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鏡面のクロノスタシス  作者: 悠葵のんの
二章【地雷乙女の物語】
32/81

7話『恋は、最も残酷で美しい夢さ』

「ここがミャアのお部屋だよ、クレピ!」


 不機嫌そうにして先に帰ってしまったレイラを余所に、すぐ近くだからと笑顔で案内されたミアの部屋は、この建物の六階にあった。


「店の真上じゃん」


「そ! アクセス最強~♪ ミャアひとりでお店やってるから、このほうが色々便利なんだよね~」


 言いながら一足先に帰宅するミア。

 一方でオレは、眷属からこれ以上進入禁止を言い渡され、踊り場でひとり夜風を浴びているアネモネに目を向ける。


「でー……聖戦の間はオレもここに?」


「『だってクレハ、家がないんだろう?』」


「…………」


 一言で反論できなくなってしまった。


 次に行われる――いや。

 成り行きで既に始まってしまった、吸血鬼と悪魔による聖戦。

 その初戦の内容は、オレとミアの恋の戦争ということに決まった。

 つい、数分前にな。

 で、これからおよそ一か月間、オレは聖戦の対戦相手としてミアと同居することになったのだ。


 まあ今のオレは女になってるし、変なことは起きない純粋な恋愛の駆け引きってのが、できる状態だとは思うが。


「『ここは混沌の南区だけど、立地的に人が来ないから安心して生活できるよ』」


 そりゃあ公園のベンチで寝るよりは安全だろうが……六階ねぇ。

 聖戦の対戦内容とはいえ、ツバサの提案を断ってこっちは受けるってのは、なんだか悪い気がするぜ。


「念のため聞いておくけど、ほかの場所じゃダメ?」


「『ミアを説得できるなら』」


「一旦受け入れとくか……。つーか人が来ないって、店には来るだろ」


「『分かってるくせに。ほかのお客様を見かけたことなんかないでしょ?』」


 言われてみれば、今日も昨日も一昨日もそうだった。

 もしかしてメイド喫茶ってすげえマイナーな店なのか?


「『ま、たまには来るけど、基本的にはオーナーの税金対策ってとこだよ。あっ、オーナーっていうのはボクのことね』」


「だからアンタ何者……?」


「『ネオスタァ』」


 アネモネの不敵な笑みは、南区に灯ったどの光よりも清廉に輝いていた。


 ミアの部屋に入る。

 靴を脱ぐ習慣があるのは、さすが同じ国の出身。

 部屋の広さはワンルームで下の店と変わらないが、家具が少ない分見通しがよくて広く感じるな。

 多少、というかかなり生活感があるけど、小綺麗に整えられているよりは気楽でいい。


 そもそも廃バスや野宿と違う時点で、天国みたいなもんだし。

 六階だけあって窓からの眺めも悪くない。

 道行く人々を上から見下ろすのは気分がいいぜ。


「……、ところでミアさぁ」


「どしたのクレピ?」


 ミアは何食わぬ顔で散らかったものを片付けているが、それより先にやることがあると思うんだ。


「いい加減、《血識羽衣(アルカードレス)》解いてくれよ。お前がオレに力使わせてんだろ。今なんか通行人の心の声まで聞こえてきたんだぜ?」


「直接見なければ大丈夫だよ」


 確かに今は、オレと同じベッドで寝ることを考えているミアの心の声しか聞こえない。

 なるほど。直接見るのが、心を読む条件ってわけね。

 だとすれば目蓋を閉じることで、ミアの心も分からなくなるんだろうが……そういう問題でもない気がする。


「……ミアはずっとオレの心覗いてんの、違和感ないわけ?」


「えー? クレピは好きピだし……それに深いところまでは覗いてないからなー」


「深いところ?」


「クレピが自覚してない部分のこと。逆に、頭の中に言葉として思い浮かべたことと、大きめの感情はばっちり分かるよん。でもそれって、心が読めなくても態度で分かる時もあるよね? だからこんなの普通と一緒だよ」


「んー、分かるような分からないような……」


 腕を組んで考える素振りをする。

 形から入れば理解できるかとも思ったが、そんなことはなかった。


「まあでもぉ。確かに慣れないときついかー」


 ミアは空のジュース缶や脱ぎ散らかしたシャツや下着を集めながら、途切れ途切れに話す。


「言ってもミャアも……」


 やってることは逆だけど、物を集めて環境を整えるのは、まるで鳥の巣作りみたいだ。


「……ずっと聞きっぱなし、とか、ないし……」


「ふーん」


「でも慣れたら、こういう共鳴みたいなことができるんだよ。相手の心に干渉して潜在意識を誘導するの」


「……つまり、オレは《血識羽衣(アルカードレス)》を使うよう意識を誘導されてるってことか」


 前にミアにやられた、興味と好奇心の増幅とやらもそれだろう。

 特定の思考に反応して発動する仕掛け、という使い方なら相手を視認し続ける必要もない。

 便利な能力だなぁ。

 使われた側からすると厄介極まりねえけど……。


「てゆーか! クレピせっかく女の子になったんだから、ヘアメとかお揃コーデしようよ♪ 女の子クレピ、すっぴんでも顔面つよつよだし、髪長いから色々セットできそうだし! 考えるだけでテンション上がるんだが!」


「えー。スカートとか嫌だし。髪はさっさと切りたいんだよな……長くなってから超蒸れてさぁ……」


「まあ一回試そ! ほらこーこ! 座って座って♪」


 ぽんぽんとドレッサーの前の椅子を叩くミア。


「いやいいって。オレ鏡に映らねえし」


「じゃあミャアがすごーく綺麗にしてぇ、絵に描いてあげるね!」


「多才だなぁ……」


「それじゃあ行ってくるねクレピ。お腹空いたらいつでもお店に来ていいよ♪ 寂しくなったら呼んじゃうから!」


 そう言ってミアが部屋を出たのが一時間前。

 昨日遅くまでメイクだのコーデだのに付き合ったおかげで寝足りないオレは、何をするでもない空虚な時間を過ごしていた。


 腹も空いてないし、予定も特にないし、本当に暇だ。

 人をダメにするらしいクッションに身を預け、部屋全体に染みついた甘い匂いに包まれながら、とにかくぼーっとする。


 昼頃になって、階段を上ってくる足音が聞こえた。

 ミアが昼食を持って休憩にしに来たのだ。

 ちなみにメニューはオムライス。

 これで食べるのは三日連続だが、だからといってまずくなるわけもない。

 むしろあの美味さには毎回感動を覚えるくらいだ。


 もしかしたらオムライスが、ミアの得意料理なのかもしれない。


 その後は備え付けのバスルームに放り込まれ、昨夜の続きをする流れになった。

 肌を保湿され、下着を用意され、服を揃えられる。

 その際、ミニスカートを断固拒絶したことにより、コーディネートの系統としてはミアの地雷系とかいうのではなく、シンプルカジュアルなものを勝ち取った。


 だがその代償としてヘアメイクを許可することに……。


 工程としては、まずは髪を梳き、次にヘアオイルを馴染ませたあと、リボンを加えた編み込みをして、仕上げにニュアンスを作る――とのこと。


 ミアの説明を聞いていると、なんだか呪文を唱えられているような気分になったが、実際に体験してみると、その手捌きに素直に感動した。


 可愛さとかは分からない。けど髪を触る手つきには()()を感じたんだ。

 何年も気を使い続け、たまに気を抜いて、パターン化しないようにして。

 そんなバランスを意識しながらいつまでも楽しめるように、お洒落を続けているのが伝わってくる。


 なんていうかカルチャーショックだぜ。

 オレは肌の乾燥も枝毛も、特に気にしたことないのにな。

 そんなことを、編み込まれた青色のリボンを見て思った。


 ――午後。おやつでも食べるか、昼寝でもしようかという時間帯。


 コンコン、と窓を軽く叩く音が聞こえた。


 一瞬ミアがまた帰ってきたのかとも思ったが、それならわざわざノックする必要はないし、そもそも叩かれたのは玄関扉ではなく外の景色を眺めるための窓だ。


 風でゴミでも飛ばされてきたのかと目をやると、窓枠からにゅっと黒猫が顔を出した。


 しかも驚くべきことに、背中には蝙蝠のようなギザギザした羽が生えている。

 さすが異世界。とんだ不思議生物がいるもんだぜ。

 

 驚嘆していると、羽猫が再び窓を叩いた。

 餌でも欲しがってるのだろうか。近寄って様子を窺う。

 すると猫に付いた首輪に、手紙が括られているのを見つけた。

 窓を開けると羽猫が、んっと顔を上げたので、手紙を取る。


 中にはこう書かれていた。


 『退屈しているなら、ボクの劇場においで。

  場所はその子が案内してくれる。 アネモネ』


 その名前を見て合点がいった。

 この羽猫はアネモネの使い魔だ。アヤメさんの鳥と同じやつ。

 で、こいつを使って昨日、レイラに誘いを送ったんだろう。

 携帯電話のない世界の、貴重な連絡役ってわけだな。


 時計を見る。

 ミアの仕事が終わるまではまだしばらくあるし……そうだな。

 

「行ってみるか」


 そう呟くと、羽猫はオレを一瞥してからぴょんと飛んで、向かいの建物の屋根に移動した。

 どうやら案内方法も普通じゃないみたいだ、この世界は。


 オレは靴を持って、同じように窓から飛び出した。


 羽猫を追って建物の屋根を右往左往することしばらく。

 東区に比べて高低差の多い建造物の群れに飽き飽きしてきたところで、目的地らしき場所に到着した。

 そこはまるで、森の中に突如として現れたぽっかりひらけた広場。


 中心には――大きな劇場が建っていた。


 初めて見た印象としては、全体的に高級な質感で、そして異様、だろうか。

 西区にある純喫茶を訪れた時の感覚に近い。

 なぜかって、この建物だけを切り取って見れば、異世界リタウテットではなく現代の公共施設だと納得してしまうほどに、近代的だからだ。


「ここにアネモネがいるのか……?」


 金色の装飾が目立つ正門に行くと、今は開場していないことを知らせる看板が立っていたが、羽猫が扉を開けろとにゃーにゃー鳴くのでそれに従う。


 少しだけ構えて、一歩、足を踏み入れる。


「…………」


 真っ先に感じたのは、自分が場違いであるという感覚。

 まあ当然か。オレはお上品なものにも、舞台や音楽なんていった芸術にも、縁のない人生を送っていたのだから。

 でも、だとしても、飲まれそうになる空間だ。


 自分の鼓動の音が聞こえてきそうなほどの静寂。気持ちをリラックスさせる甘い匂い。踏み心地の良いカーペット。見ていて飽きない華やかな装飾。

 天井。壁。床。どこをとっても感動を覚える内装に、圧倒されるばかりだ。


 そんな宝石箱のような会場を、土足で踏み荒らしていく羽猫。


 オレはその光景にすっかり呆れるような、むしろ安心するような気分になって歩き始めた。

 すぐ正面にそびえる大階段。どうやらその先にゴールはあるらしい。


 扉に手を掛ける。

 分厚く重い扉だ。力を入れて開ける。

 すると通路の明かりが、薄暗い会場をほんの一瞬照らし出した。

 見えたのは整然と並ぶ赤い座席と、外よりも重厚感のある内装。


 しかし扉が閉まったことで、オレの視界はそれらを一切映さなくなる。


 理由は明らか。

 すべてのピースが揃ったパズルのように。これこそがこの劇場の正しい風景、正しい見方なのだと優しく諭すように。強く訴えるように。席が。ライトが。空気が。何より舞台の中心でスポットライトを浴びるアネモネが。

 自分だけに見惚れろと――無音で叫んでいた。


「…………」

 

 すべてが綺麗で、美しくて、とても煌めいている。

 大人姿のレイラが持つ華やかさともまた違う、あらゆる角度の数だけ輝きを秘める、硝子のような眩しさ。

 

 光を受けて跳ね返す切れ長の目。

 不意にそれが、こちらを向いた。


「『ごきげんよう、クレハ』」


 まるで台本の台詞を読み上げるように紡がれた言葉。

 こんなに遠くにいるのに、目の前にいるような迫力。

 自信に満ち溢れた、朗らかな音。

 それに返せるものが見つからなくて、オレはただ手を上げてそれを返事とした。


 するとスポットライトが消え、会場全体に暖色の明かりが灯った。

 アネモネが軽やかに舞台を下り、客席を通ってオレのところに来る。


「『さっきのはリハーサル。今夜本番なんだ』」


「へー。じゃあ数時間後にはここ席は全部埋まってんだ?」


「『ふふっ、まあね。みんながボクを見に来る』」


 自慢げに話すアネモネ。

 確かにさっきのを見せられたら、誰もが見惚れることになるだろうな。

 絶対的な主役。例え脇役を演じても、主役を食う脇役になるだろう。


「ほかのヤツは可哀想だな。いいとこ全部アンタに持っていかれるんだから」


 オレがそう言うと、アネモネは小さく首を振った。


「『いや。共演者はいないよ。今日の演目はボクが六役こなすんだ。脚本も演出も、すべてボクが考えた』」


「え……それって……すごいこと、だよな?」


 舞台を見たことはない。

 だがツバサかシンジョウか、それともミアか、誰かの記憶越しでイメージは掴めている。

 だから言える。あれはひとりでやるようなものではない。

 舞台は野球やサッカーみたいにチームを作って組み立てていくもので、規模が大きくなればなるほど必要になる人数も増えていく。


 なのにアネモネは、この何千人も入りそうな広い会場を、空間を、たったひとりでコントロールしきるというのか?


「『確かに大変なことだね。でもやりがいのあることさ。舞台や演技は特に、奥深い。まず基礎となる自分がいて、そこに他人の人格を上書きし、解釈を加え、スポットライトが外れるごとにまた別の価値観と向き合うんだ。興味が湧いただろう――君もやってみる?』」


「……は?」


「『名前はジェニファー。年齢は十六歳。髪は綺麗なブロンドで、今の君をそのまま反映してくれて構わない。出番は三十秒ほどで台詞はない。悲恋の果て、剣に貫かれて死ぬのが役目だから、その時の感情と痛みを表現してくれたらいい』」


「ちょ、ちょっと待てって! オレは別にやるなんて言ってねぇよ!」


 なに軽い感じでとんでもない話を進めてるんだよ。

 しかもなんだか、冗談を言ってる感じじゃないぞ。

 どうしてそんな……舞台に立つどころか演技の経験すらないオレを……?


「『でも知りたいだろう? 自分が違う誰かになる。違う誰かが自分になる。そんな他人を演じるという感覚を。自己というものが無限に投影されていく、この世界を』」


「何考えてんだよアンタ……!」


「『恋は、最も残酷で美しい夢さ。役を通してなら、君も理解できるようになるかもしれないよ』」


 アネモネの細長い指が、オレの顎に添えられる。

 その視線、表情は以前に浮かべた魔性のものではない。

 どの色でも持っているように見えた顔には、その吸い込まれそうな黒い瞳には今、


「ボクは知りたいんだ。君が一体、どのような答えを出すのか――」



 オレを見定めようとする強い意志が表れていた。


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