2話『ミアたゃは、好きピに尽くしちゃう系のメイドさんだよぉ♡』
☆
リタウテットの夜も眠らない町こと、中央都市の南区。
その大通りにある派手な店とド派手な店の間に建てられた、地味な石造りの建物があった。
路地に入ったところにある無骨な階段を使い、五階まで上がってようやく、その場所は姿を見せる。
――《made maketh maid》。
店名だかキャッチコピーだかが小さく記された扉を開く。
すると来店を知らせるベルが鳴り、同時に待機していたメイドが、スカートをちょこんと掴みながらお辞儀をして言うのだ。
「おかえりなさいませ、ご主人様♡」
「ごしゅ……?」
これがツキヨミクレハと、世に言うメイド喫茶との出会いだった。
☆
タダ飯に釣られて、ほんの十分前に助けたメイドがやってるっていう店にやってきたんだが、絶賛思いっきり面食らってる。
店内は見渡す限りピンクで、ファンシーで、全体的にふわふわしていて。
こんなところに来るのは初めてだ。まるで異世界に来た気分。
いや、リタウテットがそもそも異世界なんだけど、元の世界に似せようとしている発展途上な感じが、逆に現代らしいところがあるんだよな……。
見たことないものでも、なんとなく元の面影があるっつーか。
逆にここは、元の世界の再現だとしても、オレが一度も感じたことのない雰囲気なんだ。
だから妙に落ち着かない。
そんな様子を不思議に思ったのか、メイドが人差し指を口元に置いて聞いてくる。
「あれぇ、ご主人様ってもしかしてメイド喫茶知らない感じ? 前世持ちだと思ったんだけどな?」
「前世持ち?」
「えっとね。じゃあミャアがご主人様にレクチャーしてあげちゃうよん。はーい、こっちのお席へどうぞ」
言われるまま席に座る。その際ちらっとメイドが付けてるネームプレートを見たら、ミアと手書きで書かれていた。大量のハートマーク付きで。
となるとミャアってのは愛称みたいなもんか。
向かいの席に座ったミアは、いつの間にか用意したドリンクをテーブルに置いて説明を始める。
「前世持ちってゆーのはね、リタウテットで新しく生まれた命じゃなくて、転生してきた命のことを言うんだよ。まあどの生物にも前世自体はあるんだけどぉ、この場合は記憶があるかないかで区別してる感じかな!」
「へぇ、ならオレは前世持ちのほうかな。死んだ時のことは思い出せねえけど、それ以外の記憶はあるし」
「ホント? じゃあミャアと一緒だね! でもこれ知らなかったってことは、転生してきたの最近だよね? 前世の年代近そうって思ったけど、あんまりメイド喫茶とかサブカルとか詳しくないんだ?」
「サブカルってのも知らねえけど、まあ金なかったし、店でメシ食うことはなかったよ」
「そう……なんだ! それじゃあ今日はたっくさん美味しいもの食べていってね!」
元気よく立ち上がったミアは、そのままスイングドアの奥へ行ってしまった。
多分向こうが厨房で、料理の準備をするんだろう。
「…………」
にしてもここがメイド喫茶ってのなんだなぁ。
ぶっちゃけ名前すら聞いたことなかったけど、店の雰囲気はなんだか清潔な綺麗さよりも乱雑な可愛さを追求した感じで、男が居ていいようなところじゃない気もする。
いや、単にオレが居辛いだけか。どう触れていいのか分からねえし。
それにこういうのはオレの――――、オレの……?
なんだ。今、何を考えようとしたんだ。
……まいっか。大したことじゃないだろうし。
それにしても、見慣れないものは見ていて飽きないもんだな。
店内を見回しているうちにだいぶ時間が経ったらしく、ミアが料理を運んできてくれた。
「――お待たせしました、ご主人様~♪ え~っとオムライスとパスタとドリアとから揚げとポテトと……とにかく色々っ! えへへ、気合い入れて作り過ぎちゃったぁ。残しちゃっていいけど、全部食べてくれたらメイドから偉い偉いを贈呈しちゃうよ~♡」
いいねぇ、全部美味そうだ。あっ、半熟卵が乗ってるヤツもある。どんな料理だってアレさえ乗ってりゃご馳走だぜ……!
ほかの客はいないし、これは丸ごと遠慮なくオレが頂くね!
「はい、召し上がれ~」
「んじゃありがたく……いただきます」
早速スプーンを持って、手前のオムライスを一口。
しまった! 味わう前に飲み込んじまった! 極限まで飢えた時に起こる悪癖が出ちまったぜ‼
すかさずもう一口。
しまった! また味わう前に飲み込んじまったな⁉
オレは馬鹿か……。
ああもう、こうなったら味わう暇ができるくらい口に詰め込んじまえばいい。
オレは華麗なスプーンさばきでオムライスを解体し、最高速で食べていく。
すると、
「じーー」
向かいの席に座ったミアが、その黒い瞳を真っすぐオレに向けていることに気付いた。
なんだ。もしかして食べ方が汚い的な視線か。
いや待て。そういや前にレイラの料理を食べた時も似た状況だった。
つまりこの視線の意味は――。
「……美味いよ?」
「……♡」
ミアは照れくさそうに顔を逸らして、肩にかかったツインテールを指で弄り出した。
この反応は、合ってた……のか?
正解不正解があるのかも知らないけど、とりあえず今は食事を続けよう。
オレの人生、いつだって温かいメシは貴重だからな。
特にこのオムライスはケチャップ――に似て非なるリタウテット流の何かしらのソース――が結構濃いめに入ってるから、身体が欲してる気がする。
味が濃いのは正義ってヤツだ。
一際赤い部分を、卵をよく絡めて口の中に放る。
今度こそはと舌で味を感じた、その瞬間。
ピンクだらけの店内が突如――白に囲まれた無機質な部屋へと様変わりした。
「は――?」
優しい風に揺れる白いカーテン。その隙間から差し込む温かい陽射し。
向こう側に霞む、白雲すら装飾品にする晴れ渡る青空。
どこまでもどこまでも広がる空へ、オレは手を伸ばして――規則的な電子音が、無情にも翼を溶かしていく。
綺麗な景色を目の前にぶら下げられて、なのに一歩もこの病室から出れないという途方もない無力感。
お腹が痛い。どうして。おかしいはずの身体なのに、なんでこの設計部分は正常なの。
痛い。怖い。辛い。嫌だ。逃げたい。逃げられない。怒りたい。怒れる人もいない。
――見える。聞こえる。
憧れるだけで決して届かない理想の自分が。理想の景色が。
やだよ。手の届かない美しさならいっそのこと。
どれほど惨めでも、醜くてもオレは――わたしは、構わないから。
どうか、お願いだから、だれか、わたしを――――、
「ご主人様」
「ッ――なんだ、今の……?」
ミアの声が、オレの意識を引き戻した。
慌てて周囲を確認する。手にはスプーン。目の前には食べかけのオムライス。
注射の痕が残った腕も、シーツに広がっていく赤い染みもない。
オレは自分の息が乱れていることに気付いて、ひとまずスプーンを置いた。
今の光景はなんだ。記憶なのだろうか。だとしたらオレのじゃない。ならこれは一体誰の……。
「こんな偶然あるんだね。ううん、ミャア的に言えば運命だよ」
「あ……?」
ミアは自分の表情を隠すように、両手で顔を覆っていた。
だが指の隙間からは鮮やかな赤色に光る瞳が見えて――変だ。こいつの目の色ってさっきまで黒じゃなかったか。
じっと見つめられてたから、はっきりと覚えてる。
なんで……色が変わってるんだよ。
「ご主人様も目の色、赤いよ――」
ミアの声が静かに響く。ほんの少しだけ先ほどよりトーンの低い、暗い声が。
それだけじゃない。
あの紅い瞳、あれに見られると何だか、気分がおかしくなる。
意識がズレて、腹の底まで見透かされて、視られている側なのに後ろめたさを植え付けられるような……無造作に無作法に内側を乱される感覚。
「それ間違ってないよ。鋭いんだぁ」
「何言って……お前……」
「へぇ、吸血鬼になったら目の色変わっちゃったんだ。でも違うよ。勘違いしちゃってる。だってミャアもそうだから。この悪魔の力を使う時は、あの月みたいに紅くなっちゃうの」
「テメー……まさかオレの心を読んで……!」
「あは、そんなにすぐ切り替えられるの、すごいね」
「……ッ……」
「ごめんなさい。ミャアね、あの時にね、好きになっちゃったんだ。ミャアのこと助けてくれた……クレピのこと」
「……クレピ?」
「ミャアの本心、分かるはずだよ。だってクレピ、《血識羽衣》使ってるんだから。そのせいで瞳が紅くなっちゃってるんだから」
……ああ、最悪の気分だ、チクショウ。
ここまで言われたら頭の悪いオレでも分かるぜ。
吸血鬼であるオレは、飲んだ血に宿った記憶を見ることができる。
そして《血識羽衣》は、血を飲んだ相手の能力を借りる能力。
それができてるってことはつまり、つまり――、
「さっきのオムライスに自分の血ィ入れやがったな⁉ 何考えてんだよオイ‼」
「だってクレピが吸血鬼なこと知らなかったんだもん……」
「余計怖えよ! まさかフツーの客にも入れてんのか⁉」
――そんなことしないよ! ミャアがちょっと隠し味入れちゃったのは、クレピが好きになったから!
「終わりだ。幻聴まで聞こえてきた」
――これが心の声だよ。ほら、分かるよね? ミャアがクレピにガチ恋しちゃってるって。あ、ガチ恋っていうのは本気の好きってことで、ピは好きピのピだよ♪ ううんちょっとだけ嘘……好きピじゃなくて彼ピのピも入ってる♡
今鏡を見たら、きっと白目むいてるオレが見えるんだろうな。
いや、吸血鬼だから鏡には映らねえんだった……。
――ミャアはそういう変顔ってあんまり好きじゃないけど、でもクレピなら可愛いかも。好き♡ 勝たんしかクレピ!♡
「…………」
「もしかして照れてる?」
「照れてねえよ! しかも口で言うんじゃねぇ~!」
くっそ~、こいつは確実に頭のおかしいやべえヤツだけど、真正面から好きとか言われると悔しいけど結構嬉しい……!
「クレピ、お試し感覚でいいからさ、ミャアの彼ピになってみようよ。ミャア……ううん、まずはミアたゃって呼んで。ミアたゃは、好きピに尽くしちゃう系のメイドさんだよぉ♡ 損とか後悔とかさせないようにするから……」
――嘘、遊ばれるのとか絶対に嫌だよ。尽くして尽くして裏切られたら死罪だよ。ミャアほんとはこんな軽い女じゃないんだよ。でもクレピのこと本気で好きになっちゃったの。だから。
「だから、ね? ミャアの心の中、全部覗いていいから」
――ミャア、コミュ障だからクレピの嫌なことしちゃったかもだけど、今度から気をつけるから。こんなどんくさい自分のこと、大嫌いで大嫌いだけど、クレピが一緒ならきっと変えられるから。
言葉でも、心の声でも、このやべえ女の気持ちは鬱陶しいくらい伝わってくる。
表情は明るいけど声は懇願するみたいで、良くも悪くも、とにかく必死だ。
オレに嫌われたくない。この機会を逃したくない。でもオレに嫌な思いはさせたくない。そのためなら自分を曲げられる。だから、優しく抱きしめてほしい。
その体温を――感じさせてほしい。
やり方に言いたいことはあれど、その想いはどこまでも直球だ。
オレはその気持ちに、是でも非でも、返事をしなければならない。
「――――」
なのに、言葉が出ない。
オレには分からないんだ。
誰かに恋愛絡みで迫られたのは、これが初めてだから。
何が良いとか、何が悪いとかじゃなくて、そもそも行動の選択肢すら浮かばない。
ミアは、そんなオレの戸惑いを紅い瞳で射抜いて――悲しそうに笑った。
「じゃあ今日はこれで最後にするね。準備に時間がかかって遅れちゃったけど、まだいっこお料理があるんだ。何も変なの入れてないから、よかったら食べて? ミャアのホワイトシチュー。オムライスの次くらいに得意でね~――」
――『そうか。ならワシ以外が作ったシチューは一生食うなよ』。
「えっ?」
「あ、あ~~~~~~~~~~~~~~~~……」
「誤魔化すのよくない」
シチューと聞いて反射的に心の中に思い浮かべたレイラの言葉を、見事ミアに悟られたオレは、背後の窓を突き破ってその場から逃げ出した。
ミアと食えなかった料理と割った窓に対する罪悪感を抱えながら、無我夢中で走り、時には羽を広げて飛ぶ。
夜闇の中を高速で移動する金色の怪生物、なんて噂が立ったらそれはきっとオレのことだ。
そしてなんと、気が付いたらオレは北区にまで移動しており、疲れ果てて道端で寝ていたところを通りすがりの神父に声をかけられ、浮浪者だと思われて教会で一晩明かすことになったのだった。




