I'm sorry(間奏)
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ぱっぱっぱーら、ぱっぱっぱ、ぱらっ、
ぱっぱっぱーら、ぱっぱっぱ、ぱらっ、
ぱっぱっぱーら、ぱっぱっぱ、ぱらっ、
ぱっぱっぱーら、ぱっぱっぱ、ぱらっ、
*
さて。
と、まあ、そんな感じで。
区立緑ヶ丘中学コーラス部総勢24名マイナス1名プラス2名の演奏はまだまだ続いていくようだが、問題の若い薄給研究者の二つ目の『大きな勘違い』の説明がまだだったので、ここでしておきたいと思う。
そう。
では、その彼がしていた二つ目の『大きな勘違い』とは、一体なにか?
それは、彼の母上が指摘したとおり、彼の欲しかったもの――そうして《大抵いつでも不幸せ》な《この世界に住む人たちの多く》が欲しているものは、『愛』であり『共感』ではない……と云うことだ。
《人間とは何か。それは一個の存在者であるためには、一でありつつ二であるということである。》
と、何処かの横町のご隠居も話していたが、君や彼や私や我々がするべきことは、相手に『共感』を求めたり『共感』を強要したりすることではなく、「我々は他者だ」と認め合ったうえで、「それでも一緒にやって行こう」と努めることなのである――それで良いのである。
せっかく神さまから有り難い御言葉を頂いても《有難がりもしなければ気付きすらせず、浦安の波の音を聞きながら、午後の昼寝を楽しんだ》アブラハムのように、他者は他者であり続ける――が、それでも、“彼女”がこのボーダーコリーに情における関心を持ち続けていたように――そんな『理解も共感も絶した他者』とも、対話し、共生し、ほんの少しでも『善きもの』を築き上げようとする――そのような態度のことを、昔のひとは、『愛』と呼んだのである。
――さあ、歌は、まだ終わらない。
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