『能力の違い』ってSFドラマみたいですね
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問題の絵について、『シグナレス』店主・逢山美里は、その絵の購入希望者・山崎和雄に、ある申し出を行っていた。
その申し出と云うのは、「ただで、若しくは本当に少額で」あの絵を譲っても良い……と云うものであったのだが、引いたとは言えもう一方の購入希望者が一千万と云う金額を提示し、更にその話を終わらせる際の迷惑料としてその十分の一を店主に渡して行ったのである。ひょっとすると、何処かのお金持ちがふざけただけなのかも知れないが、それでも、一度はそれだけの値段が付けられた絵であることに変わりはないワケだし、また、そんな風に情けを掛けられることは、山崎和雄の側からすれば、大切な『あの人』との想い出を手ずから色褪せさせてしまうような――そんな風に感じてしまうようなことでもあった。
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『だから、』と、山崎は考える。『せめて問題の迷惑料並みの金額は提示したい』……が、それにつけても我が身の貧しさである。百万などと云う大金なぞはイメージするのも難しい。
『楓さんなら、何と言ってくれるだろうか?』そんなことを考えながら歩く彼の前、石神井池に掛かる橋の上に、カメラを構える二人の男が見えた。
二人の男は、山崎の遠くうしろの方にいる鷺だか雁だかの鳥を撮ろうとしているのだろう。カシャカシャ。と小さく素早い音をさせた後、二人は互いの顔を見合わせてから首を傾げた。
二人が同時に撮ろうと思ったその鳥は、彼らより一瞬早く、その場を立ち去ってしまったからだった。
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問題の絵について、自分が行ってしまったその申し出について、逢山美里は、少しく反省をしていた。
彼――山崎和雄の感じる負担を少しでも減らせればと「ただで、若しくは本当に少額で」絵を譲ると言ったのだが……よくよく考えてみると、これはあまりにも無思慮無分別であったのではないだろうか?
『お金がすべて』とは想っていないし、そんなことを言うつもりもないが、それでも、金銭の多寡で自分の誠意や想いが表されると云う面は確かにある。自分的には、あれほどまでにあの絵を気に入って貰えただけで十分だったし、お金についても、例のお客――もう一人の購入希望者が置いて行った迷惑料とやらで絵の代金としては十分過ぎるほどである。なにしろ、お金になるとは考えたこともなかった絵なのだから。
『なにか良い方法がないかしら?』そろそろ来るであろう警察のひと向けのコーヒーを挽きながら、美里はそんなことを考えていた。
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「叔母さん、どうしたの?」大根のスケッチ画が掛けられている壁から少しだけ目を離して八千代が訊く。「落ち込んでるって言うか、悩んでいるって言うか」
「それがね、」と、八千代の髪型を確かめながら咲希が答える。「山崎さんにした申し出の返事がな……この前と編み方ちがう?」道理で描きにくいはずだ。
「え?」
「三つ編み」
「三つ編み?」
「うん。この前と変わってる」
「え?うそ?」と、八千代。髪に手をやりほどこうとする。「ごめん。毎朝、適当に編んでるから……」
「あ、いいのよ。直さなくて。聞いただけだから」
「本当?」
「うん。そういうとこも写真と違う部分だから――」
カラカラン。と、ここで『シグナレス』のカウベルが鳴って、二人の会話は中断された。
入って来たのは昨日、例の女性の使いとして店を訪れた若い男――今井登と、その同僚である高嶺ユカ、それに何故かずっとガムを噛み続けている小張千春だった。
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「警察の方?」今井が差し出した警察手帳を覗き込みながらいぶかしげに美里が訊いた。「……でも、昨日はたしかに」
「それがですね……」と、答えにくそうな今井の代わりに小張が説明を始めた――どうでも良いけどガム噛みながらは態度悪いよ、お嬢さん。
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さて。まあ、当然の話ではあるが、こちらの『シグナレス』の三人も、先般の新津同様、「言葉で人を操る人間がいる」と云う小張の推理を信じることが出来なかった。
が、しかし、それでも、昨日、実際に操られている男=今井登を見たことや、自分たちも例のお金持ちの女性に似たような術……と云うのだろうか、それを掛けられそうになったことを想い出すと、徐々に現実味を帯びて来たのだろうか、小張の説明が終わるころには三人とも――それでもまだ半信半疑ではあったが――彼女の言うことを信用してみる気持ちにはなっていた。
そうして、八千代の、「そう言えば――」と云うセリフを切っ掛けにして、ここ数日に起きた奇妙な出来事を小張ら三人に話したのである。
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「なら、そちらのお嬢さん――八千代さんが声を掛けていなければ、昨日の今井さんのようになっていたかも知れないわけですね?」と、小張。
「多分……」と、首を傾げながらではあるが、美里が答える。「でも、なんだか、とても気持ちの良い――と云うか、とても甘いような気持ちにされて、悪い気はしなかったと云うか……」
「そこは今井さんとちょっと違いますね」と、これは高嶺。「重い蜂蜜を流し込まれた……とかでしたっけ?」
無言で今井がうなずく。
「ひょっとすると、男女の違い……か、能力の違いかも知れませんが……」そう言って小張は、自分の言った言葉に自分で引っ掛かったのだろう。クフッとブサイクな顔で笑うと、「――『能力の違い』ってSFドラマみたいですね」と言った。「なんとかXとか、なんとかメンみたいな」
そんな彼女の言葉に周囲の面々は答えに窮していたが、その空気を感じ取ったのだろう高嶺が、「えーっと、すみません」と、仕切り直しのつもりで言った。「それで、問題の絵と言うのは?」
「ああ、それでしたら、」と、美里が席を立とうとした瞬間、カラン。と再び『シグナレス』のカウベルが鳴った。
噂をすれば……と言って良いのだろうか?美里の申し出に対する返事を持った山崎和雄がそこに立っていた。