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ぼくらはしずかにきえていく(その2)

     *


「叔母さんも真面目過ぎるわよね」と、不服この上ないと云った口ぶりで木花咲希は言った。「せっかく大金が手に入ったんだから休めば良いのにさ――」連休初日の『シグナレス』は、先週の木曜の夜同様、予想を大幅に上回る盛況ぶりで、のんびりスケッチに勤しもうとしていた彼女も、その手伝いに――具体的に言うと皿洗い役に――駆りだされていたのである。


「でもわたし、こういうの好きよ」と、そんな咲希とは対称的な口ぶりで佐倉八千代は言った。「なんだか家族みたいじゃない?」咲希とは異なり――その愛嬌たっぷりの笑顔を買われ――ウェイトレス役に指名された彼女は、この状況をとても楽しんでいる様子だった。


 そうして、そんな風に笑う彼女を見詰めながら咲希は、ちょっとした、ささやかな、しかしきっと叶わないであろう未来を、この場所に描いてみることにした――時が経つに連れて私たちも、違う道を歩き始めることになるのだから。


     *


「どうしたの?」咲希の隠したはずの微笑みが届いたのでもあろうか、レジを終えてキッチンに戻って来た逢山美里が彼女に訊いた。「しあわせそうな顔しちゃって」――それはきっと、彼女が昔この場所で、夫と共に描こうとしていた未来に近いのかも知れない。


「そう言えばさ」と、冷蔵庫から新しいパンを取り出しながら美里が言った。「さっき帰ったお客さん――片居さんって言うんだけどね」

「あのおじいさん?」と咲希。

「八千代ちゃんのことべた褒めでね」パンを切る美里の手が微かに震えているのが分かった。「――あなたとお似合いのカップルだねって」

「ええ?!」

「あなた、男の子だって思われてたみたいよ」そう言って彼女は、どうにも堪え切れなくなったのだろう、お客さんがいるにも関わらず、大きな声を上げて笑った。


「なになに?なんの話?」そんな美里の笑い声に、興味津々の様子で八千代がフロアーから戻って来た。

「なんでもない」と、咲希が言い、

「この子がね――」と、美里が言った。

「叔母さん!」


 カラン。と、ここでお店のカウベルが鳴り、彼らの会話は中断された。

 青いドアの向こう、淡く揺れている陽だまりの中から、昼下がりのやわらかな風が、束の間の夢を見せていた。


「あとで私にも教えてね」と、新しく来た親子連れの方へと向かいながら八千代が言った。「――エマちゃん」


 そう呼ばれて咲希は、改めて、彼女の赤い髪に陽があたる様子を見詰めながら、もう一度、《きっと叶わないであろう未来》を夢見てみることにした。


     *


『タンタタタン、タンタタタン、タンタタタン、タン……』


 ふたたび、坂本が冒頭と同じメロディーを弾いた。

 それから、一拍の間を置いて、彼が間奏を始めようとしたその瞬間、本当に本当の一瞬、春の時雨あめが、窓の外を通り過ぎて行った。

 自分のいる場所からは見えないが、校庭に咲いているであろう、名残惜しそうな花たちも、この週末の雨に打たれて、散ってしまうのだろうか?――彼は、そんなことを想った。


     *

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