どこの誰かは知らないけれど、誰もがみんな――もとい、自分がずっと知っている女性
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「それで、そのリンゴだか大根だかと今回の件がどうつながるんです?」と、高嶺ユカが訊いた。
「それがですね」と、ノートパソコンを何やらカチャカチャとさせながら小張千春が答える。「どこかの調査ファイルで読んだんですけど……、別のひとに別のひとを重ねさせる研究があったんですって」
「…………え?」と、高嶺。うん。君の気持は痛いほどよく分かるよ。
「えっとですね……」と、流石にこれだけでは何のことやらサッパリよく分からないだろうことに気付いた小張が続ける。「……例えば、人の頭の中には『a woman』がいます。『理想の女性』と言っても良いんですけど、『どこの誰かは知らないけれど、誰もがみんな――もとい、自分がずっと知っている女性』……分かります?」
「……なんとなく?」
「で、そういう『理想の女性』なり『理想の男性』なりが現われたら、高嶺さんならどうします?」
「どうって?……まあ、喜びますかね」
「その人に色々とねだられたら」
「……それってセクハラ的な話ですか?」
「あ、いえ……いや、まあ、そういうのも含めて」
「……まあ、内容によりけりだとは思いますけど、基本的には応じちゃうんじゃないでしょうか」
「そこです!」
「……そこ?」
「人間の『同じ』を感じる力……まあ、『共感力』ってそう云うことなんでしょうけど……それを使って、自分を相手の『理想の女性』なり『理想の男性』なりに見せる能力――まあ、みなさんそれをやろうとして失敗するのが本来なんですけど――そう云う研究があったんですって」
「……それ、本当の話ですか?」
「まあ、都市伝説の類いに近いのかも知れませんけどね……でも、その能力が非常に強力で、ねだったことすべてに相手が応じてしまうほどであった……としたら?」
「すべてって……」
「そう。例の男性及び女性の能力がそれほど強力なのであれば、一連の事件の筋が通ってくるんですよね」
そう言われて高嶺は、俄かには信じ難いと云った表情で、小張に何か言おうとしたが、どう言って良いのか分からなかったのだろう、その口をゆっくり閉じると、そのまま黙ってしまった。
それから、しばらくして小張は、グフッ。と、またヒロインらしからぬ声を出してから、「今の『例の男性及び女性の能力が……』って、なんとかXなんとかファイルみたいじゃありませんでした?」と、訊いた。
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うーん?『Xなんとかファイなんとか』にそんなセリフあったっけ?
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「でもですね」と、パソコンを打つ手を止めて小張が言った。どうにかこうにかヒロインらしい声と表情は取り戻したようである。
「本当に誰かと接したいのなら、誰かを愛したいのなら、自分の頭の中の『an apple』を追い求めるのではなく、目の前の相手、目の前の具体的な『the apple』をキチンと見てあげることが大事なんじゃないでしょうか?」
そう言って小張は、高嶺の方にゆっくりと顔を向けた――こうやって見ると普通のキレイなお姉さんに見えるのだから、女性と云うのは本当に不思議な生き物である。
「哲学者の方が何と言われるかは分かりませんが、そこにこそ『愛の謎』を解く鍵のようなものがあるように私には想われます」そう言いながら小張は、伊達眼鏡を外した。「――高嶺さんは、どう想われます?」
いつもなら『銀魂』の主人公のように濁っているか寝不足で充血している小張の瞳が、キラキラと輝いているように見える(寝不足で目が潤んでいるからね)。
その真剣な(っぽい感じがする)小張のまなざしと声と表情に高嶺ユカは吸い込まれそうになると、不意に彼女を抱きしめてしまいたい衝動に駆られたが、ここが警察署内であること、しばらくしたら電話を掛けに行った今井が戻って来るだろうことを想い出し、どうにかこうにかその衝動を抑え込もうとした。
が、しかし、せめて、この気持ち――ああ、小張さんの薄いくちびると白い肌が(*検閲ガ入リマシタ)で(*検閲ガ入リマシタ)ってしたい――せめて気持ちだけでも伝えなくては……。
「あ、あの……」と上気した頬とうるんだ瞳を隠すことすら忘れて高嶺ユカは言う。「小張さん……実は、わたし――」
「なるほど」と、そんな高嶺のうるんだ瞳から目をそらしながら小張が言った。「――こうやってやるんですね」
「へ?」と、高嶺は胸の前で組んだ両方の手から力が抜けて行くのが分かった。
「例の男娼組織のパソコンにあったマニュアルを読んでいたんですよ」と、ふたたび伊達眼鏡を掛けながら小張。「――なにかの参考になるんじゃないかと想って」カチャカチャカチャ。と、何事かをパソコンに打ち込んでいる。きっと『高嶺さんには効果あり』とかなんとか書いているんだろう。「――おかげで大変参考になりました」
そう言われて高嶺ユカは、上気していた顔が更に真っ赤になっていくのを感じると、「ひっどーい。それ、セクハラですよ?」と、言った。
「えっ?」驚く小張。「実験ですよ?――ただの実験」と、まるで一人で昼飯を買いに出たことを咎められた人間のようなテンションで言う。
「純真な乙女心を弄ぶだなんて!」詰め寄る高嶺――乙女って(笑)
「そんな、私たち乙女って年でもないじゃないですか」と、小張――だから、それを口に出すなよ。
「責任を取ってくださいよ!責任を!」さらに詰め寄る高嶺。小張の両手をつかむ。
「責任ってなんですか?」
「長渕剛も唄ってるじゃないですか!」(*『純恋歌』参照)
「ちょ、ちょっと、高嶺さん、いや、ダメ、倒れ……きゃあ」
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カチャリ。と、会議室の扉が開き、今井登が戻って来た。
「喫茶店の店主と連絡が取れました。あと、昨日の山崎さんって方からも連絡が入っていて――」
そう言ってテーブルの方を見るが、そこには小張のノートパソコンと高嶺の飲み物――キャラメルスチーマーウィズブライトモカメープルシロップウィズモーストエクストラビジョンワンダフルクリーム・ラ・ホイップ――が置いてあるだけで二人の姿はない。
あれ?……と、室内を見回してみると床の上に倒れた小張の頭部が見えた。
「こ、こはりさん?!」と、今井は駆け寄るが、そこには、倒れた小張の上に馬乗りになった高嶺の姿が――と、ここで今井登はその決して優秀とは言い難いうす汚れた灰色の脳細胞をゼロカンマ数秒の間フル回転させると、すべてを(間違ったまま)悟ったのだろう、ゆっくり後ずさると、そのまま部屋を出ようとした。カチャリ。
「ちがいます。ちがいます。ちがいます」と、高嶺は必死で彼を止めようとしたが、その後ろでは、小張が頬を赤く染めながら目線を床に落とし、目に(ウソの)涙をためながら口をつぐんで佇んでいた――うん。だから、そういうところだからな、お前。
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