10話『愛も、知らねえ。けど――』
☆
リタウテット中央都市、南区の大通り。
例の肉弁当を注文し、しばらく待つことが確定したオレは、当てもなく町をぶらついていた。
「……暇だ」
まああの行列と店員の忙しさを思えば、最低一時間で済むのが奇跡みたいなもんだ。
むしろ注文を受けてくれて感謝したいくらい。うん、マジで。
店の周りを漂う香ばしくも甘美な匂いに食欲をかき立てられ、店内に絶えず響き渡る肉と鉄板の間で弾ける油の音。あんなものチラつかされたら、そりゃあ人も魔族も集まるよなぁ。
気付けば口の端から涎が垂れていたぜ。汚い。
なんて思った一方。店内での食事目当てに行列に勤しむ人々の会話によると、なんでもこの店がここまで繁盛するようになったのは、つい最近のことらしい。
元々近所では有名だったそうなのだが、東区の《カランコエ》が無くなったことをきっかけとして、食通たちが次の名店を探し、ここに白羽の矢が立ったとかで。
その評判はみるみる広がり、今ではこうしてほかの三区からも客が来るようになって話。
地元の名店が、いきなり中央都市全体の人気店にまで急上昇した。
そんな経緯から、今の人気は一時的な流行りだと水を差す人もいれば、いやいやこれが正当な評価だと太鼓判を押す人もいて。
料理の味そっちのけで議論を始めるもんだから、有名になるのは色々大変だねぇなんて感想。
と、そんな事情を知ったところで、特に暇なことには変わりないオレ。
「……どうすっかなー」
なんというか本当に用事がなにもない。
一度ミアの部屋に戻ることも考えたが、手ぶらで帰るのもがっかりさせちまいそうだしな。
この機会にほかの買い物……例えば生活必需品なんかを買い足そうかとも思ったけど、ミアは家主としてそういった物が不足しないよう常に気を配ってるから、オレの出る幕はなく。
やはり結局のところ、暇を持て余していた。
「ん」
ふと、表通りにあるショーウィンドウの前で立ち止まる。
綺麗な白い外観の店。展示されている衣類や雑貨はどれも華やかで。
一番目立つ位置には『ボクがセレクトしました♪』という一文と共に、アネモネのパネルが置いてあった。
「こういう店もやってんのか。手広いなぁ……」
――何かお詫びを用意しておくといい。だっけ。
パネルから連想して、昨日のアネモネの言葉を思い起こす。
お詫びか。人から貰って嬉しい物となると、オレは真っ先に金が浮かぶんだけど、多分そういうことじゃないよな。
かといって一食奢ってそれで済ませるのも違うだろうし。
腕を組んで少し考える。答えはもう、目に見えているというのに。
「……そうだな」
洋服やアクセサリーをプレゼントしてみるのは、オレにしては悪くない案だろう。
着せ替えごっこのおかげで、ミアの好みは何となく把握してるつもりだし。
好きでもないヤツから形として残る物を貰うのは迷惑かもだが、その時は適当に処分してもらえばいい。
よし。とりあえず一時間、近くの店から見て回るか。
ここも綺麗で整えられた店だが、アネモネが関わってる以上それだけでミアは嫌がりそうだからな。残念だがほかに行こう。
オレはわりと、アイツのセンスは嫌いじゃあないんだけど……。
「あら、そんなに物欲しそうにしちゃって。随分と乙女ね」
隣から聞こえた声に、オレは思わず息を止めた。
「――――」
目を見張る。全身に力が入る。視線がゆっくりと、吸い寄せられる。
音もなく横に立っていたのは、鮮やかなプラチナブロンドの髪と宝石のような紫色の瞳が特徴的な、オレの前世での幼馴染――。
「マリア……」
肺に残った酸素を絞り出すようにして、その名を呼んだ。
浮世離れした可憐さを持つ彼女は、しかし東区に残虐非道を刻み込んだ災厄――《妖刀》に関係している疑惑のある女だ。
しかもそれは、ほぼ確信に近い疑惑。
真実を見定めるため、騎士団長のアヤメさんが秘密裏に調査を進めているはずのお前が、どうして白昼堂々と人前に姿を現したというのか。
よりによって、オレの前に。
「……お前、なんで」
「そのお前呼び、やめてって言ったのに」
見下ろすような表情で不満をこぼすマリア。
それも束の間、彼女の端正な顔はすぐに自然な笑顔へと切り替わる。
「久しぶりクレハ、元気にしてた?」
白を基調とした清潔で上品な服を揺らし、マリアがオレの顔を覗き込んでくる。
その白々しすぎるほど普段通りの態度は、まるで言外にこう訴えているようだ。
――何の確証もないくせに、どうして私を疑っているの?
――なぜ追う側のあなたが、そんなにも狼狽えているの?
額に滲む汗を誤魔化すように、オレは顔を逸らして問いかけた。
「……なんでオレだって分かったんだよ。女の身体になったって知ってたのか?」
下手な質問だ。今日の天気とか昼飯とか、もっと普通の当たり障りないことでよかったのに。
妙な答えが返ってきたらどうする。
見えない毒に犯されているような焦燥感が、思考をぐるぐると空回りさせる。
「知ってちゃダメ? 見たら分かるよって言ったら信じてくれるかな」
「それは……」
「まあでも、びっくりしちゃうか。他人が知らないはずのことを知ってたらさ。そういう経験、私にもあるよ」
――弋部に漢数字の三、それに一本二本の本で――弎本真理亜。それが私の名前。
――どこかで聞いた憶え、あった?
――多分ねえな。聞いといてよかった。
――そっか。教えたの、特別だから。言いふらさないでね。
四月十六日に行われたマリアとの会話。
それが想起されるのと同時に、突如甘い百合の香りが鼻先を掠めた。
マリアが流れるように一歩踏み込み、オレの耳元に顔を寄せてきたんだ。
そして幼馴染は、柔らかい声音で冷たく囁いてみせる。
「どうして言いふらしちゃったの?」
お互いの鼓動が聞こえそうなほど、ゼロ距離。
ナイフで刺されたのかと錯覚するほどの、衝撃。
「ッ……」
とっさに誤魔化そうと言葉を探したけど、声が出ない。
四肢は過剰なくらい強張っているというのに、声帯だけが、萎縮して音を発してくれない。
そのまま一秒、二秒と何も言えないでいると。
マリアはわざとらしく靴音を響かせて身を引いた。
そして年相応の、あるいはもっと幼い、悪戯好きな女の子の顔を張り付けて言うのだ。
「あっはは! ウソ。そんな顔しないで。まるで私が悪役みたいじゃない」
「…………」
ああ、まだ声がうまく出せなくてよかったよ。
でないと反射的に尋ねていたから。
――違うのか、って。
お前が殺人よりも大規模な、あの殺戮の原因を作ったのかってさ。
「それで? ホントのところ欲しいの? この服だかアクセサリーだか」
「……オレじゃねえよ」
「ふーん、プレゼント? 物でご機嫌取りってズルいね」
「ちげえって。いや、違くないけど」
「どんな人にあげるの」
「地雷メイド……?」
「なにそれ。ま、いいや。手伝ってあげよっか、プレゼント選び。ひとりじゃ不安でしょう?」
「はあ……⁉」
冗談じゃねえ。何が目的でそんなこと言うんだよ、お前。
あまりにも真意が見えなくて不気味だ。寒気がする。
マリア。オレは、オレたちの関係はあの雨の日に決裂したもんだと思っていたんだぜ。
なのになんでまた前みたいに、いや、前以上に近づいてくるんだ。
わけわかんねえ……特にスイッチの入ってねえ今のオレは、余計にだ。
半ばパンクした頭で、あてどなく視線を泳がせる。
すると――偶然か必然か。通りの向こうから、見知ったヤツが歩いてきた。
「あ」
「あ」
向こうも同じタイミングでオレに気付いた。
季節が変わり気温も上がってきた五月の上旬に、防寒具であるマフラーをこれでもかとぐるぐる巻きにしているのがやけに目立つ女。
濃紺色の長い髪に添えられた、今にも白く曇ってしまいそうな黒縁眼鏡のレンズを通して、目が合う。
「お知り合い?」
マリアがオレともうひとり――アサギリユキノを見て、そう言った。
「まあ」
「まあ」
聖戦参加者という繋がりはあるものの、一度挨拶しただけでまともに話したこともない間柄。
友達でもなければ、それ以上でもそれ以下でもない。
本当に、ただの知り合いだ。
しかしそんなことなどお構いなしにと、マリアは両手を重ねて提案する。
「じゃあ彼女の手も借りましょう。三人寄ればなんとかってやつ?」
「ちょっ……勝手に決めんなって!」
「異論ある? 一緒にいちゃいけない理由があるとか」
「んぐ……、…………ないです」
かくして、オレとマリアと陰陽師女の妹ユキノの三人で店巡りをすることが決まっちまった。
一応最大限抵抗してみた結果、注文した弁当を取りに行くまでの間という制限時間は獲得できたが、正直気が気じゃない。
ユキノを巻き込んでしまったのも最悪だ。申し訳なく思う。……が、結果的には良かったのかもしれない。
お互いの内情はどうあれ、表面上はまだオレとマリアが幼馴染であることに変わりはないんだ。
第三者というクッションを挟めば、少なくともさっきみたいな一触即発の空気が流れることはないだろう。
事はこのまま、穏便に済ませることができる。
案外向こうもそのつもりでユキノを巻き込んだのかもな。
何もするつもりはないよ、という意思表示で。
だがそれはそれで余計に目的が読めないのだが……とにかく、こうなった以上は仕方ない。
割り切ってこれを好機と見るべきだろう。
マリアがこの世界で何をしたのか。何をしようとしているのか。
それを調べるためにも、今は少しだけ戻そう。
オレたちの関係の――秒針を。
☆
なんて、意気込んだまではよかったが。
あれから三十分。マリアが何かしらの尻尾を出すようなことはなかった。
むしろ次から次へと雑貨屋に入り、露店を見て回り、また雑貨屋に入りと、とことんショッピングを満喫してやがる。
そして参ったことにオレも、意外とそれを楽しんじまってんだよな……。
ミアとの着せ替えごっこや、アネモネの舞台に出たことで、ファッションや小物などの知識を多少なりとも得てしまったのが原因だ。
有り体に言えば、女子がふわふわの服や小さくてキラキラしたアクセサリーを可愛いと思う気持ちを、理解できるようになってしまった。
おかげでただ店を見て回るというのが、楽しくて仕方ない。
特にリタウテットは今昔ありとあらゆる年代の店があるからな。見ていて飽きることがないんだ。
まったく、何やってんだろう……。と、方向転換にと入った古物屋で、枝垂れ桜の盆栽を手に取って冷静になるオレだった。
あ、しかもこれ売り物じゃねーじゃん。
店主のじいさんがすげぇ目でこっちを睨んでる。
「……退散退散」
場所移動したところで、これまでほぼ無言で付いて来ていたユキノの後ろ姿が目に入った。
隣に立って話しかける。
「わりーな。その……探すの手伝ってもらって」
「別に。暇だったので、構いません」
落ち着いた雰囲気と黒縁眼鏡からくる印象通り、丁寧な言葉遣いだ。
しかしその声色は寝起き直後のような気怠さに満ちており、ふてぶてしさすら感じる。
不思議な雰囲気を持ってるヤツだな。
それほど仲良くないオレの買い物にいきなり巻き込まれても、文句ひとつ言わないどころか真面目に品定めしてくれてるし。
親切なのに不器用というか、壁を感じるのに接しやすいというか。
「そういやさ。なんでオレって気づいたんだ? ほら、前会った時は男だったろ?」
「見る人が見れば分かりますよ」
マリアと同じような解答だ。
「まあ近しい人ほど、内外の違いに混乱しそうですが。私はあなたとそれほど親しくなかったので。適当に、何かあって女の身体になったんだろうな、と」
「はあ……」
「……個人的には、元に戻れるならそうして欲しいですけどね。今のあなたはあの彼女と、背丈も髪の長さも髪色も似ているので、姉妹みたいに、たまに見分けがつかなくなります」
ユキノの言う彼女とはマリアのことだろう。
言われてみれば確かに、背が縮んで髪が伸びたことで、オレたちは似たような外見になっている。
それでも血の繋がりはないし、見分けはつくほうだと思うけどな。
顔のパーツはそもそもとして。マリアの髪は色が薄くて綺麗な金色で、オレのはなんだか染めたみたいにぎらついていて。でも胸はオレのほうがでかい。足は、向こうのが若干長い。とか。
ユキノがそういうの、鈍いってことなんだろうか。
「だから余計に、内側に目が向いてしまうんです」
見た目じゃ分からないから入れ物で判別してるのだと、ユキノは言う。
「オレってそんなに明け透けなワケ?」
「ええ。あなたは無防備すぎですよ。カーテンを閉めていない窓と同じです。そんなことだから、簡単に他人の侵入を許してしまう」
他人の侵入……まさか、昨日ミアに覗かれたことを言ってるのか。
「それも分かっちまうのか」
「強い力を持つ者ならば、当然のことです。いや、でも、あなたの場合は素人目でも分かるか。……扉を想像してみてください。心得がある人は合鍵を用意するなり丁寧にピッキングをして、極力侵入の痕跡を残しませんが」
ユキノは一拍開けてから言う。
「――あなたのそれはまるで、周りの壁を破壊して枠ごと扉を外したような、そんないい加減で強引な手口ですよ。身体にぽっかりと孔を空けられたようなものです」
「超やべえじゃん。オレ大丈夫なの?」
「まあ……そうですね。普通なら、そこから霊的なものにとり憑かれたりするのですが、あなたは半分吸血鬼なのでそのうち治るでしょう。でも……」
「でも?」
ユキノは視線を落として少し考えるようにしてから、改めて口を開いた。
「どうしても外からの干渉を避けたい時は、自分の身体に膜を張るイメージをしてください。魔力で器全体をコーティングするんです。普通はこんな効率の悪いコト、やらないんですけどね。でもこれなら素人でもできますし、あなたの魔力量なら、充分可能でしょう」
「膜を張る……バリアみたいなもんか。ほーん、教えてくれてありがとな。オレまだ魔法とか魔力とかよく分かってなくてよー」
「……いえ。では私は、向こうを見てきますので」
返事を待たず、ユキノはそそくさとマリアのほうへ行ってしまった。
良いヤツだけど、やっぱり変なヤツだ。
話してる間一度も目が合わなかったし、急に話を打ち切られたし、妙なところで壁を感じる。
でもその一方でプレゼント選びに付き合ってくれたし、質問にも答えてくれた。
ユキノか。人でなしとまで言われてた姉とは大違いだぜ。
「……あ?」
ふと、ユキノが手に取っていたティーカップが目に入った。
おかしいな。なぜか白い煙が上がってる。
まさか燃えてるわけでもあるまいし、と興味本位で触ってみると、指先に極寒が奔った。
次の瞬間、パリンと小気味の良い音を立てて割れるティーカップ。
「あっ……え⁉」
当然、店主に睨まれていたオレは弁償することになりましたとさ。
あと高そうなモンを売りに来いとも言われた。できるだけ安く買い叩いてやるからと、笑顔を浮かべた恨み言付きで。
☆
カップを割ったクレハを遠目に、私は棚に並ぶ骨董品を眺める。
隣には、先ほど初めて出会ったアサギリユキノが並ぶ。
紺を基調としたブレザー。肌を見せないためのタイツ。銀朱の塗られた爪。スカートが短いのは少しばかりの乙女心。絹のように綺麗な濃紺色の髪を持ちながら、それに長いマフラーを被せ、さらに地味な黒縁の眼鏡で本性を覆い隠している……ひたすらに他者を寄せ付けない、冷たい女だ。
そんな彼女に、私はうわべだけの言葉を掛ける。
「どう? 進展は。良さそうなものは見つかった?」
「まだですね。もう少し色々と見てみます。まったく知らない人、ですし。そういうあなたは?」
「同じく様子見。この分だと、私の欲しいものが先に見つかっちゃいそう。こう見えても目に付くものは、すぐ手元に置きたくなるタイプだから」
そうですか、と平淡な返事を残してユキノは去った。
この世界に来ておよそ一か月。
理解しなければならないことは多いけれど、第一に感じた所感がブレることはない。
眼前の棚に並ぶのはどれも歴史を感じさせる古物たち。
そのすべてが、私には最初から、空虚な張りぼてに思えて仕方がないのだ。
「本当――楽しい世界よね、ここは」
古めかしい鏡に映った私の顔は、ひどく曇っていた。
ぼやけていたのはきっと……鏡面のほうだ。
☆
買い物が終わった。服の上から懐に入れたプレゼントの形を確かめ、微かに口元を綻ばせる。
いいモンが買えた。これならきっとミアも喜んでくれるだろうし、不思議とオレも楽しい気持ちになっている。
誰かに何かを贈るってのは、悪くないことだ。
「助かったぜ。……ありがとな」
「いえいえ」
お礼を言うと、マリアは片目を閉じて得意げな笑みを浮かべた。
一方でユキノはさっと踵を返す。
「……それでは、私はこれで。お疲れ様です」
あっさりとした別れ。とっさに引き留めようかとも思ったが、わざわざお礼をさせてくれるというタイプでもなさそうだしな。
いつかまた会った時に、返せるものがあったら返そう。
さて、そろそろ一時間。
あれだけ持て余していた暇はもうほとんど残っていない。
弁当を取りに行かないと。万が一にも冷めちまったら、美味度合が下がっちまう。
でも……その前に。
見ないふりをしていた緊張感が、最後はやっぱり見逃してくれない。
「……マリア」
「うん?」
何の気なしという返事だ。
いっそのこと、ユキノみたいに自分から去ってくれたらいいのに。
マリアはオレが何か言うのを分かってて待っている――気がする。
それこそどんな言葉で探り、どんな言葉で台無しにするのか、全部理解していて。
クソ、手のひらの上で転がされているような気分だ。
「……いや、何でもねえ」
何も思いつかず、かといって沈黙にも耐えきれず、オレは音を上げるようにそう言ってしまった。
マリアはそんな中途半端なオレをじっと見つめて、不意に視線を逸らした。
なんだ。急にオレの後ろを見て――と思ったのも束の間。
よく響く厚底ブーツの足音が聞こえた。
「クレピ!」
ぎゅっと、背後から腕に抱きつかれる。
オレのことをそう呼ぶのはただひとり。
「ミア⁉ 外出て平気なのかよ」
「うん! 待ちきれずに来ちゃった♪ ……でも、お邪魔、しちゃった?」
「え? ……あっ、いや!」
ミアは露骨に、訝しげな視線をマリアへと送っている。
強引に絡められた手にも自然と力が籠っていた。不快感を抱いているのは明らかだ。
まずい。なんだよこの、浮気現場を目撃されたみたいな状況。
むしろそのほうがどれだけ楽か、なんてオレは思うが、ミアにとっては昨日の今日で到底許しがたい場面だろう。
とにかく誤解を解かないと。
それで早いところマリアから離れるんだ。
ユキノは何ともなかったとはいえ、変に巻き込みたくない。
特にミアは悪魔の目を持っているからな。昨日みたいに見てはいけないモノを、見る必要がないモノを視てしまうかもしれない。
それがミアにとって、何よりマリアにとってどんな意味を持つのか、考えたくもない。
「こいつはマリアつってオレがこの世界に来る前からの知り合いで……!」
「――ふーん?」
瞬間、ミアの瞳が紅色を帯び始める。
マジかよ。早くも恐れていた事態が……!
そんな牽制みたいに、とりあえず見ておこうって感じで使われちゃ困る!
「ちょ、丁度今から弁当取りに行こうと思っててさ! 頼んでたやつ!」
慌ててミアの肩を掴み、方向転換させる。
「きゃっ……」
オレがマリアとの間に立ち、壁役に。
悪いな。だが直接見なければ心を読むこともない。
……このまま行っちまおう。マリアを見過ごすのは間違いなく悪手だが、背に腹は代えられない。
「じゃあマリア! オレたちはこれで――」
ミアを胸元でキープしながら、首だけで後ろを向く。
しかし、そこにはもう……誰もいなかった。
まるで白昼夢を見ていたかのように、白い金色の煌めきも、透明で甘い香りも、存在を示す何もかもが、消え失せていた――。
☆
異世界リタウテット、中央都市、混沌の南区。
けばけばしい光に照らされる夜よりも暗い夕暮れの路地裏で、私はとある考えを巡らせていた。
計画通り、騎士団全体が私の調査に乗り出している。
餌は蒔いた。あの記者のことだ。きちんと食い付いてくれただろう。
これが上手くいけば目障りな連中の大半を駆逐できる。
多少何かを掛け違えたとしても、《万年筆》での軌道修正は可能。
むしろここまでお膳立てしなければならないこの世界……懸念するべきはそちらだろう。
異物を取り込んだエラーか。それともあのお姫様の意志か。
それとあれ。――例の右腕。
今はまだ大人しくしてくれているようだが、警戒を怠ってはいけない。
やれやれ。慣れたつもりでいたが、紡ぐ側というのはどうにも考えることが多くていけない。
それを思えば、アレは本当に目障りだったな。
まあボロを出したのは私自身だ。そこは理解しているし、反省もしている。
しかしだからこそ、放置しておくわけにはいかない。
こちらの意図しないところで少しずつ証拠を取り揃え、考察を重ね、ピースを埋めて真実に辿り着かれては――つまらないことこの上ない。
だって、それがどんなに幸福な結末であろうと、残酷な真実であろうと。
途中で予想が付いてしまえば読み手は心の準備ができてしまう。
最善の未来を夢想する。
最悪の未来を想定する。
そんな風にして、真実の重さを捻じ曲げることができてしまう。
それでは困る。
私が描いた物語には振り回されなければならない。
私が描いた物語には胸を抉られなければならない。
傷を負って、心を折って。
自己を認識してもらわなければ、ならないのだ。
少なくとも我が運命における最低最悪の仇敵には、ね。
「……さっきの紅い目。魔眼か」
紅月と同じ性質を持つ、内側に干渉する力。
おそらく私の心を読もうとしたのだろう。
……性能の差も、分からずに。
「ちょっと、目に付くな――」
しかし、利用価値はある。
せいぜい役に立って頂戴な。
愚かで空虚な盤上の駒ちゃん――。




