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鏡面のクロノスタシス  作者: 悠葵のんの
一章【出会いの物語】
21/81

20話『包丁はお料理に使いましょうね』

 赤子の頃以来の、ベッドでの目覚め。

 春の朝の少しだけひんやりとした空気と、カーテンの隙間から差し込む日光。

 それを肌で感じながら、身体を起こす。


 不思議と、いつまでもベッドで寝ていたいというような未練はなかった。

 質のいい睡眠をしたがゆえにだ。

 これまでの人生で一、二を争うくらい、すっきりとした起床だった。


「…………」


 隣にレイラの姿は無い。温もりも。そこに居たという痕跡すら。

 寝る前に言っていたように、きっとまたあの玉座に座って、日中は微睡みの時を過ごしているのだろう。


 カーテンを開けて、館を囲う湖とその奥に広がる森を見渡しながら、特に急ぎもしない朝を過ごす。

 日を浴びて、何度か朝の空気を吸って、十分ほどぼんやりとして。

 それから部屋を出た。

 

 静かな廊下。寂れた通路。絨毯を踏みしめる鈍い足音だけが響く空間。

 一階に降りてきたオレは昨日使った脱衣所に向かい、着替えて籠に置いていたジャージを回収。

 何事もなく、また来るぜと正面玄関で一言残して、館をあとにする。


 特にこれといった用事もないが、足は自然と中央都市に向いた。

 漠然と、金を稼がなくちゃいけない――そんな考えがあったんだ。

 こっちの世界に来てまで金の心配しなきゃならねえってのは面倒なことだが、それでもまずはレイラから貰って、それで燃えちまった分の金をどうにか取り戻したい。

 

 レイラは許してくれたけど。

 そして今後も、オレが頼めばシチューを作ってくれるだろうけど。


 それは――本来オレ以外の誰かが受け取るべき優しさを、横取りしてるだけに過ぎないと思うから。


 金ぐらい、自分でもなんとかしねえとな。


 昼前。東区に到着したオレは、気が付くと《カランコエ》の跡地に来ていた。

 どうも腹が減ってたらしい。

 そういや朝メシ食ってなかったからな。

 だが、廃墟は一日経っても廃墟のままだ。

 店の中には誰もいない。誰かが入れるような状況じゃない。


 それでも店の()には、花が供えられてた。

 献花だろう。この店に世話になってたヤツ、多そうだしな。

 ここが今後どうなるのかは分からないが、悪い結末にはならないでほしい。


「オレも花持ってくりゃよかったなー……。でも金ねえし……あっ、森から取ってくるか」


 我ながら冴えた妙案を思いついた、その時。


「あれ。君、この前の……」


 声がしたほうに目をやると、ここら一帯の廃墟群を歩くのに似つかわしくない、派手で現代的な服装の若い女が立っていた。

 見覚えのある顔だ。あれは確かアヤメさんと……。


「ほら、前に騎士団長様と一緒に、ウチの店に来てくれたでしょう?」


 そうだ。妖刀が現れる少し前、オレとアヤメさんは服屋に居て……この人はそこの店主だ。

 結局、新しい服は買えずじまいだったな。


「こんなところで会うなんて奇遇……でも、ないですかね。この辺りの若い人は、だいたいこのお店のお世話になっていましたし」


 見れば、女の手には小さな花束があった。

 そっか。この人も献花に来たのか。

 一昨日の朝のことを思い出す。

 妻の仕事ぶりに憧れて店を出したのだと笑って語ってくれた、今は亡き店主のおっさんのことを。


「……ここ、どうなるんだろうな」


「どうですかねぇ。おかあさ……奥様もショックで塞ぎ込んでしまって。あの人が一言でもきっかけをくれたら、このお店の子供たちは全力で復興を手助けするつもりですが……もちろん、私も」


「ま、家族を亡くしてすぐじゃな」


「ですね。()()()()――()()()()()()()()()()。あの凶行の理由が家族を亡くしてのことだった以上、優しい奥様は余計にやるせないのでしょう」


「…………あ?」


 今何か、聞き逃しちゃいけないことを言わなかったか、この人。

 首謀者。シンジョウ。凶行の理由。

 ――それはオレとツバサ、そしてその報告を受けたレイラとアヤメさんしか知らないコトのはずだ。

 なのにどうしてそれを。騎士団がもう事実を公表したのか?


 と、オレが怪訝な表情を見せると、女はポケットから折りたたまれた一枚の紙を取り出した。


「少年くんはリタウテットに来て、まだ日が浅いんでしたね。どうせ大通りで大量に配ってますし、よかったらどうぞ」


 渡された紙を広げる。

 これ……新聞、か?

 書いてある文字は未知の言語――ツバサの記憶曰くリタウテット内で創られた統一言語――だが、今のオレなら読むことは可能だ。


「――――」


 なるほど。この新聞は……告発文だ。

 現在確認されているだけでも死者数が数百人以上、負傷者も合わせれば千人以上が巻き込まれた災禍――その正体がシンジョウという男であること。妖刀と仮称されている呪具が用いられたこと。男が呪具に手を出した理由が、紅月(あかつき)症候群で死亡した一人娘を蘇らせるためだったこと。


 それぞれが時系列順に、事情を知らない一般人でも理解しやすいように記されており。

 それらの情報の出所として一枚の写真がでかでかと乗せられていた。


 被写体はシンジョウの奥さんとツバサのふたり。場面は騎士団の宿舎の一室。

 つまりこの記事はツバサが事の経緯を説明しているところを、盗み聞くことで書かれたんだ。

 まあ写真のアングルから見ても、これが盗撮なのは明らかだしな。


「それ、いわゆるゴシップ記事に近いものなんですけど、間違った情報は絶対に出さないんです。著者は信頼できない。でも情報は信用できるって感じで。どっちにせよ、悪趣味ですけどね」


 確かに書かれた情報は真実だな。いち当事者として認めるしかない。

 けどこんな泥棒みたいな真似して記事を書くなんて、絶対ロクなヤツじゃないぜ。この記者。

 

 ――首謀者シンジョウの妻は、夫の行いに憤りを、それ以上に後悔を抱いている。

 ――彼女は近日中に北区の教会特区に移送され、そこで夫の罪をひたすらに懺悔する、償いの日々を送るつもりのようだ。

 ――加害者の家族。それは責任を問われるべき存在なのだろうか。正解などないのだろう。

 ――しかし少なくとも騎士団は今回、多すぎる犠牲者を出し、さらには市民に真実を開示することすら怠っている。

 ――それは責任の放棄。アンフェアなのではないだろうか。


 そして、記事の最後にはこう書かれている。


 ――真実を知り得る権利は誰もが平等に持ち合わせている。

 ――どう受け止めるか、どう扱うかは自由だけれど。

 ――私はそれが、悪い方向に転ばないことを願う。


 思わず嗤いがこぼれそうになるぜ。

 こんな注意書きがあったところで、妖刀への恨み辛みはそのままシンジョウの奥さんに向いちまうだろう。

 無責任にもほどがある。オレに言われるくらいだから相当だ。


 だが責任を問われるべきは、オレもなのかもしれねえ。

 この写真の撮影場所、そしてこの位置――今すぐ騎士団に行って、ツバサに会う必要ができた。

 確認しなくちゃならないことが、ある。

 

 記事を貰ったオレは、その足で騎士団本部を訪れた。

 宿舎のほうは難民で溢れているが、本部はそうでもない。

 むしろ前より人が少ないように見える。

 復興に人員を割いているというのもあるだろうが、ほかに理由があるならそれは……この環境が原因だろう。

 

「……さみぃ~ッ、北極かよ! 行ったことねえけど!」


 なぜかは知らないが、本部建物内のすべてが極寒に包まれていた。

 春から冬に逆戻り、なんてレベルじゃない。

 ほっといたら凍死しそうだし、多分釘でバナナが打てる。逆だ。バナナで釘が打てる。ああもう、頭おかしくなってきた。


 人が長居できる環境じゃねえぞ……これ。

 多少の寒暖には耐性があるつもりだったが、これはちょっと耐えられない。

 レイラから貰った黒シャツの上に、ジャージを羽織る。

 これで少しはマシだろう。本当に……ちょびっとだけ。


「……あっ、なあ、ちょっといいか?」


 二の腕を擦りながら、通りがかった騎士っぽいヤツに話しかける。


「え、ええ……な、何か御用でしょうか」


「ツバサ、どこにいるか知らねぇ……?」


「……ツバサさん、ですか。え、ええと、どのようなご用件で……?」


 訝しむような顔だ。

 一瞬、何を警戒されたのかと思ったが、ああそっか。

 あいつ今、ゴシップ紙の一面飾った状況だしな。

 面倒な客でも来ちまって、オレも同類だと思われたんだろう。


「ちょっと話があんだよ……」


 身分を証明するように、指で口の端を引っ張って牙を見せる。

 すると騎士は納得したように声を漏らし、軽く頭を下げた。


「て、ティアーズ卿の眷属の方でしたか。失礼いたしました……す、すぐにお呼びしますので、少々お待ちください……ずぴっ、うぅ……」


「……わりーね」


 と何気なく返事をしたが、できれば急いでほしかった。

 いやまあ、向こうも寒そうにしてたし、のんびりはしないか。


 それにしてもこの寒さ、肌というより身体の内側を直接冷やすような感じで、どうにも余裕を持てない。

 いっそのこと《血識羽衣(アルカードレス)》でツバサの炎を纏うか悩むけど……でもそうなると服も燃えちまうし、消す時にはツバサに一回死んでもらわないといけないしなぁ……。

 奥歯をがちがちと鳴らしながら、わざと雑念を色々浮かべて寒さを紛らわす。心頭滅却の逆だ。


 そんなことをしていると、五分ほどしてツバサが階段を下りてきた。

 昨日と比べても何も変わっていない、普段通りの優男の登場に、僅かながら安心を覚える。

 やっと、この極寒を抜け出すことができるぜ……。


「クレハ! また会えて嬉しいよ。とは言っても昨日の今日だけど」


「挨拶とか今はいいっつの……!」


 文句を言いながら、震える指先で何とかポケットから例の記事を取り出す。

 それを見たツバサはすぐに真剣な表情を浮かべた。

 どうやら用件は伝わったようだ。


「なるほど……場所、変えようか。お互いそのほうがいいだろう」


 オレは小刻みに何度も頷いた。半分以上は震えからくるものだった。


「まだ少し寒そうだね。すまない、昨夜外部の人を招いたんだけど、それからこの調子で。……それじゃあ話を聞こうか」


 騎士団本部の裏にある小さな備品倉庫。

 そこに移動したオレとツバサは、周囲に誰もいないことを確認してから会話を始める。

 まずは先ほどの記事だ。見出しの隣に大きく載せられた写真を見せ、さらにその一部分を指差す。


「ここだけ、床の色が違う。なんでかっていうと壊れた部分を直したからだろ。ってことはここはオレが前に使ってた部屋で、この写真は、同じくオレが壊しちまった壁を利用して撮られた。違うか?」


「……そうだね」


「なぁんで気付かなかったんだよ。あんな大穴、フツー目が合うだろ? 写真撮ってるヤツとさ」


「高度な魔法で偽装されていたんだ。僕が奥様と話していた時、壁の穴は確かに塞がっていた。加えてそれを気にしない効果もあったんだろう。褒めるのは癪だが、見事な実力だと言わざるを得ない」


「馬鹿言うなバカ。それにそうだぜ! 妖刀のこと話したのかよ、あいつの奥さんに」


「僕だって迷いはした。娘の死に夫の失踪、あの人の精神状態はひどく不安定だったから。でも彼女は予感していたんだよ。病院で再会し、再び姿を消すまでのシンジョウさんから、何か不穏なモノを感じ取っていた。その矢先に妖刀の一件が起きて……直接、戦った僕のところに確認を」


 そこでシンジョウの奥さんは、すべて知ることを選んだ、か。

 確かにこいつの性格上、相手の選択を尊重しちまうだろう。


「だから事情説明のためにあの部屋を使ったんだ。本来は君に言われたように、家を失った人が使えるよう手筈を整えていたんだけど、実のところまだ修繕中でね。隣の部屋も合わせて、一般の方への開放はもう少し先になる予定だったから」


「言われてみりゃそうか……」


 確かに、返却された部屋の壁や床が壊れてたら、普通はまず修理からするか。

 で、その間、騎士はともかく避難してきた人は部屋を使えない。

 すっかり誰かが使ってると思ってたけど、それはちょっと考えなしだったな……。


「にしても、そこをドンピシャで盗み聞かれるってのは……ん~、なんつーかさ……」


「話ができすぎ、かな?」


「それ」


「……おそらく僕は、あらかじめ動向を探られていたんだ。妖刀の件か、もしくは別件か。いずれにしても本来使われない部屋、人避けのされている部屋に女性を案内したことで、何か記事のネタになりそうなものがそこにあると、向こうに思わせてしまったんだろう」


 それでこの記事を書いたヤツが動いたと、なるほど。

 話を聞かれたのは偶然じゃなかったが、それがシンジョウの話だったのは偶然ってことか。


「でもそれだけじゃねえ」


 いくらこの非常事態だからって、部外者が人避けされてる部屋に忍び込んで、偽装までするなんて無理だろ。

 ツバサだって当然、警戒はしてただろうし。

 何よりツバサとシンジョウの奥さんの接触から、壁の偽装までの行動が早過ぎる。

 となると、導き出される事実がひとつ。


「推察通り……騎士団内に内通者がいるのは確実だ」


 自責を負った低い声が、鈍く倉庫内に響いた。


「しかしそれは僕たちの事情だ。ケリはいずれ、こっちでつける」


「んじゃあシンジョウの奥さんはどうなんの? 記事にはどっかに移るって書いてあったけどよ」


「彼女は今夜中に、北区にある教会特区へ護送される」


「教会特区ってのは?」


「中央都市の中で唯一、公的に宗教活動が許されている場所さ。すでに最大派閥の教会に話を通してある。そこでなら彼女は、属した教えに背かない限り教会の庇護を受け、報復に怯えない毎日を送れるようになる。信じる者は救われる、だよ」


「……そこに行くまでが勝負か」


「ああ。秘跡――サクラメントは公正公平に行われなければならない。だから教会へ行くためのルートは最終的に一本になるんだ。待ち伏せが可能か不可能かという話なら、可能だね。けど護送には僕も同行する。この身に変えても彼女を守るよ。元々僕が蒔いた種でもあるし、責任は何に変えても果たすさ」


「…………」


 何に変えても果たすか――そんなこと言ったら、オレにだって責任はあるよ。

 壁ぶっ壊したのはオレだし。それがなかったら写真は撮られなかった。記事は出なかった。

 そう、オレはこの事実を確認したかった。

 そこに果たさなくちゃならない責任(モノ)があると、思ったから。


 今夜中か……いいぜ。

 ナイトウォーカーの本領発揮といこう。


 ――家族を、殺されました。


 現在の話じゃなくて、過去の、前世での話です。


 あの頃の私には、もうすぐ小学校に上がる息子がいました。

 あの子はとても活発で、幼稚園でも沢山友達を作って、お行儀もよくて、本当によくできた子でした。


 一方で母親の私は、ほかの人より歩く速度が遅く、いつも誰かから何かを貰ってばかりの、ぼんやりとした専業主婦。


 ランドセルを買ってほしいとせがまれたら、まだ早いんじゃないとたしなめて。

 それでも諦めないあの子から、チラシ付きで必死に説明されて。

 頑張って頑張って、自分の意見を伝えようとする姿を見てようやく、自分が楽観的思考で出遅れているのだと気付くノロマさん。


 デザイン、機能性、値段。

 少しでも時期を間違えたら、そのどれもが流行に遅れてしまうんですって。

 在庫処分のモノを安く買う。

 色も装飾も目新しくないもので、そのうえ最新であろうとするご家庭と比べられてしまう。

 なんて恐ろしくて――面倒な世界なんだろう。


 でも、そんな私の怠慢が原因で、あの子が仲間外れにでもされたら悲しいわ。

 それにあの子が、あれほど頑張って熱弁してくれたのだもの。

 その気持ちを理解して、応える義務が、私にはあると思った。


 うん、昔からそうだった。

 私はみんなについていくのが二、三歩遅れているけど、きちんと話してくれたら理解も共感も示してあげられる。

 相手を嫌な気分にしてしまった時は、ごめんなさいと言うし。

 親切にされたら、ありがとうと感謝を伝えて。

 食事の時はいただきますと、ごちそうさまを忘れない。


 だから、というわけではないと思うけれど、人間関係で困ったことは一度もない。

 教えてもらってばかり、受け取ってばかりの、まるで春の陽光が照らすお花畑を歩いているような生涯でした。

 その――最後を除いて。


 事故だった。そう、あれは事故だったの。

 誰からも恨まれない私の死因は、きっと事故か病気になるだろうなと考えたことがあって、それが見事に的中してしまった形。


 仕事で忙しい夫を残して、あの子と二人で実家に帰省する道すがら。

 トンネルで事故が起きた。

 それが爆発と崩壊に繋がった。

 数時間ほどして、なんとか病院に搬送された私とあの子は、かろうじて息をしていたけれど危険な状況で。

 特にあの子は臓器がいくつかダメになっちゃっていて。


 ……すぐに臓器移植が必要だって、お医者様が声を荒げていたの。

 ……だからここに、渡せるものがあると、もう一度お腹を痛める思いで叫んだの。


 今までの受動的な人生。二、三歩遅れて、笑顔で安全な道を歩く人生。

 最後ぐらい自分の足で踏み出すことができれば、それがあの子の未来に繋がれば、それで満足だった。



 ――でも、手術は失敗したのです。



 私は麻酔の効きすら二、三歩遅れていたのか、寝ているわけでも起きているわけでもない状態で、あの子の心電図がただうるさいだけの機械になる瞬間を、この目で見ていました。

 

 あの子は死んだ。事故で。事故で?

 ――車に殺されました。

 すべては思いがけず起きたこと。

 ――炎に殺されました。

 責められる人なんて誰もいない。

 ――瓦礫に殺されました。

 ちゃんと理解できるもの。そう、ちゃんとお話ができれば。ごめんなさいって、言ってもらえたら。

 ――そして最後は人に殺されました。


 ああ……ランドセル、結局買ってあげられなかったな……。


 それ以上考えるのが嫌で、私はゆっくりと目蓋を閉じた。

 たとえ生き延びたとしても、その先にあるのはこれまでの自分が持ち合わせなかった、怒りや憎しみとの戦いだと悟ってしまったから。


 けれど、私の死には続きがあったの。

 リタウテット。大いなる運命に圧し潰されし者が行き着く場所。


 目覚めたばかりの私は途方もない喪失感を抱えていた。

 そうやって痛みと怒りを誤魔化していた。

 でもまた少しずつ、後ろ向きに歩き始めて、私はかつての私を演じた。


 そうすると人の縁に恵まれて、新しい夫ができて、少しずつ前の私が分からなくなって、今の私が変わり始めて――あの子を失った痛みを思い出さないような道を選び続けた。


 孤独だと人は立ち行かないから、他人を自分の子供のように扱った。

 これなら大丈夫。一線は引いてるから。本当の子供じゃないから。

 死んじゃったってただ悲しいだけ。

 因果なんてモノに引っ張られない。


 私はそうやってあの人と余生を……また、お花畑を歩くような穏やかな人生を。


 取り戻したかったのに。

 うまくできてた、のに



 地震。火災。崩壊。

 また、また、またまたまたまたまたまたああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――――――殺された。



 今度はもう、この胸の奥からドロドロと溢れてくる黒いナニカを、抑えることはできそうにありません。


 前の人生は、自分から善いコトをしようとして失敗したから。

 なら今回は、自分から悪いコトをしてみようと思っちゃった。


 最初で最期の、これまでの人生で一度も経験したことのない、憎悪の発露。

 朝方に配られた一枚の記事を傍らに、私は丁寧に丁寧に研いで、澄ませて。



 心を鬼にして――雨の降る町を歩く。

 


 手足もそうだけれど、何より頭の奥がしんと冷えている。

 そのせいなのか、自分のやるべきことは上手に考えられた。


 こんな記事が世に出た以上、騎士団はあの女を庇いきれないはず。

 記事に書かれた教会特区への護送はできるだけ早く、夜闇に紛れて行われるだろう。

 あそこは罪人の隠れ蓑だ。

 定期的に外部の査察は入るけれど、きっと裏では罪人同士かばい合って、いもしない神様の教えに従ってるフリをして、また誰かを不幸にする。


 だから、そうなる前に、私が、始末を、つけないと。


 大丈夫。ほかは誰も悪くないの。

 騎士団の人も、結局あの人を助けられず、暗い顔を見せに来ただけの金髪のお嬢さんも。

 悪いのはシンジョウとかいう男、ただ一人。

 そしてそんな夫の罪を、妻は償うつもりなのでしょう?

 ならちゃんと、清算してもらわないとね。


 教会特区は、表向きは公正公平を掲げる場所だから、守護領域となる教会への抜け道は一切存在しない。

 つまり亡命のルートは一本に絞られる。待ち伏せは容易だ。

 教会の正面。敷かれた石畳の道路は広く見晴らしがいい。

 馬車を止めるなら、その少し手前の住宅街ね。

 ここなら路地に身を隠せるし、馬車も速度は出さない。


 いやだわ――雨が少しだけ強くなってきちゃった。


 今夜来なければ、また明日もこうするつもりだけど……このまま濡れていたら風邪を引いてしまう。

 それはちょっと困るわ。これが終わったらまた明日の仕入れをして、仕込みも済ませて、お店はいつもより少しだけお寝坊さんだけどお昼頃に開けて……それで、それで……。


 ふふ、何を考えているのかしら、私は。

 最初で最期。自分でそう決めたのにね。

 風邪を引こうが、もう関係ないのにね。


 不意に――音が聞こえた。雨音に被せるように、ガタガタと荒っぽい物音が。


 馬車が来たんだわ。

 じゃあ早速、布の端に火をつけて、この瓶を投げつけましょう。

 これだけで済めばいいのだけど、今日は雨だし、うまく引火するかしら。

 まあいい。とにかくやらないと。

 さあ、持ってきたランタンの火を濡らさないように気をつけて。

 私から大切なモノを奪っていく灯りを、今度は自分の手で――。



「……そんなことしちゃいけません!」



 手で、手を、掴まれた。

 なに?

 雨音のせい?

 それとも集中していたせい?


 顔を上げると、こんなにも近くに、人がいた。

 その顔を、知っている。

 私に憧れたとかで、自分でもお店を立ち上げた立派な子だ。


 でも、私は、この子の名前をまともに覚えていない。

 だから恩も情も湧くことはなく、ただ復讐の邪魔をされたのだと理解し、強引にその子を突き飛ばした。


「離して……っ!」


「っ……う、⁉」


「はっ……!」


 雨水で手が滑って、瓶が地面に落ちる。

 割れて中身がこぼれたが、幸か不幸か火はついていない。

 ぶちまけられた液体は、この雨が洗い流してくれるだろう。


 でもそんなのどうだっていい。

 この機会を逃したらもう二度と復讐なんてできないんだから!

 隠していた包丁を取り出し、それを向けて必死に叫ぶ。


「邪魔しないでッ!」


 すぐに振り返り、馬車を追う。今ならまだ間に合う。荷台に飛び乗って、それでこの包丁を振り下ろす。じっくり研いだんだもの。この切れ味なら絶対仕留め損ねない。さあ、今すぐ走り出すのよ!

 

「やめてください――って!」


 一歩踏み出した瞬間、服の首回りを掴まれて、後ろに引っ張られた。


「う、ッ……ぁ⁉」


 入れ替わるように女の子は道路に飛び出し、馬車を追わせないための壁になる。

 それからじっと私を見て、刃物に対する恐怖に耐えながら、震える唇をそれでも動かした。


「この世界の人たちは皆どこかに傷を負ってます……!」


 うるさい。


「でも、それでも必死に生きて、誰かに優しくしようとしていて……私は、そんなあなたに憧れたんです!」


 ごちゃごちゃと雨音より騒々しい。


「他人だったけど本当の親子みたいに接してくれて、自分なりの生き方に懸命だったあなたに! だから!」


「だから邪魔しないでって言ってるじゃないィィ‼」


 ああ、馬車が行ってしまう。

 そんなのいや。ダメ。させない。

 こんな、こんな――もう恨みも憎しみも我慢しないって決めたの。

 ぜったい、ぜったい、思い知らせてやるのよ。


 包丁を構えて、私は駆け出す。

 あの子はどかない。でも構わない。

 もうどうなったっていい。

 二度目の人生なんて最初から全部夢だったの。もう覚めちゃっていいの。

 だからこの包丁で確実に、容赦なく、無我夢中で――突き刺した。


「――――――――」


 トマトに刃を通すような一瞬の抵抗と、あっけない感触。

 でも引き抜くのは大変で、力を込めようと片足を引いた。

 そこで顔を上げて、気付いたの。


「え?」



 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 


「ッ――い、~~ッ……‼」


 痛みを堪えながら、すぐに刺さった包丁を引き抜いて、どこかを見つめる赤色の目。

 雨に濡れて垂れた髪の色は金色。

 背丈は私よりずっと大きくて、でもやせっぽちで。

 開いた口から垣間見えた八重歯は、人のモノには見えない特別製の牙。


 この子は……確か、クレハ。

 そう、そんな名前だったはずの、吸血鬼の男の子だ。


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