10話『モノクロームの中で戦いは始まるのさ』
☆
次の日。オレは再び、中央都市の東区に戻ってきていた。
理由は、昨日のレイラの言葉だ。
騎士団に戻れ、と。
夜になったらまた会いに行く。
指示が出てる以上、眷属として従わない理由はなかった。
どっちみち、ほかに行くところもなかったしな。
朝起きたらなぜかオレは館の門前で砂まみれになってて、そんで扉もびくとも動かなくて。
これもう、完全な締め出しだぜ。
昨日どこで寝たのかも思い出せねえし、レイラから貰った財布がポケットに入ってなかったら、昨夜のことは全部夢で片づけちまうところだったな。
そんなこんなで、寝ぼけたツラのまま橋とも言えない道を使って湖を渡り、森を抜け、丘を下って町に戻ってきたってわけだ。
時間は、腹の減り具合からして昼かその少し前ぐらいか。
つまりそれなりに減ってる。
この時間帯に町に着けたのはラッキーだったな。ってのも実は、途中何度か道に迷いかけたんだが、そのたびに鳥の鳴き声がして森を案内してくれたんだ。
最初は気のせいかと思ったけど声は明らかにオレに向けられていたし、実際その方向に進むと森はひらけて、町を囲う壁が見える場所に出た。
野生動物に道案内されるなんてのは生まれて初めてのことだったが、あれがなかったら今頃は腹の音鳴らしながら森を彷徨ってただろう。
そう思うと感謝しかない。
おかげで昼は、鳥を使った料理が食べたい気分だった。
当然のように、オレはあの場所に向かう。
何せ今は、レイラから貰った金があるからな。
具体的にいくら入ってるのかは分からねえが、重量はそこそこだ。
やれることが増えて気分は一人前。自由で無敵だぜ。
草木の揺れる音しかなかった森や草原とは違う、人の活気で満ちた雑踏の中。
しばらく歩いたオレはその店を見つけた。
昨日は気づかなかった《カランコエ》と書かれた暖簾を、気持ち胸を張ってくぐる。
「こんちわ~」
「いらっしゃいませ! おお、クレハさん! 今日も来ていただけるとは、ありがとうございます」
すぐにオレに気づいた店主のおっさんが、台所に立ちながらその場で軽く頭を下げた。
「おう。昨日はタダメシ食わしてもらったからよ、今日はちゃんと払おうかな~って」
オレは昨日貰った財布を、ポケットから取り出して見せびらかす。
金の種類は元の世界と違ったからよく分からねえけど、さすがにこの量で足りないことはねえだろう。
金の心配をしなくていいってのは、本当に新鮮で、体が軽くなった感じだぜ。
「おやおや、随分と羽振りがいいようで! 失礼ですが、そのお金はどちらで?」
「昨日レイラから。この町で暮らす足しにってさ」
「……だったら今日もお代はいりませんぜ。そいつぁ家賃とかに取っといてください。メシっつーもんは案外、自分で稼いだ金で食ったほうが美味いもんですよ!」
「そうなの? タダでいいなら、オレはむしろって感じだけど」
「構いません。さ、ご注文は何になさいます?」
「鳥のなんか美味いやつ!」
「あいよ! お好きな席でお待ちください!」
いい気分だねぇ、タダで飯が食えるってのは。
早速オレは店の中を見回して、空いてる席を探した。
客はかなり多い。ここが評判のいい店だってのは昨日聞いたけど、やっぱ人気なんだなぁ。
空間を漂う食欲を刺激する匂いによだれを垂らしながら、奥に空き席を見つけたのでそこを目指す。
するとだ。席に着いた瞬間、隣から声が飛んできた。
「ふふ、相変わらずの世話焼きっぷりだ。君――新参者だろう?」
賑やかな店内でもよく通る、女の声。
横を向くと、青っぽい黒色の髪が特徴的な女がオレをじっと見つめていた。
「あんた誰?」
「私はユキネ、しがない陰陽師をしている」
「オンミョウジ?」
「魔術師を東洋の言い方に直したものかな」
それが説明として充分なのか判断できないくらいには、何も思い当たらない。
服装を見てもだぼっとした白いシャツに短パンで、特別な職種の恰好ってわけでもないしな。
歳もオレとそんなに変わらなそうだし。
「《カランコエ》には時々来るんだ。帰ってくる、と言ってもいい。見たまえ」
内心、面倒なのに絡まれたなと思いつつ目をやる。
見えたのはカウンターの向こう側、厨房で次から次へと料理を完成させていく店主のおっさん。
店の端から端まで、空いた皿を片付けつつ接客をこなすその奥さん。
そして笑顔で店を出入りする若い客の姿。
「ごっそさん。今日も美味かったぜ、おやじ! お金ここ置いとくから、行ってきます!」
「おう。気をつけて行ってきな!」
「ご馳走様です、お母さん。私もそろそろ行ってきます」
「ええ。頑張ってね、行ってらっしゃい」
「ただいま、おふくろさん。うわ、これはだいぶ混んでるね~」
「お帰り! 今日もいつものにする?」
「うん。忙しいところごめんね」
「いいのいいの。気にしないでくつろいでってね」
ユキネって女が見ろと言ったのは多分、この風景そのものだ。
どれもこの店の良さを表す、人情に溢れた会話。
落ち着くことを知らないけど幸せそうな、温かい光景。
なるほど。だからユキネは、自分の家みたいに帰ってくるって言い方をしたんだな。
しかし、それはそれとしてだ。
気になることがひとつ。
「兄弟多くね?」
今見ただけでも、それっぽいのが三人はいたような気がするんだけど。
「違いますよ」
「うぉっ⁉」
隣にはいつの間にか店主の奥さん、つまり最初にオレをこの店に連れてきた服屋のおばさんが立っていた。
さっきまであっちのほうで料理を運んでた気がしたんだが、今見たら配膳どころか空いた席の片付けも全部終わってる。
恐ろしい仕事の早さだぜ……。
「いらっしゃいませ。こちらお冷です」
「……違うって?」
「私たちがあの子たちを、あの子たちが私たちを、勝手に家族だと思ってる。本当にただ、それだけなんです」
それは突き放すように冷たい言葉だが、実際にそう言ったおばさんの顔は、声は柔らかくて優しいものだった。
それこそきっと、母親が持ってるらしい日の光のような温もりを感じる。
「二人ともすこぶる面倒見がいいからね。客の好みに合わせて味付けを変え、迷える子羊からはお代を貰わず、本当の家族のように温かく接する。このリタウテットに来たばかりで繋がりを持たない人にとって、ここは立派な『帰る場所』になっているんだよ」
「へぇ~」
「そんな立派なものじゃありません。私たちは必死に、引っ張られないようにしているだけで」
「《因果の引力》――か」
「なにそれ」
「《因果の重力》と呼ぶ者もいるがね。要は、リタウテットに転生した存在は前世と同じ運命を辿って死ぬのではないか、という俗説だよ」
つい聞いてしまったのが運の尽きだった。
また難しい話かよぉ。
オレは条件反射で苦い顔を浮かべたが、ユキネは話すこと自体が目的だとばかりに言葉を続ける。
当然、オレを助けてくれた鳥の鳴き声は、もう聴こえない。
「騎士団によって公表されている、前世の死因とこの世界での死因を照合した統計データによると、このリタウテットでは前世と同じ死に方をする人が、毎年一定数存在している。元の世界で車に轢かれて死んだ人間が、この世界でも馬車に轢かれて死んだ、とかね」
「……」
「しかし考えてみたまえ。この世界に辿り着いた存在はある程度、前世の記憶を保持している。これは記憶というものが脳や体だけでなく魂にも書き加えられるもので、我々はその魂を引き継いでいるからだ。肉体は前世と同じように作り直されているがね。と、するとだ。せっかくの二度目の人生なのに、一度目と同じ死に方をしてしまうというのは、些か不自然だと思わないか? 生き死にを置いておくにしても、普通は一度事故に遭ったら二度と同じことが起きないよう気をつけるだろう?」
「…………んん」
「そこでとある学者が仮説を立てた。前世から引き継がれた魂に記録された死の情報が、この世界で同じ因果を引き寄せてしまっているのではないか――という説だ。もっと砕いて言うなら、一度学習してしまった死に方に引っ張られる、かな」
「……………………こくり」
「しかし私に言わせれば、これはただのこじつけでね。数字のマジックというヤツだよ。例えば前世で女癖が悪くて刺された男が、この世界でも浮気性を直せず誰かの恨みを買って刺されるとかさ。ほら、どう考えたって本人の責任なのに、死因は一致するだろう? この説はそういう数字も拾っているんだ」
「でも、信じてる人はわりと多いですよ?」
「死そのものに特別な意味を持たせたがる連中は、どこにでも居る。そんなもの、目の前にある責任や現実から逃げてるだけなのにね」
「……………………………………くが~」
「……私は思わぬ不幸で自分と子供の命を失い、このリタウテットに辿り着きました。あの人も同じです。その共通点があったから私たちは夫婦になった。お互いに血の繋がった子供を失うトラウマがあって、だからこそこのような形で家族を作ろうと努力してます……それはいけないことでしょうか?」
「いいや、まったく。私はただ、何かに縛られた生き方をするのは勿体ないと言ったまでだよ。人はみな誰しも幸せになる権利を持っているのだから。努力しているのなら尚更ね。さ、議論はここまでだ――少し痛むぞ」
――突如として、開きっぱなしの眼球に何か鋭いものが突き刺さった。
「んぎゃあああァ⁉ 目がああ⁉」
オレは勢いよく転げ落ちながら、涙の止まらない両目を手で覆う。
「やれやれ、君はもう少し話を聞いてくれるヤツだと思ってたんだけどな。目を開けながら眠られるとはさすがに予想外だったよ。くはは、そんな輩には目潰しだ」
あ、悪魔のような笑い声が聞こえる……人の目を指で突くとか超絶悪人じゃねえか。
しかも爪まで立てやがって、この女ァ!
不意に小さなゴミが入るのとはわけが違う。
なんかもう脳を直接殴られたみたいにくらくらするし、視界は目蓋を開けても閉じてもずっと白い光が点滅して……ああ、おしまいだ。
「失明したらどうすんだ畜生~‼ 訴えてやる……ぜってぇ……!」
「心外だな。私だって相手は選ぶさ、吸血鬼の眷属さん? ああ、その金髪は意外と似合っててよかったよ。以上。バーイ、クレハ。時が来たらまた会おう」
言いながらユキネの声はどんどん遠くなっていく。
あの女、どうやら好き放題やって勝手に帰っちまったらしい。
逃げやがって、くっそ~。
「あれ……あの子、まだ何も頼んでないような……」
「はぁ?」
本当に何しに来たんだ、あの目潰し冷やかしオンミョウジ女。
オレがレイラの眷属だってこと知ってたみたいだけど、また会おうだって?
二度と御免だね、チクショー。
つーかよくよく考えてみたら、ここに来てからこんなのばっかじゃねえかよ。
マリアには首を絞められて、レイラには頬を殴られて、あのユキネってのには目玉を指で突かれて……まあどれもオレが原因な気もするが、だからって納得できねえな。
「…………はぁ~」
嫌な気分になったオレは頼んでたメシを食べて、全部を忘れることにした。
こういうのは食って寝て、それでさっさと忘れるに限るぜ。
ちなみに店主が作ってくれた鳥の料理は、親子丼だった。
☆
夜――空には雲。覆われるのは少し欠けた不完全な月。
東区にある大きな十字路の真ん中。
人気がないだけで昼間とはまるで違う雰囲気に包まれたこの場所で、オレとレイラは対戦相手と向かい合っていた。
「――――」
数十メートル先、立っているのはアヤメさんとツバサ。
その服装は以前と見比べて、一目で特別なものと分かる。
夜中でも目立つ黒い上掛け。ぎらぎらと眩しい銀色のバッジをつけた帽子。鳥の翼の模様が入った手袋。艶のある厚底のブーツ。
見てるこっちまで思わず背筋を正しちまうような、存在の重さを感じる格好だ。
対するオレはいつも通りの、糸のほつれたシャツとズボン。
「時間じゃな」
静かにレイラが告げた。
いよいよ、聖戦が始まる。
七本集めれば世界を変える力が手に入るっていう、聖剣を巡る戦い。
勝負の方法は分からない。けど少なくとも、相手を殺せば勝ちってわけじゃない。
ハッキリしてるのは、アヤメさんの眷属であるツバサに勝つのが、オレの役目だということ。
なら眷属として、そうするまでだ。
舌先で鋭く尖った八重歯に触れる。
――オレはやるぜ、本気で。
それは、牙が生える前に吐いた言葉だ。
レイラはオレを必要だって言ってくれた。シチューをくれた。金もくれた。それだけで充分だ。やってやる。
珍しく言い聞かせるように心の中で繰り返して、アヤメさんを見つめた。
黒髪に混じる赤が綺麗でカッコいい、オレの憧れを。
「――――」
アンタには世話になった。
だが、願いを叶える権利は譲らねえぜ。
そしてツバサ。さすがのオレでも薄々感づいてたよ。お前がアヤメさんの眷属だってな。
けどむしろ安心した。悪いがお前にはこれっぽっちも負ける気がしねぇ。
さっさと決着つけてやる。
「おい、其方」
右下のほうから声がした。レイラだ。
すかさず腰をかがめる。
「ん?」
「――勝てないと判断したら、負けないように立ち回れ。理解したな?」
「あ、ああ……」
意外にも後ろ向きなアドバイスだな。
ちょっと冷たい感じもするけど、信頼は勝ち取れってことか。
「――うし!」
改めて気合いを入れ直す。
それを見たレイラは、煌めく白髪を揺らしながら前に出た。
「不死鳥の娘、其方には色々と世話になった。感謝しておる。が、しかし手心は加えられん。それでも構わんな?」
「ええ、聖剣を執った私にこのようなことを言う資格はないのかもしれませんが、見返りを求めての助力など騎士の名折れだ。
《不死鳥騎士団》――団長オオトリ・アヤメ。ならびに眷属ツバサ。一切の気後れはありません。一縷の望みを懸けて、死力を尽くすと誓いましょう」
「死力か。その言葉がワシたちにとって、どれほどの意味があるのかは分からんが――懸けるモノが等価なのは確かじゃな」
吸血鬼の乾いた笑いが、夜の世界に響く。
欠けた月が雲の隙間から現れたのを合図に、レイラは眼前の敵を見据えながらオレの胸元に手を差し出した。
「あ……⁉」
思わず声が出た。
だってオレの胸の中心が光り出して、しかもそこから剣の持ち手が生えてきたんだ。
レイラはそれを小さな手で掴み、勢いよく引き抜いた。
瞬間、一際強い心臓の鼓動と共に――オレの思考は透明な海に落ちる。
「《ディレット・クラウン》」
顕現せしは、この聖戦において所有権を争われる七本のうちが一本。
緑と桜の色が渦巻く淡いオーラを纏い、鍔には王冠をあしらった――聖なる剣。
赤眼の吸血鬼はそれを逆手に構え、地面に突き立て唱えるのだ。
「幽世、創世――」
閃光。零れ落ちた涙と見間違うようなそれが、夜闇を切り裂いた。
刹那。聖剣を中心に広がる灰色の檻。
須臾。オレは、この十字路は、空間そのものは、新たな世界に包み込まれる。
幽世。それは隠世とも呼ばれ、永久に変化の訪れない世界であり、死後の世界であり、黄泉のある場所。
その名を冠したこの世界は、まさしくオレたちのような生命の輪廻を外れた者が戦うのに、これ以上ないほど相応しい舞台だ。
アヤメさんもツバサも、驚いたように目を見張っていた。
かくいうオレも、明暗等しく灰色に染められる世界を見て――どうしようもない懐かしさに胸を貫かれる。
ゆえにレイラ・ティアーズのみが、その麗しき瞳で戦いの始まりを見届けるのだ。
「大いなる車輪に圧し潰されし者の行き着く先――リタウテット。
この世界は夢でも幻でもない確かな現実。
叶えたい望みがある。譲れない想いがある。取り戻したい明日がある。
それらはかつて鏡の向こうに置き去りにされた。
しかして運命とは破綻し流転するもの。
遥か遠き旅路の最中で今一度誓おう。
我が夢を再びこの手に掴み取ることを。我が存在意義を救い出すことを。
偽りの舞台に幕を下ろす時が来た。止められた秒針を動かす時が来た。
《麗しき夜の涙》は七つの終焉の果てに咆哮する。
誰が為に執り行われる再生の儀――聖戦の開演を!」