22話『だって【物語】はまだ、始まったばかりだから』
☆
北区のとある教会に着いた頃。広場の時計は夕方の五時を指し示していた。
追悼式は、始まっている。
すべての区の中心に存在する騎士団本部の上空には、魔法で生み出したスクリーンが投影され、そこで追悼式の様子を中継。
それに倣って広場や大通りに集まった人々は、みな一様に東区へ黙祷を捧げていた。
黙祷が終わったあとは、いかにもお姫様といった華やかな外見をした薄桃色の髪の少女が挨拶をし、次いでアヤメさんのスピーチが始まる。
死を悼みながら未来へ向き直ることを凛々しく語るその姿を、できることなら最後まで見ていたいという気持ちはあったが、しかしオレはそれに背を向けた。
教会の飾り気のない扉を開ける。
さっき挨拶をした神父の話だと、今はここで独りひたすらに祈りを捧げているということだったが。
確かに、ステンドグラスから差し込む夕陽が照らすレッドカーペットの先には、一人のシスターが跪いて、悲しげに肩を震わせていた。
「――あたしの選択は間違いだったのでしょうか。主よ、どうか――」
吸血鬼としての、人並外れた聴覚を持ち合わせていなければ聞こえないほどの小さな声。
そして、問いかけ。
トン、とわざとらしく足音を立てる。
するとシスターは扉を開けて入ってきたオレに気付いたようで、慌てて立ち上がった。
「……何か御用でしょうか」
震えていたが優しい声音だった。警戒の色はない。
一週間過ごしてみたここでの生活は、きっと他人に怯えるようなものではなかったのだろう。
オレの中の記憶が影響したのか、ひとまずの安堵を覚えた。
――元気そうでよかった、と。
「……あ~、アンタに渡すモンがあってよ。神父に聞いたらここだって」
「あたしに、ですか?」
小首を傾げたシスターが足早に近づいてくる。
この一週間、オレは東区で復興作業を手伝っていた。仕事としては瓦礫の撤去と、その際に掘り出した物の届け出だ。
倒壊した家の中には、そこに住んでいた人たちの金品や思い出の品がまだ残っていた。
中にはそれを盗もうと企むヤツもいたんだが、そいつはオレが何とかして、そしてようやく以前のシンジョウ邸からこれを掘り出したのだ。
オレは――一枚の写真をポケットから取り出して見せる。
「あ……それ、は……」
「アンタの家族写真、って言うまでもねえか」
「ど、どうして……これ……!」
シスターは反射的にそれを受け取ろうとして、はっと何かに気付いたように手を止めた。
多分、思ってしまったのだろう。
果たして自分に、思い出に縋る権利はあるのだろうか、と。
そんなこと、決して赦されてはいないのではないか、と。
知らない記憶が囁く。
そうだ。この人は一歩踏み出す勇気を持っているのに、いや、だからこそ強い責任感を持っている。間違いを犯した時はいつだって、自罰的になるのが癖なんだ。
だからいつも、そういう時は励ましていた。
前に引っ張ってくれるのは彼女の役目だったから、せめてその後ろを支えようと思ったのだ。
「…………」
身体が少しだけ変だ。何か薄い膜に包まれたような、被り物をしている気分。
それを振り切りたい気持ちを抑えながら、振り切るためにオレは、改めてシスター――シンジョウの奥さんに向き直る。
「オレはアンタの旦那の血を飲んで、そんで殺した」
「……っ、じゃあツバサさんの言っていた吸血鬼の……?」
「まあ、そういうこと」
「…………ありがとう、ございました」
「あ?」
突如、シスターが深々と頭を下げた。
「礼を言われるようなことしてねえけど……?」
困惑をそのまま言葉にする。が、シスターはなおも頭を上げず、そのまま返事が返ってくる。
「いえ、主人は妖刀という呪具に飲まれた状態だったと聞きました。死は、救いでもあったと。ですので……主人を救っていただき、本当にありがとうございます」
「…………」
返せる言葉が見つからない。だってオレがやったことは人殺しだ。たとえアレが人でなくなっていたとしても、殺しに最も近しい行為をしたんだ。
どういたしまして、なんて言えるはずもない。
「まぁ……アンタがそれでいいってんなら、それでもいっか。でもそれ言ったら、アンタだって別に祈る必要なんかないんじゃねえの? 東区をめちゃくちゃにしたのは妖刀であって、シンジョウじゃねえんだから」
「それは……いえ、そんなことはありません。妖刀に手を出したのは主人。それに変わりはないでしょう?」
「誰かに唆されただけでも?」
「……はい。それは、そう簡単に割り切れることはないし…………元は全部、あたしのせい、だからっ。あたしが無理を言って因果を引き寄せてしまったから……ッ!」
――私はまた大切なものを道連れにしたうえで、君を孤独にしてしまうかもしれない。
記憶の中のシンジョウの言葉を思い出す。
確かシンジョウ夫婦は、前世で子供を失い自分も死に、そうやってリタウテットに流れ着いた。
そこで、学習してしまった死に方に引っ張られるという《因果の引力》を恐れて、あいつは結婚と家族を作ることを恐れていた。
でもそれを、きっと乗り越えられると笑ってみせた、愛する人がいた。
だからシンジョウはこの人と結婚し、娘が生まれ、結果恐れていた事態になった。
この人の根底にある悔いはそれだ。
妖刀に狂わされたシンジョウが東区で大勢の命を奪ったこと――ではなく、その原因を生み出した自分の誤った選択を、ひたすらに後悔しているんだ。
もし仮に東区やほかの地区の住民がシンジョウという男に同情し、許される日が来たとしても、この人だけはその生涯を懺悔に費やすことだろう。
人並みの幸せを掴むこともせず、責任感だけが命の原動力となって、報われない道を歩み続ける。
誰にも知られることなく、誰にも赦されることなく。
だが、そこにひとつの例外が生まれた。
――ゆえにオレが来たのだ。ただ一人、あの男の記憶を持つものとして、できることがあったから。
「シンジョウは最後、もう寒くないっつって消えた。満たされた感じじゃあなかったけど、後悔はなさそうだったぜ。アンタのことを恨んでもいなかった」
「だけど……!」
「参ったな。私はいつだって、君のその笑顔に救われてきた」
「その、言葉は……なんで……っ」
シスターは目を見張って、両手を口元に当てた。
目尻からそっと静かに、涙が流れる。
今のは、シンジョウが結婚を決意した時の言葉であり、そしてこの人にとって後悔の分岐点となっている言葉だ。
必死に打ち込まれた楔。
それを引き抜くために、オレは言葉を続ける。
「血を飲んだら記憶が見えた。だからこそ言えんだよ。アンタがあの時選んだことは、あの男にとって絶対に間違いなんかじゃなかったってな」
「……、っ……、……!」
シスターは何度も首を振った。そんなのダメだと。涙を拭い、堪え、声を押し殺しながら。
救われるわけにはいかない。だって自分には止められたんだ。
なのにそうしなかった。できなかった。
もしも――あの時、結婚しようだなんて言わなかったら。
そう考えられる未来が、あまりにも近すぎるから。
本当は涙を流すことも、感傷に浸ることも、ありえた世界を夢見ることもしちゃいけない。
――そう、心の中で自分に言い聞かせているのが、手に取るように分かる。
オレの中のシンジョウの記憶が。さらにその中にあるこの人の記憶が、そう思わせてくれた。
遠くのほうで鐘が鳴る。それは挽歌。それは鎮魂歌。
あの日、四月十五日に起きた悲劇を弔うための音色。
その力強くも優しく、そして哀愁を帯びた音に乗せて、オレは呟く。
「もっと気楽に生きていいんじゃねえかなってオレは思うぜ? アンタだって、この鐘を鳴らされる側だろ」
しゃがんで、写真を持たせてやると、シスターはとうとう耐え切れずに泣き声を漏らした。
「…………う、うぅっ、ううううぅぅぅぅッ、ぁぁぁ……‼」
恥も外聞もなく、小さく蹲って、震えて。
自分に渦巻く様々な感情と戦っている。
折り合いをつけて。線を引いて。それらはすぐに台無しになって、また最初から感情の整理に臨む。
そのうちに鐘の音は響き終わり、嗚咽も徐々に収まっていった。
日が傾き、差し込んだ夕陽はシスターに降り注ぐ。
その姿の半分は影に染まり、もう半分はオレンジ色に照らされている。
「ありがとう、ございました……」
頬に涙の痕を残しながら、シスターは小さく呟いた。
「気にすんな」
オレも区切りが付けられたしな、多分。
……もうここは、オレが居ていいところじゃねえ。
さっさと帰ろう。
「そんじゃあな」
背を向けてそそくさと歩き出す。すると次の瞬間――、
「あ、あの! 主人の記憶は、貴方の中で生き続けるんですよね……っ?」
「――――」
不意に投げかけられた質問。
オレは一度だけ足を止めたが、しかしその問いに答えることはなく、教会をあとにした。
理由は、ふたつある。
ひとつはオレが、シンジョウの記憶を遠ざけたいと思っているからだ。
今回わざわざ写真を探して届けたのだって善意とかじゃなく、ただ後顧の憂いを断つっていうか、すっきりしねえ部分をすっきりさせたかったっていうか。
とにかくそんな理由だ。
今後シンジョウの記憶が、オレの中に残り続けるのかどうかは分からない。
だから答えられなかった。
もうひとつは、オレにとってさっきの質問が――今後も生き続けるのかと聞かれたように思えたから。
仮にシンジョウの記憶を背負っていくとして、でもそれはオレが生きている間だけの話だ。
で、オレは聖戦に勝って、マリアをどうにかして、町をある程度守って、そんな目標を達成したら生きる理由を全部失くしちまう。
どれも難しい目標だってことは何となく分かってるけど、でも何十年もかかるようなことでもないだろうし。
先のことを考えるのは苦手だが、あえて十年後の自分を想像してみると――まあ何も浮かばない。
となるとやっぱり、あの人の質問に答えられるはずがないんだ。
だってオレは、死ぬ理由がないだけで生きてるようなヤツなんだから。
そういや初めて会った時、アヤメさんが言ってたっけ。
この世界は、生きる意志を持つ存在すべてを歓迎するって。
あの人はもう大丈夫だろうな、きっと。
でもオレはどうなんだ?
たまたまレイラの眷属っていう理由があるから生きてるけど、本当のオレは歓迎されるようなヤツじゃねえからよ。
それがずっと――疑問でしかないんだ、オレは。
教会を出てすぐ、ぐ~、という音が自分の腹から聞こえた。
「あーあ、どんな時でも腹は空くんだよなぁ……今日は何食うか~」
☆
「クレハ、起きるがよい」
「あぁ……?」
何か、子供に名前を呼ばれた気がする。
ぼんやりとした意識の中、目蓋を開けると――月が見えた。
緋色の月。それも小さいのがふたつ。
ああ、ついに世界はおかしくなっちまったのか。
いや待て。なんかこの流れ、既視感があるような……。
そう思ってからの覚醒は早かった。
「……ッ、レイラ!」
即座に、ベンチに寝転がっていた身体を起こす。
すると緋色の月は一歩ほど引き、その動作に従って淡い光を宿した白髪が揺れた。
「おう、久々じゃの」
得意げに牙を見せて笑うレイラ。
そこに出会ったばかりの頃のアンニュイな表情は微塵もなく、また一週間前の夜に見せた弱々しさも感じない。
その変化を前向きに捉えたいオレではあるが、しかしそれでも聞かざるを得ない。
「大丈夫なのか? その……色々と」
レイラは聖戦でアヤメさんに勝利し、けれどもその時に行使した力の反動で、この一週間ずっと眠りっぱなしだった。
それが今オレの目の前にいる以上、ある程度は回復したってことなんだろうが……。
「ま、少しの寝不足感は否めん」
「じゃあなんでここに?」
「おいおい、随分と相棒に冷たいのう。其方の顔が見たかった、それだけでは不服かぁ?」
腰に手を当て、不満げにオレの顔を覗き込んでくるレイラ。
「………いや、別に……」
本当だったら嬉しいけど、代わりに反応にも困る。
抗議の視線に耐え切れず目を逸らすと、ふとレイラの指に何かが挟まっているのが見えた。
あれは、封筒か?
「……実のところ、見過ごせぬ事態が発生した」
「やべえこと?」
「ある意味やべえことじゃな。――招待状が届いた」
「招待状ぅ? どっからだよ」
「この場合は誰から、じゃろうな」
封筒を渡されたので、中身を見てみる。
質のいいメッセージカードにはよく分からない記号が真ん中に一文、その下に一文書かれていた。
多分上が何かしらの誘い文句で、下が名前なんだろうが……これ、見たことない言語だぞ。
リタウテットで創られた共通言語とも違う。
「え~っと……落書きじゃねえよな、これ?」
「送り主はアウフィエル。使われている言語はエノク語。俗にいう天使の言語じゃよ。まあ誰かが創作した人工言語ではないかと懐疑的な立場にある言語じゃが――アウフィエルは正真正銘の天使じゃ。まったく、これでジョークのつもりでいる」
「へー、天使から手紙とか来るんだな。さすがリタウテットだねぇ」
「アホ。其方、聖戦の参加種族を忘れたか」
「はぁ~? 誰がアホだってぇ? ちゃんと覚えてるっつの。吸血鬼、不死鳥、人形、ゴースト、てん……し――――あ! つまりこいつはァ!」
やっと状況を理解したオレを横目に、レイラはため息を吐いた。
「……そう、聖戦参加者からの招待状じゃよ。しかも残りの悪魔と神も加えて、顔合わせがしたいとのことじゃ」
「顔合わせだァ? 今さら?」
「そこが難点でな。他の聖戦参加者は既に顔合わせ済みなのじゃが、ワシはほら、開始ギリギリで其方を眷属にしたから。要はこの招待状は、其方を紹介しろという催促なんじゃよ」
「……はぁ」
「本来であれば無視してもいいんじゃがな。眷属を作り一戦目に勝利した以上、顔を見せないわけにはいかん。不死鳥の娘は何も話さんじゃろうが、万全な状態じゃない、顔を出せない理由がある――そんな風に思われては面倒じゃ」
なるほど。だからレイラは、無理を押してでも招待に応じる必要があるってわけか。
「そんで場所は?」
「あの天使は南区でバーを営業しておる。今夜、その店に来いとさ」
「……バーねぇ? ま、行くしかねえなら、とっとと行きますか」
「そうじゃな。ん」
レイラから、手を差し出される。
オレはその小さな手を掴んで、立ち上がった。
リタウテット、中央都市――南区。
そこは、庶民に身近な地区と呼ばれた東区とは真逆の、言ってみれば都会の地区だ。
昼も夜も騒ぎっぱなしの眠らない街。
中央都市の中では魔族の居住率が最も高く、種族間のトラブルも少なくない。
光が強ければ闇もまた濃くなるを体現したような、平穏からほど遠い混沌区域。
それがこの南区だ。
件のバーは、遊び疲れたヤツがビラ塗れの地面に寝ているような路地の先で、ひっそりと営業していた。
知る人ぞ知る隠れ家的な店。
暖色のライトに照らされた扉を開けて、中に入る。
照明が控えめな店内だ。正面には大きなカウンターがあり、そこへ続く通路には左右三列ずつ、テーブルとソファーが並べられている。
「――――」
客は六人いた。そのすべてと目が合う。
入口に一番近い左側のソファーには、中性的な外見の子供と黒い着物を来た少女。
右側の席には、いつか《カランコエ》で会った陰陽師女と春なのにマフラーをぐるぐる巻きにした眼鏡っ子。
奥に構えたカウンターの端には、亜麻色の髪を持つ長身の女と白と黒が半々の髪色をした少年。
それぞれが二人一組で、レイラとオレ、アヤメさんとツバサのように主人と眷属という関係であることが窺える。
そしてこの店の中で一番煌びやかなカウンターの向こう側には、美男が程よい年の取り方をしたような中年のバーテンダーが立っていた。
「いらっしゃいませ。ようこそ、ワタシたちの聖戦へ――クレハ」
こうして、この世界でのオレたちの出会いは果たされた。
運命の歯車は既に動き出している。
その行く末が終焉であることは決まっている。
ただそれが希望か、絶望か。
天秤がどちらに傾くのかは分からない。
だって【物語】はまだ、始まったばかりなのだから――。
『輪檎巡星』了




