1話『さて、君は一体、誰なんだろうね?』
☆
「いらっしゃいませ。ようこそ、ワタシたちの聖戦へ――クレハ」
薄暗い店内の奥。バーカウンターで挨拶を受けたオレは、背後に近づいてくるいくつかの気配を感じた。
この店に集まってるのは全員が聖戦参加者。
いきなり襲われるようなことはないと思うが、オレの隣に居るレイラは、まだ前の戦いの反動が回復しきってねえ。
異変を悟られないように、オレが気張らないとな。
振り返ったオレは、四つの影と相対する。
「また会ったねクレハ。そう、私こそが陰陽師兼ゴーストの座に就いた朝霧雪音だったのさ」
「君がティアーズの眷属か。もう少し骨のありそうなのが来ると思っていたが。信念を懸けた行いができることを祈るよ」
「前は挨拶できなくて悪かったな。妖刀、勝ったみたいで安心したぜ。遠見桐花、気軽にトウカって呼んでくれ」
「お前その金髪、結構似合ってんじゃん。ああ私はカスミ。月夜の野原に神が澄み渡ると書いて月夜野神澄。よろしくー」
「…………なんだって?」
緊張感が一瞬にして薄らいだ。
なんだ、意外とみんな友好的じゃん。
四人同時に話しかけられたから何を言ったのかは分からなかったけど。
「待った待った、一旦落ち着こう。ほら彼も困ってる。ひとりずつで頼むよ」
バーテンダーの落ち着いた指摘を受けて、四人はそれぞれ互いの顔を見合わせる。
視線が行き交うこと数秒。
ラフな恰好をした女が、最初に名乗りを上げた。
「では私から。前にも《カランコエ》で名乗ったが、ユキネだ。ゴーストの座に就いている」
「ああ、アンタはよく覚えてる」
その人指し指と中指は強烈だったからな。忘れるはずがないぜ。この目潰し冷やかし陰陽師女。
「なんで聖戦に参加してるの隠してたんだよ」
「別に隠してたわけではないよ。……で、あっちの席で大人しくしているのが朝霧雪乃。私の妹で聖戦においては眷属にあたる。その実力の一端を君は既に味わっているはずだ。騎士団とかで」
「……ちょっと、姉さん」
遠くの席から不機嫌そうな声が飛んでくる。
あのマフラーをぐるぐる巻きにしてるのが妹、か。
黒縁眼鏡を掛けているから、姉とは違って真面目でお堅い印象だ。
まあ、目を守るために掛けてるだけかも知れないけども。
「クールに見えるが、昔は素直にユキ姉ぇと呼んで慕ってくれたんだぞ。結構可愛いところがある」
「……姉さん!」
突如、極寒の冷気が全身に吹き付けた。
オレは驚いて周囲を見渡すが、開いてる窓は見当たらない。
一方ユキネはおどけたように両手を挙げて、次を促していた。
入れ替わるように正面に立ったのは、服装も身のこなしも明らかに上流階級の子供。
中性的で整った顔つきから来る印象は、レイラとはまた違った意味でお人形さんみたい。
「ブルーベルだ。聖戦では人形の座に就いた。眷属は彼女」
紹介されて現れたのは黒い着物を纏った少女。
長くて綺麗な髪に加えて、黒、というのが喪服をイメージさせるからだろうか。どこか儚げな雰囲気を帯びた子だ。
彼女は丁寧な仕草でお辞儀をして、小さく微笑んでくれた。
「カグヤといいます。短い間ですが、よろしくお願いします。良いお名前ですね、クレハくん」
「……よろしく。名前、九月八日に生まれたからってのが理由なんだって」
「それはそれは……ユニークな由来で」
控えめに笑うカグヤ。
果たしてユニークというのが誉め言葉なのかどうかオレには分からないけど、嫌味な感はまったくしなかった。
どころかそのミステリアスな笑顔になんとなく魅せられて、オレは無意識に握手をと手を差し出していた。
するとすぐさまブルーベルが、オレとカグヤの間に割って入る。
「ッ――触れるな! 穢れるかもしれない!」
「えぇッ⁉」
あまりの拒絶っぷりに思わず叫んでしまった。あと軽く顎が外れた。
昨日ちゃんと風呂入ったんだけどな……そんなに汚くてみすぼらしいか……オレ。
レイラやアヤメさんと接して、少し感覚が狂ってたのかもしれない。
改めて自分の地位の低さを思い知り半歩下がると、ブルーベルは毅然とした態度でカグヤの手を引いた。
「……あの、誤解を解いたほうがよろしいのでは?」
「……うるさい。君こそ用心しろよな」
洋風の王子様と和風のお姫様。
お姫様のほうが背は高いけれど、ふたりの後ろ姿はとても絵になっていた。
「フラれたなぁ、其方」
と、茶化してくるレイラ。
「別にそういうのじゃねえ」
ちょっと見惚れただけで、一目惚れしたとかじゃない。
恋だか愛だかそういうのを抜きにしてオレは、あのカグヤという黒い着物の女の子から目が離せなかっただけだ。
「あー、続きいいか?」
騒動が終わり、また新たな人影がひとつ。
白と黒のツートンカラーの髪をした、右手にだけ手袋を着用している少年。
こいつにも見覚えがあるな。
妖刀と戦ってた時、急に現れて急に消えたヤツだ。
少年は極めてフレンドリーな態度で、左手を差し出した。
「俺はトウカ。たまに見た目が変わるけどあんま気にしないでくれ。聖戦だと神の眷属ってことになんのかな。よろしくな」
「ん、よろしくー」
握手に応じると、トウカは爽やかな笑みを浮かべた。
ツバサと同じだ。一目で悪いヤツじゃないと分かるタイプ。
難なく挨拶が済むと、次は長身で亜麻色の髪を持つ女が来る。
「私が神だ。――じゃなくてカスミだ。さっきも言ったけど、月夜野神澄。それが私の名前」
「ツキヨノ?」
「聞き覚えある?」
「いや、オレの苗字と似てんなって。ツキヨミっていうんだけど」
「一文字違いだな。興味深い」
「親戚だったりして。もしくは腹違いの姉弟とかだと、ドラマチックな展開だ」
「勝手なこと言うなよロクでなしコンビ。……んなの間に合ってるっつの」
スキャンダルの香りに嬉しそうに反応したユキネとバーテンダーに向かって、カスミはあしらうように言い放った。
ロクでなし、ねぇ。
確かにユキネだけじゃなく、バーテンのおっさんもどことなく胡散臭い雰囲気がある。
これ以上ないほど納得できる言葉だぜ。
「にしてもツキヨミか。いいね、私よりよっぽど神様らしい名前じゃん」
「なんで?」
「――ツキヨミは、月の神の名だからね」
オレが首を傾げると、バーテンが口を挟んでくる。
「農耕の神ともされているんだ。保食神を殺害し、その結果家畜や稲などが生まれたという話だから。しかしそれを聞いた姉のアマテラスは激怒し、一日に昼と夜を作り顔を合わせないようにした。ま、言ってみれば神殺しの神だよ」
「へー」
「というわけでワタシの名前はアウフィエル。天使の座に就いている。この店のバーテンダーにもね。眷属は残念ながら欠席だが、そのうち会える。さあ、お近づきの印にどうぞ。ノンアルコールだよ」
挨拶がてらの一杯にと、グラスを差し出される。
「はあ、ども」
貰えるものは貰っておく精神でオレは口を付けた。
「……うげ」
味は甘いのを期待したけど、苦いのとクラっとくる飲み心地だったので反射的に舌を出して悶えた。
そんなオレの横で、レイラが疑問の声を上げる。
「不死鳥と悪魔の姿もないようじゃな?」
「先約があったみたい。――まあでも不死鳥は脱落したから、もういいかなって」
「あぁ?」
「ウソウソ、冗談だよ。そんなに怒るなって。アヤメは今日追悼式があって疲れてたし、ツバサは年下の女の子と楽しそうにしてた。だからこちらから辞退したんだ。悪魔のふたりも、特に地雷ちゃんのほうは修羅場ってヤツだったし」
軽く笑ったアウフィエルは言葉を続ける。
「参ったよ。クレハに会わせたかったんだけどね」
「なんで」
「悪魔が、次の君たちの対戦相手だから」
「……なるほど」
「おや、あまり興味ないかな? 聖戦のルールについては理解してる?」
アウフィエルが首を傾げる。その眼にはなんだか、オレを試すような不敵さが滲んでいる。
対するオレはグラスの残りをレイラに差し出しつつ、その胡散臭い顔を正面から見返した。
「必要な時はレイラが教えてくれる。それで充分だぜ」
「へえ。ワタシは今、素晴らしい信頼関係を見たようだ。参考になるなぁ」
「一度に話されても覚えきれんだけじゃろうが」
小声でぼやいたレイラは、グラスの中身に鋭い視線を向けたあと、スッとオレのところへ戻した。
それを見たアウフィエルは苦笑しながらグラスを回収して、オレに向き直る。
カウンターに肘をついて、わざわざ目線を合わせるようにして。
「ところでさ、クレハ。お節介を承知で言うんだけど、アドバイスさせてくれない? 天使にはそれぞれ背負った役目、役割というものがあって、ワタシの場合は人を導くことでね」
「おっさんの言うこと、意外とタメになるよん」
「おっさんはよせよ、カスミ。でもまあ、目は良いモノを持っているつもりだ。そうだねクレハ――君は今、家を探しているだろう?」
「……、……まあ」
どうして分かった、なんて反応する気は起きなかった。
接しやすい笑顔で柔らかい物腰だけど、このおっさんはどうも怪しい。
根拠はないけど、さっき一番フレンドリーだったトウカと比べると、アウフィエルは何か裏に隠してそうな気配がするんだ。根拠はないけどな。
だからこの話も正直、詐欺師の営業くらいの気持ちで聞いていた。のだが。
「個人的なおすすめは、平屋の一軒家かな。アパートや宿舎でもいいけど、集団生活は肌に合わないと思う。けど一番に気をつけるべきは、高さだ。五階以上の場所に住むのはよくない。覚えておいて」
「なんでだよ?」
「自分の命に自信が持てないヤツは、俯瞰しすぎると命の重さが分からなくなるから」
「――おい」
アウフィエルを注意するような声。それはオレではなくレイラが発した。
オレはとっさに何かを言おうとして、声が出なかった。
多分……図星だったから。
「怖い声を出さないでくれよ。これはクレハにとって必要なことなんだ。理解して。十五歳の少年が――」
「十四じゃ」
「十四の少年が――」
「ん、十五じゃないの?」
「……どっちだっていいさ。とにかく思春期の少年にこんなことを言うのは酷だけど、クレハは早急に確固たる自我を形成するべきだよ。分かってるだろう? 特に君は吸血鬼になったばかりなんだから、何者にも譲れない自分というものが必要だ」
――確固たる自我。
それは確かに、飲んだ血の記憶に頭をおかしくさせられてるオレにとって必要なものだろう。
こうやって細かいことを気にするのだって、学んでねえ言葉の意味が分かるのだって、使えるのだって、全部オレの中にある他人の血が原因だ。
このままいけばいつか――元々あったオレの人格ってのは消えちまうかもしれない。
だからそうなる前に、他人の記憶に圧し潰されない自分を獲得する。
認めたくねえけど、至極真っ当なアドバイスだ。
「さて、君は一体、誰なんだろうね?」
アウフィエル――褪せた黄色い瞳を持つ男は、オレのすべてを見透かしたように問いかけた。
「この言葉を勝手ながら宿題にさせてもらうよ。もしよければ次に会った時、答えを聞かせてほしいな」
☆
アウフィエルの言葉を最後に、顔合わせ会はお開きになった。
その帰り道。夜でも明るい南区の通りを歩いていると、ふとレイラが呟いた。
「どうじゃった」
「どうって……みんな見た目は人間なんだな~、とか?」
「都合が良いからの。人型のほうが人間との友好関係が築きやすく、認知されるほどに存在の力が増す。いや、そうではなくてな。……あのバー天使のことじゃ」
バー天使とはバーテンダーと天使をくっつけた言葉だ。
帰り際に思いついて口にしてた。周りの評判が良かったので気に入ったらしい。
「そりゃムカついてるに決まってるぜ。あのおっさん知った風なこと言いやがってよぉ。……けどああいうの、本当にオレのためになったりしそうなのが、余計にモヤモヤする」
「そうじゃな。……っ、……」
不意にレイラの足が止まった。
いつも歩幅を合わせているから、見逃すことはない。
「大丈夫かよ、レイラ」
元々全快じゃないのは分かってた。
加えてそれがバレないように店の中ではずっと気を張ってたはずだ。
疲れが出たのかもしれない。
オレが屈んで目線を合わせると、レイラは普段より白い顔を誤魔化すように逸らして、明るい声を出す。
「気にするでない。ワシは一足先に帰るが、せっかく南区へ来たんじゃ。其方は美味い料理店でも探してみるとよい」
無理をしているのは一目瞭然だ。
だからオレも、少し無理をして、何でもない様子で返事をする。
「……おう、またな」
「……うむ、また」
短い挨拶とちょっと笑顔を見合わせて、レイラは霧となって消えた。
ため息交じりに立ち上がると、それまで歩いていた通りがやけに眩しく、そして騒がしく思えてきた。
夜には静かになる東区とは大違いだな、ここは。
「店ねぇ……」
まあせっかくだし、安くて美味い料理が出てくる店を探してみるか。
《カランコエ》が無くなってからずっと行きつけになりそうなところを探してるけど、東区じゃあまだ復興のほうが目立つしな。
いいところが見つかれば、レイラへの土産話にもなる。
「おにーさん、もしかしてお店探してる? ウチ可愛い女の子たくさんいるよ! 初めてならお触りもちょっとだけできちゃうよ!」
「…………はぁ」
まずは客引きが少ないところに行くか。
と、早くもこの町苦手かも、なんて思い始めた矢先、
「あぁぶなッ――――」
悲鳴にも似た短い叫びが聞こえた。と思ったら、曲がり角から男が突っ込んでくる。
「ぐへぇッ⁉」
体当たりをもろに食らったオレは、気が付くと通りの真ん中で大の字になっていた。
いってぇ……なんだってんだ。
吸血鬼特有の回復力により、徐々に痛みが引いていくのを感じながら起き上がると、ぶつかってきた派手な男が申し訳なさそうに頭を下げてくる。
「ご、ごめんなさい! すみません、急いでいるので……本当にごめんなさい!」
そう言って男は全速力で逃げていった。文句を言う隙もなかったな。
「……何だったんだ?」
ま、生きてりゃこんなこともあるか。
気を取り直して、再び店探しの一歩を踏み出す。出した。――その瞬間。
「きゃあッ!」
今度は女が突っ込んできた。
「うぉ⁉」
もう同じ目に遭ってたまるかよ。
オレは人並外れた反射神経をフルに使い、追突を回避。
しかしそれによって相手の女は体勢を崩し、地面に顔を打ちつけるコースに入った。
オレは即座に女の腕を掴み、ステップを踏みながらもう片方の手を腰に回すことで、どうにかこうにかその身体をキャッチする――!
「ふっ、決まっちまったぜ……」
今のはシンジョウの記憶にあった、社交ダンスの技のひとつだ。
気分は複雑。技が決まったのは嬉しいけど、こんなことするなんて自分が自分じゃねえみたいだ。
オレがダンスとか鼻で笑っちまうね……本当に。
つーかあの男、前世じゃ社交ダンスやってたんだな。
「あの……」
「ッ――わりぃ、大丈夫か」
声をかけられたことで自己嫌悪の沼から片足だけ抜け出したオレは、受け止めた女に目を向ける。
泣き腫らした目。人形のような血の気のない肌。切り揃えた前髪にツインテール。頭部には髪と同じ色の黒いヘッドドレス。
そこから全体像を確認してようやく、オレは女がメイド服を着ていることに気付いた。
「メイド?」
「――見つけた」
突如、メイドの両手がオレの頬に添えられ、そのぱっちりとした大きな目と視線を重ねられる。
「…………」
別に恥ずかしくなったわけじゃないが、オレはすぐにその黒い瞳から目を逸らす。
すると重力に倣ってほんの少し下がった長い袖の隙間、白く細い前腕に、無数の切り傷が見えた。
ツバサの記憶によると、それはリストカットというやつの傷跡で――。
「あのぉ、ぶつかっちゃってごめんなさい……。実はわたしお店とかやっててぇ。もしよかったらお詫びにお食事とか……どうですか?♡」
鼻にかかった甘ったるい声で、メイドはあざとく小首を傾げた。




