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鏡面のクロノスタシス  作者: 悠葵のんの
二章【地雷乙女の物語】
36/81

11話『これが、オレの『位置』だ』

「お腹いっぱい! 美味しかったね、クレピ♪」


 時刻は夕暮れ時。持ち込んだ折り畳みの椅子を片付けながら、オレは頷く。


「そうだなー。やっぱたまに美味いモン食うの、上手く生きるコツすぎるぜ~」


 ロケーションも良かったな。せっかくだからと屋上で食べることにしたのだが、強すぎない日差しと五月の冷たい風を浴びながら食事をするのは、ちょっとしたピクニック気分で心地良かった。


 適当に雑談をしながら、時には沈黙を楽しみ、日が傾いていく様を眺める、のんびりとした時間。

 こんな時間がずっと続けばいいのに。

 けどオレはそういうのに縁がないらしいから、これも嵐の前の静けさみたいで少し怖い。


 束の間、一陣の風が吹き抜けた。

 湿気が肌を撫でる。雨を予感させる。

 口元に吸い付いた横髪を正そうと顔を上げると、右手を掲げているミアの姿が映った。

 沈む太陽を掴もうと、空へと手を伸ばしている。


「…………」

 

 ――オレは、知っている。

 届かないモノを掴もうとするその光景を見たことがある。体験したことがある。

 あの日。ミアのオムライスを初めて食べた、あの瞬間に。

 

「なあミア。今、欲しいモノあるか?」


 それはあるいは、足りないモノはあるか、という質問だった。

 オレにとっても、ミアにとっても。


 かつて飛び立てなかった鳥は。鳥籠の中で朽ちた鳥は。次の命で自由を手に入れた。

 望めば外へ出ることができる。自分から誰かと関わることができる。

 そんな理想が、現在になった。

 けれども鳥は羽を休めることを知らないまま、必死に羽ばたきながら言うのだ。

 

「……あるよ。昔からずっと……」


 どこへだって行けるはずの翼を手に入れたのに、胸の空白は消えない。

 もしかしたらこの背に生えたモノは、一対ではなく片側なのかも。

 比翼の鳥のように、依存と不自由がなければ飛べない存在だったら。

 だとしたら自分のもう片方は、一体どこにいるというのか。いつまで探し続ければいいのか。


 暗い水底で必死にもがいているような不安が伝わってくる、そんな一言だった。

 一転。くるりとリボンを揺らしながらオレに向き直ったミアは、夕陽を背景に言う。


「ねえ。ミャアちょっと行きたいところあるんだけど、いいかな?」


 病み上がりの弱々しい笑顔に、オレはうんと頷いた。


「って、ここ……銭湯じゃん」


 ミニリュックを背負ったミアに連れられてしばらく。南区特有の酒気や雑踏が薄れてきた区の端のほうまで来たと思えば、それは突如として姿を現した。


 武家屋敷のような大仰な外観に、瓦屋根からどんと突き出ている……ように見える大きな煙突。

 入口の横には飲み物を手売りしている商人が居て、ちらほらと中から出てくる客は顔を上気させ、さっぱりした様子で風を浴びている。


 そんな光景を横目に、ミアはさらにオレを引っ張る。

 

「お、おい、ミア? わりーけど、今のオレじゃあ……!」


 返事はない。靴を脱ぎ、番台にふたり分の料金を払い、女湯の暖簾をくぐる。

 特有の湿気に包まれた空気に、寒気を覚えた。

 このまま行けばオレは……分かれ道を間違った方向に進んでしまう。

 そんな予感がしているんだ。


「話聞けよ、ミア……!」


 一応抵抗は試みたが、昨夜のことに対する後ろめたさが、強引に手を振りほどく勇気を阻害する。

 またミアが感情を爆発させてしまったら、オレのせいで傷ついてしまったら……そんな懸念が、中途半端で残酷な優しさが、オレを脱衣所へと導いてしまう。


「…………」


 幸いほかの客は見当たらない。

 浴場には何人か、人の気配はあるがひとまずは安心――していいのかも分からない。


「とーちゃく」

 

 ぎゅっと繋がれていた手が離れて、そこでようやくミアと目が合った。

 瞳の色は黒。紅い瞳は発動していない。

 けれどオレの言いたいことを、ミアは理解している。

 だというのに、だからこそ。


「さ、行こーね♪」


 泣き腫らしたような顔で笑みを浮かべて、ミアは服を脱ぎ始めた。


「ばッ、無理に決まってんだろ……!」


 今のオレの身体は女のモノだが、中身は男のままだ。

 黙ってりゃバレない?

 そんな話じゃねえ。どんな姿形であろうと、オレはオレ自身が女湯に入るのを認められないんだよ。


「じゃあ男湯のほう、行く?」


「……それ、は……」


 ややこしいことに、この身体で男湯に入るのも無理な話だ。

 南区で歩いてりゃナンパのひとつやふたつは余裕でされる。

 変な目で見られないことはない。相手の視線が自分のどこに向いているのかなんざ丸わかりだ。

 女が男に向けるソレも嫌だし、男が女に向けるソレの気持ち悪さもオレは知っちまってる。


 だから、とにかく、無理なんだ。

 周りがそれを良しとしたとしても、オレはこんな場所に来ちゃいけないんだ。


「なんだってオレをここに……?」


 すっかり下着姿になったミアから目を逸らして、問いかける。

 自分でも驚くくらい消え入りそうな声だった。

 ミアはそれを圧し潰すように言葉を返す。


「――クレピが悪いんだよ。だって恋愛感情が分からないなら、勝負が成り立ってないじゃん」


「…………」


 そうだ。結局オレは、アネモネの舞台に立っても恋愛感情を理解することはなかった。

 もう少しで何か掴めそうな気がしたけど、確信には至らないでいる。

 誤魔化しようもなく、オレとミアの間で行われるべきこの恋の戦争とやらは、もう破綻していると言っていいだろう。

 ともすれば、最初から……。


「初めはこう思ったの。分からないなら教えてあげればいいじゃんって。ミャアがリードしてあげればそれでいいよねって。でもクレピはそれを拒絶した。誰かと繋がりが欲しいくせに、わたしに好きって言われて嬉しいと思ったくせに。……この記憶はアネモネに改竄されなかったからよく覚えてるよ」


 オレは無意識のうちに、肩に手を置いていた。

 昨夜ベッドに押し倒された時の、今はない手の痕に重ねるように。


「滑稽ってやつだよね。一番大事なモノから目を逸らしてるから。……だからこうして、取りこぼす」


 それはオレのことを言っているのか。

 それともアネモネのことを言っているのか。

 判断は、できない。


「オレは……ミアは、どうしたら納得する? 勝負の内容を見直すか、それとも別の願いがあるならそれを」


「だからミャアとずっと一緒に居てって言ってるだろうがッ――‼」


 悲痛な叫びだ。責められているのはオレのはずなのに、ミアはそれ以上に追い詰められている。

 そう思うほどの残響。


 ミアはゆっくりと息を吐いて、髪に結び付けたリボンを解いた。

 切り揃えた前髪と下ろした後ろ髪は何も飾っておらず、フリルの付いた下着はミアの痩せ細った身体を浮き彫りにする。

 普段のいたいけさは、鳴りを潜めていた。

 そこにあるのは剥き出しの孤独。剥き出しの飢え。

 自身の内側を外側へと広げて、ミアは重く言い放つ。


「恋愛じゃなくていいよ」


「え……?」


「ミャアの心の隙間は愛で埋めるものだって確信があるの。だってそれだけが足りないものだったから。でも愛の種類は一個じゃないよね。友達以上で恋人未満とか、あるでしょ」


「それは……」


「手を繋いだり優しく抱きしめたりはする。でも口同士のチューとかそれ以上はしない。性欲を満たすようになったらセフレとおんなじだからね。そういうのは、クレピ的にはどうかな」


「昨日みたいなことをされるよりは……しっくりくるかもしれねえ、けど」


 そんな関係、考えたこともなかった。

 オレの頭にイメージとしてある家族にも、恋人にも、友達にも、どれにも微妙に当てはまらない。


 欲に溺れることのない、清廉潔白な関係。


 そんなものが成立するのか。してもいいとは思う。

 でも仮にそうなったとしてオレは、ミアは――そんな丁寧に剪定された温室のような関係で、果たして満足できるのだろうか?


 妥協にも見えるそれで、果たして足りないモノは、埋められるのだろうか。


「きっと、なっちゃえばどうにでもなるよ。だからミャアと友愛で結ばれて? ――って言いたいけど今はまだダメ。ミャア、男女の友情とか信じてないからさ」


 ミアはゆっくりとオレの背後に回って手を伸ばす。

 着ているシャツのボタンがひとつ、またひとつと外されていく。

 見繕ってもらった下着が、女としての身体が、光の下に晒される。

 髪を撫でられる。胸を揉まれる。そして耳を甘噛みされて、囁かれるのだ。


「クレピさぁ。心も女の子になっちゃおうよ」


 それはまさしく悪魔の誘いだった。

 心拍数が増していくオレを無視して、ミアは続ける。

 甘く蕩けた声色で毒の沼へと引きずり込もうとする。


「そうすればこの先にも行けるよ? クレピが今、居心地悪くなってるのだって解決する。ぜんぶ、ぜーんぶ、もやもやすること無くなって、幸せになれるの」


「…………」


 まずい。完全に、頭が真っ白になった。

 何も浮かばない。何も言えない。ひどい貧血を起こしているみたいに、視界にノイズが走って、立っていられない。

 平衡感覚を喪失して、自我は揺らいで、境界が犯される。


「あは。口だけじゃなくて心までだんまりなんておもしろいね。……ほら、答えろよクレハ」


 あ、これは、ダメだ。

 深淵に向かって背中を押されてしまった。

 落ちて、墜ちて、堕ちて。意識が、断、せん、s――「――ちょっと、もし」


 その――直前。

 オレとミアのふたりだけの世界を壊す、声があった。

 全身を支配していた金縛りのようなものが解けて、オレは即座に存在証明の杭を打つ。

 牙という名の杭を、自身の唇に。

 一方ミアは横槍を入れてきた声の主に、鋭い眼光を浴びせていた。


「誰?」


 その問いに、丁寧なお辞儀を返しつつも応えなかった彼女の名は。


「シャーロット……さん」


「あら、名前を呼んでくれてありがとう」


 リタウテット女性保護連盟――通称女護連の会長がそこにいた。後ろには副会長兼護衛のエレーナさんが控えている。


「どうしてここに」


「……ふむ」


 シャーロットさんは、服装の乱れたオレと下着姿のミアを訝しむように一瞥してから、答えてくれた。


「女護連として視察です。こういった場所は盗撮や痴漢など色々と問題が起こりやすいですから。特にリタウテットでは物資の違いを盾に、本来あるべき配慮をないがしろにしていることも多々ありますので」


 そう言いながら脱衣所内を見回すシャーロットさん。

 視線は一巡して、再びオレに向けられる。


「こちらも尋ねてよろしいかしら? イエスでもノーでも、と以前言ったことは覚えていますね? もっとも、ここに居ることが既に答えのようにも思えますが」


「…………」


 ああ、なんて偶然だ。それとも誰かが仕組んだことなのか?

 あるいはツケが回ってきたというべきだろうか。


 ミアから女になるよう言われた直後のこれ。

 逃げることは許さない。先延ばしにすることは認めない。

 今、この瞬間、この場で答えを決めろと――世界に強いられているようだ。


「場所を変えたほうが?」


 ちらりとミアに視線を向けてから言う。

 オレが渦中にいることを察しての提案だろう。

 多分、元は男だって打ち明けられないまま女湯に来てしまったとか思われてる。

 残念ながらその推測は外れだ。

 何よりそのような気遣いは、すべてミアの紅い瞳に見抜かれている。


「除け者はやだなぁ……ミャアも聞きたいよぅ、クレピ♡」


 ミアは冷たく女護連のふたりを見返してから、オレの手を握った。

 手のひらの温度は分からない。

 この場に満ちる女の匂いも、口内にどくどく流れる血の匂いで上書きされる。

 全身を包む生温い湿気はどこか、あの夏の日を思い出して。


 もう一度だけ、舌先で牙の形を確かめた。

 突き刺さっていた(きば)が抜けて、血液が口の端から流れる。

 関係ない。傷はすぐ治る。


「……ああ、そうだな……」


 だってオレはレイラの眷属で、吸血鬼なのだから。



幽世(かくりよ)創世(そうせい)――」



 聖剣――《ディレット・クラウン》を手に、呪文を口にする。

 瞬間。周囲の空間が切り取られ、一面の灰色に移ろい、そして世界は再構築されていく。


「クレピ……‼」


 その中でオレの名を叫んだミアは、既に視ていた。

 紅い瞳で、オレの答えを、これから起こることを。


「な、なに? 何なのこれは……」


「シャーロット!」


 新たな世界の誕生を目の当たりにして、呆然と立ち尽くすシャーロットさん。

 そんな彼女の手を掴み護衛の役割を果たそうと、エレーナさんは懐から武器を取り出した。


「お前何をした! 我々に危害を加えるつもりか⁉」


 向けられた刃はいわゆるアーミーナイフと呼ばれるモノで、持ち手にはほかにも何種類ものツールが収納されている。

 瀟洒な銀製。聖剣とは比べ物にならないほど格下の武装だが、それなりに魔力が込められている代物だ。


 けれど、今は関係ない。

 それは自衛のための武器で、オレが幽世を展開したのは攻撃のためじゃない。

 ただ――示したかったんだ。

 分かりやすく、丁寧に、自分なりに、自分自身に。


 敵意がないことを目線だけでエレーナさんに伝え、不思議なくらい穏やかな気持ちで言葉を紡ぐ。


「――ここは、昔オレが住んでいた部屋だ」


 とあるアパートの一室。置いてある物はクローゼットと時計と、白くて大きなベッド。そして幾度も読んでページの端が擦り切れた、一冊の絵本だけ。


 思い出もそう多くない。

 せいぜいが話の通じない母親関係と、ベッドでは眠らせてもらえなかった軽い恨み、あとは暗闇の中でひとり、かちかちと気が狂いそうになる秒針の音を聞き続けた記憶くらいなもの。


 その光景が今、銭湯の脱衣所という空間に上書きされている。


 当然ここは現実じゃない。

 聖剣の能力を使って生み出した空想の産物。

 映画のセットのように、張りぼての空間だ。

 だから開いた窓の外には何も映らないし、セミの鳴き声も聞こえなければ、うだるような夏の暑さもない。


 でもなぜだろう。

 記憶を通して見るのとは違って、より鮮明に、あの頃の匂いや温度といった感覚が、全身を駆け抜けていく。


「ここで起きたことも、ここで生まれた感情も、まだオレの中には残り続けている」


 反応は三者三様。

 エレーナさんは警戒を解かず、オレにナイフを向けている。

 いかに魔法が存在するリタウテットとはいえ、いきなり知らない空間に連れ去られるのは初めての経験だろう。理解が追い付かないのも無理はない。


 一方、シャーロットさんは室内を真面目に観察していた。

 オレがどのような環境で育ち、そのような過去を積み上げてきたのか。

 積極的に理解しようとする意志が、そこにはあった。気がした。

 

 反対にミアはベッドに倒れて、シーツで身を包み頭を抱えている。

 必死にオレを視ないように、声を聴かないようにしている。

 拒絶も理解も構わない。でも無視ってのは……ちょっと困るな。

 オレはミアの、ベッドの前に膝をつく。


「だけど――ひとつだけ、忘れていたことがあった」


 そこには、あるものが落ちていた。

 フィードバックした記憶の中にもあった、現実逃避という名の空想に耽るための道具。

 綺麗な文字に、壮麗で幽玄な世界を内包する、()()()()()


「ダメ……やだ……言わないで」


 どうして、ミアというフィルターを通すことでしか思い出せなかったんだろう。

 子供の頃に唯一読んでもらった物だというのに。

 オレの物語はこの一冊から始まったというのに。

 小さな絵本を手に取って、優しく丁寧に、間違えないよう気をつけて、その名を読み上げる。




「――《麗しき夜の涙(レイラ・ティアーズ)》。オレはこの絵本を読んで、夢を見るのが好きだった。この世界の中で生きることを想像して目蓋を閉じれば、クソな現実から逃げることができたから」


 


 オレの相棒と同じ名前の絵本。

 オレの相棒と同じ姿が映る表紙。

 黄金色の月が垂らした煌めきと、純粋無垢なる地上の星を綴じ込んだその一冊は、ツキヨミクレハの空想であり現実そのもの。


「だけど絵本にはお姫様しか出てこなくて。ひとりぼっちの彼女が寂しそうに見えて。だから夢の中では、オレが王子様を演じていた。とんでもなく恥ずかしい、今よりもっと幼い頃の、本当に大切な思い出だ」


 そう。それはかつて結ばれた約束。

 たとえ夢の中だとしても、ひとりぼっちの彼女を見ているのが嫌で、ひとりぼっちの自分を感じるのが悲しくて。

 玉座で微睡みに沈むお姫様を、楽しい楽しいダンスパーティーに誘う王子様になることを、誓った。

 

 ――これが、オレの『位置』だ。

 自分で選んで座った椅子なんだ。

 身体がどうなろうと、心がどうなろうと、そこだけは絶対に変わらない――変えてはいけない居場所なんだよ。


「ミア、オレはお前の気持ちに答えられない。女の役はもう決まっていて、そしてオレは男の席に座ることを選んだから。ずっとずっと、遠い昔に」


 充分だ。答えは得た。

 いや、どうしてか彼方に置いていかれただけで、最初から持っていた。

 それを今やっと言葉にできた。


「だからごめん。オレは心まで女には、なれない」


 その決意を、シャーロットさんは真剣に受け止めてくれた。

 灰色の小さな世界が、かつてオレを閉じ込めていた部屋が端から崩れていく様を見届けながら。


 一秒も立たずに景色は元の脱衣所に戻る。

 どうやら幽世の展開中に客が増えたらしい。いきなり現れたオレたちに驚きの声が上がった。

 しかしそれらを跳ね除けて、ミアの声は鮮明に響くのだ。


「もういいよ」


 落胆と軽蔑と自棄が混ざり合った、絶対的な拒絶の一言。


「そういうの、ほんとだるい。お前も()()()()()だったんだね」


 もう目が合うことはない。

 恋人になることを拒絶し、女になることを拒絶し、共に居ることを拒絶した。

 オレがミアにできることは何もないし、ミアもオレとの関係を断ち切った。

 同じ痛みを感じているはずなのに、この先ともに歩むような未来(イフ)は、本当に皆無だ。


 腕の傷を隠すように服を着るミア。

 オレは最後に、自己満足であることを自覚しながら、それでも言葉を紡いだ。


「世話になった。ミアが教えてくれたお洒落とかメイクとか、結構楽しかったぜ」


 分かっていたことだけど、返事はなかった。

 反応も、何も。

 オレの声は黙殺どころか完全に無いモノとして、ミアをすり抜けていったのだった。


 服を着直して振り向くと、知らない人がわたしを見ていた。

 誰だっけ……ああ、そう。

 女護連とかいう組織未満の、サークル活動みたいなことしてる人たちか。

 大体のところからウザがられてる、声が大きいだけの人たち。


 そのうちのひとり。

 黒革のジャケットを着た背の高い女が、近づいてくる。


「突然ごめんなさい。その、もしも、あなたに女性同士でしか埋められないものがあるのなら、力になれるかもしれない」


「はあ? 的外れなこと言うんじゃねえよ。そんな目で見んな」


「…………」


 黙っちゃった。でも無駄だよ。

 わたしの目には、全部視えてる。

 女護連副会長エレーナ――お前は同性愛者だ。

 でもそれ以前に、とんだエゴイストだ。

 早く孤独から抜け出したくて。何でもいいから空洞を埋めたくて。同類を探して、もしかしたらって期待してわたしに声をかけた。


 そこまではいい。

 でもその先には、相手のことがない。


 料理を作ってあげたいとか、お洒落してあげたいとか、褒めてあげたいとか、支えてあげたいとか、信じて待ちたいとか、心の隙間を埋めてあげたいとか。

 愛されたいし愛したい。恋されたいし恋したい。好かれたいし好きになりたい――この人にはそれがない。


 自分は満たされたいのに、相手を満たしてあげたいとは思っていない。

 自分が満たされたら相手も勝手に満たされると思っていて、相手が先でも、自分と相手が同時にでもなく、自分が先に楽になりたいと思っている。


 ()()()と同じだ。


「……お前嫌い」


 まるで間違い探しを強いられてるみたい。

 わたしとこいつは違うのに、同じ枠の中に入れられて、しかもほんの数か所以外は重なりあってしまう。

 人間なんて所詮そんなものなのかもしれないけど、今のわたしにそれを直視する余裕はない。

 

「あなた……まさか、マイノリティを否定するの?」


「何言ってるのかわかんなーい」


「言いたいならはっきり言えばいい!」


「ちょっと落ち着きなさい。ごめんなさい、彼女は――」


 お優しい会長様。でも優しすぎていつか他人を殺すタイプだ。いや、自分のほうかな?

 隣の女が自分のことを好きだって気付いてなくて、無意識に追い詰めてる。

 だから歯止めが効かなくなって、盛った動物みたいに視野が狭くなるんだよ。


「……少数派を盾にしたら、モラルとかいうのは無視してもいいんだ?」


「じ、自分がふざけたことを言ってるのが分かってるのか⁉」


「あれ、そういう話がしたいんじゃないの?」


 お前がやったことは、南区の路上で毎日毎夜毎時間行われているナンパや客引きと一緒だよ。

 なのになんでそれを認められないんだ。


「もういい、もういいのよ。それ以上はやめて頂戴」


「先に絡んできたのはそっちでしょ」


「先に挑発したのはそっちだろう!」


 話をするだけ無駄みたい。

 どうして人間っていう生き物は、こんなにも簡単にすれ違っちゃうんだろうね。

 どうして人間っていう生き物は、こんなにも自分のことが分からなくなってしまうんだろうね。

 本当に、ふざけんな――。


「さよなら」


 お気に入りの小さなリュックを背負って、わたしはその場をあとにした。

 もちろんそこに、未練や後悔なんてモノは入ってない。


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