5話『ボクは、ネオスタァなんだ』
☆
女護連という団体のふたりが去ったあと、オレはベンチに座り直した。
時刻は深夜。寝直したいという気持ちもあったが、さっきの話を聞いたあとじゃあその気も起きない。
ただ当てもなく、腰かけただけだ。
そんな心情を察してか、それとも元々の性分か、ツバサは少し距離を置いて隣に座る。
「重ねて言うようだけど、野宿はやめたほうがいい。どこか宿を取るか、それとも騎士団の宿舎に来るかい? 東区の復興が進むにつれて、空き部屋も増えてきてるんだ」
「吸血鬼じゃなくても町で頑張って生きてるヤツはいる。特別扱いってのもな……ただ外見が変わっちまっただけだぜ、オレは」
「それでも、安心して眠れる場所がない人を騎士は放っておかないよ。前と同じ部屋は用意できないけど、今は確か五階の端の部屋が空いていたはず」
……こいつ、本当に良いヤツだよな。
正しいコトを、何の嫌味もなく言ってのけるんだから。
断るほうが悪いように思っちまうよ。
「…………」
けど――強いて言うならタイミングが悪かった。
行く宛はない。ほかに頼れる人もいない。
きっとオレが、何の力も持たない以前のオレだったら、言われるまま流されるまま世話になってたんだろうが。
今のオレは半分吸血鬼で、そしてそれに向き合わなくちゃいけない時らしいから。
冷たい夜風をすっかり伸びちまった髪で受けながら、オレは立ち上がる。
「わりーなツバサ。宿舎で五階ってのはオレ向きじゃないらしいからよ」
間違ったやり方でも、賢くない遠回りでも、自分自身を試さなくちゃいけない気がするんだ。
だからお前の力を借りるのは、もう少しあとにするよ。
――なんて、分かったような態度で悪路を選んだから罰が当たったんだろうか。
ツバサと別れたあと、オレは泊まれそうな宿を探して南区の繁華街へ踵を返した。
今の身体であの町に戻ることに若干の抵抗はあったのだが、こんな深夜でも飛び込める宿はそれこそ夜でも賑わってるとこくらいしかない。
なのでしつこいキャッチ、酔ってるフリしてわざとぶつかってくるオヤジ、初対面で説教してくるヤツ、露骨なセクハラ野郎の猛攻を何とか躱しつつ宿を探していたのだが。
――蹴破られた扉。
なだれ込んでくる複数の男。
流れるようにひとりが捕らえられて……人質にされた。
「全員大人しくしろ! 分かってんだろうが一度だけ言ってやる。下手なことしたらこいつは死ぬ。それが嫌なら金を出しな、金をッ‼」
「……嘘だろ、おい……」
どうしてこんなことになったのか。
地雷メイドに目をつけられ、神父に騙されて教会ごと爆破され、寝て起きたら女の身体になっていたオレの次なる厄介事は――強盗に巻き込まれる、だった。
☆
経緯としてはこうだ。
大通りを歩いていたら、とある店から悲鳴が聞こえてきた。
オレは何か緊急事態が起きてると思い、考えるより先に店の中へ飛び込んだ。
別にお節介な性分ってわけじゃあないが、背負った誓いがあったからな。
オレの持つ力、剣を、町を守るために振るうという願い――だからこそ面倒事に首を突っ込むことにしたんだ。
で、中に入ると酔った男が暴れていて、まあそれは難なく取り押さえた。
どうもこの店は女性客専用で、こうして厄介な酔っ払いが押し入ってくるのはそこそこあることらしい。
それから店のオーナーとやらに感謝されたオレは、女に間違えられて――いや、今は間違いでもないんだけど――お礼にご馳走をという話になった。
だが最近似たような話で痛い目を見たオレは、断腸の思いでタダ飯を我慢して店を出ようとしたのだが、そこにシラフの強盗どもが来ちまったってわけ。
「よーし、ほかは全員隅に集めたな? おいオーナーさんよ、さっさと金詰め込んじまいな」
「……ほんと、男ってサイヤクね……」
強盗の数は全部で五人。ボスを含めた四人は筋骨隆々でケンカ慣れしてそうなガラだが、警戒するべきは唯一細身のヤツ。あれは獣人だな。
人より強い力を持っていながら、それを隠して部下を全うしてる。
能ある鷹は爪を隠すって言葉が本当なら、一番腕が立ちそうだ。
と、広いとも狭いとも言えない店の隅に集められた客と従業員に紛れて、強盗を観察していると。
「『目を合わせるな。顔を下げていたほうがいい』」
隣にいる帽子を目深にかぶった女から、アドバイスが飛んできた。
制服を着てないってことは客なんだろうが……やけに落ち着いてるな。
その声音、態度からくる言葉には説得力を感じる。
オレは大人しく、その意見に従うことにした。
隙を見て反撃するのは確定だが、人質が居る以上無茶はできない。
ま、人質と言ってもさっきオレが取り押さえて、騎士団への引き渡し待ちだった酔っ払いのおっさんなんだけど……。
「……これで全部よ」
「アニキ、金と一緒にひとりくらい持ち帰ってもいいですかねェ、へへッ」
「そうだなァ、酔ったジジイってのは華がなくていけねぇ。どいつにしてやろうか?」
金の入ったバッグを背負い、女の品定めを始める強盗。
客、従業員はみな怯えた表情を浮かべ、緊張感が一気に場を支配していく。
永遠にも感じられる一瞬の静寂。
構えられたナイフの切っ先は突如として――オレに向けられた。
「――金髪女。テメェさっきからずっと目ぇ合わせないようにしてるよな? オレはな、そういう自分は関係ありませんって態度するヤツが大嫌いなんだ。はっ、人質決まったな。こっちに来やがれ‼」
「……マジかよ……!」
確実に信用できるタイプのアドバイスだと思ったのに!
驚きを隠せないまま、オレは声にならない声で、隣の女に話が違うと目線を送る。
すると女は帽子の下、目蓋にかかるような前髪の奥で、申し訳なさそうに目を逸らした。
「『…………ごめん』」
仕方ない。どっちみち行動は起こすつもりだったし、ほかのヤツが新しい人質になるよりはマシだったと言える。
逆境は好転させてこそ、だぜ。
オレはゆっくりと立ち上がり、強盗どもの前に出る。
入れ替わるようにオーナーが従業員たちに合流し、これで残る人質は酔っ払いのおっさんのみ。
場は――完成しつつあった。
「よお嬢ちゃん。近くで見たら結構な上玉じゃあねぇか。こいつはいい拾い物をしたかな?」
「絡んでくんなよ。オレぁ男だぜ」
「へっ、そりゃ笑える冗談だ! そんないい顔と身体見せつけられちゃ、男だって構いやしねえ。悪いが一緒についてきて――、あん?」
ボスの言葉が途切れる。
ヤツの視線はオレを見ているようで、実際はそのさらに向こう側へと釘付けになっていた。
「『――責任は、取らないとね』」
背後から聞こえた声は、さっきアドバイスを飛ばしてきた女のものだ。
強盗のいる前方に気を張りつつ、オレも後ろを向く。
そこで目撃したのは、隅に集められた人々の中、まるで舞台に立っているようにすべての視線をその身に集める女の姿。
被っていた帽子を脱ぎ捨て、強盗に対して堂々と向き合う立ち振る舞い。
品のあるパープルグレーの髪に切れ長の眼。
瞳の色は黒で、長い手足からくるスタイルの良さと絵になる所作が、圧倒的な存在感を放つ。
――まさしく、観客に対する女優が、そこにいた。
「おやおや……こいつぁ天下のアネモネ姉さんじゃあないですか」
口笛を鳴らしながらボスが言い、アネモネと呼ばれた女は不敵な笑みを浮かべてそれに答える。
「『いくら混沌の南区だからといって、強盗はやりすぎだよ』」
よく通る声だ。中性的で、聞き取り易い。
心を掴まれるような圧倒的な芯、底知れぬ深みを感じる。
何より、ただ話しているだけなのに――オレは目を奪われていた。
強盗に対する警戒をとうに忘れ、ひたすら目の前の映像に集中していたんだ。
「『まったく、そんなに欲求不満ならボクのライブにくればいいのに。大金を奪うより、見知らぬ女の子に無理させるより、よっぽど気持ちよくなれると思うけど』」
「……へっ、わっかんねえかなぁ。新雪を踏み荒らすがごとく、無垢な女を自分色に染めたいってのは男なら誰もが持ってる感情だぜ? それにアンタのやり方は合わねえんだ」
「本分を果たしちゃいないんですよね。ライブの熱気を自分の糧に変換するって……バッカらしいったらありゃしねえ! 搾り取るなら下のシークレットソースにしときな、サキュバスちゃん」
「『わお、見かけによらず詩的だね。なるほど、金は本命ではない。だが女が欲しいにしては娼館に行くのが恥ずかしいタイプでもない。金でも女でもないなら、この強盗の本当の目的は何かな。一体――誰に命令されたんだい?』」
脳に直接刻み込むような甘く鋭い声を、どこまでも妖しげな表情に載せて放つアネモネ。
この場はもう、彼女が支配していた。
強盗たちは必死に飲まれないよう、各々所持しているナイフや鉄製の棒などを強く握り締めるが、むしろそれこそ、余裕が削れている証左だ。
「……黙りな、最初に言っただろ。下手なことしたらこのおっさんは殺す。それとも汚いおっさんは死んでもいいってか?」
「『二度は言わないんじゃなかったの? まあいいよ、その人質もグルだ。本当は彼だけで事を済ませるつもりだったんだろ。でも失敗した。だからこんな下策に出たのさ』」
「うるせぇぞ、的外れな妄想はよしな」
「『うん、うん。ここが女護連に関わりのある店であることを考慮すると、連盟を敵視してる連中に目を付けられたパターンか。騎士団に突き出すとでも脅された君たちは仕方がなく、店をめちゃくちゃにする仕事を受けた。銃は高いからナイフと棒切れだけで頑張れって、ふふっ――とんだ喜劇だ』」
アネモネは一際大きな笑みを浮かべた。
それは誰の目から見ても嘲笑の類いであることは明らかで、充分すぎるほどに、引き金となった。
「でたらめ並べてんじゃねぇッ!」
ボスがオレを押し退けてアネモネに向かっていく。
その瞬間、同時に動く準備はできていたのだが、
「んぅ――⁉」
押し退けられた際、ボスのがっしりした手に思いっきり胸を潰された。
それは冷たい手をいきなり服の下に突っ込まれたような、言葉にならない衝撃。
コンマ一秒の時間差でやってくる形容しがたい嫌悪感。
そういやオレ、下着とか何にもつけてねえ――!
なんて心の中で絶叫し、完全に戦うどころの話ではなくなる。
反対に危機が迫ってもなお余裕を崩さないアネモネは、静かに囁いた。
「『根拠になったよ。その激昂が』」
刹那、アネモネの姿が消える。その場に現れたのは一本の剣。
まさか彼女は剣に姿を変えてしまったのか。
そんな思考が駆け抜けるより先に、突如として現れる影。
彼女はいつの間にか、ボスの後ろを取るように――空中にいた。
「『ふッ――‼』」
短い掛け声と共にアネモネは蹴りを放つ。
狙いは正確。一番体格に恵まれているボスの後頭部を的確に攻撃し、一撃で気絶させる。
優雅な着地。しかしそこを狙って強盗仲間がナイフを振りかざした。
「――――」
次の瞬間、再びアネモネの姿が消える。
まるでフィルムのコマが飛んだように。瞬間移動でもしたかのように。
いや……違う。そうじゃない。
アネモネが先ほどまで立っていた場所には、またしても剣が突き刺さっていた。
淡い紫色の粒子を全体に帯び、刀身が稲妻形をした剣が。
なるほど、絡繰りが見えたぜ。
つまりアネモネは、位置を入れ替えているんだ。自分と剣の位置をな。
それが結果的に瞬間移動になってる。
きっと強盗が来た段階でこうなると踏んで、剣を天井に仕掛けていたんだろう。
で、相手が向かって来たら位置を入れ替えて上から強襲――それが手品の中身ってわけだ。
対象が消えたことで攻撃を空ぶらせた強盗は状況の把握に手間取り、その隙を突かれてノックアウト。
アネモネの細く長い脚が繰り出す、見事な回し蹴りによるものだった。
その後も同じ手で相手をかく乱し、流れるように三人、四人と無力化していく。
オレはその光景に圧倒されながら、ふと――アイツの使う剣は特別製なのではないかと考え始めていた。
確証があるとは言えないのだが、あの剣の纏う空気感、神秘的な雰囲気が、どこか似ていると思ったんだ。
《ディレット・クラウン》や《オース・オブ・シルヴァライズ》のような。
――――聖剣に。
「『後ろだ!』」
花火が弾けたかのようにずんと響く大声。
アネモネの警告によってオレは、背後から迫る影を察知した。
最後に残ったひとり――獣人だ。
鋭いナイフを構え、既に切っ先はオレの脳天を抉り取る軌道に入っている。
鈍く光る鉛色の刃。
そこに反射する猫目に滲むのは、混じり気のない純粋な殺意。
生き残るためには何としてでも相手を殺さなければならないという、剥き出しの野生、外敵に対する獣の本能。
「――――」
一度、心臓が強く高鳴った。
どうやらすべてを本能に委ねた衝動に、当てられてしまったらしい。
全身の産毛が逆立つより早く、一秒後の生存を勝ち取るために全神経を注ぐ。
何も心配することはない。
今この一時、オレの思考はどこまでも冷静であり続けるようになったのだから。
まずは振り下ろされたナイフを、相手の手首ごと受け止める。
「――ッ、」
さすが獣人、筋力は人間のそれを遥かに超えている。
けど生憎オレも牙を持ってるんだ。とびきり鋭いのをな。
まずは腹部に蹴りを一発。
相手が悶え握力が落ちたところでナイフを奪い、誰もいないところへ放る。
獲物を失った獣人は間髪入れず、仕込み刀を抜くように己の爪を鋭く尖らせた。
もうナイフなど必要ない。真なる武器はこの身に宿っている。
そう言わんばかりの形相で解き放たれたアイデンティティを、オレは――《ディレット・クラウン》で切り返す。
強靭な肉体から作り上げられた生命の誇りとも言える爪と、決して錆びることも折れることもない聖剣の刃。
勝者は言うまでもない。
ナイフに続いて爪まで失った獣人はついに致命的な隙を作り、
「ふッ――‼」
機を逃さず回し蹴りを食らわせることで、オレは強盗劇の幕を引いた。
☆
「『やあレディ、ご一緒しても?』」
「ん、ああ」
レディじゃねえけどな、と心の中で付け加える。
オレは今、店先で騎士団による現場検証が終わるのを待っていた。
簡易的な事情聴取はもう済んだのだが、この後は近所の支部で調書作りに協力することになっている。
アネモネも同じみたいだ。
暇を持て余した様子で、時折通行人から名前を呼ばれては手を振り返している。
「知り合い多いんだな」
「『顔だけでも名前だけでも、様々な形でボクを認知してくれている人、意外と多くてね』」
「なんで?」
「『ボクは、ネオスタァなんだ』」
「ねお……なんだって?」
初めて聞く単語だった。
いや、もしかしたら何かを聞き間違えたのかもしれない。
戸惑ったオレは思わず、アネモネに目を向ける。
すると彼女は、手折った一輪の花を愛でるように――一本の剣を手にしていた。
「アンタ、それ……」
「『《ナイト・メア・アタラクト》――ボクが悪魔の座に就いた証明さ。あまり驚かないでよ。そのつもりで、わざわざ聖剣を見せてくれたんだろう?』」
そう言って、アネモネは笑った。
「『あははっ、君もボクのこと――知っていたみたいだね』」
朗らかに、麗らかに、艶やかに、妖しげに。
笑みにくっつく表現のすべてを兼ね備えたようなその顔はまさしく――魔性と言うべきもので。
結局オレには、アネモネがどんな表情をしているのか、よく分からなかった。




