けばボクはリタウテット内で悪魔を象徴する存在になっており、それがきっかけで聖剣を手に入れることになった。

 まあその話は、今は関係ないか。


 ……話を戻そう。


 過ぎていく日々にボクが抱いた感情は、喜びと充実。

 それと過去に対する、大いなる拒絶だ。

 悪夢にうなされない日はなかった。

 二度と、迫害されていた頃の自分には戻りたくなかった。


 みんなから嫌われないように――もっと愛される存在になりたい。


 そのためには努力をしないと。

 より自分を捨てよう。より他者に光を与えよう。

 いつまでも飽きられないように。どこまでも見放されないように。


 ひとつ楽しませたら次はふたつ。ふたつ夢を見せたら次はみっつ。

 これが永遠に続いたって構わない。むしろそうなってほしい。

 カンビオンじゃない、ネオスタァのアネモネが世界に刻まれるなら望むところ。


 ボクはボクを見る人が満たされて、それでボクが満たされるまで、ネオスタァを演じ続けるんだ。

 

 これは闇に包まれた深海に、覚悟を持って潜り続ける行為。

 光の届かない場所に、必死に明かりを灯そうとするような、果てのない旅路。

 ――その、はずだった。



『あ、あの! わたしも……一緒についていっても、いい、ですか? 何でもいいのでお手伝いさせてくれませんか?』



 道すがら、ボクは人間の少女に出会った。

 まだ年端もいかないのに、彼女の内側はどうしようもなく欠落していて。

 でもその中には芯があった。

 どんなに孤独に耐えかねても、どんなに自分や他人を傷つけても。

 誰かを愛したい。誰かに愛されたい。

 そんな気持ちを抱え続けていた。


 彼女の中には捨てたくても捨て切れない、愛があったんだ。


 それは、癒えない傷を抱えながら生きているようなもの。

 傷をその部分ごと切り捨てたボクには、それがとても眩しく見えた。

 ああ、こんな生き方もアリなんだ。ってね。


 だから思わず、その手を掴んでしまった。


 最初は純粋な興味から。次第に存在から目が離せなくなり。理解できること、受け入れられることが増えて。自分が観客の拍手を浴びている時、この満たされた感覚を君にも分けたいと思えて。共に味わいたいと思えて。たまに喧嘩することもあったけど、いつも許し合うことができた。

 共に時間を過ごして、彼女の愛をボクは学んだのさ――。


 そして、ボクのもとには幸運と不運が巡ってくる。


 幸運は君がボクを好きになってくれたこと。

 花のような微笑みを浮かべてくれたことだ。


 ――アネモネ。わたしはあなたを、あなたの秘密ごと愛しているよ。人間の道理を超えるほど、ずっとずっと、魅せられ続けてあげるから。


 その瞬間、ボクは気付いた。

 あれだけ答えを欲しがっていたはずなのに。君に対してだけは、ズルしきれてなかった。

 普段は踏み込んでいるはずの領域まで、ボクは君を視ていなかった。


 初めてできた、役者と観客以外の関係だったから。


 きっと怖かったんだ。君の考えを、君の知らないところで知ってしまうことが。

 きっと欲しかったんだ。君の想いを、ちゃんと君が伝えようと思った形で。


 ボクの目を通して、君の心が伝わってくる。

 ありがとう。こんなにも不器用なボクの愛を理解してくれたことが、本当に嬉しくて仕方がない。

 君の前でならボクは、何者でもないただのアネモネでいられると思う。

 だからそっと、ボクより少し小さなその身体を抱擁させてほしい。

 言葉もなく、ボクたちはお互いに安らぎの温度を共有しようとして。

 とうとう、これまでの人生に足りなかったモノを手にする。

 はず、だったのに。


 そこで不運が押し寄せた。


 ――捉え方の違いだよ。僕はそれまで可憐だと思っていた蕾が、花を開かせる瞬間に立ち会った。君はもう、子供じゃない。

 ――子供だって。

 ――でも大人と同じ部分を持ってる。そこがすごくいい。そのアンバランスさがすごく惹かれる……だから。

 ――続きはしてくれないの?

 ――離せ、離せよ……このぉ‼

 ――ッ――ぁ、ぁあ――。

 ――ゆるさ……ない……。

 ――お前なんか……王子様でもなんでもない……。

 ――今度こそわたしを――×してください。


 視えてしまった。君の内側。表層に出てこない心の最深部。

 覚えてしまった。己の内側。かつて捨て去ったはずの本能。


 ――ミア。君への愛は、黎明だった。

 でもボクはその夜明けを拒絶しなければならないんだ。


 謝って許されることじゃないのは理解している。

 それでも、ごめん。

 ×してほしいだなんて――あまりにもかなしすぎるよ。


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