ぼくらはしずかにきえていく(間奏)
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さて。
先述したとおり、結局のところ、この世界にある「とてつもなく大きな問題」と云うやつは、いまも「とてつもなく大きな問題」のまま残っているワケだが……、『それってやっぱりシンドイ』と感じる人間は相も変らずいるわけで……そんなこんなのある月曜日の朝。
アジアの東の外れのすみっこにある島国の、そのまた東の外れの平野のすみっこにある某神経科学研究所の、そのまた東の外れの研究室のすみっこで、インターンとして働いていたある若い薄給研究者は、二日酔いの頭で突然のインスピレーションに襲われると、ミラー・ニューロンの働きに注目し、人間同士の共感能力を飛躍的に発達させる薬と方法論とその制御方法を、その日のうちに考え作り出していた。
その日の彼はこう考えたワケだ。
『互いが互いのことをもっとよく知り合えば、不幸なひとは減るはずだ』と。
この方法は確実で、きっとうまく行くと彼は思ったし、少なくとも生まれて来る前に後悔してしまうひとを減らすことは出来る――と彼は思った。
ところが悲しいことに、彼のこの考えには大きな勘違いが二つふくまれていて、彼の思いつきは、生まれたことを後悔しているひとを減らすことも――生まれて来る前に後悔しているひとを減らすことも出来なかった。
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さて。
では、その彼がしていた『大きな勘違い』とは、一体なにか?
その一つは、「この世界に住むとても大変頭の良い人たち」の中のある少数の人たちにとっては、『この世界に住む人たちの多くが、大抵いつでも不幸せだ』と云う事実そのものこそが彼らのメシのタネであると云うことだ。
しかも、運の……良いのか悪いのかはよく分からないが……、彼の勤めるアジアの東の外れのすみっこにある島国の、そのまた東の外れの平野のすみっこにある某神経科学研究所に資金を提供しているのは、その「ある少数の人たち」だった……と云うことである。
彼らは、この某神経科学研究所の、そのまた東の外れの研究室のすみっこでインターンとして働いていたある若い薄給研究者の研究報告書を読んで、こんな風に考えたワケだ。
『互いが互いのことをもっとよく知り合う技術を応用して――互いが互いに共感し合う技術を応用して――他人を自分の思い通りに動かせる技術を作れないものだろうか?』……と。
そうして、彼らのこの思いつきは、世間に公表されることもなく、研究され、開発され、社会の裏側で大変な高値で取引きされるようになって、その技術を悪用する――例えば、邪魔な相手が喜んで自殺してくれるようにするとか――そんな人たちが相当数現われたりもして、そのおかげもあってか、件のある若い薄給研究者の手元にも驚くほどの大金が舞い込むことになったりもしたのだが、困ったことに、残ったもう一つの『大きな勘違い』によって、彼も引き続き『大抵いつでも不幸せ』……であった。
「なんでこんなことになったんだろう?」そんな彼の愚痴を電話口で聴いていた彼の母親は、その話を聞くやいなや、彼を慰めるでも罵倒するでもなく、「そんなの当たり前よ」と言った。「彼女と別れた翌朝に考えたアイディアなんでしょう?」……と。
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