後日談(その1)
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「それからふたりがどうなったか?」キョトンとした顔で小張千春が訊いた。「――そんな野暮なこと訊いてどうするんですか?」
ここは、石神井警察署交通課横のコーヒースペース。小張から廻されて来た今回の事件?の報告書を読み終えた新津修一は、居ても立っても居られなくなり、彼女を探してここまで来ていた。
「野暮なこととはなんですか――」小張の向かいの席に座りながら新津が訊く。「女性の方の疑いは、依然晴れていないんじゃないですか?」
そう問われて小張は、口に入れたチョコレートを舐めるフリをしつつ、しばし考え込んだあと――考え込んだフリをしたあと、「それについては」と、素知らぬ顔で答えた。「――本庁で対応中です」
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「じゃあ、あの男――コムラサキは、全面的に協力してるんですね?」手にコーヒーカップを二つ持ったまま高嶺ユカが訊いた。「――なんだか、小張さんの言ったとおりになりそうですね」
そう問われて今井登は、高嶺から香って来る若い女性特有の匂いから逃げるようにしながら、「司馬さんの……」と言い、それからカップを受け取って、「――司馬さんの、思惑どおりのような気もしますけどね」と、言った。
「今井さん……」そんな彼の様子を不審に想いながら高嶺が訊ねた。「――匂い、戻って来たんですね?」
その問いに、今井は無言で肯いた。きっと、あのタクシーの中での佐久間……山崎楓の匂いを一気に嗅いでしまったのが原因だろう。
「それは……」と、高嶺は慰めの言葉を掛けようとして、少し考えた。「――それは、お気の毒?なんですか?」確かに、何かあるごとに距離を置かれるのも、あまり気持ちの良いものではないが、あるものをないように振る舞われるのも、そんなに気持ちの良いものではない。
「さあ……」と、彼女からのこの問いに、まったく別の方向を向いたまま、今井登は少し考えてみた。が、それでも、今回の事件であった様々な出来事を想い返しつつ、それから、相も変らず、豆乳ラテがミルクラテに変わっていることに若干の不満を感じつつも、彼女のほうを向き直ると、キモくならないように注意した笑顔で、軽く首を横に振った。
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「じゃあ、ずっと木花さんのモデルを?」紙パック入りの豆乳ラテを飲みながら、橋本茉菜が訊いた。「――ゴールデンウィークの間中?」……この子はまた、何か勘違いしてないか?
「うん。どうせウチは両親とも連休とか関係ないし」と、『シグナレス』店主直伝のサーモンサンドイッチ(簡易版)を頬張りながら佐倉八千代は答えた。「――喫茶店のお手伝いも一緒に」
「それは……」と、向かいの席に座る木花咲希の方をチラ。と見てから、続けて茉奈が訊いた。「――ヌード?とか?」……うん。やっぱり、この子は何か勘違いをしている。
プッ。と、咲希が笑った。壁が崩れた。「まずは顔」と、彼女は言い、それから八千代の方に向き直り、「――身体を描くには私の技術が足りないわ」と、言った。
「へー」と、茉奈が感心したように言った。「――なんだか本格的ね」望んだ答えとは違ったが、逆にそれが嬉しくもあった。
「だから、いつかは身体も描いて貰うつもりよ」と、八千代は言ったが、すぐに先ほどの茉奈の質問を想い出すと、「――もちろん、服を着てだけど」と、少しだけ顔を赤くしながら答えた。
「まあ、その前に……」と、咲希。「難しいのは、この赤毛だけどね――」窓から降り注ぐ初夏の陽射しが、八千代の髪を一段と複雑なモノに……不思議なモノに見せた――うん。やっぱり、描きがいがありそうだ。
「そんなに難しいの?」と、八千代。「エマちゃんなら簡単に描けそうなのにね――」そう言って自身の三つ編みを手でぶらぶらさせている。
この、自分の魅力や不思議さにまったく気付いていないところが、佐倉八千代の魅力であり不思議さでもあるのだが……まあ、そのあたりの謎や魅力の解明は咲希に任せることにして――それはさておき。
「『エマちゃん』……?」と、不思議そうな顔で茉奈が訊いた。「『サキちゃん』でしょ?」
プッ。と、ふたたび咲希が笑った。こんな風に笑う人だとは、八千代も茉奈もこのお話の作者すらも想っていなかった。――なるほど、これなら、浅野正之が彼女に夢中になるのも無理はない。
「それはね、浅野のバカが――」
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