後日談(その4)
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カラン。と、『シグナレス』のカウベルが鳴り、男がひとり入って来た。
「お好きな席に――」と言い掛けて店主・逢山美里は、男の顔を見ると、一瞬、あっ。と云う顔になり、それからすべてを悟ると、「すこし待ってて下さいね」と、店の奥へと入って行った。
窓際の席に、河井保美が友人数名と座っていた。男が彼女に気付き、彼女も男に気付いた。互いに、軽い会釈をした。美里が、丁寧に梱包された橋と川の絵を持って戻って来た。
男は、絵を受け取ると、店主と取るに足らない世間話をいくつかした後、カラン。と、またひとりで、そのまま店を出て行った。
公園の方から管楽器を練習する音が聞こえた――トロンボーンの音が、弔砲のように、男には聞こえた。
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コンコン。と、コーヒースペースのパーテーションをノックする音が聞こえた。
そのノックの音に、小張千春と新津修一が同時に振り返ると、そこには警ら課の泉美幸が立っていて、「あの、すみません」と、ふたりに声を掛けて来た。「署長か、副署長にお会いしたいと、お客さまが――」
「ほんはかは――」と、小張千春は返したが、口にほうり込んだままのチョコとコーヒーのせいでうまく喋れない。そこで、新津が代わりに、「どんな方ですか?」と、泉に訊いた。
「おひとりは、例のお弁当屋のおばあさんで、」と泉。「――今回のお礼だとかでお菓子を」
まったく、そういうのは困ると前にも注意したのだが――と、新津は思いながら、「分かりました。挨拶には伺います」と言った。「ただ今後は、『そういうものは受け取れない決まりになっております』と、丁重にお断りして下さい」
でも、あのおばあさん押しが強いんです――と、泉は思ったが、それは言葉には出さず「分かりました。以後気を付けます」とだけ返した。
それから彼女は、「あと、もうひとり――」と、小張と新津のどちらを向いて言うべきか悩みながら、「山崎さんと言う、若い女性の方も来られているんですが――」と、続けた。
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「それは、あなたが正しいわよ」と、安原和美七十才は言った。「わたしだって選ぶなら、その彼のほうにするわ」どことなく亡くなった主人に性格が似ている――と言い掛けたが、その言葉は胸にしまっておいた。やっと、副署長のお出ましだ。
「困りますよ、奥さん」開口一番副署長が言った。「そういうものは貰えないって、前にも言ったでしょう?」性格は偏屈な副署長だが、ちょっと若いころの三国連太郎に似た感じもあって、自分もあと十才若ければアタックしていたかも知れない。
「それでは、山崎さんのほうは私が――」と、例のお嬢ちゃんが小さな声で副署長に言うのが聞こえた。副署長ともどうにか上手くやっているようだ――互いに軽く会釈した。
「お願いします」と、副署長が言い、お嬢ちゃんが『山崎さん』に声を掛けた。それから、二人は二言三言言葉を交わした後、奥の方へと歩いて行った。『山崎さん』はなんだか晴れやかな顔をしていたが、お嬢ちゃんのほうは、少し口惜しそうな顔をしていた。
「その彼、」と、和美は言った。「絶対に離しちゃダメよ」――この彼女の声に、二人の女性は、同時に振りかえると、ちょっとした間のあと、互いに顔を見合わせて、プッ。と笑った。
『山崎さん』が、「ありがとうございます」と言い、お嬢ちゃんが「さすがですね、安原さん」と言った。当たり前だよ。伊達に七十年も女やっていないからね――と、和美は想い、それからしばらくして、お嬢ちゃんに名前教えてたかしら?――と、想った。
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