I'm sorry(Part5)
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店に入った男が先ず目にしたものは、数年前に川に消えたあの恋敵の姿であった。
男は、ほんの一瞬、驚きはしたものの、問題の絵にもうひとりの購入希望者がいたことを想い出すと、すべて合点が入ったのだろう。彼の名を呼び、そこから動かないようにと命じた。
「先を急ぐんだ。すまない」と、男は言った。店内の壁を見まわす。が、問題の絵がない――きっと店の奥にでも隠したのだろう。
「勝手に入らせてもらうぞ」と、男は言った。店の奥扉へと向かう。本当は、アイツにもオマエにも――「私を許して貰いたいんだ」
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ガチャ。と、タクシーの陰に隠れながら、今井登が後部座席の扉を開いた。例のマンションで嗅いだ香りが車内に充満していた。この女性で間違いないようだ。彼女に、山崎和雄の名前を伝えた。
彼女は、タクシーの窓越しに店の奥を見詰めた。少し年は取ったようだが、確かにそこには彼がいた。まさか会えるとは……会っても良いとは想っていなかった。
「ちょ、ちょっと、涙はこらえてください」と、今井が言った。先ずは、彼女と運転手をこの場から逃がすことが先決だ。運転手に「呪」は掛かっていないらしい。出来れば、このまま街まで戻って貰いたいのだが――高嶺に彼を説得するよう頼んだ。しかし――ガチャリ。と、反対側の後部扉が開き、女性が店のほうへと飛び出して行った。
「いつも、何度も、」自分ばかりが、「――彼に甘えてばかり」
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「言い忘れていました」あの日。川で別れたあの日。ふたりで市役所まで行ったあの日。彼が伝えてくれた言葉が、彼女を動かした。「――あなたのおかげで、ぼくでいられる」
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ぱっぱっぱーら、ぱっぱっぱ、ぱらっ、
ぱっぱっぱーら、ぱっぱっぱ、ぱらっ、
ぱっぱっぱーら、ぱっぱっぱ、ぱらっ、
ぱっぱっぱーら、ぱっぱっぱ、ぱらっ、
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「とつぜん、すまない」――店に通じる奥の廊下に、赤毛の少女がひとりで立っていた。出来れば、「呪」は使いたくない。絵の場所を訊いた。知らない――と言われた。知っていても教えない――とも言われた。
意思の強そうな目をしている。どことなく若いころの自分に似ている。今度は、もう少し丁寧に、絵の場所を訊いた。今度も、「知らない」「教えたくない」――と言われた。
彼女のエプロンに名前が書かれていた――『佐倉』と読めた。
「――ちっとも進歩しないな」と、彼はひとりごち、彼女に「呪」を掛けることにした。
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カラカラン。と、お店のカウベルが勢いよく鳴り、『シグナレス』の扉が開いた。見覚えのある、何度も忘れては想い出して来た顔がそこにはあった。動けなくなった自分に駆け寄り、強く抱きしめてくれた。
「少し、待っててください」身体だけではなく口も動かせないはずだった。しかし今なら、心も身体も自由に動かせるような気がする。「――まだ、時間はかかりそうですけど」
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「そう言えば、言い忘れてたんですけどね――」と、店の裏口から出て来た美里と咲希をタクシーに乗せながら小張が言った。「念のために山崎さんの戸籍を確認したらですね――」
こんな時にする話?――と高嶺は想ったが、敢えて口は挟まずにおいた。八千代さんを助けに行かなければならないが、何故ひとり残ったのだろうか?
「――あのふたり、やっぱり結婚してましたね」と、小張が言った。
「ええっ?!」と、その場にいた全員 (含:運転手)が一斉に驚きの声を上げた。
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ぱっぱっぱーら、ぱっぱっぱ、ぱらっ、
ぱっぱっぱーら、ぱっぱっぱ、ぱらっ、
ぱっぱっぱーら、ぱっぱっぱ、ぱらっ、
ぱっぱっぱーら、ぱっぱっぱ、ぱらっ、
区立緑ヶ丘中学コーラス部の演奏もそろそろ終わりに近付いていた。
初めてのアレンジのせいか、思いのほか早まったテンポのせいか、それともチューニングがズレ始めたギターのせいか、ところどころピッチを外すメンバーが出始めてはいた――が、室内の全員が一であり、また他でもあった。
《何処まで行ったって――》互いが互いの顔を見た――楽しい音楽の時間もこれで終わりだ。《――君が見ている》
ぱっぱっぱーら、ぱっぱっぱ、ぱらっ、
ぱっぱっぱーら、ぱっぱっぱ、ぱらっ、
ぱっぱっぱーら、ぱっぱっぱ、ぱらっ、――「もう一回!」坂本が叫んだ。
ぱっぱっぱーら、ぱっぱっぱ、ぱらっ、
ぱっぱっぱーら、ぱっぱっぱ、ぱらっ、
ぱっぱっぱーら、ぱっぱっぱ、ぱらっ、
ぱっぱっぱーら、ぱっぱっぱ、ぱらっ、
ぱっぱっぱーら、ぱっぱっぱ、ぱらっ、
ぱっぱっ、ぱらっぱ!
ジャーン!
浅野のギターが最後のコードを鳴らし……
ジャン!!
はい。皆さん、お疲れさまでした。
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