Bonus Tracks(1):いいわけ。……或いは、《おとぎ話になり損ねた世界》〕
*
「それからふたりがどうなったか?」キョトンとした顔でこのお話の作者が訊き返した。「――そんなこと考えてないよ?」
ここは、樫山家一階にある主人の書斎。昨夜晩く樫山は、今回の物語の草稿を妹の順子 (江戸川区在住)に送っていたのだが、それを読んだ彼女から――多分、彼女も居ても立っても居られなくなったのであろう――仕事中にも関らず、突然のズーム・ミーティングを要求されたのである。――彼女は彼女で、同人誌の追い込み作業の真っ最中であるはずなのだが……。
「バッカじゃないの?――」と、パソコンの画面越しでも、ひと目で寝不足だと分かる荒れた肌と血走った目付きで順子が言った。「考えておきなさいよ――これじゃあ、ハッピーエンドかどうかも分からないじゃないの」
「いや、ハッピーエンドって……彼女は罪を犯しているんだから――」
「バッカじゃないの?――」と、エナジードリンクのフタをプシッ。と開けながら順子は言った。「……じゃあ、このまま離れ離れにしておくつもり?」
「まあ、逮捕とか取り調べとか……起訴とか裁判とか?能力も能力だし、数年は会えないんじゃ――」
「ほんっとうのバカね」と、開けたばかりのエナジードリンクの缶をグビグビグビッ。と飲み干しながら順子は続ける。「読者はハッピーエンドを求めているんだから、ハッピーエンドにしなさいよ」
「でも、それじゃあ、せっかく作った作品の雰囲気ってものが――」
「だーかーらーー」と、いまにもパソコン画面の中から飛び出して来そうな勢いで順子が言う……どうでも良いけど、お前、貞子みたいになってるぞ?「雰囲気もへったくれもないわよ。ウソでもなんでも、どうせこの世はおとぎ話になり損ねているんだからさ、せめて、物語の中ぐらいは、幸せな結末を持って来てあげなさいよ――兄さんも、物書きなんでしょ?」
「しかし、こっちだって色々と考えた末での――」
「うるさい!うるさい!うるさい!この(*検閲が入りました)!!」
「おい!言葉遣い!」
「《あのたくましく退屈なフォーティンブラスはいったいどうなった?結局誰が彼に仕返しをした?》って、春樹だかサリンジャーだかも言ってたでしょ?――作者の都合や気分や考えだけで幕を降ろしちゃダメ!!」
「それは、そうだけど――」
「《大工よ、屋根の梁を高く上げよ――》いい?これは命令よ?必ず、必ず、必ず、この二人を幸せにしなさい」
言い出したら聞かないのは我が家の女性陣の特徴でもあろうか?――それとも、マンガ描きと云う連中は、皆こんなに偉そうな人種なのだろうか?明らかに順子は、私が彼女に賛意を表するまで、この会話を――自身の同人作業を犠牲にしてまでも――止めるつもりはないようであった。
「……分かったよ」と、このお話の作者は応え、「なら、よろしい」と、彼女は答えた。
それから順子は、今なら何を言っても許されるとでも想ったのであろうか、
「あと、腐女子の生態描写が適当過ぎるのも気になるのよね。まあ、兄さんは男だから分からないんだろうけどさ――出て来る作品もジャーゴンも微妙に古いし。まあ、キチンとした作品を見せて来なかった、教育をし損ねたアタシも悪かったんだけどさ――。で、まあ、どうせアタシやグリコを参考にしたつもりなんでしょうけど、腐女子なめんじゃないわよって感じ?――あのね、前々から言っているとおり、私の敬愛する(*検閲が入りました)先生が『(*検閲が入りました)の話』の中で描いてくれていたように、男同士の恋愛を男が理解するなんてのは二十億年早――」
……みたいなことを滔々と捲し立て始めたので、このお話の作者は、プツン。と、そのズーム会議を強制終了させた。
『どっちかと云うと、おまえのキャラクターは、八千代くんに反映させたつもりだったんだけどなあ……』――我が妹はいつからあんな風になってしまったのだろうか?
『ただ、まあ、あいつの言うことも一理……二理……三……』――ああ、もう、ちくしょう、まったくもって正論じゃないか!
さて。
では、それからどうしたか?
それから……しばらくの間、このお話の作者は、三十分ほど、一階の書斎から、窓外の景色を見るともなしに眺めていたが、そこから見えた遠くの曇り空に、夏の気配を感じ取ると、目の前のパソコンでも、コンセント横のスマートフォンでもなく、ちょっと離れた本棚に置きっ放しにしておいた時代遅れの小型ラジカセの所まで行くと、乱雑に置かれたCD類の中から、ある一枚を取り出し、お目当ての曲を流すことにした。
確かに、あいつの言う通り、《どうせこの世はおとぎ話になり損ねている》のだから、だったら――いや、だからこそ、そこに、ちょっとした、幸せな結末ぐらいは付け足してやったとしても、別に誰にも罰は当たらないだろう。――CDを入れる。六曲目を選択する。曲が始まる。ギターと、ゆっくりと歩くようなリズム。小さな足音。相も変わらず、おとぎ話のような、素敵な曲だった。
*