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鏡面のクロノスタシス  作者: 悠葵のんの
一章【出会いの物語】
20/81

19話『涙を拭え。決意の夜だ』

「で、これからどうすんだ? 町の端まで来ちまったけど」


 聖戦(せいせん)の一戦目で見事勝利を収め、対戦相手に見送られてここまできたオレは、ふと通り過ぎてきた町並みを振り返る。


 草木も眠る丑三つ時。住民も寝静まる時間帯。

 しかしそれ以前に、この東区は昨日の妖刀(ようとう)騒ぎで廃墟と化してる。

 何となくで歩いてきちまったけど、こんな寂しすぎる場所に用事なんかあるはずもなかった。


「ああ……」


 そんなオレの疑問に、レイラはいかにも伝え忘れていたという様子で、今さら答えてくれる。


「館へ戻る。其方(そなた)も来い。今宵は勝利を祝い、ちょっとした宴――祝賀会といこうではないか」


「お~いいねぇ! シュクガカイ」


「分かってないヤツのイントネーションじゃろうがそれは……。まあよい。我が相棒よ、ちょいとワシを抱えてくれんか」


「ん~? ん」


 意図は分からないが、とりあえず屈んで背中を向ける。

 するとレイラは、すぐさまオレの前に回り込んできては、人差し指を立てて、教えを説くようなポーズを取った。


「背負うのはダメじゃ。ワシの背ががら空きになって危ないじゃろうが。あと高貴っぽくない」


 おんぶで自分の背中を気にするってのは突飛な発想だが、しかしまあ言いたいことは理解できる。

 前の人に手足を預けた無防備な状態。そんなの後ろから襲われ放題ってことだからな。

 ……誰に襲われるんだって話だけど。


「……じゃあ、これで」


 ほい、と両手を前に突き出す。

 レイラはすぐに意図を見抜いて身体の向きを変え、満足そうに身を預けてくれた。

 腕にかかる重み。しかし負荷はほとんどなく、軽いし柔らかい。そんな小さな身体を、抱き上げた。

 お姫様抱っこというヤツだ。


 立ち上がったところで、オレの右腕に頭を預けたレイラと目が合った。

 相変わらず綺麗というか整いすぎてる顔だ。子供を抱えてるってよりはホント、人形を抱えてるような気分になる。

 そんな自身の無機質さを強調するように、レイラは静かに目蓋を閉じた。


「では往け」


「え⁉ 自分で歩かねえのかよ……!」


「うるさい。ちょっと遠いんじゃよ我が館は。霧に変化しようにも其方を置いていくのは忍びない。いいから往け、ワシは寝る。其方は子守代わりに何か適当な話でもしておれ」


「なっ、マジかよ……もう寝ちまってんの……?」


 よほど耳を澄ませないと聞こえない小さな寝息を立てて、レイラは本当に眠ってしまった。

 突然にもほどがあるぞ……こんなワガママ、主従が建前じゃなかった時ですら、なかったってのに。

 いや、これも気を許せる関係になったってことなのか?


 納得がいかない部分は多いが、叩き起こして歩かせるわけにもいかない。

 仕方なくオレは、あまり揺らさないように気をつけながら館を目指すことにした。


「…………」


 気のせいかもしれないが。

 レイラの寝顔は本当に人形そのもので。普段よりずっと、生きているのか死んでいるのかの判別ができないほどで。

 もしかしたら調子が悪いのかもしれない――そんな一抹の不安が、オレの足を動かす理由になった。


 吸血鬼としての夜目を頼りに町の外へ繰り出し、はや一時間くらいだろうか。

 オレの体内時計なんか信用できたもんじゃないが、まあ大雑把に言って夜が明ける前には、無事レイラの館に辿り着いた。


 今は門扉を抜けて、寂れた庭園から正面玄関に向かっているところだ。


「レイラ、起きろ。もう館だぜ」


 軽く揺らしてやると、長い睫毛がぴくっと動き、目蓋が開く。


「……おぉ、すまんかったな。礼を言う……もう下ろしてくれて構わんぞ。我が領域内、うむ。ここなら少しは――」


 玄関の前で下ろしてやると、地面に足が着くなり全身を伸ばすレイラ。

 その様子は眠る前と大差ないようにも見えるが、元気がないというほどでもない。


 やっぱり、体調が悪いとかはオレの勘違いだったのかな。


 レイラが先に扉を開けたので、オレもそれに続く。

 出迎えてくれた暖色の灯り。

 それは暗闇の中、月明かりひとつで草原と森を踏破した身体にひどく沁みた。

 当たり前か。いくら半分吸血鬼とはいえ、昨日も今日も死ぬ気で戦ったんだ。

 身体も心も気付かないうちに疲れてて。

 聖戦の一戦目が終わってとりあえず一区切り。

 やっと、落ち着いたな。

 

「あーあ……なんだか腹減ってきたぜ、オレぁ」


「ならば夕食にするとしよう。またシチューを作ってやるぞ」


「え! マジか! やったぜ!」


「ふ、ワシの手作りがそこまで喜ばれるとはな。これでも幾分は成長したということ――いや待て」


 不意に、レイラの動きが固まった。

 それから何かを考えるように小首を傾げて、じっと半目でオレを見る。


「今更だが其方あれか、もしかして料理なんて食べられるなら頓着しないタイプか」


「え、まあ……?」


「――――」


 がくんと肩を落とすレイラ。

 良くも悪くも、オレの舌は大抵のモンは食えれば美味いと思えるようにできているのだった。


「まあ……そんなことだろうと思っておったけどな……? 味見しても何か絶妙にイメージと違ったし……」


 その辺は、ほかのシチューを食ったことのないオレには分からない領域だ。

 比べることができないんだから。


 けどま、仮にレイラのシチューが一般的にまずい――とか例えでも言わないほうがいいだろうか――部類に入ろうが、オレにとっては初めてのシチューで美味いモンだって認識に変わりはない。

 別に気にすることなんか何もないと思うけど。


「つかそもそもさ、あれってレイラの手作りだったのかよ。てっきり執事とかにやらせてんのかと」


「だったらもっと自信持つわ。……ああいや、ここは幽世(かくりよ)ほど閉ざされてはおらんが、似たような領域じゃ。基本的に他人は入れんし、入れても道に迷って心を食われかねん。ゆえにそんな召使いはおらんよ」


「へぇ~……――えっ⁉ じゃあオレって入っちゃダメなんじゃねぇ?」


「それならもう問題ない」


「もう?」


「……わざわざ言わせるな、阿呆。ところで……今までツッコまずにおったが、其方なぜ裸足なのじゃ? 最初のツバサとの戦闘で破損した分は用意したはずじゃが」


 露骨に話を逸らされた。が、そっちもそっちで疑問に思ってたコトだ。

 確かに一度目のツバサとの戦いで、オレのスニーカーは原型を留めないレベルでぶっ壊れた。

 でもそれが次の日、騎士団の宿舎で目覚めた時は履きっぱなしの綺麗な状態に戻ってたんだ。

 なんでだろうと、ずっと不思議に思っていたのだが、なるほど。そういう経緯だったか。


「あれレイラが治してくれたのか。……でもわりぃ、妖刀と戦った時に燃えちまった」


「そうだったか。となるとワシがやった財布も一緒に塵になったか」


「ん、まあ……」


 気にしてたこと、あっさり言われちまったな……。

 貰い物を失くした。その事実からばつが悪そうに目を逸らしたオレを、特にレイラは気にする素振りもなく――。


「まあよい」

 

「え、いいのか? 貰った金失くしちまったんだぞ?」


「別に、故意に失くしたわけではあるまい。其方のその申し訳なさそうな顔だけで充分じゃよ。それとも――侮蔑に愉悦を交えて、じっくりとなじられるのがお好みかのう、我が相棒は」


 キッヒヒ、と牙を見せるレイラ。

 そこにはこう、他人の弱みを喜んでつつくのが何よりの趣味ですとでも言うような、嗜虐的な笑みがあった。


 それが本心から来るものなのか、それともそう見せること自体がレイラなりの気遣いなのか、オレには本気で分からなかったので、とりあえず両手を挙げて観念することにした。


「ふっ、それでよい。さて、これ以上立ち話をしてもなんじゃ。ワシは支度をするから、その間其方は風呂にでも入ってこい。大浴場は食堂の反対側。左通路の突き当たりじゃ。着替えも用意しておくから」


 オレが返事をする前に、レイラはそう言って右通路の一番手前の部屋に入っていった。


「……んじゃ、行きますか」


 遠慮するつもりもないが、ほかに選択肢もなさそうなので、大浴場とやらに向かう。

 赤い絨毯を汚れた素足で踏むのも忍びなくなってきたし。

 

「にしてもレイラ……あんな顔もするのかぁ」


 相棒になったからだろうか。この数時間のうちにあの吸血鬼は、それまで見せなかった色々な表情を浮かべるようになった。

 まるでモノクロだったものに突然、色が付いたように。


 強い意志。鮮烈な美しさ。素直な落胆。小悪魔的な笑み。


 それらにまだ慣れないオレは、どう接していいかいまいち掴めずにいるけど。

 でも、心地がいいのは確かだ。

 本当に、これまでの人生がクソだったなと改めて思い直すくらい。

 

「…………」


 同時に少しだけ不安になる。

 なぜならオレにはまだ、レイラから貰ったモンを返せてる実感がない。

 聖戦の一戦目は突破したけど、それでもまだ一戦目だしな。

 もしも次は勝てなくて。恩を仇で返してしまって。それであっけなく、盛大に、この大切なものが無くなってしまうとしたら。

 それは考えただけで、とても、恐ろしいことで。


 瞬間――何かが脳裏をよぎった。

 不愉快なほどよく響く救急車のサイレン。

 ぺしゃんこに潰れた自身の身体。

 みっともなく泣き喚く母親/空に浮かぶ狂気の赤月。

 涙の枯れた先にある喪失感。

 不可逆に対する恐怖と憤怒。


「――――?」


 あれ。オレって、こんなシリアスなこと、グダグダ考えるタイプだったっけ?


 アヤメさんとツバサの願いを背負って、オレもちっとは変わったってことかな。

 責任感が芽生えたっつーかさ。


 ()()()()の記憶に足を引っ張られながら、突き当たりの部屋に辿り着いたオレは扉を開けた。


「え」


 大浴場だと言われたはずの部屋。

 しかしそこにあったのは、浴場の手前に来るはずの洗面所や脱衣所などではなく。

 古今東西、和洋折衷、色とりどりの衣装が、壁に沿うように並べられた円形の空間だった。

 天井から部屋中心に向けて、ゆったりと注がれる何本かの光の筋。

 室内はクローゼットであるのと同時に、ファッションショーのステージでもあるらしい。


 当然奥に浴場へ繋がるような扉は見当たらず。

 そして何より部屋の中心には――幼い吸血鬼がショーツ一枚で突っ立っていた。


「むっ⁉」


 鮮やかなふたつの赤目とばっちり目が合う。

 足元には脱ぎ捨てられた白いワンピース。

 どうやら、今まさに着替えを始めたところだったらしい。が、そんなことはどうだっていい。

 部屋の外を確認してから、もう一度室内を見回す。

 やっぱりここは左通路の突き当たりで間違いない。


「あ~? 突き当たりが風呂だって話だったよな? そもそもなんで別の部屋に入ったレイラがここにいるんだよ?」


「そんな事も無さげに考えておらんでさっさと扉を閉めんかぁ!」


「あ、悪い」


 さすがにデリカシーがなかったな。

 吸血鬼とて、さすがにパンツ一枚のところを見られたら恥ずかしいか。

 と、扉を閉めて廊下に戻ろうとしたその時。


「ちょっと待て其方」


 力強く腕を握りしめられた。

 恐るべき移動の速さと握力だ。


「……なに?」


「それはこっちの台詞じゃよ。なにゆえそんな無反応なのじゃ? 不死鳥の娘のダメージジーンズならぬダメージ制服には顔真っ赤にして目を逸らしておったくせに! ワシのこの裸体には何も思うところがないのか⁉」


「え、ええ~……だって子供じゃん」


「――――」


 この世の終わりみたいな顔になったレイラ。

 また新しい表情だ。見てて飽きないな。

 端正な造形だから、基本的にどんな表情でも絵になるっていうか。


「……そうか。確かにこの身体では、性別の前に幼さが来るじゃろうが……むしろ前までが異常じゃったのか……? それとも単に精神状態の……」


「なんだか知らないけどさ、この館、なんかおかしくね? 前来た時も、二階建てなのに三階とか四階とかあった気がするし」


「まだそこを引っ張るかー! この館はワシの心象領域! ワシの気分次第で内装構造など変わって当然じゃ! そして其方の行き先にこのドレッシングルームが現れたのはせっかくじゃからワシが着飾った姿を其方に見てほしいとおも――――」


「は?」


「…………ぬんッ!」


 掴まれた腕が強引に投げられる。痛い。扉にあたって地味に痛い。


「ええいワシは乙女か! いいから出ろ! 適当な部屋を大浴場に繋げておくからさっさと行けえい……!」


 勢いよく扉が閉められた。

 静かすぎる廊下に一人締め出されたオレはいよいよ、今のレイラは前までのあの吸血鬼と同一人物なんだよな……? 

 なんてことを考え始めるのだった。


 あれじゃあ威厳も何もない、普通に見た目相応の子供じゃねえか――。


 風呂を堪能した。

 なんつーか、すごい風呂だった。

 昔、いや前世って言ったほうがいいのか?

 とにかく前に一度、銭湯に入った経験はあるんだけど、比べるまでもなくこの館の大浴場の圧勝だ。


 銭湯以上に広くありながら、しかし大衆向けではなく、まるで高級ホテルのバスルームのように落ち着いた雰囲気。

 湿度湯温、共に最適。白く立ち上る湯気を透かす明かりがまた優しく、全体的に居心地が良すぎて危うく気を失うところだった。


 それで慌てて風呂から出てみたら、用意されてた着替えは黒のシャツとズボンで、これがシンプルながら生地が滑らかで、ジャージより軽いときた。

 とにかく着心地が良くて、靴もちゃんと揃えてあって……本当にもう、至れり尽くせりだな。


 気分はまるで金持ちに拾われた貧乏な子供だ。

 まあ、あながち間違いでもないけど……。


 そうして命の洗濯を終え、生まれ変わった気持ちで廊下に出たオレは、反対側の通路を進み大食堂に来た。

 相も変わらず豪華な内装と、相も変わらず席の埋まらない長テーブル。

 その中心では今まさに、エプロン姿のレイラが二人分の食事を並べていた。


「来たか。その顔、存分に堪能できたようじゃな」


「おう。毎日入りたいっつーか、むしろ住みたいくらいの風呂だったぜ」


「はは、其方も面白い冗談を言う」


「……結構マジなんだけどな……」


 渾身の感想が簡単に流されたところで、レイラが椅子を引いてここに座れというので、席に着く。

 前々回は両端。前回は中心で向かい合わせ。

 そして今回、レイラの席は――オレの隣にあった。


「シチューだけでは味気ないと思い、切り分けたステーキとパン、野菜も用意したぞ。もっともこれらはリタウテット流の再現料理じゃがな。一応味付けが変えられるようにいくつか調味料も――」


 と、料理の説明をしながらエプロンを脱ぎつつ。その下に隠れていた、クリーム柄のボウタイブラウスに濃紺のスカートを合わせた服装を披露するレイラ。

 いつもと違った雰囲気ながらも、レイラの持つ上品さを損なうことなく、淑やかに立てている格好だ。


「お気に召したかの?」


「ああ、いいと思うぜ」


 オレがそう返すと、レイラは満足そうな顔をして椅子に座った。


「では……いただくとしよう。あ、其方の飲み物はジュースじゃから。血は飲むなよ」


「吸血鬼に寄りすぎるとよくないんだったっけ」


「それもそうじゃし、そも成り立ての吸血鬼には慣らしの期間があるんじゃよ。感度にもよるが、吸血によって流れ込んでくる他者の血の記憶は、自我を侵食しかねんからな。ここまでが自分。ここまでが自分以外。そうやってきちんと線引きすることを覚えんと、あっさりどこにも行き場のない記憶の集合体に堕ちてしまう。もっと早くに言うべきだったが、其方も気をつけろよ」


「……お、おう」


 そりゃ確かに、もうちょっと早く聞きたかったことかもな……。

 いや、仕方ないか。

 妖刀との戦いは、それに伴った吸血は、レイラにとっても予想外だっただろうし。

 にしても、こうやってあれこれ考えてる時点で、もう元のオレっぽくない気がしてきたな……?

 

 いやいや気のせいだ……ツバサの記憶によるとこういうのはプラシーボ効果っていうので……あ~クソ、やめだやめ!

 こういう時は何も考えない。それに限る!


「冷めちまう前に、さっさとメシ食おうぜ……!」


「うむ。我々の勝利を祝って。存分に召し上がれ」


 まずはスプーンを手に、シチューを一口。美味い。

 今までただのシチューと言ってきたけど、種類としてはクリームシチューで、滑らかなコクとそれに浸った肉、野菜はどれも甘くて柔らかい。口の中に入れれば幸せの味が広がり、名残惜しくも次の一口のために飲み込むと、優しい温もりが身体の内側にじんわり溶けていく。

 安心のあまりほっと一息ついてしまう一品だ。

 基本何から採れたのか、元々どんな食材なのかは分からないけど、不満不足など出るはずもない。


 ……今、人参に似て非なる野菜を口に入れたら謎の酸味に襲われたが、多分オレが知らないだけでそういった味付けなんだろう。


「ん?」


 ふと何気なく、視線のようなものを感じたので横を向くと。

 テーブルに肩肘をついたレイラが、にやけ顔をしながらオレを見ていた。


「何見てんだよ」


「うまいか、そのシチュー」


「うまいよ?」


「そうか。ならワシ以外が作ったシチューは一生食うなよ」


「なんでぇ⁉」


 それからはのんびり、食事を続けた。

 会話は多くはなかったけど、しかし沈黙が気まずいということもなく。

 ひたすらに、温かい食卓だった。

 

「ふぃ~、ごちそうさま。美味かったぜ、レイラ」


「うむ」


 空になった皿。膨れた腹。ほどよく高まった体温。

 なんていうか、腹以外も満たされた食事だったな。


「でも良かったのか? レイラの分、半分以上オレが食っちまったけど。つか吸血鬼って一日どれくらい血ぃ必要なの?」


「……ワシは、一日にグラス一杯飲めば、充分じゃよ。ほかの吸血鬼は知らんが……いや、このリタウテットにほかの吸血鬼などはおらんか……」


「レイラ? もしかして眠いのか?」


 ぼんやりとした様子のレイラは、軽く首を振って、立ち上がった。

 だがその動作もどことなく緩慢で、先ほどまでと様子が違うのは明らかだ。

 もしかして朝が近づいてるからなのか?

 いや、でも壁掛け時計を見ると、日の出までは最低でもまだ三時間はある。

 何か別の理由でも――。

 

「ワシは食器を片付ける……其方はもう休むがよい。今日は……疲れたじゃろう?」


「ああ……いや、さすがに手伝うぜ?」


「よい、気にするな……」


 そう言ってレイラは空いた食器を持って、背を向けた。

 段々と遠ざかっていく背中は、やはり何か無理をしているように見えて。

 オレは皿運びくらい手伝おうと思い、立ち上がる。


「レイラ、やっぱりオレも」


 その時、幼い吸血鬼の身体が、崩れて落ちた。


「ッ――レイラ!」


 倒れ込んだ肉体。落下して砕けた食器。

 オレはすぐにレイラの元へ駆け寄り、上体を起こして怪我がないかを確認する。

 はらりと垂れ下がる白色の髪。

 その隙間から見えた(かお)に、オレは思わず息を呑んだ。


「お、おい! どうしたんだよ、そんな顔色して……!」


 顔面蒼白。額には脂汗が滲み、呼吸は荒く、唇の色も濁っている。今のレイラは素人目にでも分かるほどはっきりと、異常が滲み出ている。


「レイラ……!」


 強く名前を呼ぶと、何度か瞬きをした後に、レイラはオレを見上げた。


「そう慌てるな。なに、休めば治るから……」


「いや、でも……なんでこんな!」


「……醜態を晒した以上、隠す必要もない、か。……これは反動じゃよ……世界からのな」


「なんだよ、それ」


「……幽世という、自分の世界の中での出来事でも、本来満月の夜にしか全力を出せないというルールを破った以上、こうしてペナルティが課せられる。ふん……もう少し誤魔化せると思ったが……当分は変化も戦闘もできんじゃろうなぁ、これは」


 やっぱり、気のせいじゃなかったんだ。

 レイラの体調は、館に来る少し前からおかしくなっていた。

 オレと話してた時も、着替えてた時も、メシ作ってた時も、多分……ずっと。


「早く言えよな……! なんで平気なフリしてたんだよ……」


「忘れたか……ワシの弱点は、其方と不死鳥の娘しか知らんことじゃ。其方には信頼を。そして不死鳥の娘には、聖戦のルールを制定するうえで……仕方なく打ち明けた。しかし本来、これは誰にも知られてはならぬこと。あの場には、監視もあったからな……。天下の《麗しき夜の涙(レイラ・ティアーズ)》が、戦いに勝って満身創痍などという痕跡は、今後のためにも残してはならんかった」


「……っ……」


「何より自分の格好悪いところなぞ、相棒に見せたくないのが人心、いや吸血鬼心じゃろうが――」


 その後、オレはレイラを抱きかかえて、案内を受けると共に寝室へ移動した。

 前に見た玉座のある部屋とは別の、飾りすぎていないシックな雰囲気の一室だ。

 窓辺に置かれた大きなベッドの上に、レイラを寝かせる。


「これでいいか?」


「……いいや、このベッドはワシ一人には大きすぎる。其方も疲れたであろう……横になるがよい」


 ぽんぽん、と軽く自身の隣をはたくレイラ。

 その表情は先ほどよりは楽そうになったものの、まだ弱々しさが残っている。

 オレは……レイラがそう言うならと、横になることにした。断りづらさもあったしな。


「寝心地はどうじゃ」


「多分、悪くない」


「それはよかった」


 身体全体がゆっくりと沈んでいくこの感触は、慣れないながらにして寝心地の良さを予感させる。

 そっか。これが、ベッドで眠るってことなのか。

 こんな状況だってのに。またレイラから、貰っちまったな。


「……日が昇れば、ワシの身体は勝手に玉座に縛り付けられる。それまでもう少しだけ、こうしていてくれ。隣に誰かがいる眠りは、貴重じゃから」


「ああ……」


 そこで会話は終わり、後に続いたのは静寂。

 オレは暗闇の中でふと、今日のことを振り返っていた。

 なにせ色々なことがあったからな。


 まず主従関係が対等の相棒に変わって。次に聖戦でアヤメさんたちに勝って。それからレイラの、これまで知らなかった部分をたくさん見て。

 料理や着替え、風呂、ベッドで眠ること、単純な会話でさえ――これまでだってそうだったのに、今日一日だけで、よりたくさんのモノを貰ってしまった。


 そこに悲しいことはひとつもなくて。

 嬉しいことばかりで。

 こんなにも胸が温かいのは、きっと生まれて初めてのことだ。


 なのに……なんでだろうな。

 オレの中には確かに、嬉しいって気持ちがあるのに。


 でもどうしても――何かが引っかかっていた。


 なんていうか、急激に縮まるレイラとの距離に妙な違和感がある、というか。

 そりゃあオレだって、今まで誰にも必要とされなかった人生、そこに手を差し伸べてくれたレイラのためなら大抵のことはやってやるつもりだけど。


 でもレイラの場合、理由が足りてない気がした。

 自分に共通点があったから。

 オレという存在を理解できたから。

 たったそれだけで、こんなに優しくしたり、自分の弱点を晒したりできるものだろうか。


 オレが知らないだけで、それは案外普通のことなのかもしれない。

 けどもし、そうじゃないなら――何か開示されてないピースがある、気がする。

 レイラがここまでオレを対等に認めて、信頼してくれる理由の根本。

 あえて隠された大事な大事なひとかけらが。


「クレハ……」


 ふと、右肩に冷たい感触を覚えた。

 同時に呟かれた、か弱い寝言。

 整いすぎるがゆえに、精巧に造られた人形ではないかと思うほどの寝顔には、その幼子の目元には、命の証明である涙が確かに流れていた。


「泣いてる……ったく汚ねえな……」


 小さなため息をひとつこぼして、オレは袖で透明な雫を拭ってやる。

 それから濡れた部分が触れないよう位置調整して、横向きに。


 ……こういう時、見え過ぎなんだよな。夜目ってのは。

 だがそのおかげで。

 レイラの悲しみに満ちた寝顔を見て、ひとつ分かったことがある。


 今日見たレイラの表情。そのすべては何も飾らない素顔だった。と、オレは思う。

 でもだからって、以前のアンニュイな雰囲気のレイラも決して、猫を被っていたわけじゃあないんだ。


 本当にひとりが寂しくて。隣に誰もいないのが悲しくて。

 何よりも、大切な誰かを失ったことがツラくて。

 無防備な時は思わず、蓋をしたはずの涙がぽろぽろとこぼれてしまう。



「――レイラの眷属は、オレが必ず救ってやるよ」



 つい勢いで、そんなことを口にしていた。

 けど、心の底からの本心だ。

 これがオレからレイラに返せる唯一のモノであり。

 相棒にそんな表情(かお)をしてほしくないと思った、オレの――決意(ねがい)だ。


「だから泣くなって。じゃないと……オレまで悲しい気分になっちまうだろ」


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