9話『ご注文は? 鮮血をグラスで一杯。冗談は言わんよ』
☆
五階でも四階でも三階でもない――二階の玉座のある部屋を出たオレは、歩くごとに揺れるレイラの白髪を目で追いながら一階へと降りてきた。
ロビーを右に曲がった突き当たり。
どうやらそこが、この館の食堂らしい。
オレからすれば、メシを食うだけの部屋があるってのがまず驚きなんだが、中に入ってみると余計に開いた口が塞がらない。
吊り下げられたシャンデリア。全体に降り注ぐ暖かい光。歩き心地のいい絨毯。豪華な装飾。絵と見間違う花瓶。両脇に重そうなカーテンを抱えた大窓から見えるのは、月に照らされた夜の湖。
景色もひとつのパーツとして取り入れた美術的空間――中でも特に存在感を放ってるのが、部屋の真ん中にどんと構えたテーブルだ。
これがもう、どう考えたってこんなに使わないだろってくらい長い。
実際、椅子は両端のふたつしか置かれてないし、何の意味があるんだろうな。
庶民以下のオレにはさっぱりだぜ。
奥の席にレイラが座る。それ見てオレは手前に。
テーブルにはシチューが、すでに温められた状態で用意されていた。
一方でレイラのほうに食器は無く、あるのは赤い液体の入ったグラスだけだ。
「それだけ?」
「……今はこれでよい。味は楽しめるが栄養は血液からでしか採れんのでな」
「人でいうところの、ガムみたいなもんか」
「そうかもな。其方は気にせず食え。半分人間の特権じゃよ、それは」
レイラはグラスを手に取り、口元に運ぶ。
……吸血鬼の体に慣れてきたからかな。レイラの子供っぽい声も、牙がグラスに当たる音も、液体が喉を通る音も、その全部がはっきりと聞こえる。
オレとあいつの距離は、同じテーブルについてるとは思えないくらい離れてるのに。
「……いただきます」
あの赤いのに食欲を煽られたわけじゃないが、シチューが冷めちまったら勿体ない。
皿の隣になぜか左右七本ずつも揃えられたスプーンの一本を持ち、肉と野菜をたっぷり掬って口の中に放る。
うまい。あったかいメシってのはいいもんだ。
前に食ったのより倍は美味い気がするね。
「さて――聖戦について聞きたいんじゃったな?」
「あ、そうだった。明日にはもう始まっちまうんだろ? まあ、詳しく知る必要がないってんなら、無理に聞くつもりはないけどさ」
知らないほうが幸せなことだって世の中にはある。
オレだってそんくらいは分かってるつもりだ。
レイラが話さなかったことに理由があるってんなら、それを無視するつもりはない。
「眷属として、命令されたことはやるつもりだぜ」
結局のところオレは、主人に言われたことをこなすだけのイヌなんだから。
「……そうか」
飼い主に背くつもりなんかこれっぽっちもない――と、そういうアピールのつもりだったんだが、反応はあまりよくなかった。
とん、とグラスを置く音がやけに響いて聞こえる。
今のレイラの顔は、テーブルに飾られた花びらが邪魔をして見えない。
「いや……よい、話すぞ。まず其方は聖戦がどういうものか覚えておるか」
「え~と、あれだろ? 聖剣を七本集めたヤツが、どんな願いでも叶えられるっていう大会」
さすがにまだ忘れちゃいないさ。
だってオレがレイラの眷属になってから、まだ二十四時間も経ってないんだから。
そう考えると今日は本当に長い一日だった。
路地裏、吸血鬼、不死鳥、騎士団、幼馴染、タダメシ、行き倒れたおっさん、そしてこの館――。
「そうじゃな」
物思いにふけってたオレの意識を、レイラの声が呼び戻す。
「――聖戦の参加者は七つの種族とその眷属。戦いに勝ち抜き、すべての聖剣を揃えた先に待つのは世界を変える力。億万長者になるとか、無敵の力を手に入れるとか、そんな次元の話ではないぞ? 戦争や寿命、道徳や時の流れ、変えていいものから変えてはいけないものまで、すべてが自在となる。……多分な」
「多分?」
首を傾げた。
「そういう言い伝えなんじゃ。これまで実際に剣を揃えた者はいない、ということになっておる」
「なっておる?」
さらに首を傾げた。
「どうしても曖昧な言い方になってしまうんじゃよ。世界を書き換えたとして、その前と後で何が変わったのかを知る者は限られる。ともすれば力を使った本人でさえ覚えてないという可能性も否定はできん」
「ん~、そういうのはよく分かんねえが、とにかく聖戦に勝ったヤツはマジにどんな願いでも叶えられるんだな」
「いかにも」
その返事は安心するね。オレがこの聖戦において、一番重要な部分をちゃんと理解できてるって証明だ。
「そして其方には聖戦の、初戦を担ってもらうぞ」
「初戦? ってこたぁ……一回戦うだけ?」
だったら楽な話だけど、当然そうではないとレイラは否定する。
「いいや。聖戦はな、一試合の中に二種類の戦いが存在するんじゃ。まずは眷属同士が一対一で戦う初戦。そして次に主人が参戦する決戦。流れとしてはまず初戦で互いの願いに勝敗をつけ、その結果に応じて一方の主人が聖剣の防衛機構を解放する。そこで戦いは決戦に移行し、もう一方の主人ないし眷属が防衛機構を打ち破ることでようやく、聖剣の所有権を奪い取ることができる――ここまでが一試合じゃ。もし決着がつかない場合は二度まで仕切り直し、それでもダメなら対戦相手が変更となる。願いの相性というのもあるからのう。聞いておるか?」
「……へぃ」
「おい、その腑抜けた返事は絶対理解しとらんやつじゃろうが」
「めちゃくちゃ聞いてたって。要はさ、オレはアヤメさん本人じゃなくて、その眷属をぶっ倒せばいいってことだよな?」
「うむ……まあ、それでよいか……。どうせ決戦はワシひとりでどうとでもなるからの。其方の性格上、寝てなかっただけマシと思うことにする」
それはよかった。眠気を堪えた甲斐があったってもんだ。
つーかこんなの、オレじゃなくたって一度じゃ覚えられねえよ。
いっぺんに詰め込むのがレイラの性格なのか、それとほかに理由があるのか……どっちにしても駆け足すぎるぜ。
「じゃが、敵を倒すという認識は改めろ。初戦の勝敗を決めるのは単純な力比べではないぞ」
「えぇ?」
「無論それがひとつの手段として実行されることはあるじゃろうが。しかし前提として、この聖戦に相手を殺せば勝ちなどといったルールは存在せん。ワシらは簡単には死なない。ならば力は数ある手段のひとつでしかない。効果的なのは暴力ではなく謀略。ゆえにこの聖戦を制するのは――他者を諭し願いを諦めさせる者じゃと、ワシは考えておる」
「え……」
願いを、諦めさせる――?
オレはその言葉を聞いてやっと、この聖戦が普通の喧嘩や争いとは全然別物なんだってことを肌で感じ取った。
懸けるのは命じゃなく願い。だったら失うのも願い。
いいコトじゃねえか。血生臭いことにならねえのは。
けど。それは。場合によっちゃあ、ただ死ぬよりも辛いことじゃないのか。
命を懸けられるものを、命より先に亡くすのは――生きながらにして死ぬってことだ。
「確かに、相手を殺すという表現はできるか。この場合、殺害されるのは命ではなく願いじゃな」
いや……まあ、ぶっちゃけオレは見ず知らずのヤツがどうなろうと、別に知ったことじゃないんだが。
問題はこれがオレにこなせるのかってことだ。
だってどう考えてもこれは頭脳労働だぜ。うるさいヤツを殴って黙らせるんじゃなく、話し合いでもして願いを諦めてくれって説得する。もしくは詐欺師みてえに騙すとか。
「できるかなぁ」
「やってもらわんと困る」
「……つーかさ、やっぱレイラも、叶えたい願いがあるんだ?」
考えるのに頭が痛くなってきたオレが平気で話を逸らすと、
「――ああ」
レイラははっきりと答えてくれた。
研ぎ澄まされた赤目。覚悟を滲ませる声。
同じだ。アヤメさんが自分を不死鳥だって言った時と。
肌で感じるのは込められた願いの重さ。嘘偽りない剥き出しの想いだ。
「助けたい者がおるのじゃ。世界を書き換えるほどの力でないと救えない……ワシの最初の眷属が」
「最初の……」
それも、そっか。吸血鬼ってのは不死で、死なないってことは長い間生きてるわけで、だったらオレ以外にお手伝いさん――じゃなくて、眷属がいたとしても何ら不思議じゃない。
ほかにどれくらいいて、それでオレは何番目なんだろうな。
「む、すまん、要らぬことを言った。いじけるでないぞ?」
「はぁ? なんで?」
別に気にすることじゃねえだろ、と続くはずだった声。
しかし乾いた眼球を潤すために目蓋を閉じたのが偶然、拗ねてそっぽを向いたみたいになっちまって、言葉は繋がらなかった。
それはレイラの言う通り、いじけた態度そのものだ。本当に違うのに。
「其方……いや、其方も何か願いを考えておくとよい。自分だけの望みや夢を持つことは、生きるうえで大きなモチベーションになるからの。例えばそうじゃな。南の島に豪邸を立てて、そこで一生遊んで暮らすなんてのはどうじゃ?」
「悪くねえ。けどそういうのってな~んか想像できねえんだよなぁ。身の丈に合わねぇっつーか。大体オレはこの世界に来て、わりともう満足してるんだぜ?」
「そうか……。じゃがな、人であれ何であれ、生きていれば身の程知らずな願いは自然と浮かぶもの。この世界で暮らすうちに、きっと何か思いつくとワシは思うぞ」
「…………」
んなこと言われても、ここに来てからちゃんとメシは食えてるし、服はボロいが着れないほどじゃないし、寝る場所だって騎士団に戻ればアヤメさんは歓迎してくれるはずだ。
半分だけど吸血鬼になってその辺のヤツより強くなったから、変なのに絡まれてボコされる心配もねえ。
つまりだ。オレはもう――何も困ってない。
だったらこれ以上、何を望めばいいんだよ。
レイラはそれじゃあダメとも、それじゃあ足りないとも言ってないが、でもそんなことを言われた気分だ。
すっかり空になった皿に視線を落とす。
美味いシチューだった。けど、ずっと食べてたらいつかは飽きちまって、今度は別のモンが食いたくなるのかもしれねぇ。
食えるだけで幸せだってのに。願いってのも……そういうもんなのかな。
「手を出せ」
突如、真横から聞こえた声。
顔を上げると、いつの間にか右隣にレイラがいた。その小さな手に握られているのは、前に見せてくれた聖剣だ。
レイラは剣を、スプーンの隣に来るようテーブルの上に置いた。
行儀がどうとかを抜きにしても、食卓は一気に物々しい雰囲気に支配される。
「《ディレット・クラウン》――ワシの眷属である其方には使用権がある。柄を握れ」
「え、おう……」
言われるまま、持ち手を握る。
手のひらが、熱い。じりじりと焦げているような感触。
それは瞬く間に拡散した。右手を起点として肌を刻むように伸びる光の線。その線は目を塞ぎたくなるほど眩しくて、腕から胴体、全身へと次々に広がっていく。
「うぉぉぉおお光になっちまうよオレぇぇ⁉」
「ならんわ」
レイラの冷静な声とほぼ同時に、一瞬で光は収まった。
「あっ? あれ、剣がねえぞ⁉」
今度はさっきまで右手にあった感触、重さ、熱の一切が無くなってる。
まさか光にびっくりして落としたのかとも思ったが、周囲にそれらしいのは見当たらない。
するとレイラが得意げに鼻を鳴らした。
「魂に格納されたんじゃよ」
「はい?」
「剣は其方の中にある。強くイメージすれば、いつでも取り出せるぞ。何かあった時は遠慮なく使うとよい。それと、これもやろう」
目の前にぽんと置かれたのは折り畳みできる皮製品。つーかまず間違いなく財布だった。しかも厚さを見る限りそれなりの額が入ってそうな。
思わず唾を飲み込んだ。何なら聖剣を見た時よりも緊張してる。
だって今レイラはこれをやるって……確かに言った、よな?
「も、貰っていいの……?」
「構わん」
「あとで返すとかじゃなくて? 一生減らない借金とかじゃねえよなァ⁉」
「んなせこい真似せんわ。日が昇ったら、其方はそれを持って再び騎士団に戻るとよい。明日の夜、また会いに行く。それまではあの町で、この世界の暮らしというものを学べ」
「うひょ~! あんがとよ!」
「……ここにきて一番の笑顔が見れて、ワシも嬉しいぞ。して、ほかに質問はあるか? あるなら今のうちに済ませておきたい」
質問ねぇ。オレがやることは一応聞けたわけだし、あとは特にって感じだが……そうだな。
答えてくれるってんなら、せっかくだし聞いておくか。
「あー、もしも聖戦で負けたらオレはどうなるんだ?」
戦う前から負けた時のことを考えるっつーのは、普段ならやらないことだ。
後ろ向きで暗いだけだし、どうせオレはレイラについていくしな。
だからこれは本当に、マジで軽い気持ちで口にしたことだった。
「死ぬぞ」
よって――すぐに返ってきたレイラの答えはオレの心を揺さぶりもしない。
例えそれに特別な意味があったとしても。今さら何かが変わることはないんだ。
レイラは牙を見せて笑った。
「――なんて、冗談じゃよ」




