ヤマもなければオチもない(その2)
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左手の人差し指を第二関節のところで軽く曲げて二フレット目の一~三弦を一緒に押さえる。そこから五弦と六弦は鳴らさないよう注意しながら開放弦の四弦も合せて鳴らす。ジャラーン――「こんな感じ?」と、浅野正之が訊いた。
そう訊かれて坂本賢治は、自分用の譜面台を準備する手を止めると、しばらく宙を見詰めた後、「ハイコード。五フレット目の方で」と言った。
すると浅野は、少し手間取りながらもギターを押さえる手の位置を変えるとシャラーン――と、先ほどよりも少し高めの音を加えたコードを鳴らした。
「うん。そっちの方が良いと思う」と、坂本。「あとは、みんなとやりながらだね」
「了解」次は七フレット目……よりは二フレット目の方が良いな。ジャラーン。うん。坂本から注文は入らない。「しかし、この曲、A♭からじゃなかった?」
「弾いたことあるの?」自分用の譜面に赤ペンで注記を入れながら坂本が訊く。「こう云うのはやらないと思ってた」
その坂本の質問には答えず今度はD。そこからE7。「ここもハイコード?」浅野がそう訊くと、再び坂本はしばらく宙を見詰めていたが、ピアノの前に移動すると、先ほど浅野がギターで鳴らしたコードをピアノで引き直した――DからE7。そのあとはC#m7になって、G#m……。「ごめん。ローコードでまとめた方が良さそうだね」と、はにかみながら言った。
『なるほど、こういうところが女子……と云うか委員長に好かれるんだろうな』と、彼のちょっと恥ずかしそうな笑顔を見ながら浅野は想った――が、なんかちょっとうらやましくなったので口には出さないことにした。なぜこの男は委員長の気持ちに気付いてあげられないのだろう?こちらと言えば最近、あいつが赤毛の彼女に夢中でやきもきさせられっぱなしだと言うのに……ああ、そうか。
「それで?佐倉さんは?」ジャラーン。と再びローコードに戻したDM7を弾きながら浅野。「やっぱりしばらく来れないの?」
「らしいね」木花さんからなにか訊いていない?……と坂本は言い掛けたが、今の浅野にこの話題は禁句だろう。この美男子ときたら自分が完全に彼女の友達枠に入ってしまっていることに未だ気付いていないようだ――それどころか、周囲の誰も自分の気持ちに気付いていないとすら想っているのだから世界は不思議に満ちている。「でもおかげで、浅野を連れて行く大義名分も出来たし――」コーラス部のお姉さま方はよろこぶだろう。
「そうか?」と、照れながら浅野が言った。「俺も、お前とやれてうれしいよ」どうにかこいつと委員長をくっつけてやれる手立てはないものだろうか?
「ありがとうな」と、坂本。「感謝してるよ」木花さんとのことは諦めてコーラス部の誰かとくっついてくれると有り難いのだが――正直、愚痴を聞くのも結構しんどいんだよね。
「ああ」浅野が言った。「お前の頼みだもんな」
「浅野……」と、このとかく恋愛に関して不器用と云うか物凄く鈍感なイケメンに掛けてやる言葉が思い付かなかったため、坂本賢治はついつい言葉を濁したが――その濁し加減がまた微妙にアレだったのであろう、一番大変なことになったのは、音楽室の外でこのやり取りを聞いていた委員長こと橋本茉菜であった。
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『このふたりやっぱり……』と、思春期の女性特有の想像力を駆使して彼女は、二人の関係を誤解し曲解し妄想しちょっとした辱めすら加えると、『わたしが身を引くべきよね……』と、二人の待つ音楽室には入らず、そのままそこを去って行ってしまった――うーんとね、橋本さん。君も彼らも色々と間違っているよ。
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